『黄金の馬車』特別対談 Part2

 




野崎歓 (のざき・かん)
1959年新潟県高田市生まれ。主な著書に『フランス小説の扉』(白水社、2001年)、『赤ちゃん教育』(青土社、2005年、講談社エッセイ賞受賞)、『異邦の香り―ネルヴァル『東方紀行』論』(講談社、2010年、読売文学賞受賞)等。訳書にジャン・ルノワール『ジョルジュ大尉の手帳』(青土社、1996年、青土社)、サン=テグジュペリ『ちいさな王子』(光文社古典新訳文庫、2006年)、ネミロフスキー『フランス組曲』(共訳、白水社、2012年)など多数。

映画『黄金の馬車』の背景

野崎: お話をうかがっていると、あるところではルノワールを継承しながら、21世紀的展開がありそうで楽しみになってきます。ルノワールの時代から文学、芸術、思想の分野で前面に出てくる発想は女性の問題でしょう。ルノワールは女優を通して女性の力を見つめていますね。さきほどお話ししたようにこの映画の前はインドに行っています。奇特な花屋さんがお金を出して彼に映画をつくらせるんです。その前はハリウッドにいました。さらにその前はフランスですが、ナチスの占領があり、友人を辿ってアメリカへ渡りました。ルノワールという名前はアメリカ人にもっとも知られているフランス名の一つです。ジャンの父親ピエール=オーギュスト・ルノワールの絵はとても人気がありますから。亡命したときも、あのルノワールの息子なのかとスムースにアメリカへ入っていったんです。
彼が映画の世界へ入った背景には、アメリカ映画の魅力があったと思います。チャールズ・チャップリン、デイヴィッド・ウォーク・グリフィス、エリッヒ・フォン・シュトロンハイムといったサイレントの巨匠たちの影響です。フランスの演劇は言葉の芝居ですよね。シェイクスピアに比べても、理詰めにつぐ理詰めです。映画はそこに初めて風穴をあけた。これがアメリカ映画の啓示だったと思うんです。ところがハリウッドに行って何本が映画をつくってみると、ベルトコンベアーでつくっていることがわかってくる。彼は次第に映画を撮れなくなっていきます。この事実についてはまだまだ研究が足りないと思いますが、間違いなく言えるのは、映画を撮れなくなる時期と赤狩りの時期が重なっていることです。彼がもっとも親しくしていた映画人たちがしょっぴかれはじめます。ハリウッドの空気がさっと抑圧的なものになった。そういう時期にアメリカにいたわけでなんです。そこから流れ者の身分になります。最終的にフランスで何本か映画を撮りますが、それらは徹底して女優の映画です。ロベルト・ロッセリーニとの恋をつらぬいてハリウッドを追われ、徐々に下り坂になっていたイングリッド・バーグマンを起用して映画を撮る。『フレンチ・カンカン』では舞台上の女優たち。赤狩りのハリウッドから逃げ出した彼のやったことは女優を撮ること。しかも女優が大口を開けて笑うような映画です。そのことが今見返すと身に染みるのではないかと思えてなりません。現在の様々な状況の中で、宮城さんがこういうテーマに取り組もうとすることが、どこか重なるような気がします。

流れゆくものに力が宿る

野崎: ルノワールの『黄金の馬車』に関して言えるのは、一つは徹底的に演劇を讃えるという彼の中に脈打っている精神が発露したこと。子どもの頃からの演劇への愛です。彼のお兄さんはピエール・ルノワールという名優でした。映画もたくさん出ていますし、舞台で大活躍した人です。もう一つは、流れていくこと。横割りの世界。ルノワールは、19世紀になって縦割りの世界になってしまった、とよく言います。国別の所属意識にがんじがらめになってしまった。けれどこれから来る世界は違う。横割りの世界なんだと言っています。彼自身の人生がそうだったとも言えるし、彼が求める文化のあり方がそうだったのでしょう。そのことが『黄金の馬車』で滑稽なほどの奇妙なでたらめさを生んでいます。なぜイタリアのコメディア・デラルテ一座がペルーまで来ているのかわけがわからない(笑)。興行面で英語圏に売っていこうと、それまで英語を話したことがなかったアンナ・マニャーニがカタカナ英語で必死になって話している。そういう不思議な世界になっている。そんなことも全部ひっくるめて、逃げていくもの、流れていくものの方が、ある力を宿していることを暗示しているように思います。そのときに女優がいる。女神が色々なところへ流れていく、そんなイメージがあったのかなという気がします。
宮城: 単純に言うと、縦割りにしたのは男だと言えるかもしれません。
野崎: 第二次大戦後の人たちは、そのことに嫌というほど気づいていたと思います。ところが、共産主義との闘いが出てきて、縦割りを強めざるをえなくなった。皮肉ですね。いかにしてそこから逃れる力を表現するかが課題だったんだと思います。
宮城: なるほど。
野崎: ルノワールには陽気さがあります。50年代のアメリカ映画、それはある種の黄金時代ではあります。例えばフィルムノワールみたいな犯罪映画。倒錯的な心情まで含み込むような映画が一世を風靡していく。笑いのない時代に突入していきます。そこでルノワールは単純に光や笑いを求めていったという、そんな感じもあります。

演劇への強烈な憧れ

宮城: 演劇は何も残らないんです。フローとストックで言うと、フローしかない。演出もそういうもので、時間の流れや気の流れをつくる仕事です。舞台の上でエネルギーがどっちからどっちへ流れているんだろう。いつエネルギーの流れをとめて、いつ流れ始めさせるのか。演出という仕事はそんなことをしているんです。本当に流れることばかり。演劇人の中には形を残したいという人もいます。演劇そのものは残らないにしても、学校を残したり、思想を残したり、方法を残したり。しかしぼくは、演劇は他のジャンルに比べて何も残らないところがいいと思っています。残したいという気持ちをあまり持たないんですね。
野崎: 『黄金の馬車』の最後は、純粋に流れとしてあって後に残らない演劇というものへの羨望のようにさえ感じられます。演劇の世界の中にいる人は絶えず流れに身を捧げていかなくてはならないのかもしれません。
宮城: そうなんですよね。演劇は本当に消えてしまいますから。
野崎: デジタル技術ができて消えないものが出てきたのかもしれませんが、フィルム時代の映画は消えゆくものでもありました。小津や溝口のサイレント映画は三分の二くらい消えてしまっているわけだし。ルノワールだって自分の映画を見直すことはまずなかったと思います。そもそもシネフィルでさえなかったでしょう。彼にとっては現場が一番。役者と付き合いながら何かつくることが無性に楽しい。もちろんトラブルもあります。アンナ・マニャーニが言うことを聞かない。毎晩夜遊びして二時間遅れてやって来るのをどうコントロールするかという大変な悩みもあったらしい(笑)。そんなことも含めて付き合っていくおもしろさ、現場のおもしろさを一番に感じていたんでしょうね。
宮城: イタリアの俳優は本当にそうだったんですね。ピランデルロでも、主役は大抵、何か文句ある? という感じで遅れて稽古場にやってくる(笑)。
野崎: (笑)そんなイタリアの役者らしさということも含めて、この映画は恥ずかしいほど演劇への愛に溢れています。ルノワールは映画撮影に関する映画はつくりませんでした。それは彼の弟子の世代、フランソワ・トリュフォーやジャン=リュック・ゴダールがやったことです。ルノワールにとっては撮りたいテーマではなかった。彼にとって、演技をする、スペクタクルをつくることが帰っていくイメージは演劇です。なぜかと考えるんですが、やはりバックステージがすぐそこにあることが大きいのではないかと思います。舞台から引っ込んで痴話喧嘩をしたかと思うと、また舞台に出ていく。ああいう光景がたまらない。
宮城:小津の『浮草』でもそうなっていますね。
野崎: 映画はもっとクールなメディアです。幕の後ろを見たって誰もいませんから。ルノワールには演劇のあったかさに憧れているところが明らかにある。それを題材に実際にものすごくいい映画ができている。演劇の熱気にあてられがちな人は映画ばかり観ることも多いですが、映画をつくる人ほど演劇の人ともっと交流して、演劇の命というものにカメラを向けてみるとよいかもしれません。舞台が出てくる映画にはおもしろい映画が多いです。

こんなのでいいの!?の希望

野崎: 逆に言うと、映画を演劇にするという発想をどういうふうに考えるのか。映画には編集がつきものです。フローとストックで言えば、その部分にストックがある。撮り貯めたフィルムをつないでいく。そこを完全に取っ払って、宮城さんがどう立ち上げるのか。例えば、『黄金の馬車』の冒頭で幕が上がって舞台がある。その後に、ペルーの真っ青な空が映るわけです。幕が上がったんだからそこは一応舞台ということになっているわけですが、いきなり青空が出てしまう。映画にはそんな融通無碍さがあります。
宮城: タデウシュ・カントールの演劇『死の教室』をアンジェイ・ワイダが映画として撮りました。ほとんど舞台の記録なんですが、まさに一ヶ所だけ青空が出てきます。カントールはあれは自分の作品ではないと言っているらしいし、ワイダも自分の作品としては封印したという話もあります。舞台を観ているときに青空が見えてしまうというイリュージョンを、本当に青空を使って撮ってしまうのはどうなんだろうというのがちょっとあります。舞台を観ているときにそれを感じたのはわかる気がするのですが。例えば、正反対に、アンドレイ・タルコフスキーの『ノスタルジア』の最後みたいに、本物のように見せておいて実はミニチュアだったという方がぼくには親しみが持てるところがあったんです。映画を撮っていると言ってもそれはやっぱりイリュージョンで、本当はこしらえものだったという方がわかる。かつてはそうでした。けれど『黄金の馬車』を見ると、理屈の枠組みがスコーンと飛ぶところがある。
野崎: でたらめなことを一杯やっていますからね(笑)。
宮城: これでいいのだと思わされるところがあります。歳のせいもあるのかもしれませんが、どちらかと言うと、こんなのでいいのか!?という作品の方が、人にポジティブな力を与えられるのではないかと思うようになってきました。
野崎: 緻密に精緻につくりあげた構築物よりもですか?
宮城: ええ。『ノスタルジア』の最後みたいに結局はミニチュアでしたと。たしかにまとまるのですが、作家の意図が露呈している。それに対して、こんなのでいいの!?という印象を残せるならば、お客さんに対してより強く希望を手渡せるのではないかと、最近は思うようになっています。
野崎: ルノワールと言えば、こんなのでいいの!? 派の巨匠ですから(笑)。ゆるいところはものすごくゆるいし、よくこんなことをやるなと呆れちゃうようなところもある。同時にタルコフスキーと同じくらい緻密なところもあるわけなんです。人工物をおそろしく豊かに見せてしまう。『黄金の馬車』では闘牛場が出てくるはずが全く出てこない。人が騒いでいるショットだけで闘牛場の雰囲気を喚起しています。それにも増して、こんなのでいいのか!?と鼓舞する力が強いですね。それを演劇的と形容することができるのかもしれない。共有している感じがすごく強い。この映画の肝で、こんなのでいいのか!?と思うのは、アンナ・マニャーニです。このとき40代半ば。今の若い人に見せるとなんて言われるか怖い(笑)。。絶世の美女のはずが、まあかなり年増感があります。ところが、顔のアップを見ているだけで涙が出てくるくらい感動させる力をもっています。しかも台詞を言い足りないところをイタリア語でバンバン話していたりする。映画的というより芝居的と言うのかな。アンナ・マニャーニは土着の女優としての魂を持っている人だと思うんです。しかしそれを全開にされるとさすがのルノワールでもこうはまとまらなかったでしょう。うまく導いて一つの形を与えたなという感じがします。
宮城: 英語を話させたのも、そういう意味では一つの枷になったのかもしれませんね(笑)。
野崎: あんまり暴れさせないようにね(笑)。

【対談PRAT3につづく】

(構成:西川泰功)

フェスティバルbar&呈茶サービス

 



『黄金の馬車』観劇前の腹ごしらえ、
観劇後の語らいはココで!

アーティストと観客が思う存分交流できる場として「フェスティバルbar」をオープンします!静岡アートシーンを支える、「オルタナティブスペース・スノドカフェ」柚木康裕氏の協力を得て、ここでしか味わえないおもてなし空間を演出。
昨年好評だった、「静岡クリエーター集団エエラボ」によるアート展示も行います。
アルコールやソフトドリンク類などはもちろんのこと、おでん、ハンバーガー、カレーなどなど、さまざまな食べ物をご用意してお待ちしております!

営業日程:6/1(土)・8(土)・15(土)・22(土) 
18:00〜19:15/『黄金の馬車』終演後〜23:30

会場:舞台芸術公園「カチカチ山」
※22:30と23:30に東静岡駅経由静岡駅行きの無料チャーターバスを運行いたします。
※お車でお越しのお客様へは、アルコール類はご提供できませんのでご了承ください。

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『黄金の馬車』観劇前には
無料呈茶サービスもあります!

静岡といえばやっぱりお茶!SPAC新作『黄金の馬車』の上演前に、野外劇場前広場にて、静岡県立美術館ボランティア・グループ「草薙ツアーグループ」の皆さんによるウェルカム・ティーをご用意いたします。
夏の夕暮れ時の野外、淹れたての美味しい静岡茶を存分にお楽しみください!

日時:6/1(土)・8(土)・15(土)・22(土) 18:00〜19:15 (雨天中止)

 

Photo (クリックすると拡大します)

コラム 『Hate Radio』

 


山路徹(やまじ・とおる)
1961年東京生まれ。1992年、国内初となる紛争地専門の独立系ニュース通信社「APF通信社」を設立する。これまでビルマ、ボスニア、ソマリア、カンボジア、アフガニスタン他、世界各地の紛争地を精力的に取材する。

山路徹

 戦争を起こそうとする勢力(主に政治家)が、民心を掻き立て世論を戦争へと導く手段として必ず利用するのがメディアだ。全ての内戦・戦争において世論誘導にメディアが利用されている、と言っても過言ではない。
 私が過去に取材した内戦や戦争においても100%メディアが利用されていたし、時に、メディア自身が戦争を煽っていたケースも少なくない。
 例えば、1992年に勃発したボスニア・ヘルツェゴビナの内戦では、セルビア、クロアチアの各勢力が、それぞれ民心を煽るために主にテレビメディアを利用していた。民族や宗教の違いを巧みに利用し、世論を内戦へと導いた。そして、それまで仲良く暮らしていた隣人同士が突然、敵になってしまったのだ。更に悲劇なのは、内戦が長引き、犠牲者の数が増えていくと、それぞれの民族の心の中に取り返しのつかない憎しみが生まれ、始まりは決して民族・宗教の違いが本当の原因ではなかったのに、結果的に、民族・宗教戦争になってしまったことである。
 また、2001年のアフガン戦争や2003年のイラク戦争において、戦争当事国であるアメリカはメディアを通じて戦争の必要性と正当性を国内のみならず世界に訴えた。特にイラク戦争においてアメリカは、「イラクが大量破壊兵器を保有している」という、イラク脅威論を喧伝し国際世論を味方につけたが、結局、これは事実ではなかったことが明らかになっている。
 戦争の規模や性質はまったく違うが、舞台『Hate Radio』」は、ルワンダ内戦の真実の一端を通して、内戦・戦争の本質をとても分かりやすく描いている。 
 そして、見る者の心の奥深くに突き刺さるメッセージには戦慄さえ覚えるのだ。また、『Hate Radio』」は、メディアそのものに対する戒めと、メディアに踊らされてはいけない、という民への警鐘を鳴らしているように思う。
 私たちの国・日本も最近では領有権問題がメディアを賑わす機会が増えてきたが、そこから何を読み解くのか?日本の今後の平和はメディアの良識と国民のメディアリテラシーにかかっていると改めて思った。

SPACの舞台音楽 その類い稀な成り立ちに迫る

 


棚川寛子(たなかわ・ひろこ)
  èˆžå°éŸ³æ¥½å®¶ã€‚音楽家矢野
  èª ã«å½±éŸ¿ã‚’受けパーカッ
  ã‚·ãƒ§ãƒ³ã‚’始める。演劇の舞
  å°éŸ³æ¥½ã‚„、パフォーマン
  ã‚¹æ´»å‹•ãªã©ã‚’行う。近年の
  ä¸»ãªæ´»å‹•ã«ã¯ã€SPAC‐
  é™å²¡çœŒèˆžå°èŠ¸è¡“センター
をはじめ、Ort-d.d やアートネットワークジャパン「子どもに見せたい舞台」シリーズの音楽、「芸術家と子どもたち」のワークショップ、セミンコオーケストラの活動などがある。

宮城聰演出作品を観劇した人ならば誰しも気づくことがある。劇世界を支える音楽が俳優による生演奏なのだ。そのプランナー、音楽監督の棚川寛子とは何者なのか。どのように舞台音楽を制作しているのだろうか。

宮城聰との出会いから始まった

 棚川が宮城と出会ったのは19歳の時。舞台を志してはいたが、大きな声を張り上げ動きまわる当時の流行に違和感を持っていた。そんなとき宮城の一人芝居に出会い、「言葉との距離感がある」ことに共感した。宮城演出作品のオーディションを受けるも不合格。だがその後、直接声がかかり、参加することになる。初めのうちは効果音程度に楽器を演奏する一俳優だったが、次第に音楽に肩入れする。1996年『天守物語』を節目に音楽のボリュームが増加。それでも俳優が生演奏することの強みにまだ気づかなかった。1999年『王女メデイア』に至り、演技と音楽のシンクロを肌で感じるようになっていく。

稽古場でゼロから立ち上げる
【『本物のフィアンセ』稽古中の写真】
 棚川の音楽づくりは独特だ。稽古場で即興的に音のフレーズを組み立てる。楽譜があるわけではない。棚川いわく「音楽をつくるだけなら難しくない」。ただ「それだけではおもしろくない」。『王女メデイア』で発見した音楽と演技の交感は、2012年『本物のフィアンセ』で明確に自覚できた。制作期間に不慮の事故で亡くなったSPAC衣裳部竹田徹の存在が大きい。「初日に徹ちゃんに捧げるつもりだったんです。ところが、演奏中に“捧げる”なんておこがましいと気づいて、生かされていることを強烈に実感しました。」受動的にエネルギーを感じとることが重要だと言う。これがレベルアップの鍵になる。

感覚をひらくための訓練とは?
【ワークショップ中の写真】
 稽古ではリズムをとりながらしりとりや台詞を用いたゲームをする。リズムの維持と言葉の操作を同時進行し、知覚や感覚を刺激するのだ。棚川は演劇制作の経験をもとに音楽ワークショップも行う。とくに特別支援学校に行くことが多い。「私の方が教わることが一杯。それを演劇の現場に持ち帰っています。」中高生鑑賞事業や海外公演など成果は出ているが、「まだ先がある」と感じている。「SPACで5年、俳優たちに蓄積ができてきました。もっとよくするためには演奏者同士の信頼が必要。喧嘩した後の演奏はとげとげしいんですよ(笑)」明るい笑顔に現場を生きる演劇人の強さがのぞく。

(文:西川泰功)

コラム『ポリシネルでござる!』

 


伊藤晃(いとう・あきら)
人形劇団クスクス代表。2007年に秋田県でうまれたプロ劇団。「クスクス」という小さな声を大切に、面白くて楽しい人形劇をしてゆきたいと願っています。秋田、岩手、山形など東北を中心に、全国で公演しています。

伊藤晃

 2006年9月、フランス北東部の都市シャルルビル・メジエールで行われた世界人形劇フェスティバルに出かけた。10日間の期間中に150本近くの人形劇が上演される世界最大のフェスティバルである。

 そこで「ラ・パンデュ」というグループの「ポリシネルでござる!」という人形劇を観た。

 ヨーロッパには乱暴で怠け者の道化が活躍する伝統的な人形劇が各地にある。イタリアでは「プルチネラ」、イギリスでは「パンチ」、そしてフランスでは「ポリシネル」。民衆の気軽な娯楽として、時には権力への風刺や支配への抵抗として、いつも身近にあった人形劇。とはいえ古典劇であるから現代の東洋人が観るのはいかがなものか、という事前の心配は杞憂であった。ヨーロッパの古典的人形劇が、現代の日本人でも楽しめるだろうか。観劇前の心配は杞憂であった。

 古いアパートの中庭にしつらえられた伝統的な形式の舞台で、人形を操るのは若い男女。劇は道化のポリシネルと恋人、赤ん坊と犬と警官と死神といったお馴染みの連中が入り乱れ、司会役の男とポリシネルが掛け合いをしながら、テンポよく進行する。

 人形の扱いが見事だ。途中の大立ち回りには、僕も人形遣いだから可能なのはわかるが、同じ人形遣いだからこそ唖然とした。SF映画のパロディや台湾風な立ち回りも取り混ぜながら、子どもは大笑い、大人は眉をひそめながらも拍手喝采である。

 内容はお下品で不道徳、しかしそれが不快に感じられないセンスの良さがある。「伝統」としてカギ括弧でくくられるのを許さず、抑圧されたエネルギーの捌け口として現代に再生されていた。

 人形劇には、こんなにも力があった。僕らはいつのまにか限界を規定してはいなかったろうか。以来、「ポリシネル」は僕の目標である。終演後にサインをもらったポスターは、いまも稽古場の壁に架かっている。

 このたび静岡県舞台芸術センターの招きで来日するという。秋田から馳せ参じたいところだが、自分たちの初日が直後に控えている。
さて、僕は当日の客席に座っていられるだろうか。

コラム『Waiting for Something 』

 

徳永京子(とくなが・きょうこ)
演劇ジャーナリスト。朝日新聞劇評の他、公演パンフレットや雑誌、web媒体などにインタビュー、寄稿文、作品解説などを執筆。東京芸術劇場運営委員および事業企画委員。

徳永京子
 少しマニアックな話をします。

 カーネーションという日本のロックバンドがいます。インディーズ時代も含めると活動は30年、さまざまな紆余曲折を経て自分達のペースで活動できる地盤をつくり、昨年出したアルバムは、軽やかな現役感と迫力ある成熟度が見事に融合したしびれる傑作でした。一般的な知名度は高くありませんが、ロック好きやミュージシャンから深い愛と尊敬を集めています。このバンドのフロントマン、直枝政広さんがかつてインタビューで「あなたにとってロックって何ですか?」と聞かれて答えた「家にある僕のレコード棚です」という言葉に私は感銘を受け、後日、中野成樹さんを思い出すようになりました。

 つまり直枝さんの答えは、過去と表現の理想的な関係のように私には聞こえ、演劇でそこにいるのは中野さんだと思うのです。大好きな作品、影響を受けた人、それらを生み出しては消えていった先人と長い歴史……。そうしたあれやこれを今の自分を通してアウトプットする。アウトプットされた作品はシンプルで肩の力が抜けているけれども、その余白には、圧縮された時間や重ねられた推敲が透明な結晶としてあちこちに存在する。それは同時に、アウトプットした主体が演劇そのものになることをも意味します。

 中野さんは、中野成樹+フランケンズ、通称ナカフラという劇団を主宰し、独自のスタイルで既存の戯曲を演出しています。それはしばしば“誤意訳”という中野さんの造語で説明されますが、芯にあるのは「有名戯曲をこう変えたらおもしろい」とか「ここまでやっても名作は価値を失わない」といった外部からの好奇心ではなく、「ここさえ押さえてあればいいんだよ」という演劇の歴史からの応答です。それがたとえどんなに大胆なアレンジでも、中野さんは演劇そのものなので許されます。

 『Waiting for Something』は、不条理劇の金字塔『ゴドーを待ちながら』が原作ですが、かなりねじれの効いたアレンジが施されています。でもベケットは、あの難解な『ゴドー〜』の登場人物を当時の有名コメディアンに演じてほしかったそうなので、そのスラップスティックぶりはきっと望むところでしょう。

コラム『生と死のあわいを生きて』

 


今井翼(いまい・つばさ)
神奈川県出身。2002年9月「タッキー&翼」としてCDデビュー。出演した舞台をきっかけに、フラメンコを本格的に学ぶ。歌手・俳優などの幅広い活動を通して、スペイン文化の普及に貢献したことが評価され、昨年6月、世界初のスペイン文化特使に任命された。

今井翼

 下北沢で、初めて小島章司氏の公演を観たとき、衝撃が走りました。
 人間離れした存在感、いい意味でフラメンコの既成概念を覆す作品性、さらには表現の枠、国境・性別・年齢を超えた存在感。身体から湧きあがる言葉にならないエネルギーは、どんな衣裳をも透かしてすべてを見せている、そんな“生きた”芸術の力を感じたのです。
 踊り、中でもフラメンコは表現者の血・肉・皺までも含めた人としての年輪や深み、生きざまを賭けて表現するものだと思っています。小島章司氏は、今のように簡単に渡欧できない1960年代に船で単身スペインへ渡り、フラメンコを学び、スペインのカンパニーに参加してツアーで踊っておられます。情報の無い時代にそこまでできる勇気はもちろんですが、僕が尊敬してやまないのは、氏のフラメンコへの情熱が単なる西洋文化への憧れではなかった点です。フラメンコを日本に持ち帰った氏は、やがて日本の古典芸能などと融合させた自国の文化・芸術としての独自の世界も切り拓かれました。そこには、深い人間愛と自国愛があり、それこそが大衆芸能であるフラメンコの魂だと思います。
 今回はたった一回の舞台のために、氏が作品を創り、踊るといいます。さまざまな映像メディアを身近に楽しめる今ですが、フラメンコは生きた芸術。だからこそ、そのたった一回のために出かけ肌で何かを感じることをおすすめしたい。それが氏のような素晴らしい年月を重ねた芸術家のものであるならなおさらです。できれば、フラメンコを知らない人にこそ、心をまっさらにして接していただきたい。
 僕自身、7年前からフラメンコに夢中で、スペイン文化特使も務めています。今年はつい最近2週間スペインへ行き、アンダルシアのタブラオで踊りました。言葉にすると角が立ったり照れくさかったりする感情も、フラメンコなら人間らしく自由に表現できる、それが魅力です。
 これからは僕も日本人ならではのフラメンコの表現を通して、人間の魅力を多くの方に伝えたい。そしてその道の向こうにはいつも、豊かな時間を積み重ねた小島章司氏の背中があります。

(聞き手:浦野芳子)

コラム『母よ、父なる国に生きる母よ』

 

大岡淳(おおおか・じゅん)
1970年兵庫県生まれ。演出家・劇作家・批評家。SPAC文芸部スタッフ、ふじのくに芸術祭企画委員、はままつ演劇・人形劇フェスティバルコーディネーター、静岡文化芸術大学非常勤講師。

大岡淳
 日本では〈母なるもの〉は今も、神聖な地位を占めているのではないだろうか。私の同世代は『宇宙戦艦ヤマト』や『銀河鉄道999』のような松本零士作品に親しんできたと思うのだが、幼少期の私は、あのマザコン全開のキャラクター設定にドン引きで、周囲の男の子たちが、何の疑問も抱かずメーテルの下敷きなんか持っているのを見ると、おいおい!と心の中で叫んだものである。また大和和紀『あさきゆめみし』なんて読んでいる女の子たちに対しても、ちょっと待て、光源氏だって、桐壺更衣の影を追い求めるマザコン・プレイボーイじゃないか、イケメンだからってそんな男に憧れて、将来嫁姑問題で苦労したって知らないぞ!と、やはり心の中で叫んだものである。〈母なるもの〉おそるべし。

 その一方で、思春期の私は、内田春菊・岡崎京子・原律子・桜沢エリカといった、いわゆる「女の子エッチマンガ家」の出現に遭遇した。若い女性マンガ家たちが、青年誌上で、自らの性や性欲について堂々と表現し始めたのだから、これは事件であった。〈母なるもの〉への抵抗とも思えた。わけても内田春菊が、フェミニズムのような理屈からではなく、すったもんだの人生経験から、男たちと母たちのマザコン的共犯関係を告発する戦闘的表現者へと成熟していったことには、思わずブラボーを叫んだものだった。心の中で。

 こんな話に共感するあなたも、反発するあなたも、ぜひ『母よ、父なる国に生きる母よ』を観てほしい。昨年春にワルシャワ演劇祭に招待され、ポーランド演劇の最先端の作品群を片端から観て回り、最も感動したのがこの芝居である。テーマは、ずばり母と娘の関係。母と息子の関係に負けず劣らず、母と娘の関係ってのも面倒でしょ?「友達母娘」なんてゴマカシでしょ?と私は思うのだが、遠くポーランドにも、似たようなことを考えている人たちがいたというわけである。パワフルで、ユーモラスで、なかなかの社会派でもある、極上のエンタテインメントを、堪能して下さい。私も、今度こそ声に出してブラボーを叫びます。

コラム『脱線!スパニッシュ・フライ』

 

伸井太一 (のびい・たいち)
ライター(ドイツ製品史・サブカルなど)。現在、東海大学文学部ヨーロッパ文明学科講師としてドイツ近現代史を教える。著書は東西ドイツの製品文化をポップに扱った『ニセドイツ』シリーズ(社会評論社)。静岡市では映画イベントなどにも出演。

伸井太一
 『脱線! スパニッシュ・フライ』(原題:Die [s]panische Fliege)には、ダジャレが仕掛けられている。Sを取り除けば「パニッシュ(panisch)」=「パニックの」という意味になるのだ。

 本作は実にパニックそのもの。表情やセリフもみな、狂気じみている。だが、本劇が初演された100年前、1913年のドイツも混沌とした社会であり、翌年には、まさに混乱に満ちた大戦争(第一次世界大戦)を開始することとなる。

 『脱線!スパニッシュ・フライ』のパニックの源泉は何なのだろうか。1871年にフランスとの戦争に勝利し、ドイツ帝国が誕生し、産業革命によって繁栄を極め、医科学も飛躍的に発展した。「ドイツの医学薬学は世界一ィィィィ」という某マンガのセリフは、まさにここに端を発している。同時に、医学は様々な「混乱」をもたらした。精神医学の発展は「狂気」を発見し、人の心は分析される対象となり、薬物による心の操作の可能性も開かれた。この「こころ」観の大変化は、この演劇の主題ともいえる。

 また、豊かさは徐々に身分や男女差の垣根を崩していく。そこで男は、立派なヒゲでも生やして虚勢を張るしかない(当時のドイツは空前のヒゲ・ブーム!)。そしてヒゲのルートヴィヒが大事に抱えるのは、書類整理バインダー。これは1886年にドイツで発明された物で、ドイツ語でOrdner(オルドナー)、つまり「整頓(秩序)」の意味合いを持つ。そして、そんなバインダー(秩序)にファイルされた秘密が漏れ出す・・・。

 これらのキーワード「医科学」や「秩序」は、日本人の多くが持つドイツ像そのものだ。だからこそ、それらがメチャクチャ(パニック)になることが笑いのツボだといえる。他のドイツ像といえば、ビール、ソーセージ、サッカー、クラシック音楽などなど。しかし、その中に「ドイツ=お笑い」は無く、「ドイツ=お堅い」というイメージが支配的だろう。確かにドイツは笑いさえもお堅い部分もある。だが、そんな笑いこそが、どことなく間抜けであり楽しい。

 2013年が、日本にドイツの笑いが定着する最初の年になるように心から願いたい。それが静岡の公立劇場が主催する演劇祭から始まるなんて、なんだかステキな話だと思う。