2014年6月1日

スペインから『よく生きる/死ぬためのちょっとしたレッスン』E-bookがとどきました!

「ふじのくに⇄せかい演劇祭2014」で体験型演劇『よく生きる/死ぬためのちょっとしたレッスン』を上演したスペインの劇団「テアトロ・デ・ロス・センティードス(五感の劇場)」から、観劇したお客様のことばをまとめたE-bookがとどきました!
どうぞ一ページずつめくってお楽しみください。

Photo:Chiye NAMEGAI

テアトロ・デ・ロス・センティードス(五感の劇場)は、「五感の祝福」というユニークな旅へと私たちを連れ出した。
私たちは儀式的な宴へと誘われ、彼らと共に生と死に祝杯をあげた。
上演中、私たちはそれぞれ最期のことばを書き記した。
私たちが記したそのことばとは-。

Teatro de los Sentidos took us on a unique journey, a celebration for all our senses. We let them carry us away in a ritual feast and drank with them to life, and to death.
During the performance we wrote down our last words, the words we want to be remembered by.

―E-book冒頭の文章より―

★E-bookはこちら

Photo:Chiye NAMEGAI

Photo:Chiye NAMEGAI


2014年5月12日

《まるふレポート8》 マネキンに恋して ― ショールーム・ダミーズ ―

『マネキンに恋して ― ショールーム・ダミーズ ―』 5月4日 観劇感想

本作の演出家であるジゼル・ヴィエンヌさんによると、マネキンは人間の欲望を映した姿とのこと…そのマネキンが、一人の男を壊しました。
マネキンに恋をするなんて馬鹿な人だ、と笑うことはできませんでした。

まずひとつ、私は綺麗なものが好きです。無駄な派手さがなく、純粋に見える綺麗なものが。
そしてマネキンは綺麗です。こうありたいと思うようなプロポーションを持っていて、いつでも綺麗な服を着て立っています。
ただ、実のところ、私はマネキンが少し怖い。あまりに理想的すぎて、隙がないようで。深入りすると、マネキンが持つ「女性」に捕まってしまいそうで。

きっとあの男は「女性」に壊されたのでしょう。彼の妄想の中の女性、私達の理想の中の女性、女がよってたかって彼を追いやったような気がしました。

マネキン達は綺麗でした。

(まるふ2014執筆クルー 立野)


2014年5月11日

《まるふレポート7》 マハーバーラタ~ナラ王の冒険~

『マハーバーラタ ~ナラ王の冒険~』 5月3日 観劇感想

「マハーバーラタ、神々との対面に際して」

昼の暑さも和らいで涼しくなってきた16時過ぎ、私は舞台芸術公園に到着しました。
早々に着いたつもりが、開演1時間前にして賑わう園内。一体何人が『マハーバーラタ ~ナラ王の冒険~』 を観るのでしょう。
いよいよ、入場前の整列。空はまだ明るくあれど、薄雲に隠れて日がどこかはわかりません。
入場後、ほどなくして開演しました。
野外劇場です。空は薄い白、木々は新緑。そして舞台に現れた神々と語り部は、真っ白でした。
この白は日が暮れるにつれてその光を強めていくことになり、舞台上はいっそう神々しく輝きます。

さて、私の中には神々の服は絢爛豪華だというイメージがありました。しかし、このイメージはあまり当てになりませんね。何しろ私は神々に対面したことがありませんから。ですから今夜は一つのファーストコンタクトになりました。こんばんは はじめまして、神様!おこがましい発言になりますが、神の一部にすこしでも触れることができていたらいいなぁと思います。

後から聞いた表現をお借りすれば、神話の絵巻物を読んでいるような心地で…広い舞台を一心に見つめ(瞬きを忘れてコンタクトがはずれかけました)、私たちまで神々の祝福を受けたような満足感と共にマハーバーラタは幕を閉じました。

幸福感でふらふらと、終演後のフェスティバルbarにも参加!これは是非また機会があれば皆さん行くべきです。美味しいお料理と、何より素晴らしい方々にお話を聞く機会があります。
そこで聞いたお話によると…アヴィニョン演劇祭でも上演される『マハーバーラタ ~ナラ王の冒険~』 、さらに絵巻物感が増すような舞台になる予定だそうです!どんどん変化する、これも舞台の魅力の一つなのかなと思いました。

(まるふ2014執筆クルー 立野)


2014年5月9日

《まるふレポート6》 タカセの夢

『タカセの夢』 5月5日 観劇感想 

 まるふ期間中に観劇した舞台は、どれも少し暗く、「毒」の要素が強いような印象を受けたのですが、この『タカセの夢』という舞台は違いました。毒が全くない訳ではないのですが、希望や夢というようなキラキラしたまぶしさが弾けている、そんな舞台でした。
 その理由の1つに、出演者が10代というのがあると思います。メッセージ性や芸術性が高いことが演劇・ダンスにおいて大事な点かもしれませんが、「生の演技」というのが演劇の醍醐味のような気がします。テレビや映画では感じることのできない、演じ手のエネルギーを感じることができるからです。演じる人の息遣いや、滝のように流れる汗、緊張で少しだけ震える手。そういうものを生で観ると、舞台の内容の入り方も違うし、「俳優の演じている心境」というような側面からも考えるので、考察が深まります。何よりも、必死でがんばっている人を生でみるというのは凄いエネルギーを感じるのだと思いました。演じる人は毎回、今しか出来ない演技をしているのだと思いました。
 衣裳も見所です。学校の制服や、暗い衣裳にマスクという少し不気味な衣裳、春のようなふわふわとした淡い色の衣裳、年寄り風の衣裳。場面によって変化する背景の動画と相俟って、視覚的にも楽しかったです。
 花びらが舞うなか、出演者によって観客が舞台に連れて行かれ一緒に踊っていました。その光景がこの舞台の明るさを表していて、とても素敵だと思いました。

(まるふ2014執筆クルー 三好)


《まるふレポート5》 マネキンに恋して ― ショールーム・ダミーズ ―

『マネキンに恋して ― ショールーム・ダミーズ ―』 5月4日 観劇感想 

 開演してすぐ、私は舞台上のどれが人形でどれが人間なのかを考えました。どれもこれも、みんなマネキンのようで、でも今にも動き出しそうで、なんとも言えない雰囲気に一瞬で引き込まれました。人間のような人形と、マネキンのような人間が織り成すその空間は、独自の世界として成り立っていました。
 「マネキンのような人間の動き」は、本当に人体の動きなのか?という無機質な動きで、圧巻でした。舞台の至る所で俳優が無機質に美しく動いていて、目が離せませんでした。美しすぎると怖いと感じました。
 ダンサーは、10センチは軽く超しているであろうハイヒールで、マネキンのように美しく舞台の上を闊歩します。このハイヒールの存在感がとても凄かったです。美しすぎて怖いと感じた理由の1つに、ハイヒールの存在があったように思います。スローな動きでも、つま先まで神経が通っているような繊細な動きでため息がでそうでした。
 また、劇中歌が印象的でした。日本語で歌われているのですが、独特のリズムとテンポのそれは、なんだか呪文をかけられているような錯覚を起こす不思議なものでした。
 起承転結のような、物語がはっきりとした舞台ではありません。しかし登場人物の感情をしっかり表現されている、いつまでも観ていたい、吸い込まれるような舞台でした。

(まるふ2014執筆クルー 三好)


2014年4月30日

《まるふレポート4》 ピーター・ブルックのザ・タイトロープ(原題)

『ピーター・ブルックのザ・タイトロープ(原題)』 4月29日 鑑賞感想

 誰でも何かが始まった最初の数分は意味が分からずに唖然とする、という話からこの映画は始まりました。私はすぐにそれを体験しました。正直私には、演出家が最初何をしたいのかわからなかったのです。というのも、彼は俳優に、技術云々ではなくもっと抽象的なことを、稽古を通して語りかけていきました。演出家はヒントを示すだけ。それを拾うかどうかは相手次第。あくまで俳優にゆだねていく...というように私には見えました。(私がそのヒントをなかなか拾えなかったからそう見えてしまっただけかもしれませんが。)

 綱を渡るという一つの動きを表現するにも俳優それぞれ十人十色です。そして一人ひとりどこか足りない。それを感じ取ったピーター・ブルック氏がそれを指摘する。そしてそれを他の俳優たちもその一部始終をしっかりと見ている。稽古中の空気は重々しくて、でもすっきりとしていて静かだけれど何かがうごめいていて...なんだかドロドロしていました。

 この稽古風景をみて特に印象に残ったのは、俳優の雰囲気。俳優たちのブルック氏に対する絶対的な信頼というか、「この人の世界観を表現するぞ。」みたいなオーラが出ていたことです。でもやはりそれは一流の俳優さんにとっても簡単につかめるものでないようでなかなか苦戦していました。見ていた私も必死に字幕を読んで内容を頭に入れようと頑張っていました。ほかの俳優さんが指導を受けているときにもまるで自分が指導を受けているかのように真剣に耳を傾ける。そこで何かを吸収しようとしている。なんというか受け身なのだけど積極的なその姿勢を見習いたいと思いました。

 話の内容は、ところどころ納得できるところ共感できるところがあったのですが、正直今の私にはもったいなかったです。というのも、この話は高みにいる人、高みを目指す人のためのものであったと感じ、何となく私などが聞いてしまっていいのか、という申し訳ない気持ちにもなってしまいました。ただ同時に感じたことは、また観たい、ということです。今日私は演劇における「クオリティ」というものの片鱗を味わいました。一言で言ってしまえば本当の意味でこの作品を楽しみ尽くすには私には時期が早すぎた。私も自分のレベルを高めて真っ向からこの作品を受け止められるようになってからもう一度観たい..!きっと心を震わせるフレーズとか見えてくるものも違ってくると思います。演劇って厚みがありますね。

(まるふ2014執筆クルー 池野)


《まるふレポート3》 ジャン×Keitaの隊長退屈男

『ジャン×Keitaの隊長退屈男』 4月28日(月)観劇感想

 最初はこんなど素人の私の感想なんかを読んで、SPACの魅力を伝えるお役に立てるのだろうかと不安でしたが、制作部の熊倉さんの「観方は自由です」という言葉で安心しました。難しいことは言えませんが、私が観劇して感じたことをレポートさせていただきます。
 私は4月28日(月)の公演を観劇しました。会場は「楕円堂」。まず、ここまでの道がすごく好きです。なだらかに下っていく斜面、茶畑、くるくるまわる案内板、林を越えた先に、その劇場があります。「今から観劇をする」という高揚感も相俟って、この道が隠れ家につながる道のような、ちょっとした冒険に向かうような、そんな感じがしました。
 「楕円堂」はまさにその高揚感に拍車をかけるような、隠れ家のような劇場。地下につながる黒くて暗い階段を足下に注意しておりていくと、独特のしんとした静けさの空間がそこにあります。お客さんにぐるっと囲まれるように、劇場の真ん中には舞台。ここで三島景太さんは一人で芝居をするのだと思うと、逃げ場がなくて怖そうだなあと思いました。
 ちょっとでも身動きをすれば空間に響くような、劇場全体の集中力が高まった時に、三島さんが登場しました。本当に独特な世界観がそこにはあって、まるで夢を見ているような感じがしました。引き込まれるというか、飲み込まれるという感覚でした。イワタニ隊長の感情が表現に直結しているような舞台で、ぐるぐると変化する様子に目が離せない。イワタニイズミという人間の感情がダイレクトに流れ出ていて、正直怖い作品だと思いました。
 先日開かれたキックオフミーティングの時に、三島さんに「演技はたのしいですか?」という質問をしたところ、「苦しいです。」とからっと答えられました。私は虚をつかれたように感じました。しかし、生で演じている三島さんをみて、納得しました。誰かの感情を自分に落とし込むというのは難しいし苦しいだろうなあ、すごいなあと思いました。はじまってすぐに三島さんの顔には汗が滝のように流れていて、「苦しいです。」という意味が見て取れるものでした。
 音楽も素敵でした。イワタニ隊長の感情にあわせて、楽曲が変わります。随所で観客も一緒に手拍子をしたり踊ったりするところがあり、体感的にも面白かったです。劇中、「音楽が違う!」と言っているときがあったのですが、あれはアクシデントだったのか、演出だったのか、終演後の質問トークの時間で聞きそびれてしまいました。
 好きなシーンについてですが、私は酒を飲むシーンが幻想的で好きでした。台詞が何を言っているのかよく分からない所がありました。しかしそれがまた、この劇に飲み込まれた理由の1つのような気がします。その後の精神が崩落したようなイワタニ隊長も、迫力があって怖くて目が離せませんでした。
 演劇というのは演じる方も相当大変そうですが、観劇をする人もだいぶ疲れるのだと知りました。独特の世界観に飲み込まれて、脳みそと感情を目一杯働かせるからです。今まで使った事のない部分の脳と感性を働かせている気がしました。今日はぐっすり寝れそうです。
 三島さんは「演技はたのしいですか?」の質問に、「苦しいです。」と答えられました。「でも、演じきったあとの一瞬がいいんだよなあ。」と仰っていました。その一瞬は、観客も共有できるものでした。

(まるふ2014執筆クルー 三好)


《まるふレポート2》 よく生きる/死ぬためのちょっとしたレッスン

『よく生きる/死ぬためのちょっとしたレッスン』 4月28日(月)15:00開演の回 観劇感想

受付が終わるなり、私の大きな荷物は手を離れていきました。
体験型の演目、『よく生きる/死ぬためのちょっとしたレッスン』は手ぶらで受けるレッスンとのこと!
大事に抱えていた荷物がなくなって、自分ひとり。なんとなく拠り所のない不安な気持ちでレッスンの開始を待ちました。

よく生きるためのレッスンかよく死ぬためのレッスン、私たちは始まったその場でどちらか一つを選ばなければいけません。
実はこの演目を知ったときから、
“受けるなら、絶対「よく生きる」ほうのレッスンにしよう”と決めていました。
しっかり「よく生きるためのレッスン」を選んで、レッスンスタート。
五感の劇場、全ての器官を使って感じる演目との前評判を聞いていました。張り切って鼻づまりのないのを確認し、耳をすませにすませて真っ暗な中に投げ出され…私は泣いてしまいました。誰にも見えていなくてよかった、とは後の感想。その時は妙に静かな頭で、「暗いのが怖いのかな」と身も蓋もないことを考えていました。
雪崩のような視覚以外の感覚、目に頼っていた私には刺激が強すぎたようです。

全てのレッスンを終えて、重たい荷物を返してもらい、帰途についても頭がぼうっとしていました。
あまりの体験に実感を持って拾い集める暇もありませんでした。

ただ、今日のレッスンがいつか芽吹くときを楽しみに、芽を探しながら生きていこうと思います。

(まるふ2014執筆クルー 立野)


2014年4月29日

《まるふレポート1》 ファウスト 第一部

『ファウスト 第一部』 4月26日(土) 観劇感想

 この200分、私は何度ため息をついたのかわかりません。何にため息をついたのかも曖昧です。あの空間は何だったのでしょう?
 さて、劇場の客席は私が想像したよりも舞台に近いものでした。舞台を包むように配置された客席が、開演が近づき埋まるにつれて舞台の方に迫っていくように感じられるくらいには。
 ただ、私はこの吸い寄せられるような感覚の原因は劇場の広さの他にもあったのではないかと考えています。私の思うこの感覚の源のひとつは、私の(もしくは他の観客の)期待です。同じ空間に居る(しかしひとりひとりが別々の)人たちがこれから『ファウスト』を一斉に観ると考えるだけで、劇場の空間が何重にもずれたり重なったりしているような気分になりました。開演するやいなや、この不思議な空間の感覚はより形容しがたいものに変わっていきます。観客の側に舞台が食い込んできた!と思いました。あるいは、舞台の側に観客が食い込んでいったのでしょう。どこから劇が始まっていたのか、どこまで役者がこちらに話しかけてきていたのか…わからないままに私は『ファウスト』の中に身を置いていました。
 この不可解な吸引力は、徐々に舞台へ私を釘づけにしました。人物や場面、モノが何重にも重なっているイメージが私の中には残っています。舞台上に散らばるモノは、なぜそこにあるかわからないものも混ざっています。それだけ異質なのに、どこで増えているのか、どこでなくなっているのか、意識しないと気付けないのです。これは今考えても全く不思議でなりません…。
 最後に、劇の内容は、是非それぞれが直接劇場で観ていただけたらと思います。正直なところ、この観劇後の気持ちを口で説明して終わらせようとするにはあまりにもったいない作品です。よりたくさんの人が『ファウスト』という空間に引き込まれると良いなと思っております。

(まるふ2014執筆クルー 立野)


LESSON3「儀礼」/『よく生きる/死ぬためのちょっとしたレッスン』レポート

LESSON3「儀礼」

4日目。WS最終日です。5人の現地(日本の)出演者が決まります。
昨日来日した美術担当のガブリエッラが稽古場に来てくれて本番で行うシーンを見せてくれました。とても美しくて残酷なシーンでしたが、ネタバレになってしまうので書けません。残念。それは小道具が多く登場するシーンなのですが、1つ使いにくい小道具がありました。この小道具は使えないかも、と3人に伝えるととても驚いていました。文化の違いを強烈に感じたようです。

美しいシーンを見た後はみんなでシーンの創作です。「変身を感じる儀式的なシーン」というお題です。2グループに分かれてシーンを作り、感想や意見を述べ合う時間になったのですが、パティから「親密さはあったか?」と問いかけられました。

親密さってなんでしょう?

2人の説明を聞いて理解した俺の解釈なので、間違ってるかもしれませんが、こんな感じ。

儀礼は遊びから生まれる。混沌とした遊びから、ルールのあるゲームになり、一般化された儀式になる。
たとえば、鬼に触られると動けなくなるが、頭をなでられるとまた動けるようになるという鬼ごっこが生まれたとする。それが長い年月をかけて儀礼的なものになる。普段の生活の中に見えない鬼がいて、ツカ(憑か)れたり、ケガ(穢)された人はある場所にいき、いつもとは違う服をきて、ツカれたり、ケガされていない人に頭を小枝で軽く叩かれるとまた、普段の生活に戻ることができる・・・みたいな儀式に。
いまある様々な儀式や儀礼もそんな風に遊びから生まれたんじゃないかな。

儀式、儀礼は認識を共有することに役立ちます。20歳になって成人式にでることで大人になったって、みんなが知るわけです。
儀礼における1つ目の親密さは、社会との、他者との繋がり。2つ目は過去の記憶との親密さ。今いる社会を作ってきた先祖も同じような儀式をしていたわけだし、もっと古代の人も、それは遊びやゲームだったかもしれないけれども同じようなことをしていたわけです。儀式によって、過去を思い出すわけです。

・・・濃密な四日間でした。楽しかったー。そして、最後のインタビュー。

・稽古場の暗闇は全然怖くないんです。むしろ、安心する。寝室にいるときの闇のほうが怖い。幽霊がいるような気がして。(Q.他者の存在を感じることで安心や恐怖っていう感情が生まれるってことは、存在感みたいなものに良くも悪くも惹かれるってことなんじゃない?)考えたことないですけど、そうかもしれないですね。幽霊に出会ってしまったら、どうなるんだろう。そういえば、遠くで聞こえる枝のこすれる音とか好きなんですよ。(女性)

・心が閉じちゃうときがあります。頭で考えてしまうというか。もっと心を開かないと・・・。(Q.心を開いてどうしたいの?)えー?どうしたいんだろう。いままで孤独感みたいなものを感じてたから、それを解消したいのかな?(Q.心を開いたり、閉じたり、ということをコントロールしたいっていうのとは違うのかな?本当は孤独感って、嫌いじゃないんじゃない?)言われてみれば、嫌いじゃないですね。そう、開きたいときに開くことができて、閉じたいときは閉じたいんです。孤独感というより、うまく自分をコントロールできない無力さを感じてたのかもしれないです。(女性)

・感覚とか他人を意識するとか、そういう方法論が演劇にあることは知ってたけど、あまり興味がなかった。OWSに参加したが、正直、興味がわいたとはいえない。でも、気持ちが落ち込んでて、死んだようになっていたので四日間、ここにいれたこと、みんなと色々やったことで救われたような気がした。(女性)

『よく生きる/死ぬためのちょっとしたレッスン』は単にゲームを楽しみましょう、という参加型の公演ではなさそうです。五感を呼びおこし、自分の体にストーリーを生み出す。そして、それはちょっとしたルールによって、会場に来た人たちと共有できる。凝縮された体験に満ちた「経験型の公演」なのです。

レポートは終わり!いかがでしたか?雰囲気をお伝えできていればいいのですが。それでは!

Photo : Chiye NAMEGAI


『よく生きる/死ぬためのちょっとしたレッスン』レポート
LESSON1「耳を傾ける」
LESSON2「ゲーム」

『よく生きる/死ぬためのちょっとしたレッスン』公演の詳細はこちら


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