2014年10月15日

『室内』ヨーロッパ・ツアー レポート(12)

第12回は、母親を演じた鈴木陽代が、
母親役ならではの視点から、今年のヨーロッパ・ツアーを振り返ります。

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『室内』ヨーロッパツアーが盛況のうちに幕を閉じることができました。
これも皆様の応援のおかげです。本当にありがとうございました!
5月のウィーン・ベルギーに始まり、7月のアヴィニョン、
そして9月にパリ日本文化会館で締めくくりました。
どちらの劇場でもあたたかく迎えていただきましたし、
その土地の個性のようなものも感じました。
本当にお伝えしたいことが山盛りいっぱいなのですが
私が演じたのが「母」だったこともありまして
ここは一つ、子役さんに焦点をあててレポートしたいとおもいます。

『室内』にはずっと眠っている一番小さな子どもが登場します。
この小さな静かな眠りが作品の重要な要素なのですが
もしかしたらこの役が一番難しいのではないかしら??
そんな難役を去年の日本初演から
今年のヨーロッパツアーまでつとめあげてくれたのが
こちらヒビキくんです!

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こちらはアヴィニョンの舞台袖でお稽古あとの一枚!

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こちらはパリの最終日の楽屋で『室内』家族写真です。

ツアーを重ねるごとに大人の顔になっていくヒビキくん。
日本とは勝手が違う海外なのに
コンディションも完璧に調えていて、
本当に素晴らしい!
彼はもう一人前の俳優さんですね。
フランス語の挨拶も上手になっていました。
ヒビキくんが「メルシー!」というと
レジさんはいつもニッコニコでした。
この経験がヒビキくんの中でどんな風に昇華していくのでしょう。
それはどんな風であってもいいものだと思いますが、
私からヒトコト!
ヒビキくんがいてくれたおかげでいいお芝居になりました。
そして、ヒビキくんがこの役のお手本を新しい子達に示してくれたんだよ。
ありがとう!

ヨーロッパツアーでは劇場ごとに
それぞれ新しい子役の子を募集しました。
国によっては、法律上のこともありますが
長い公演期間ですので、お子さんの負担にならないようにするためです。

まず一カ国目のウィーン。
私も初めての海外の子役さんなので緊張したのですが
そんな緊張を吹き飛ばしてくれたのが
タカくんです。

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稽古の合間をぬってお勉強してるところをパチリ。

彼は稽古の一日目から舞台上でグッスリ寝ていました。
いやぁ、肝が太いこと!
ウィーンでは公演期間が短かったのでお稽古だけの参加だったのですが、
「これはこの先もきっと大丈夫!」と思わせてくれたのでした。
ありがとう!

そして間をおかずベルギーです。
ベルギーも公演期間は短かったのですが
こちらの法律で、子役は日替わりということになりました。
本番を見事に乗り切ってくれたのがソウゴくんです。

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ご存知、マルト役たきいみきとのツーショット。

サッカーと合気道をやっているというソウゴくん。
タカくんもそうなんですが、ハーフで日本語も流暢です。
すでに初舞台を踏んでいて、とっても落ち着いた様子でした。
すでに大物の風格。
そうそう、忘れられないエピソードが。
開演前、私たち俳優は舞台の真裏で待機をしていて
モニターで舞台の様子を見ているのですが
その画面に映った後ろ姿を指差してソウゴくんが「この子だぁれ?」と言いました。
ソウゴくん、それはレジさんだよ。。。
ありがとう!

そして、時は流れて夏のアヴィニョン。
今回のツアーの中で最年少の子役さん、ユメジくんです。
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美しすぎるおばあちゃまと。

ユメジくんはクォーターでおじいさまが日本の方です。
日本語は習っていなかったそうですが
ちょうど日本に興味がわいてきた時だったそうで
おじいさまから習った日本語で
「コンニチハ!」とかわいらしく挨拶してくれるのでした。
私、フランス語特訓中でしたので、ユメジくんとカタコトフランス語で
話すのが楽しみでした。
ユメジくんに「これフランス語でなんていうの?」と質問しまして
いっぱい単語を教わりました。かわいい私の先生です。
ありがとう!

さあさあ、いよいよ大詰めのパリ公演。
こちらは約一ヶ月と長丁場なのと、休演日が少なかったこともあって、
新しく二人の子役さんを迎えて、ヒビキくんと3人体制で挑みました。
お一人目、カイトくんです。

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私が無理やり押さえつけてるような。。。いやそんなことありませんよ!

カイトくんが子役さんの中で一番お兄さんでした。
これは私見ですが、年をとるほうがこの役は難しいと思うのです。
舞台でただ寝なさいって言われたところで、
大人のほうが緊張して眠れないのではないでしょうか。
少年期のおける一年の差って大きいですものね。
でも、カイトくんは見事にやってのけてくれました。
実はパリ公演は現地の稽古日数が短かったため
一回あたりの稽古時間がとても長かったのです。
カイトくんの番が、ちょうど一番長い稽古の日だったと思います。
忍耐強いその姿は、印象的でした。
本番での一コマですが
舞台裏にはもうすぐ出番なのを知らせるライトがあるのです。
それが点灯すると、それまでジッと袖で待機してたカイトくんが
おもむろに屈伸体操や肩を回すのです。
むむむ、慣れてる!試合慣れしている!
ありがとう!

そして最後を飾ってくれるのがアルチュールくんです。

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千秋楽を祝うパーティでリラックスした娘役弓井茉那とアルチュールくんと私。
アルチュールくんは写真がお嫌いで、なんとか頼み込んでとった貴重な写真!
こんなにかっこいいのになぜ!?

学校で1・2を争う俊足のアルチュールくん。
まだ稽古の序盤のころ舞台に慣れてもらおうと思って、
舞台を一緒に走ったのですが、まぁ速いこと!
わたしはついていけませんでした。。。
運動神経抜群のアルチュールくんにとっては、
レジさん特有のゆっくりした動きが不思議だったのかもしれません。
でもそこはセンスがあるアルくん。
何がこの舞台で必要なのかわかってくれました。
レジさんのお芝居は極限までゆっくり動くことが要求されるのですが
そうなると、ゆっくり「しゃがむ」「横たわる」というのが
すごく筋力がいるのです。
特にヨーロッパの生活様式の中では「しゃがむ」という動作は
日本ほど頻繁ではないのでみんな苦戦するところでした。
アルチュールくんはいっぱい練習してくれて
上手に、ゆっくりしゃがんで、横たわってくれました。
そして、今でもおうちで
「コレカラドウシヨウ」
「ヨウスヲミヨウ」
と、ゆっくりセリフを諳んじているそうです。
こどもの記憶力はすごいなぁと思うとともに
一緒にお芝居したものにとってはうれしいことです。
出番を待つ間に、将来サッカー選手になりたい話などもききましたよ。
サッカー、人気だなぁ。

さて、みなさん。
もうお気づきでしょう?
何をかって?
それは、子役のみーーーんなハンサムぞろいということです!
いえいえ、世界中のこどもはみーーーんなかわいいんですよ。
わかっているんですよ、わたしでも。
でもね、これを「親バカ」というんでしょうねぇ。
飛び抜けてハンサムぞろいだと思ってしまうのです。
いけませんねぇ。そろそろ「母」から抜けなければ(笑)

現実に立ち返って、
本当のご家族のみなさま。
こんな愛らしいお子さんたちとお芝居できてとても光栄でした。
ありがとうございます。
みなさま方のおかげで、『室内』というお芝居が成立できました。
子どもの安らかな寝姿は美しいですね。
守らなくちゃって、自然に思えますもの。
『室内』はハッピーエンドなお芝居ではありません。
描かれてるのは悲劇です。
でも、お子さんたちと一緒に舞台に立って思うのは、悲劇というより
もっと深い、大きい、つかんだら消えてしまうような儚い何かでした。
子役さんと、申し上げてきましたが
この『室内』が初舞台の子ばかりです。
ご協力とご理解がなければ成り立ちませんでした。
本当にありがとうございました!

そして、今一人。
感謝を申し上げたい紅一点がいます。
去年の静岡での稽古の日々をともにしてくれたメグちゃんです。
本番は始まってしまえば終わるけれど、
稽古はいつ終わるかわかりません。
それに、当たり前ですが、
場面を止めたり、もう一回かえしたりするので
「流れ」が途切れます。
時には、これも当たり前のことですが、
厳しい指摘があったり、緊張が支配する場面もあります。
特に初演の稽古は、レジさんにとっても、私たちにとっても未知の世界。
緊張度も高かったのでした。
ヒビキくんも、メグちゃんも
こんな時を一緒に乗り切ってくれました。
これは並大抵のことではないなと思うのです。
メグちゃんは、女の子だけあってお話が上手で
ほぼ対等に、時にはそれ以上に私たちの相手をしてくれました。
その朗らかさに何度救われたことか!
またメグちゃんの持ってきてくれたお菓子をつまみながら
おしゃべりしたいところですが、もうお姉さんになっちゃったかしら?
そんなわけで、最後は静岡の写真で締めくくりますね。

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ええい、もういっちょ。

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ええい、ままよ。もうひとつ!

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仕事を終えた充実感に酔う男二人と美女。

キリがないほど、感謝をささげたい方が大勢いらっしゃいます。
これはとっても幸せなことですね。
本当にありがとうございました!

鈴木陽代

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2014年9月30日

『室内』ヨーロッパ・ツアー レポート(11)

『室内』はパリでの9月27日の公演をもって、
5月からの4都市に渡るヨーロッパツアーの全公演を終えました。

今日は、「リベラシオン」(9月15日)に掲載された
レジ氏のインタビュ―記事をご紹介します。 

SPACとの出会いや、静岡での稽古の様子など、
詳しく語ってくださっています。

***
演出家が緩慢と内省の狭間で日本語版『室内』をみせる。

クロード・レジ <自由かつ精密でいること>

91歳。クロード・レジは全く疲れを見せない。日本人演出家・宮城聰率いる俳優たちとの仕事を快く引き受け、メーテルリンク作『室内』を静岡で初演後、長期ヨーロッパツアーにでた。

− 日本はよくご存知ですか。
C.R. あまり。日本のことを知ったのはまだ若いかけ出しの頃のテアトロ・デ・ナション時代(1950年代)でした。まずは能、それから文楽と舞踏。三島も少し読みましたし、谷崎の『陰影礼賛』も読みました。でも、真に日本を発見することになるのは、静岡県舞台芸術センターの芸術総監督を務める宮城聰氏を通してです。彼は世界に目を向けています。『ダビデの唄のように』と『神の霧』をパリに観に来てくれました。どちらもフランス語を解さない人にとっては簡単と言える作品ではありません。その後、ジャン・カンタン=シャトラン主演の『海のオード』を静岡に招聘してくれました。そこには3つのホールがあるのですが、そのうちのひとつは地下2階にあります。まるで『陰影礼賛』へのオマージュとして建てられたような所です。中は薄暗く、見事な沈黙に包まれています。私に通ずるものがある!その上、そこは劇場ではなく木造の楕円空間で、客席数も少なく、まさに私にぴったりの場所です。理想的な空間だ!「またあそこに行きたい」と思っていたところ、宮城氏から「日本語で日本人俳優と仕事をすることに興味はありますか」と聞かれたので、すぐに「『室内』!」と答えました。文楽のように語るグループと動くグループに別れているのに気付いたのはその後からです。

− 貴方の演劇と能は通じるものがありますよね。
C.R. はい。能では生と死の境界が揺れ動いています。『室内』を選択したことは全くもって正解でした。オーディションのために日本まで旅をしました。知らない言語で仕事をするのは困難ですからね。

− はじめてでしたか?
C.R. いいえ。若い頃、ブラジル、イスラエル、オランダでも仕事をしましたし、ドイツ語でデュラスの作品も取り上げました。でも、理解できない言語で演出することにどうしても抵抗を感じ、諦めていました。

− お稽古の様子は?
C.R. 俳優たちに色々な話をしました。お稽古は滞りなく進みましたよ。彼らはとても敬意をもって接してくれました。いくつか質問は受けましたが。

− たとえば?
C.R. 若い女優が「なぜ舞台に砂を引きつめるのか?」と聞いてきたので、「砂は砂漠、精神性、静寂を連想させるからだ。」と答えました。それに、砂の上に家具を置くのはおかしいので、お陰でレアリスムを排除することもできました。日本人俳優はアメリカ演劇の影響を多く受けていますが、それでも私のことをすぐに信頼してくれました。太極拳をしているひとが多く、その動きを解体しゆっくりと行なうテクニックが私には好都合でした。それから、全く同じことを毎晩繰り返さないために、即興ができる状態であるように要求しました。私は自由でありながらも精密であることは可能だと思っています。俳優たちはゆっくりとした動作から美が生まれることをよく理解しています。

− 眠っている子供に死のイメージが重なりますね。
C.R. その両義性は避けられない事実です。明らかに類似していますから。舞台で子供が本当に眠ってしまっても構いません。ある日、子役の一人が「でもお客さんの前で寝てしまうのは怖い。」と言ったので、「寝なければいけないわけではないからね。」と返しました。ただひとつ困るのは、子供がすごく動いてしまうことです。生者なのか死者なのかをはっきり決めてしまうのではなく、どちらの可能性もあった方がいいからです。私は常にこういった仕事の仕方をしています。アルトーは彼の著書『暗黒の大海』の中でこう言っています、「演劇をするのは戯曲を見せるためではなく、人間の最も秘められた部分を表現するためだ。」と。

− 入場前から観客に静かにするよう要請していますが、やり過ぎとは思いませんか?
C.R. 私は沈黙の力を信じています。観客が静かに入って静かに待っていると、別の集中力が生まれるのです。我々は常に喧噪の中で生活しています。少しくらい準備をしていただいても悪くはないでしょう。
                           
ルネ・ソリス

(翻訳・浅井宏美)
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2014年9月27日

『室内』ヨーロッパ・ツアー レポート(10)

「ラ・テラス La Terrasse」223号2014年9月版掲載、
『室内』パリ公演記事をご紹介します。

***
『室内』
1985年初演のモーリス・メーテルリンクの戯曲『室内』、クロード・レジが日本人俳優で新たな演出を見せる。燦然と輝く美しさ。

家の中ではまだ家族が起きている。夜。父親、母親、2人の娘と小さな子供。各々がいつも通りの生活をしている。部屋の中央には子供が眠っている。ぐっすりと。揺るぐことのない深い眠りのようだ。死を誰も妨げることができないように、なにものもそこに終止符を打つことができないと思えるほど子供は不動で深い状態にいる。外では、庭から数人が窓越しに中にいる人間たちを観察している。彼らのジェスチャーや、彼らが動いたり、移動したりするのを解説している。同時に、いつ、どのように川で溺死した娘が見つかったことを伝えたものか戸惑っている。大勢の村人たちがすでに家に向かっているというのに、屍を抱えて…『室内』は1894年にメーテルリンクがマリオネット演劇のために書いた一幕劇だ。まるで、演出家クロード・レジの世界観を表現するために書かれたかのようなエクリチュールだ。事実のみの短いセリフは簡潔であるだけに重みがあり、無限の深さを兼ね備えている。テキストは死と生について我々に語りかけ、詩的空間へと誘い、見えないものや意識の概念、運命、幻想について、はっと息をのむほどの展望を切り開いてくる。

夢の次元で
舞台では静岡県舞台芸術センター所属の12人の俳優たちが驚くほど見事に、有機的に、絵画的価値の高いこの公演のイメージの中に溶け込んでいる。このテキストがまるでクロード・レジのために書かれたかのような印象を与えるのと同様、クロード・レジの芸術がまれに見る精密さと気品を兼ねそなえたその俳優たちのために創造されたかのように思えてくる。白い砂で覆われた舞台上では、夢の中のように全てが形づけられていく。始まりはもっとも濃密で、最も神秘的な暗闇。複数の登場人物たちがさまよっているシルエットが(演出家の作品を特徴づける振り付けを思わせるゆっくりとした動きに忠実だ)微妙に変動していく時空間の中を移動していく。沈黙とはかなさで構成された時空間の中を。脅威はそこまで迫っている。悲劇は近づいてくる。我々は舞台空間の虜になる。しかし、クロード・レジの傑作(最近の作品では『小舟、夜』『海の讃歌(オード)』など)で受けた衝撃は感じられない。なぜなら、今回は日本語で聞こえてくるメーテルリンクの言葉に壁を感じてしまうからだ。ゆえに、我々は公演の核外に身を置かざるをえず、奥底で鼓動する部分に近づくことができない。マエストロの忠実な観客たちは一種のフラストレーションを感じるかもしれない。だが、他の人々は奥深く、常に衝撃的な絶対美を備えた演劇を十二分に満喫できるだろう。

マニュエル・ピオラ・ソレマ

(翻訳・浅井宏美)
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2014年9月26日

『室内』ヨーロッパ・ツアー レポート(9)

今回は、『室内』パリ公演の当日配付パンフレットに掲載の、
作品紹介ノートをお届けします。

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クロード・レジ
『室内』 モーリス・メーテルリンク作

 静岡県舞台芸術センターに『海の讃歌(オード)』で招待された際、クロード・レジは日本人俳優たちとの仕事依頼を受けた。彼はこの初のコラボレーションにモーリス・メーテルリンク作の『室内』を選択。1985年にすでに演出した戯曲だ。薄暗がりの領域を扱った『神の霧』や『小舟、夜』に引き続き、彼の演劇は我々を意識の向こう側へといざない、知覚不可能なライン上で演劇公演は別のものにとってかわる。沈黙の果てにある戸口で生と死、言葉と無言、恐怖と恩恵が反響しあい交錯し、理性的な観点からみると疑いの余地のなかった事柄を混乱させるに至る。
 その戸口で、少人数の一団が待っている、全てを一瞬にして覆してしまう知らせを持って。そして、その向こう側には―室内には―近くで起きてしまった悲劇に気付かず普段通りの生活をしている家族がいる。戯曲は室外のカオスと室内という避難所の間にある壊れそうなバランス関係を揺り動かす。疑念と登場人物たちの本能が後のばしにされているその瞬間に集結している。それはまるで、意識の中で正反対に位置する2点が接触を図っているかのようだ。繊細な照明で、クロード・レジは空間に沈黙を刻み込み、俳優たちが発する単語の中に沈黙を植え付け、言葉にはできないものの境界に最も重要な言葉をかいまみせる。
 「魂は人間の周りをどこまで広がっていくか分からない。」と、メーテルリンクは書いている。舞台は、クロード・レジによって、その広がりを果てまで徘徊し、探索する地となる。

(翻訳・浅井宏美)
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フェスティバル・ドートンヌ・ア・パリの『室内』紹介ページはこちら

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2014年9月21日

『室内』ヨーロッパ・ツアー レポート(8)

フェスティバル・ドートンヌ・ア・パリ『室内』公演は、
9月9日に初日が明け、無事に回を重ねております。
 
今回は、フランスの雑誌「les inrokuptibles」の
パリ・フェスティバル・ドートンヌ特集に掲載されている
クロード・レジ氏のインタビューをご紹介します。
 
翻訳は、昨年の静岡での稽古からずっとご一緒いただき、
レジさんと俳優のアーティスティックな共同作業を支えてくださっている
通訳の浅井宏美さんです。
 
***
「Les inrockuptibles」誌 パリ・フェスティバル・ドートンヌ特集
「音とリズムを再謄写する」

かの名高い静岡県舞台芸術センターのディレクター宮城聰氏の招待を受け、クロード・レジ氏が演劇への問題提起を投げかけ続ける。

− 1985年にすでに『室内』を演出されていますが、なぜ、また同じ戯曲を日本人俳優と?

C.R. モーリス・メーテルリンクが彼の3部作(『室内』『アラジンとパロミイド』『タンタジルの死』)に『マリオネットのための小さなドラマ三部作』と副題を付けていることが決定的でした。作者は最初から転換を可能にし、俳優の演技を再考慮するための新たな形式を試みようとしていることが伺えます。彼が生きていたのは定評ある俳優達が彼らの技量で光り輝き「聖なる怪物」と呼ばれていた時代です。しかし、メーテルリンクは言いました、後にマルグリット・デュラスも言っていますが、「演技はエクリチュールの助けにはならず、かえって殺してしまうものである。」と。この戯曲を選んだもうひとつの理由は俳優が2グループに別れているということです。ひとつ目のグループは公演中一言も発さず家の中に閉じ込められており、もうひとつのグループは外にいるのですが、その外にいる人たちが言葉を発し家庭内で起こっている出来事について語ります。この2グループの対峙関係はきわめて脆いものです。なぜならそこに賭かっているのが死の告知だからです。メーテルリンクはまだ子供の死を知らされていない家族を通して、予感について語っています。この2グループの透水性に気づくよう誘っているところに私は惹かれます。
 
− 日本語を話す日本人俳優と仕事をすることで何か今までと変わったことは?

C.R. 全くもって初めての経験でした。確かなのは、母国語を普段とは全く違う話し方をするよう要望することで、わたしがフランス語で行なってきたことを彼らの演劇という職業にも重ねあわせようと試みたことです。ドビュッシーについての話も随分としましたし、またメーテルリンクが自分のエクリチュールに必ずしも音楽を付け加えることを望まなかったことも何度も話しました。彼はエクリチュール自体が音楽性を持っていると思っていたからです。それで、俳優たちに文書の音楽性、そこにある沈黙、時間性などを基礎におき、耳を使って作業をするよう勧めてきました。そして可能な限り、俳優たちのセリフが原則的にひと繋がりのものであるという方向へ導いていきました。
 
− 外国語を扱う時はその音楽性に頼りすぎてしまう危険がありませんか?
 
C.R. もちろんです。危険はほかにもあります。俳優たちの本能に任せてしまうことと翻訳作業に頼りすぎてしまうことです。日仏言語の構文法の違いを説明してもらい、言葉の順序が違うことを知りました。メーテルリンクの文体では、大切な言葉は行末にあります。そこから反響していくからです。ですから、できるだけ日本語でもその順序になるよう計らいました。でも、フランス語の文末にある言葉は大概日本語では文頭にあります。

− 他言語でも表明できるかどうかがが問われていますね。
 
C.R. 私は「翻訳不可能なものは何もない」と言ったアンリ・メショニックと同意見です。ただ、原語をよく聞いて、相当するものを見つけなければなりません。音とリズムを謄写することは時に意味自体よりも大切です。素晴らしい通訳2人の助けも得ました。もちろん、日本語が核にあるわけですが、私の話し方というのが非常に「特別」ですからね(笑)。特殊な物事を参考文献として引用するので通訳がその語彙を伝えられるかどうかがとても心配でした。
 
− 何をベースに俳優たちを指導しましたか?
 
C.R. 無意識の話をよくしました。また、毎回同じことを再現しなければならないという観念を俳優たちが捨てることにも執着しました。毎日行なう作業であっても即興の部分が失われないように演技に流動性(不確定さ)が現れるように努めました。ですから、公演を重ねればトーンも変わっていきます。動きは全体的にとてもゆっくりとしたリズムで行うようにし、照明は極力おさえ、見えているのか見えていないのか…分からなくなるほどです。そこにあるのはぼんやりとした空間、脆い世界、力関係のラインが想像がつくような方法では引かれていない世界です。

− 『室内』は貴方にとって貴重な不確定ゾーンに捧げられたような作品ですか?

C.R. 『不確定状態』という本を書きました。そのタイトルは宇宙物理学―不確定状態を語る現代科学ですが―から発想を得ています。エドガール・モランが言っていますが、我々が持っている知識の土台には実は土台はなく、基礎になっているのは沼地に立てられた柱なのです。つまり、最先端にある科学界でさえ、知識を疑ってかかるという地点に至っているのです。同じことを自分の仕事でも試みようとしているのですが、だんだん演劇的ではなくなってきているようで(笑)。私は疑う余地のないものをよりどころとはしません。
 
インタビュー:パトリック・スール
(翻訳:浅井宏美)

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「Les inrockuptibles」パリ・フェスティバル・ドートンヌ特集のフランス語のオリジナルはこちらから読むことができます。

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2014年7月29日

『室内』ヨーロッパ・ツアー レポート(7)

『室内』アヴィニョン公演制作兼字幕オペの米山です。

今回は字幕のことをご紹介します。

モンファヴェホール客席
↑客席は8列、全部で210人ほど座れます。
 
今回私はこの客席の一番後ろにある机に座って、
ここから字幕を出しています。
ちなみにプロジェクターを挟んで反対側には、
前々回のレポートで布施が紹介したピエールさんが
照明の操作をしています。

オペ席から舞台を眺めるとこんな感じです。
字幕オペ席からの眺め
↑稽古休憩中
 
そして、手許の様子。
 
字幕オペ席手許
↑操作用PC(左)と字幕オペ用テキスト(右)
  
海外でSPACの作品を上演する時、
また海外の作品を日本で上演する時、
いつも字幕は悩みどころです。

どこに、どのくらいの大きさの文字で表示させるのか、
そのためにどのような機材を使うのか、
しゃべっている台詞に対して
どれくらいの割合を字幕として表示するのか、
そして、コマ割りや表示のタイミングは、、、。
と考え出すときりがありません。

その作品の舞台美術や作品全体がつくりだす世界を
邪魔したり壊さないように、
それでありながら、お客さんが舞台を観つつ字幕も読めて、
ストレス無く、内容を追っていける落としどころを、
探さなくてはなりません。

演出家や舞台美術家をはじめ、様々なスタッフと相談しながら、
そういうことを考えるのも、お客さんと作品をつなぐ
制作担当の仕事のひとつです。
 
 
では、『室内』のような舞台全体が暗い闇と沈黙に包まれ、
俳優の台詞や動きもとてもゆっくりとしていて、
お客さんも息をひそめてそれを見守るような作品で、
字幕はどうなるのかというと、、、。
 
 
私はアヴィニョン公演で
ようやくそれを目の当たりにすることができたのですが、
レジ氏のとった方法は、見事でした。
 
まずは、字幕として表示させる文章は、
台詞の中でもその場面や作品全体のキーになる
センテンスだけに絞り込まれています。
 
字幕テキスト
 
この写真の中のオレンジの線で塗られた部分だけが、
字幕として表示されます。
 
そしてこれらのセンテンスが、舞台中央の壁の一番下の部分に、
(上の舞台の写真の白い舞台のすぐ上の黒い部分です。)
あたかも闇の中からじわじわと浮かび上がってくるかのように、
数秒かけて表れ、
また数秒かけてじわじわと闇の中に消えていきます。
演劇の字幕といえば、ぱっと消えてぱっと消えるものだと
思い込んでいた私には、
こんなふうに字幕を
あたかも作品の一部であるかのように、
作品世界を壊さずに取り込むことが可能なのかと、
驚きでした。

アヴィニョンでは、ウィーンとブリュッセル公演で既に調整された
字幕素材を元に操作しています。

海外初演となるウィーンで字幕オペをされた現地の方は、
劇場での稽古期間中、レジさんの要望にしたがって、
このフェード・イン/アウトのタイミングなども含め、
字幕素材の細かい調整をされたとお聞きしました。
本当に大変な作業をしてくださったのだと思います。

そんなバトンを引き継ぎ、
舞台空間やそこにいる俳優、そしてお客様や字幕まで含めて、
一つの空間ができあがるレジ氏の作品世界に
加わらせていただくという、
とても貴重な体験をさせていただいております。

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2014年7月28日

【アヴィニョン・レポート】 リベラシオン紙に吉植荘一郎インタビュー掲載

リベラシオン紙に『室内』出演の吉植荘一郎のインタビューが掲載されました。
またまた、SPACの会会員の片山幹生さまが翻訳してくださいました!

※元文はこちら

***
吉植荘一郎インタビュー:「レジは沈黙を聞きなさいと私たちに言いました」
(インタビュアー:ルネ・ソリス)
『リベラシオン』紙 2014年7月17日

INTERVIEW「俳優が演出家との仕事について語る」

宮城聰の劇団の俳優、吉植荘一郎は『室内』で老人役を演じる。宮城の劇団の他のメンバーたちはアヴィニョン演劇祭で『マハーバーラタ』の上演に参加している。

─最初にメーテルリンクのテクストを読んだとき、どのような感想をもちましたか?
そんなに難しくはなかったのですけれど、読んだ翌日には頭にほとんど内容が残っていませんでした。水のように流れ去ってしまいました。もし普通の演劇のように、沈黙の重要性を考慮しないままメーテルリンクの作品を演じたら、それはとても凡庸なものになってしまうでしょうし、観客は書かれていることの面白さは理解できないでしょう。

─メーテルリンクは日本で知られているのですか?
『青い鳥』だけは知られていますが、沈黙と無意識の重要性は理解されていません。むしろ子供のための道徳的な童話だと思われています。

─でも沈黙は能の本質的要素ですよね?
確かにそうなのですが、現代演劇の場合はそうとも言えないのです。稽古では、クロード・レジは私たちに沈黙に耳を傾けるようにといつも言っていました。なぜなら沈黙がわれわれに様々なことを教えてくれるからです。しかしメーテルリンクにとっての沈黙は独特のもので、それは喋らないということだけではなくて、聞こえないことに耳を傾けることでもあるのです。

─それは能の考え方とは遠くないのでは?
能との共通点は死であると言うことができるでしょう。聞こえないことに耳を傾ける、そして見えないものに目を注ぐ。そう、まさにクロード・レジはこの点で、日本の伝統演劇と出会ったのです。

─ではあなたは、どんな演劇をやってらっしゃるのですか?
私の演劇はクロード氏の演劇の対極にあるものです[編集部注:吉植氏は相撲取りのように腕を組んでしゃがみ込んだ。それから大きなうなり声をあげて、高らかに笑った]

─最初の稽古のとき、あなたはこんなふうに演じたのでしょうか?
もっと静かに話さなくてはならないということはわかっていました。静岡の半地下にある劇場で作品は初演されたのですが、そのとき私は、声の音量を下げれば下げるほど、観客の注意を引きつけることができることを感じました。まるで私の重心がとても低い位置にあるかのように。私はこれに気づいたとき、非常に感動しました。

─観客たちも感動していましたか?
観客は驚愕していました。観客のひとりは劇場の出口で「夢のようだ」と言いました。

─日本では観客は行儀がいいのですか?
そうですね。客席に入ったとたん、日本の観客はお喋りをやめます。そして上演中に会場を出ることもない。

─クロード・レジの稽古はどんな感じなのでしょうか?
大きすぎる声で話してはならないと彼はいつも私たちに言います。完璧というのは存在しないんだ、でも毎晩毎晩同じ状態を取り戻すためにはあらゆる事をしなくてはならない、と説明してくれたこともあります。この言葉に、私は日本の古典の冒頭が思い浮かびました。「ゆく河の流れは絶えずして、 しかももとの水にあらず」

─レジはあなたがたに自由を許してくれますか?
束縛された状態があるからこそ、人はより自由な精神を持つことができます。静かに話すことによって、より注意深くなり、身体のなかにより深い感情を探しに行くことができるようになります。

─この経験は俳優としてのあなたを成長させるものになると思いますか?
私がこれまでやってきた演劇の中では、何かが私に欠如していました。重要なことはいかにしてエネルギーを感じさせるかということです。沈黙に耳を傾けること、それはよい方法です。

訳:片山幹生(SPACの会 会員)

※編集部注の補足
実際には吉植は記者の前で、両膝を床につき、踵に尻をつけた態勢で、『王女メデイア』(宮城聰演出)の使者の報告の一節を実演してみせたそうです。

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【アヴィニョン・レポート】 L’Humanité紙に『室内』記事

ル・モンド、リベラシオンに引き続き、ユマニテ紙に掲載された『室内』公演の記事をSPACの会会員の片山幹生さまが翻訳してくださいました!
ありがとうございます!

※元文はこちら(仏語)
※ル・モンド掲載記事はこちら
※リベラシオン掲載記事はこちら

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アヴィニョン:レジによる暗闇のレッスンの恍惚
アヴィニョン演劇祭 ジャン=ピエール・レオナルディーニ
『ユマニテ』紙 2014年7月17日(木)

[写真キャプション]クロード・レジはもはや取り戻すことのできないものを提示する。水死した若い娘。意識のない小さな身体を女たちが見守る。(撮影:三浦興一)

メーテルリンクの『室内』を、日本語で上演する。このフランス人演出家は、言葉では伝えられない領域のなかで、常により遠くの地点に向かって進んで行く。この希有な時間は音楽によってかき乱されることはない。そこで人が耳にするのは、喪失と哀悼を伝えるために丁寧にコントロールされた人間の声だけだ。

(アヴィニョン特派員)クロード・レジは、横山義志の日本語訳によるモーリス・メーテルリンクの『室内』の翻案を上演する。静岡で初演されたこの舞台は、すでにこの五月にウィーン(オーストリア)とブリュッセルでも上演された。さらに秋の芸術祭のプログラムとして、9/9から9/27までパリの日本文化会館(Maison de la culture du Japon)でも上演されることが決まっている。

 レジがやってくるのを、私たちは静かに待っていた。騒がしさとは無縁の事件が起こるに違いない。熱狂からは避難して、モンファヴェの多目的ホールで私たちは、レジを待っていた。レジはこの機能的で没個性的なホールを瞑想のための空間に変容させた。2009年に、ジャン=カンタン・シャトランとともにフェルナンド・ペソアの『彼方へ 海の讃歌』をレジが世に送り出したのも、この同じ場所だった。

〈奇妙な言語がわれわれの耳元で鳴り響く〉
 メーテルリンク (1862-1949)は、レジにとって、精神的な面における兄とも言える存在である。レジは1985年に[パリ郊外の]サン=ドゥニのジェラール・フィリップ劇場で『室内』を上演し、それからそのちょうど十二年後に[同じメーテルリンク作の一幕劇、]『タンタジルの死』を上演した。今回上演される『室内』では、言葉の楽譜に空白が目立つ。表現は切り詰められ、暗示的になっている。この新しいバージョンで、レジはほとんど沈黙といっていいような地点に到達した。

 その静けさのなかで、かすかに聞き取ることができる声がある。その声が話すのは、われわれの耳には奇妙に聞こえる言語、まったく別の世界からやってきた言語だ。それはどんな世界なのだろうか? おそらく潜在的な喪失を抱える世界だ。その世界は真っ白な砂地の広がりのなかにある。その砂地の上を、静かにゆっくりと人々が行き来する。その人々の姿は、あたかも音楽的な秩序に合わせて変容するかのような照明(レミ・ゴドフロワ)の奥に映し出される、華麗な書体で書かれた文字のようだ。この舞台では音楽は使用されていない。人の声が奏でる音楽だけがある。不安はこのためさらに増幅される。

 精妙にコントロールされた声は、取り返しのつかない悲劇があったことを告げる。若い娘が水死した。その様子は、オフィーリアの最期を思わせる。舞台の中央では、子供がひとり眠っていて、女たちがそれを見守っている。大きな永遠の眠りと小さな一時的な死の対比。詩人の直感は、無意識のうちに思い描かれたある種の精緻な儀式の進行にしたがって、われわれの目の前で具現化される。観客のわれわれは、芝居の外側から、息を飲んでその様子をうかがい見る。部屋の室内の様子を注意深く見守る彼ら、室内の様子を描き出す彼らの存在に、われわれはほとんど心奪われている。その家のなかでは、こどもが横たわり、眠っている。若くして死んでしまった娘を弔う行列が徐々に近づいている気配がする。

〈そして漆黒の闇は光を放ち始め、光に包まれる〉
 精神分析用語から取られた「悲哀の仕事」という表現は、その使い勝手のよさゆえに、あらゆる機会で用いられるようになったため、陳腐な紋切り型になってしまった(「レジリエンス(精神的回復力)」も同様だ)。しかし暴力的なイメージの傲慢さのなかでもまだ隠喩が機能していたときには、悲哀の仕事は、われわれの目(かつては「魂の窓」と呼ばれたこともあった)の前で、適切なかたちで遂行される。クロード・レジは、観念的な瞑想の演劇を抑制した行為のなかで作ってきたが、これほど遠くの地点に到達したことはこれまでなかったのではないだろうか。

 密やかな知覚の測量士としてのレジの技量は、今やその最高点に達し、その芸術は昇華され、リンボ(古聖所)のすぐ側にまで行き着いた。レジの作品を通して、われわれは死を味わうことができるとまで言えば言いすぎかも知れないが、彼の作品は、死をかいま見せ、感知させ、その匂いを嗅がせてくれる。レジの作品で問題となっているのは、バロック的な表象である「空しさ」ではない。このバロック的表象には、予兆と去ってしまった存在への悲嘆が詰め込まれている。レジの作品はそうではない。われわれは1時間45分のあいだ、中間状態、物事の本質について思索するための時間領域のなかにいた。メーテルリンクが「暗闇の海」と呼ぶ世界が目の前に広がる。

 われわれはこれほど深い暗闇と出会ったことはなかった(ピエール・スーラージュ(1919-)の絵画にはこれに匹敵する闇が存在するかもしれない)。この暗闇は光り輝き始める。そして灰色のあらゆるスペクトルがすみずみまで探索された後で、この暗闇は光に包まれ、われわれはそのなかに人影を見分けることができるようになる。人影は、絵画のように縁取りされた舞台の長い長方形のなかから、ゆっくりと現れ出る(舞台美術はサラディン・カティール。彼は大岡舞とともに衣装も担当している)。

 レジの深遠な構想は、彼の持つ絶対的な統治権のもと、『室内』という作品のなかで実現され、明らかになった。薄暗い明るさが意味を照らし出し、そこから彼の構想が明らかになる。レジが宗教的な領域において超越性を求めているのかどうか私は知らない。しかし彼にとって重要なことは、それぞれの人間が背後に抱えるあらゆることがらについての終焉を共有することではないだろうか。そして感覚的で具体的な経験を通して、死がわれわれにとって身近なものになったとき、この共有は行われるのである。

訳:片山幹生(SPACの会 会員)

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2014年7月27日

【アヴィニョン・レポート】 Le nouvel Observateur紙に『室内』記事

Le nouvel Observateur紙にも『室内』記事が掲載されました。
※元文はこちら(仏語)

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クロード・レジ、壮麗

 クロード・レジ演出、日本人俳優出演のモーリス・メーテルリンク作『室内』は政治にもふれず、神にもふれてはいない。だが、我々をのめり込ませ、あらゆる感覚の幅を広げさせる。この公演はまさに壮麗である。

 舞台中央には子供が横になって眠っている。その小さな身体は夢や天使のように無重力状態にあるかのようだ。まだ娘の死を知らされていない家族の一人息子だ。地面も壁も弓形にかたどられたとても柔らかく控えめな光の中に家族はいる。それ以外は闇だ。娘の死をすでに知っている人々が闇空間で話をし、屍を担いでやってくる喪の一行がゆっくりと野原からやってくるのを見ている。そして、一行の歩みを描写しながら家族に告知する瞬間を遅らせている。俳優たちの緩慢な歩みと身振り、声(日本語)は痛みというものの振動を強烈なまでに体現している。ここでは全てが放射線を発してくる、ゆっくりとした速度で。観客は中間にいる、生と死の狭間に。この芝居は子供の死を告げるその瞬間とその一言が永遠に広がっていくのを見事に捉えている。

 パリのフェスティバル・ドートンヌで再演時により詳しい記事を書くが、上演時間は1時間30分。形式だけで我々を魅了しようとは全くしていない。ただ、とても深い、自分に近しい位置での高い集中力を要求してくる。クロード・レジは、世界の喧噪から遠く離れたところで、時に挑戦し、あらゆる意味での地平線を押しやり、そして、『室内』をもって演劇の美を賞讃している。(モンファヴェ劇場にて7月27日まで)
 
オディール・キロ
ヌーベルオブセルバター ビブリオブ 2014年7月22日版
 
(翻訳 浅井宏美)
 
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2014年7月26日

『室内』ヨーロッパ・ツアー レポート(6)

SPAC制作部『室内』担当の米山です。
俳優布施に続き、アヴィニョン演劇祭のツアーレポート第二弾です。

俳優や技術スタッフがツアーの最中、
制作の私は、静岡でお留守番しながら、
その後のツアーの準備の事務仕事を進めているのですが、
アヴィニョン公演は、制作兼字幕スタッフとして、
ツアーに同行しております。

それにてしても演劇祭期間中のアヴィニョンは、
朝から晩まで街のいたるところで演劇が上演されていて、
深夜12時過ぎまで、本当にお祭り騒ぎです。

アヴィニョン街中

この街の一体どこに、
『室内』の上演に必要な沈黙と闇はあるでしょうか。

では、今日は『室内』の上演会場までご案内します。

?

アヴィニョンの中心地を取り囲む城壁を出て、アヴィニョン中央駅を右に見ながら…

アヴィニョン中央駅

さらにどんどん進みます。

池
草原
郊外の家々
劇場前の道
みんなてくてく歩きます

ようやく劇場、モンファヴェホールに到着!

劇場に到着
横から見たモンファヴェホール

そうなんです。
『室内』の上演会場は、アヴィニョンの中心街ではなく、
そこから車で25分ほどいった
モンファヴェという郊外にあります。

モンファヴェは遠いよ
(左端がアヴィニョンの中心地、モンファヴェホールは右端の終点2つ前)

途中には池があったり、草原や木々の茂る場所があったり、
そのなかにぽつぽつと家があったり…。

劇場への行き来のバスの窓から見えるそんな風景は、
なんだかメーテルリンクが描いた『室内』の世界を
思わせもします。

私たちは、この街の喧噪とは離れたこの劇場で、
『室内』の沈黙と闇の時間と空間を、
レジさんや、お客様と共にしています。

今日のおまけ

すぱっくんもモンファヴェでお出迎え
 
 
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