2015年12月19日

<潜入!『黒蜥蜴』の世界(番外編)>宮城聰インタビュー【後編】

インタビュー 宮城聰
新演出作『黒蜥蜴』の世界

三島由紀夫の精神を受け継ぐ――。
ヒット作に秘められた作家の挑戦とは?
SPAC芸術総監督・宮城聰が、次回作を語る。

【前編はこちら】

■高度経済成長期・日本の風景
 江戸川乱歩による小説『黒蜥蜴』は1934年発表ですが、三島由紀夫の戯曲『黒蜥蜴』の時代背景は、戦後の高度経済成長期に置き換えられています。原作に出てくる大阪の通天閣が、東京タワーに変わっているんです。確かに昭和初期にもモダニズムの流れがありました。これは世界的なことでしょうけど、テクノロジーの発達によって人間の内面すら進歩していくのではないかと思われるような時代があったのかもしれません。そこから時代は進んで、三島は、戦後の日本は空虚なものだと考えているわけです。
 その見方で言えば、東京タワーだってひどく空虚なもののはずです。ぼくの小さい頃に、遠い親戚で、よく海外に行っているおばさんがいました。1960年代前半でしたが、しょっちゅう海外に行っているものだから、日本を馬鹿にしていて、「エッフェル塔と比べると東京タワーはしょぼい」と言っていた、「風が吹くと揺れる」って(笑)。三島も東京タワーについて聞かれれば、「ただの真似で恥ずかしい。二度と建てないでほしい」と言ったのではないでしょうか。でも、戯曲を読むと、東京タワーについて、そんなにシニカルな目線があるだろうか。意外にそうでもないんじゃないかと思うんですね。
 高度経済成長期の初期の段階では、まだ、三島も未来を信じられたのかもしれない。いくら「東京大空襲の火で全て失われて、空虚だ」と口では言っていても、右肩上がりの時代精神に染まっていたかもしれない、という気もしないではない。今回は、そういうところも、三島という人を読み解く上で、おもしろいかもしれないと思っています。

■情緒に没しない知性の怪物
 ぼくは演劇の様式性を20数年追求してきましたので、その成果を黒蜥蜴の人物造形に活かしたい。一方、明智小五郎は、「論理」が着物を着ている、知性の怪物として演出します。日本語をしゃべりながら情で成立していない身体をつくるのは容易ではありませんが、三島ががんばっているところです。
 川端康成、谷崎潤一郎、三島由紀夫…翻訳されても論理性が残ることにトライした作家たちがいます。中には安部公房のように日本語としては痩せたもの、カラカラに乾いたもの、頭の中で最初から英語で考えられているような独特のアプローチもあったと思いますが、三島は、いっけん日本語でしかできないだろうと感じられるレトリックをおもいきり使います。日本語のわかる人は、「この文学は日本語がわかる人でないとおもしろくない」とちょっと思うわけですが、天ぷらの衣をはぎ取った時に出てくるエビは、ヨーロッパでも通用するようにつくってあります。
 明智も黒蜥蜴も怪物です。2人の怪物……『サド侯爵夫人』で、ルネは「私は貞淑の怪物になる」と言うんですね。貞淑を論理的に突きつめて行けば、普通の人が考える「貞淑な女房」では全然なくなります。三島の場合、自分の中にある相容れない2人、3人を想定し、対話させることで、論理性をつくっていきました。三島の体の中にあった相容れない2つを、それぞれ歪なままに形象化できれば、戯曲の身体化が可能になるのではないかと思います。
 三島が考えた西洋対東洋、欧米対日本、その演劇上の闘いを、きちんとやりたい。歌舞伎の演出のおもしろがらせ方もうまく取り入れています。戯曲のシアトリカルな楽しみはなるべく残し、演劇を初めて観る人にも、演劇ならではの楽しさを感じてもらえると思います。

■「演劇の教科書」を目指して
 SPACのレギュラーシーズンのプログラムでは、もし演劇の教科書がつくられるならば、必ず掲載されるだろう作品群を選んでいます。何年か観劇すると、演劇史の基本知識が身につくプログラムです。
 音楽や美術に比べ、演劇は、学校教育で習いませんよね。音楽と美術は、学校の教科に入っていますから教科書があります。演劇は教科書がないので、シェイクスピア(※)とチェーホフのどっちが昔の人かと言われても、ほとんどの日本人はわからないのではないでしょうか。何でもそうですが、基礎知識を持っているほうがいっそう楽しめますし、外国の人と話すと、教養として演劇の知識を求められる場合が多いです。
 また、商業的な観点から今の日本で受ける演目を選ぶと、偏った紹介になってしまいます。SPACは公立劇場ですから、世界のあらゆる地域や時代の古典と呼ばれる演目を、少しずつでも観てもらいたい。
 そう考えた時に、日本の劇作家で誰を選ぶべきか。世阿弥、近松門左衛門、鶴屋南北、三島由紀夫、それから泉鏡花…そういう感じではないでしょうか。世界的な知名度で言えば、世阿弥、近松、三島でしょう。中学や高校の国語の授業で夏目漱石を1回は読んでおくべきだというのと同じ意味で、SPACのプログラムに三島が入っているべきだと考えました。
 三島はたくさんの作品を書きましたが、歌舞伎の戯曲もあれば、いわば背徳的な、あえてスキャンダラスでセンセーショナルな作品も書いている。三島という人は、色々な方向に欲を持った人で、芸術の世界、文壇や演劇界だけにとどまっているのはおもしろくないと考えていました。違う言い方をすれば、新聞の文化欄ではなく社会面で取りあげられるような作品をつくろうとしていた。三島の作品は、光の当て方によっては世俗的です。
 鑑賞事業の公演では中高生に観てもらいますので、教育の一環。SPACのプログラムとして選ぶ時には、普遍性の観点から戯曲を見直していく必要があります。その上、一般的な意味でワクワクする魅力を持った作品でないと、初めて演劇を観る中高生には難しいでしょう。
 『黒蜥蜴』は、作家自身が抱えていた問題がはっきりと表れていると同時に、観客を楽しませる要素も盛り込まれていて、その基準にぴったりだと考えました。演劇の魅力を探しに劇場に足を運んでいただければと思います。

2015年6月25日 静岡音楽館AOIにて
聞き手・構成:西川泰功

※註
・シェイクスピア:イギリスの劇作家・詩人。1564年生まれ、1616年没。四大悲劇『ハムレット』『オセロー』『リア王』『マクベス』等、37編の戯曲を残した。世界で最も有名な劇作家と言っても過言でない。

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​1~2月 SPAC新作
『黒蜥蜴』
演出:宮城聰/原作:江戸川乱歩/作:三島由紀夫
音楽:棚川寛子/舞台美術:高田一郎/照明デザイン:沢田祐二
出演:SPAC
静岡芸術劇場
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2015年12月17日

<潜入!『黒蜥蜴』の世界(番外編)>宮城聰インタビュー【前編】

インタビュー 宮城聰
新演出作『黒蜥蜴』の世界

三島由紀夫の精神を受け継ぐ――。
ヒット作に秘められた作家の挑戦とは?
SPAC芸術総監督・宮城聰が、次回作を語る。

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■善悪/美醜/正邪が反転する
 『黒蜥蜴』の初演(1962年)はプロデュース公演でした。そのため商業演劇への目配りがある作品だと思います。おもしろいことに、肩の力が抜けたシチュエーションで書かれた戯曲に、かえって劇作家の一番重要な部分がふっと出てくることがあります。楽な気持ちで書いている時のほうが、もともと抱えている問題意識や美点が、自然と出てくるのかもしれません。
 例えば、論理でじりじり追いつめていく、同じく三島由紀夫作の『サド侯爵夫人』(1965年)とは違いますね。でも、『サド侯爵夫人』で扱われているテーマが、はるかに敷居の低い形で『黒蜥蜴』に出てきます。
 『サド侯爵夫人』のテーマを簡単に言えば、この世の中で一般に信じられている善悪、美醜、正邪という上下関係が逆転するということ。貞淑な妻ルネは、犯罪すれすれの人間サド侯爵の最も歪なものに、少しずつ近づいていこうとします。いわば、不可能に近づこうとする精神のあり方をサドに託し、これに対して、現実に生きている人間としてサドとどう関係を取るかが、ルネに託されている。不可能に近づく時、その臨界点みたいなところで、先ほど言ったように、善悪や美醜がひっくり返ります。あるいは、差がなくなってしまいます。「きれいは汚い、汚いはきれい」(※)の世界になる。超伝導(※)みたいなことが起こるんですね。
 同じことを、『黒蜥蜴』では、とても素朴にやっています。かたや犯罪者・黒蜥蜴、かたや探偵・明智小五郎です。サドというほとんど観念の世界にある存在の位置に、黒蜥蜴という女賊が当てはまります。黒蜥蜴を追う探偵・明智は、サド侯爵に対するルネと同じで、犯罪者という極端な場所にいる存在になんとか近づこうとします。近づこうとすればするほど、善悪や美醜の上下関係がなくなって、ルネのせりふで言えば、「兎を見れば愛らしいと仰言り、獅子を見れば怖ろしいと仰言る。御存知ないんです、嵐の夜には、かれらがどんなに血を流して愛し合ふかを」(※)。嵐の夜に兎と獅子が交わるわけです。
 『黒蜥蜴』では、三島が探求する精神上のテーマが、黒蜥蜴VS明智小五郎という少年漫画みたいにわかりやすい構図の中で語られているんです。

■黒蜥蜴と明智小五郎の対決
 ぼくが思うに、三島由紀夫は、戯曲を書く時、3つの敵と闘っていました。1つに西洋古典演劇、すなわちギリシア悲劇。2つに、西洋近代劇、すなわちチェーホフ(※)以降の演劇。そして最後に日本の古典劇です。何を書いても、西洋の古典劇、西洋の近代劇、日本の古典劇に負けてはいけない、と三正面の闘いを挑んでいる。こんな劇作家はほかにいません。
 三島は、つねに欧米の土俵で闘えるように作品を書いていました。それは欧米人が構築した論理性の土俵で闘うということ。外国語に翻訳されても、作品の論理性は通用します。しかし、三島は、そのことだけでよしとはしない。日本の古典劇にある情も意識しています。女賊・黒蜥蜴には、情の要素が反映されているのに対して、私立探偵・明智小五郎は、西洋の古典から近代にいたる論理性の象徴です。女賊と私立探偵の闘いは、単純に言うと、知性は情に勝てるのか、というテーマ。
 日本の古典劇は、一言で言えば、情の世界です。情と情緒を区別するとすれば、情は人のもの、情緒は自然のもの。情緒は、例えば季節感。「雪が降っている、私は哀しい」。雪の情緒と人の情をかけ合わせます。論理性だけでつくれば季節感など全くいらないはずですが、三島は、わざわざ情緒を盛り込んでいます。そして情。『熱帯樹』(1960年)では、そのことが露骨な形で出ている。フランスの新古典主義の形式で書いておきながら、最後の最後に、兄妹心中という日本の民話のような世界、まさに情緒と情の合体する世界を持ち出しています。論理とは別のところに魅力の源泉があると考えられているんですね。
 『熱帯樹』は、文学座のために書かれているので、ぎりぎりと突きつめられた作品です。『黒蜥蜴』は、言ってしまえば、もっとゆるい。女賊・黒蜥蜴が持っている情があり、演技上も様式性が想定されています。なにしろ初演は、新派(※)の女優・水谷八重子が演じました。新派は、女優が演じる芝居の中で、最も様式的です。明智役は、芥川比呂志(※)。小説家・芥川龍之介の家系ですから、近代的知性の極点です。新派の水谷と新劇(※)の芥川の対決は、三島の中にある日本的なものと西洋的なもののせめぎ合いを、自動的に戯曲へ取り入れる要因になったのでしょう。

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【後編へ続く】

2015年6月25日 静岡音楽館AOIにて
聞き手・構成:西川泰功

※註
・「きれいは汚い、汚いはきれい」:シェイクスピア作『マクベス』で、マクベスへ王になることを予言する3人の魔女のせりふによる。
・超伝導:ある種の金属を絶対零度(セ氏零下273度)に近づけるよう冷却すると、ある温度(臨界温度と呼ばれる)で急に電気抵抗が零になる現象。
・「兎を見れば愛らしいと仰言り~」:三島由紀夫作『サド侯爵夫人』第2幕終盤のルネのせりふより。
・チェーホフ:ロシアの劇作家・小説家。1860年生まれ、1904年没。四大戯曲『かもめ』『ワーニャ伯父さん』『三人姉妹』『桜の園』は演劇史上不朽の名作とされ、近代演劇の礎を築いた。
・新派:日本演劇のジャンルの一つ。1888年自由党の壮士・角藤定憲(すどうさだのり)らが大阪で旗揚げしたのを発端とする。新派という名称は、歌舞伎を便宜的に旧派と呼んで対比したジャーナリズムに起因する。
・芥川比呂志:俳優・演出家。1920年生まれ、1981年没。芥川龍之介の長男。劇団「麦の会」「文学座」「雲」「円」で活躍。特に『ハムレット』の主演で名高い。戦後を代表する俳優の一人。
・新劇:明治末期以降、西欧の近代演劇の影響下、歌舞伎や新派劇に対抗して生じた演劇運動。第一次・第二次大戦の間、反体制・左翼運動の色合いが濃厚になり、戦後は「民藝」「俳優座」「文学座」に代表される劇団の職業化により運動の側面は後退した。

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​1~2月 SPAC新作
『黒蜥蜴』
演出:宮城聰/原作:江戸川乱歩/作:三島由紀夫
音楽:棚川寛子/舞台美術:高田一郎/照明デザイン:沢田祐二
出演:SPAC
静岡芸術劇場
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