2014年4月30日

《まるふレポート4》 ピーター・ブルックのザ・タイトロープ(原題)

『ピーター・ブルックのザ・タイトロープ(原題)』 4月29日 鑑賞感想

 誰でも何かが始まった最初の数分は意味が分からずに唖然とする、という話からこの映画は始まりました。私はすぐにそれを体験しました。正直私には、演出家が最初何をしたいのかわからなかったのです。というのも、彼は俳優に、技術云々ではなくもっと抽象的なことを、稽古を通して語りかけていきました。演出家はヒントを示すだけ。それを拾うかどうかは相手次第。あくまで俳優にゆだねていく...というように私には見えました。(私がそのヒントをなかなか拾えなかったからそう見えてしまっただけかもしれませんが。)

 綱を渡るという一つの動きを表現するにも俳優それぞれ十人十色です。そして一人ひとりどこか足りない。それを感じ取ったピーター・ブルック氏がそれを指摘する。そしてそれを他の俳優たちもその一部始終をしっかりと見ている。稽古中の空気は重々しくて、でもすっきりとしていて静かだけれど何かがうごめいていて...なんだかドロドロしていました。

 この稽古風景をみて特に印象に残ったのは、俳優の雰囲気。俳優たちのブルック氏に対する絶対的な信頼というか、「この人の世界観を表現するぞ。」みたいなオーラが出ていたことです。でもやはりそれは一流の俳優さんにとっても簡単につかめるものでないようでなかなか苦戦していました。見ていた私も必死に字幕を読んで内容を頭に入れようと頑張っていました。ほかの俳優さんが指導を受けているときにもまるで自分が指導を受けているかのように真剣に耳を傾ける。そこで何かを吸収しようとしている。なんというか受け身なのだけど積極的なその姿勢を見習いたいと思いました。

 話の内容は、ところどころ納得できるところ共感できるところがあったのですが、正直今の私にはもったいなかったです。というのも、この話は高みにいる人、高みを目指す人のためのものであったと感じ、何となく私などが聞いてしまっていいのか、という申し訳ない気持ちにもなってしまいました。ただ同時に感じたことは、また観たい、ということです。今日私は演劇における「クオリティ」というものの片鱗を味わいました。一言で言ってしまえば本当の意味でこの作品を楽しみ尽くすには私には時期が早すぎた。私も自分のレベルを高めて真っ向からこの作品を受け止められるようになってからもう一度観たい..!きっと心を震わせるフレーズとか見えてくるものも違ってくると思います。演劇って厚みがありますね。

(まるふ2014執筆クルー 池野)


《まるふレポート3》 ジャン×Keitaの隊長退屈男

『ジャン×Keitaの隊長退屈男』 4月28日(月)観劇感想

 最初はこんなど素人の私の感想なんかを読んで、SPACの魅力を伝えるお役に立てるのだろうかと不安でしたが、制作部の熊倉さんの「観方は自由です」という言葉で安心しました。難しいことは言えませんが、私が観劇して感じたことをレポートさせていただきます。
 私は4月28日(月)の公演を観劇しました。会場は「楕円堂」。まず、ここまでの道がすごく好きです。なだらかに下っていく斜面、茶畑、くるくるまわる案内板、林を越えた先に、その劇場があります。「今から観劇をする」という高揚感も相俟って、この道が隠れ家につながる道のような、ちょっとした冒険に向かうような、そんな感じがしました。
 「楕円堂」はまさにその高揚感に拍車をかけるような、隠れ家のような劇場。地下につながる黒くて暗い階段を足下に注意しておりていくと、独特のしんとした静けさの空間がそこにあります。お客さんにぐるっと囲まれるように、劇場の真ん中には舞台。ここで三島景太さんは一人で芝居をするのだと思うと、逃げ場がなくて怖そうだなあと思いました。
 ちょっとでも身動きをすれば空間に響くような、劇場全体の集中力が高まった時に、三島さんが登場しました。本当に独特な世界観がそこにはあって、まるで夢を見ているような感じがしました。引き込まれるというか、飲み込まれるという感覚でした。イワタニ隊長の感情が表現に直結しているような舞台で、ぐるぐると変化する様子に目が離せない。イワタニイズミという人間の感情がダイレクトに流れ出ていて、正直怖い作品だと思いました。
 先日開かれたキックオフミーティングの時に、三島さんに「演技はたのしいですか?」という質問をしたところ、「苦しいです。」とからっと答えられました。私は虚をつかれたように感じました。しかし、生で演じている三島さんをみて、納得しました。誰かの感情を自分に落とし込むというのは難しいし苦しいだろうなあ、すごいなあと思いました。はじまってすぐに三島さんの顔には汗が滝のように流れていて、「苦しいです。」という意味が見て取れるものでした。
 音楽も素敵でした。イワタニ隊長の感情にあわせて、楽曲が変わります。随所で観客も一緒に手拍子をしたり踊ったりするところがあり、体感的にも面白かったです。劇中、「音楽が違う!」と言っているときがあったのですが、あれはアクシデントだったのか、演出だったのか、終演後の質問トークの時間で聞きそびれてしまいました。
 好きなシーンについてですが、私は酒を飲むシーンが幻想的で好きでした。台詞が何を言っているのかよく分からない所がありました。しかしそれがまた、この劇に飲み込まれた理由の1つのような気がします。その後の精神が崩落したようなイワタニ隊長も、迫力があって怖くて目が離せませんでした。
 演劇というのは演じる方も相当大変そうですが、観劇をする人もだいぶ疲れるのだと知りました。独特の世界観に飲み込まれて、脳みそと感情を目一杯働かせるからです。今まで使った事のない部分の脳と感性を働かせている気がしました。今日はぐっすり寝れそうです。
 三島さんは「演技はたのしいですか?」の質問に、「苦しいです。」と答えられました。「でも、演じきったあとの一瞬がいいんだよなあ。」と仰っていました。その一瞬は、観客も共有できるものでした。

(まるふ2014執筆クルー 三好)


《まるふレポート2》 よく生きる/死ぬためのちょっとしたレッスン

『よく生きる/死ぬためのちょっとしたレッスン』 4月28日(月)15:00開演の回 観劇感想

受付が終わるなり、私の大きな荷物は手を離れていきました。
体験型の演目、『よく生きる/死ぬためのちょっとしたレッスン』は手ぶらで受けるレッスンとのこと!
大事に抱えていた荷物がなくなって、自分ひとり。なんとなく拠り所のない不安な気持ちでレッスンの開始を待ちました。

よく生きるためのレッスンかよく死ぬためのレッスン、私たちは始まったその場でどちらか一つを選ばなければいけません。
実はこの演目を知ったときから、
“受けるなら、絶対「よく生きる」ほうのレッスンにしよう”と決めていました。
しっかり「よく生きるためのレッスン」を選んで、レッスンスタート。
五感の劇場、全ての器官を使って感じる演目との前評判を聞いていました。張り切って鼻づまりのないのを確認し、耳をすませにすませて真っ暗な中に投げ出され…私は泣いてしまいました。誰にも見えていなくてよかった、とは後の感想。その時は妙に静かな頭で、「暗いのが怖いのかな」と身も蓋もないことを考えていました。
雪崩のような視覚以外の感覚、目に頼っていた私には刺激が強すぎたようです。

全てのレッスンを終えて、重たい荷物を返してもらい、帰途についても頭がぼうっとしていました。
あまりの体験に実感を持って拾い集める暇もありませんでした。

ただ、今日のレッスンがいつか芽吹くときを楽しみに、芽を探しながら生きていこうと思います。

(まるふ2014執筆クルー 立野)


2014年4月29日

《まるふレポート1》 ファウスト 第一部

『ファウスト 第一部』 4月26日(土) 観劇感想

 この200分、私は何度ため息をついたのかわかりません。何にため息をついたのかも曖昧です。あの空間は何だったのでしょう?
 さて、劇場の客席は私が想像したよりも舞台に近いものでした。舞台を包むように配置された客席が、開演が近づき埋まるにつれて舞台の方に迫っていくように感じられるくらいには。
 ただ、私はこの吸い寄せられるような感覚の原因は劇場の広さの他にもあったのではないかと考えています。私の思うこの感覚の源のひとつは、私の(もしくは他の観客の)期待です。同じ空間に居る(しかしひとりひとりが別々の)人たちがこれから『ファウスト』を一斉に観ると考えるだけで、劇場の空間が何重にもずれたり重なったりしているような気分になりました。開演するやいなや、この不思議な空間の感覚はより形容しがたいものに変わっていきます。観客の側に舞台が食い込んできた!と思いました。あるいは、舞台の側に観客が食い込んでいったのでしょう。どこから劇が始まっていたのか、どこまで役者がこちらに話しかけてきていたのか…わからないままに私は『ファウスト』の中に身を置いていました。
 この不可解な吸引力は、徐々に舞台へ私を釘づけにしました。人物や場面、モノが何重にも重なっているイメージが私の中には残っています。舞台上に散らばるモノは、なぜそこにあるかわからないものも混ざっています。それだけ異質なのに、どこで増えているのか、どこでなくなっているのか、意識しないと気付けないのです。これは今考えても全く不思議でなりません…。
 最後に、劇の内容は、是非それぞれが直接劇場で観ていただけたらと思います。正直なところ、この観劇後の気持ちを口で説明して終わらせようとするにはあまりにもったいない作品です。よりたくさんの人が『ファウスト』という空間に引き込まれると良いなと思っております。

(まるふ2014執筆クルー 立野)


『タカセの夢』~劇場の外へ!~その2

4/23(水)、『タカセの夢』振付・演出のメルラン・ニヤカムさんが静岡大学でワークショップを行いました。
静岡大学ダンス部の皆さんを中心に、20名にご参加いただきました。

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まずはウォームアップ。
ニヤカムさんの歌声に合わせて身体と心をほぐします。

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『タカセの夢』で使用している音楽で踊ります。この振りも実際にスパカンファンが踊っているもの。
どんな場面でしょうか?気になる方は劇場で!

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最後に皆で記念撮影。「次は、劇場で会いましょう!」

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ふじのくに⇆せかい演劇祭2014
『タカセの夢』
@舞台芸術公園 屋内ホール「楕円堂」
5/3(土)15時15分開演
5/4(日)16地30分開演
5/5(月)18時00分開演

http://spac.or.jp/f14takases-dream.html

残席わずか!ご予約はお早めに!!


LESSON3「儀礼」/『よく生きる/死ぬためのちょっとしたレッスン』レポート

LESSON3「儀礼」

4日目。WS最終日です。5人の現地(日本の)出演者が決まります。
昨日来日した美術担当のガブリエッラが稽古場に来てくれて本番で行うシーンを見せてくれました。とても美しくて残酷なシーンでしたが、ネタバレになってしまうので書けません。残念。それは小道具が多く登場するシーンなのですが、1つ使いにくい小道具がありました。この小道具は使えないかも、と3人に伝えるととても驚いていました。文化の違いを強烈に感じたようです。

美しいシーンを見た後はみんなでシーンの創作です。「変身を感じる儀式的なシーン」というお題です。2グループに分かれてシーンを作り、感想や意見を述べ合う時間になったのですが、パティから「親密さはあったか?」と問いかけられました。

親密さってなんでしょう?

2人の説明を聞いて理解した俺の解釈なので、間違ってるかもしれませんが、こんな感じ。

儀礼は遊びから生まれる。混沌とした遊びから、ルールのあるゲームになり、一般化された儀式になる。
たとえば、鬼に触られると動けなくなるが、頭をなでられるとまた動けるようになるという鬼ごっこが生まれたとする。それが長い年月をかけて儀礼的なものになる。普段の生活の中に見えない鬼がいて、ツカ(憑か)れたり、ケガ(穢)された人はある場所にいき、いつもとは違う服をきて、ツカれたり、ケガされていない人に頭を小枝で軽く叩かれるとまた、普段の生活に戻ることができる・・・みたいな儀式に。
いまある様々な儀式や儀礼もそんな風に遊びから生まれたんじゃないかな。

儀式、儀礼は認識を共有することに役立ちます。20歳になって成人式にでることで大人になったって、みんなが知るわけです。
儀礼における1つ目の親密さは、社会との、他者との繋がり。2つ目は過去の記憶との親密さ。今いる社会を作ってきた先祖も同じような儀式をしていたわけだし、もっと古代の人も、それは遊びやゲームだったかもしれないけれども同じようなことをしていたわけです。儀式によって、過去を思い出すわけです。

・・・濃密な四日間でした。楽しかったー。そして、最後のインタビュー。

・稽古場の暗闇は全然怖くないんです。むしろ、安心する。寝室にいるときの闇のほうが怖い。幽霊がいるような気がして。(Q.他者の存在を感じることで安心や恐怖っていう感情が生まれるってことは、存在感みたいなものに良くも悪くも惹かれるってことなんじゃない?)考えたことないですけど、そうかもしれないですね。幽霊に出会ってしまったら、どうなるんだろう。そういえば、遠くで聞こえる枝のこすれる音とか好きなんですよ。(女性)

・心が閉じちゃうときがあります。頭で考えてしまうというか。もっと心を開かないと・・・。(Q.心を開いてどうしたいの?)えー?どうしたいんだろう。いままで孤独感みたいなものを感じてたから、それを解消したいのかな?(Q.心を開いたり、閉じたり、ということをコントロールしたいっていうのとは違うのかな?本当は孤独感って、嫌いじゃないんじゃない?)言われてみれば、嫌いじゃないですね。そう、開きたいときに開くことができて、閉じたいときは閉じたいんです。孤独感というより、うまく自分をコントロールできない無力さを感じてたのかもしれないです。(女性)

・感覚とか他人を意識するとか、そういう方法論が演劇にあることは知ってたけど、あまり興味がなかった。OWSに参加したが、正直、興味がわいたとはいえない。でも、気持ちが落ち込んでて、死んだようになっていたので四日間、ここにいれたこと、みんなと色々やったことで救われたような気がした。(女性)

『よく生きる/死ぬためのちょっとしたレッスン』は単にゲームを楽しみましょう、という参加型の公演ではなさそうです。五感を呼びおこし、自分の体にストーリーを生み出す。そして、それはちょっとしたルールによって、会場に来た人たちと共有できる。凝縮された体験に満ちた「経験型の公演」なのです。

レポートは終わり!いかがでしたか?雰囲気をお伝えできていればいいのですが。それでは!

Photo : Chiye NAMEGAI


『よく生きる/死ぬためのちょっとしたレッスン』レポート
LESSON1「耳を傾ける」
LESSON2「ゲーム」

『よく生きる/死ぬためのちょっとしたレッスン』公演の詳細はこちら


LESSON2「ゲーム」/『よく生きる/死ぬためのちょっとしたレッスン』レポート

LESSON2「ゲーム」

2日目。今日はWSのはじめから参加させてもらいました。
6時間の長丁場。42才になった俺の体力はもつのでしょうか。

沢山のゲームを6時間の中で体験したのですが、印象に残った2つほどを紹介します。

まず1つ目は、(勝手に)名づけて「真夜中の散歩」。
1人が目をつぶります。みんなは輪になり、まるで誰かにボールを受け渡すように、目をつぶった人の背中を押し、移動させます。目をつぶった人は押した人の意志(押された時の強さや方向、はたまた感情、動作まで)を感じ取り、次の場所に移動していきます。
実際に、押す人と押される人が手をつなぎ、2人で稽古場を走り回っているのを目撃しました。もちろん1人は目をつぶっているのです。
最終的に目をつぶった人は、最大で4人になりました。それぞれ押す人がついていたとはいえ、普通に考えたら危ない気もするけれども、一切、そんなことはなかったですね。不思議。

2つ目は「手探り」。
全員が目隠しをした状態で、回りの人の存在を意識するというゲームです。ルールは特になく、人のいる場所と人がいない場所の違いを感じます。人がいる場所を感知したら、触ることなくその人の感触を想像する。次に、実際、触れてみる。
「想像の感触」と、「実際に触れて確かめてみた感触」との最大の違いは温度。その温度によって、さまざまなことを思い出したという感想を述べている人がいましたね。

温度から蘇る記憶ですね。

最後のゲームの前に、2人が話してくれた記憶の話を簡単に紹介します。

2人は、記憶が感覚を呼び起こすスイッチなのだと言います。経験が感覚を作り、記憶する。そして、再びその経験と同じような経験をしたとき、記憶が蘇り、感覚を呼び起こす。
ガラスで手を切ってケガをしたときの痛みを、割れたガラス窓を見て思いだした、みたいなことってありませんか。そんなことを伝えたかったのかな、と。
感覚(感情)と記憶は密接に繋がっているのだと、二人はみんなに話してくれました。

WSの2日目終了後、参加者に感想を聞いてみました。みな、色々思うことがあるらしく、たくさん話をしてくれたのですが、かいつまんで紹介します。申し訳ない。

・感情を呼び起こすことで、自分の感情に閉じこもってしまう自分がいる。そんな状態でも心を開いていけるようにしたい。(男性)
・みんなを信頼している自分がいる。それは楽しいことなんだけども、仲間内だけで盛り上がってるみたいな状況にはしたくない。(女性)
・頭をからっぽにすることです。からっぽにして行動に移すので、エネルギーがわいてくるんだと思います。(男性)
・ゲームは初めてじゃない。昔はやる前に壁をつくってしまう自分がいたんだけど、結局、なにも考えずに楽しむのが一番なのよ。わからないからって、消極的になるのが一番ダメ。(女性)
・ルールが明確なゲームはルールを共有しているという状況を信頼できる。でも、何をしていいかわからないゲームは不安だし、恐怖。ただ、恐怖を感じている自分の五感はとても鋭くなっているということは確か。(女性)
・ゴールが見えない。もちろんゲームは興味深い。でも、人前でゲームをするとき、なにかしらの意図をもつことがわざとらしさに繋がらないか、と考えてしまう。(男性)

Photo : Chiye NAMEGAI


『よく生きる/死ぬためのちょっとしたレッスン』レポート
LESSON1「耳を傾ける」
LESSON3「儀礼」

『よく生きる/死ぬためのちょっとしたレッスン』公演の詳細はこちら


LESSON1「耳を傾ける」/『よく生きる/死ぬためのちょっとしたレッスン』レポート

こんにちは!SPAC制作部の谷口裕子です。
『よく生きる/死ぬためのちょっとしたレッスン』のブログ第2弾をお届けします。

4/15
テアトロ・デ・ロス・センティードス(五感の劇場)(以下TDLS)の俳優パトリツィアさんとジョバンナさんが静岡にやってきました。
この劇団による『よく生きる/死ぬためのちょっとしたレッスン』の公演は4/26〜29。
他の劇団員、そしてバロセロナから航空便で届く舞台道具よりも早く二人が静岡に来た理由、それは日本の現地参加俳優のオーディションを行うためです。

その様子をご紹介します。

オーディションといってもコーラスラインのような、審査員が机の前にいて、受験生は胸に番号を付けている、そのようなオーディションではありません。
二人によって行われるのは4日間に渡るワークショップ形式のものです。

4/16
オーディションワークショップ(以後WS)初日。会場は薄暗いです。
自己紹介はせずに、「何か説明するよりはじめましょう。」とパトリツィアさん。
講師の2人は常に落ち着いていて、ここで起こる事柄全てを見逃さないといった覚悟と、360度にしなやかな感覚があるように見えました。
今日はたぶん10種類以上のゲームを行いました。
鬼ごっこみたいなものから、せんだみつおゲームみたいなものも。
ゲームは1段階、2段階とパトリツィアさんの指示で少しずつルールが変更されていき、ルールが変更されると、そのゲームはより感覚的になっていきました。
だんだんと言葉を使わなくなり、エネルギーを循環させる行為になりました。

ゲームの後には必ず参加者全員で円になって語り合います。
みんな口々に感じたことを話します。
ゲームの中で出会ったものについてや、新たに気づいたことについて、聞いてほしい!という純粋な欲求が参加者から湧き出ていました。
あっという間に3時間が経過し、前半が終了しました。そこにSPACの俳優 牧山祐大がかけつけました。

***

LESSON1「耳を傾ける」

ども、牧山です。

1日目。『よく生きる/死ぬためのちょっとしたレッスン』のWSに、2時間ほど参加しました。
すでに3時間のWSを経た参加者たちの顔には程よい緊張感とちょっとした安堵感が漂っています。
WS自体の進行や、初めて顔を合わせた参加者たちにも慣れてきたのでしょうか。俺は全然、慣れてないんですけど。

このWS、名づけるならば「視線」と「探索」という2種類のゲームを参加者と一緒に体験したといえるんじゃないかな。
いつの間にか五感をフルに使っている自分がいます。進め方がうまい。

「耳を傾ける」というフレーズをパティ(パトリツィア)とジョバンナは強調します。
それは世界に耳を傾けるということ、そして自分の内側に耳を傾けるということ。

どうやら『よく生きる/死ぬためのちょっとしたレッスン』という公演は、ストーリーのあるテキスト(戯曲)を下敷きに、要所要所でゲームや、ゲームから派生した儀礼を行い、観客のみなさんもそれに参加するというもののようです。
数々のゲームを通じて、WS参加者たちには「五感が開かれる」という状態を経験してもらい、本番ではその記憶をお客さんに伝えることが仕事になる、と説明してくれました。

日本の俳優の印象を聞いたところ、「もっとシャイな人たちが多いんじゃないかと思っていたけれど、尻込みせずに、しかも協力的に参加してくれたわ」と驚いていました。「恥ずかしがりや」というのが世界からみた日本人のイメージなのですかね。かくいう俺も人見知りです。

そんなこんなでWSに参加して体験レポートを書くことになりました。

TDLSは各地で上演を重ねてきたが、その土地ごとに作品は全く違った印象になるといいます。
日本の観客たちによって作られる『よく生きる/死ぬためのちょっとしたレッスン』はどのような公演になるのでしょう。

Photo : Chiye NAMEGAI


LESSON2「ゲーム」
LESSON3「儀礼」


2014年4月24日

『タカセの夢』~劇場の外へ!~その1

20日(日)、静岡駅地下のマルチビジョン前で「ふじのくに⇄せかい演劇祭2014」のPRを行いました。

休日のため、遊びに行く様子の若者たちの姿も多く見られます。
…と思いきや、急に踊りだす集団が!?
そう!スパカンファンのパフォーマンスが始まりました!!

特別に『タカセの夢』のシーンを披露。
その場がパッと明るくなるような笑顔です。

振付・演出のニヤカムさん(中央)、振付アシスタント・木野彩子さん(左)も登場!
司会は、永井健二、牧山祐大が務めました。

みなさん、オツカレサマ~デ~シタ~♪
(ニヤカムさんは「お疲れ様でした」と流暢に挨拶してくださいます。「お疲れ様でした」の歌(?)もあるようで…)

(撮影:猪熊康夫)

ふじのくに⇆せかい演劇祭2014
『タカセの夢』
@舞台芸術公園 屋内ホール「楕円堂」
5/3(土)15時15分開演
5/4(日)16地30分開演
5/5(月)18時00分開演

http://spac.or.jp/f14takases-dream.html


2014年4月15日

まるふキャラクター名決定!&キックオフミーティング

「ふじのくに⇄せかい演劇祭2014」開幕までのこり2週間となった4月11日。
演劇祭にかかわる様々な方々にお集まりいただき、
キックオフミーティングを開催しました。
演劇祭はSPACのスタッフだけでは運営できないということ、
多くの方のご協力によってはじめて成り立つのだということを改めて実感した一日となりました。

この日の目玉は、
「ふじのくに⇄せかい演劇祭2014」公式キャラクターの名前発表!

2月23日から3月15日までのわずかな募集期間ながら、
1635点という多数のご応募をいただきました。
多数のご応募、誠にありがとうございました。

厳正なる審査の結果、キャラクター名は・・・
 
すぱっくん に決定いたしました。

「すぱっく」に「ん」を一文字加えただけというハンパではない単純さ!
まさに、シンプル イズ ベスト!
全応募のなかでも圧倒的な支持率を誇っておりました。

※審査員:
 甲賀雅章(「ふじのくに⇄せかい演劇祭2014」クリエイティブ・ディレクター)
 宮城聰(SPAC芸術総監督)

 
すぱっくんは、劇場や街中に出没しますので、
見かけたらぜひ声かけてあげてください!
 
 
☆キックオフミーティングの様子を写真で一挙公開☆
 
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SPAC芸術総監督の宮城聰(左)、すぱっくん(右)
 
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静岡県 文化・観光部 文化学術局 文化政策課 文化施設班の石垣伸博さん
 
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SPACの会法人賛助会員である堀池塗装の堀池龍二さん
 
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フェスティバルbarのドリンクコーナーを仕切る柚木康裕さん(オルタナティブスペース・スノドカフェ代表)

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フェスティバルbarでアート展示をする静岡クリエーター集団エエラボ代表の中安モモさん
 
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まるふクルーとして『よく生きる/死ぬためのちょっとしたレッスン』公演を支えてくれる庄司澤智美さん
 
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シアタークルーとして演劇祭の日々をカメラにおさめてくれる平尾正志さん
*ここに載せているほとんどの写真も平尾さんが撮ってくださいました*

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『よく生きる/死ぬためのちょっとしたレッスン』でご協力いただく常葉大学法学部法律学科准教授の柴由花さん

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『よく生きる/死ぬためのちょっとしたレッスン』でご協力いただく常葉大学セビジャーナス部のみなさん

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演劇祭期間中の激動の日々をレポートしてくれる執筆クルーの三好景子さん

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演劇祭のポスターやチラシのデザインを手がけてくださったアドクックの前田ミネオさん(左)と若林卓さん(右)

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「ふじのくに⇄せかい観光案内所」のみなさん

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4/26の開幕式で呈茶サービスをしてくれる草薙ツアーグループの前田美佐枝さん

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SPAC県民劇団「劇団静岡県史」の竹下哲也さん

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SPAC県民劇団「劇団MUSES」の松浦大樹さん
 
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演劇祭の関連企画として茶感を磨くちょっとしたレッスンツアーを企画した日本旅行の河野季代子さん

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静岡新聞記者の宮城徹さん

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スパカンファンOGの宮城嶋遥加さん
 
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司会を務めたSPAC芸術局長の成島洋子

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SPAC制作部の佐伯風土による「SPAC&演劇祭まるわかりレクチャー」

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みんなでパシャリ
 
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名前が決まって喜ぶすぱっくん


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