2015年4月25日

『メフィストと呼ばれた男』稽古場ブログ12 出演者インタビュー美加理


◆美加理(みかり)◆

登場人物紹介◆レベッカ
ユダヤ系のスター女優

Q. 美加理さんの演じるレベッカはどんな人物ですか。
 レベッカは、設定ではユダヤ人で、スター女優ということになっています。ナチスが第一党になったときに、自分が何に立脚して演劇をしているか、生きているのかということとを天秤にかけ、彼女は劇場を去るということを選びます。
 レベッカも他の登場人物と同じように、モデルとなる人がいます。エリザベート・ベルクナーさんというユダヤ人で、ドイツで活躍されていた女優さんです。(彼女は、イギリスに亡命し、ローレンス・オリビエとの共演映画『お気に召すまま』などで活躍されていて、ご自身の経験を元にした映画『イヴの総て』もあります。バーグナーさんがモデルの大女優マーゴ役を演じるのは、ベティ・デイビスさんです。)若い頃には少年や純真無垢な少女のような役を多くやっていらっしゃるようで、レベッカもこのお芝居の中では、そういうタイプの女優として描かれています。最初の劇中劇ではシェイクスピアの『ハムレット』で、主人公クルト演じるハムレットの母親ガートルードを演じますが、その後のシーンでは、『ロミオとジュリエット』のジュリエットや『ファウスト』のグレートヒェンのような純真無垢な役も演じています。
 ナチスの時代の話の中で、彼女一人がユダヤ人ということで、どう演じたらいいのか考え、いろいろ資料を読んでみたものの、それだけでこの人をとらえるのは、途中でやめました。この状況の中を生きた一人の女優をそれ以外のところで何かつかまえられたら、そこをもう少し膨らませていきたいと、作業をすすめてきました。
 亡命先での彼女の生活が描かれる後半では、レベッカのような女優が演じるには意外なチェーホフのある役を稽古しているシーンがあります。作者のトム・ラノワさんは、その台詞と彼女の状況に重なるものを見いだして、創作していると思うのですが、そこに出てくる台詞には、「そうだよね、そうですよね!」と私自身もすごく共感できるものがあります。その台詞の本当の意味は何だろうなとさらに深く考えながら、それをヒントにレベッカ像を探ってきました。彼女には自分の内面を吐露したり、他の登場人物への思いを表したりする言葉が少なくて、多くは劇中劇の芝居の台詞です。そういうところに難しさがありますが、居ずまいや、まとっている空気などで、お客さんが何か想像してくださるように演じられたらと思います。


【稽古風景より】


【稽古風景より:『ハムレット』のガートルードを演じるガートルード(右はハムレット演じるクルト・阿部一徳)】

Q. 作品の見どころを教えてください。
 この作品では、劇場の空間が普段はなかなか見られない仕方で構成されていて、ひとつの都市や街のジオラマように、劇場の全貌が見られるのが面白いと思います。ジオラマの上で、たとえば津波や台風や地震がどのようにやって来るのかを見るのと同じように、劇場という空間で、人々の生活を知らず知らずのうちに蝕んでいく何かが、どんな顔をしてどんなふうに忍び寄ってくるのか、その気配や空気を感じてもらえるのではないかと思います。そして、そこで起こっているものは、劇場という空間の中でありながらも、私たちの生活とシンクロするものとして、一瞬一瞬、体感してもらえるのではないかと思います。
それから今回の演技スタイルは、台詞はあくまでも論理優先で、言葉は淡々と素早く、エモーションを乗せずにしゃべるという方法をとっています。その上で、多方向に自分の感覚を開いて、沢山のものをキャッチし、お互いの関係性の中で、感情的なものを作っていくというスタイルです。そういうスタイルに挑戦しているのも、楽しみにしていただけたらと思います。必然的に劇中劇以外の日常のやりとりの台詞は、比較的小声で行われます。音響さんが高度なサウンドデザインを駆使してくださっていますが、聞き耳をたてなくてはならないくらい聞きづらい部分も、演出であえてつくってありますので、是非耳の掃除をしていらしてください。2幕になるとまた怒涛のようにそういうシーンがあります。耳かきを持ってきて、もし前半でよく聞こえないなと思ったら、耳の掃除をしてください(笑)


【稽古風景より】

==================================
SPAC新作『メフィストと呼ばれた男』
4/24(金)・4/25(土)・4/26(日)
静岡芸術劇場
http://spac.or.jp/15_mefisto-for-ever.html
==================================


2015年4月24日

『メフィストと呼ばれた男』稽古場ブログ11 出演者インタビュー鈴木麻里


◆鈴木麻里(すずき・まり)◆

登場人物紹介◆リナ・リンデンホフ
女優で、ナチスの文化大臣・巨漢の愛人。

Q. 鈴木麻里さんの演じるリナ・リンデンホフはどんな人物ですか。
エミー・ゾンネマンさんという、ヘルマン・ゲーリングの愛人で、実在した女優がモデルになっています。エミーさんはチョコレート工場主のお嬢さんで、演劇学校は特待生として入学し、ワーマール州立劇場で長いこと主演女優を務めていたそうです。裕福な家で育ち、華々しいキャリアを持っていた人です。
リナはエミーさんよりも、もっと庶民的な育ちで、舞台ではこれまであまり大きな舞台や役に恵まれてこなかった女優、という設定になっています。そのぶん、ゲーリングの力で国立劇場に潜り込むときには、演じることへの欲望や不安で風船みたいにぱんぱんなのかも知れません。

Q. 文化大臣の愛人ということで、クルトが率いる国立劇場のメンバーに加わりますが、演技はあまり上手くないという、設定ですよね。
 あんまり経験はない状態で、あこがれていた国立劇場の舞台に出られるという、チャンスが降ってくる。一生できないと思っていたような役をやらせてもらえるけれど、共演者が自分の演技には返しにくそうだなということは明らかに分かっている。けれどもその役をどうしてもやりたいという葛藤はある。だって女優だから。
 リナはそもそも、舞台で演じることがものすごく怖い。だからすごく声を張り上げて、ポーズを決めないと、そこにいられない。自動的にそうなってしまう。それが思いっきりやっているとか、堂々としているとか、空気を読んでいないとか、人からは見えるんだと思います。だから、程よいリアクションがとれない100か0かの状態で、微妙な表現が出来ないんだと思います。心はチワワ、見た目はライオンみたいな状態です(笑)だから、演じているまさにその時に、いきなり誰かに「ヘタクソ」と言われたら、そのとたんに消滅してしまいそうな感じもあります。クルトのナチスについての台詞に「奴らの根拠のない自信の裏にあるのは、失敗への不安だ」というのがあるんですけれども、演じているリナはまさにそういう状態で、脆いものを抱えていると思います。
 リナは普段は気が利いて空気も読めるから、空軍大臣のような人にも気に入られて愛人になることができました。私自身は、ふだん生きていて、本当に空気が読めない人間なので、一番大変なのは、よく気が利くふだんのリナを演じることです。(笑)


【稽古風景より:左よりリナ・鈴木麻里、巨漢・吉植荘一郎、クルト・阿部一徳】


【稽古風景より:『ハムレット』のガートルードを演じるリナ】

Q. 作品の中で好きなシーンはありますか。
 好きなシーンはラストシーンです。毎回いろいろなことを想像させられるシーンです。台詞を聞いていると、ナチス政権下の、この劇場のこの俳優の具体的な物語でありながらも、全然違う古代や未来のことまで同時に想像させられます。主人公のクルト・ケプラーは演技の天才です。いま、たまたまこの時はこの人の体の中に入っていたけれども、才能というものは一人の生涯の内にはおさまりきらない何かで、それは世界の中で、ずうっと流れている川の流れの様なものとしてあるのではないかと感じさせます。
クルト役の阿部さんがSPACのレパートリーで演じられた別の役のこともたくさん思い浮かびます。『マハーバーラタ〜ナラ王の冒険〜』の語り部であるヴィヤーサとか、『病は気から』の座長さん、『サーカス物語』のジョジョ、『忠臣蔵』の武士Cなど、数えきれません。クルトの生まれ変わりみたいだなあと思います。

作品の中で一番好きな台詞があって、「演劇?」っていうのと「ありがとう」です。どちらもこのラストシーンでクルトが言う台詞です。冒頭から3時間汗かいてひーふー言いながら“演劇”を上演してきた末に口からこぼれる「演劇?」っていう一言。それと、「ありがとう」。どちらも稽古である日、生まれてはじめて聞いた言葉みたいな感じがして、びっくりしました。ああ人って人生めちゃくちゃ苦労してぼろぼろになってゴールテープ切るまでに、「ありがとう」っていう言葉の本当の意味を知ることができたら万々歳なのかな、一生ってそういうものなのかなって、なぜか思いました。
そういう不思議なポケットのような場面が最後に待っている作品だと思います。


【稽古風景より】

==================================
SPAC新作『メフィストと呼ばれた男』
4/24(金)・4/25(土)・4/26(日)
静岡芸術劇場
http://spac.or.jp/15_mefisto-for-ever.html
==================================


2015年4月23日

『メフィストと呼ばれた男』稽古場ブログ10 出演者インタビュー大高浩一


◆大高浩一(おおたか・こういち)◆

登場人物紹介◆宣伝大臣
ナチスの宣伝大臣として劇場を訪れる。

Q. 大高さんの演じる宣伝大臣はどんな人物ですか。
  宣伝大臣、原型となった人物はあのヨーゼフ・ゲッベルスです。劇中では分かりやすい敵役として登場し劇場を弾圧してゆく立場の人です。史実での所業を考えれば人知を超えた『悪』であるとしか言いようがないですが、劇中にあえてこの悪人の中に美徳のようなものが読み取れるとすれば、ノーブレスオブリージュというものを理解していたように思えるところかもしれません。
 プロバガンダの才能があったかれは、恐らく、愚民を扇動したのではなく、逆にドイツ民族の偉大さを信じ、大戦はそれにふさわしい誇りを取り戻す為の聖戦であったかもしれません。嘘で騙すのではなく、偉大で優秀な民族であるならば自分の言葉は必ず届くはずだという信頼に支えられていたのではないでしょうか。有名な総力戦演説の場面は私利私欲のない発言でないと成立しないように描かれているようにも思います。
 冷徹で傲慢な人物だとは思います。暴力の発動に何の躊躇もない凶暴さもあるでしょう。ただ、自分の考えを理解しない者に対し、それは相手がバカなのではなく、自分のプロバガンダの手法がまだ相手に届いていないのだと考えるような、妙な謙虚さも持ち合わせていたように感じます。
 頭は良い人だと思いますが『シェイクスピアは時代遅れだ!』とか深すぎて意味不明なスローガンを口にしたり、これはガチなのかボケなのか演じる上で迷う部分もありますが、人物に全く共感できないものの、最近それなりに好きになりかけています。ただ実際の場面ではショッカーの幹部がリアルな芝居に登場するようなものなので、正直、大丈夫かこれ?


【稽古風景より】

Q. 読者のみなさんへ、メッセージをお願いします。
 それなりに深刻なメッセージの込められた作品ではありますが、言うても演劇と言う娯楽ですので、俳優一人ひとりの魅力を楽しんでいただけたらいいと思います。ピュアな人物しか出てこないのがこの作品の美しいところであり怖いところでもあると思いますので。ファシズムについて考えるとかは、まあ、テーマとしてはあるんですがそれはこっちでこっそりやりますので。
通常の倍の上演時間ですが、敢えて言う、半額であると!

HI8_4280-400x600
【稽古風景より】

==================================
SPAC新作『メフィストと呼ばれた男』
4/24(金)・4/25(土)・4/26(日)
静岡芸術劇場
http://spac.or.jp/15_mefisto-for-ever.html
==================================


『メフィストと呼ばれた男』稽古場ブログ9 出演者インタビュー渡辺敬彦

出演者インタビュー、今回は俳優ヴィクターを演じる渡辺敬彦です。


◆渡辺敬彦(わたなべ・たかひこ)◆

登場人物紹介◆ヴィクター
40年以上のキャリアを持つ俳優・演出家。左翼活動家としても有名。主人公クルトが国立劇場の芸術監督になる前にその任を務める

Q. 渡辺さんの演じるヴィクターはどんな人物ですか。
 私が演じるヴィクターは、舞台となる劇場の芸術総監督だった俳優です。ナチが第一党になると、ナチスはヴィクターの後輩の俳優クルトを利用しようと彼を芸術総監督にし、ヴィクターはその地位を失います。ヴィクターは共産党員でばりばりの活動家でもあったので、ナチスはそれが気に入らなかったというわけです。俳優として劇場には残るのですが、その後も続けた政治的活動により、ナチスに長年拘束されることになります。ヴィクターは芸術や演劇よりも、政治活動に重きをおいた人物と言えるかもしれません。


【稽古風景より】


【稽古風景より:左はクルトを演じる阿部一徳】

Q. ヴィクターとクルトの2人を比較すると、同じ俳優・演出家でも、それぞれがやりたかったことはかなり違ったという印象を受けますが…
 ヴィクターも演じたり、役者として舞台に出たりするのがまずは好きだった。演劇に限らず、芸術というのは、まずは自分のために始める。そして演劇であれば、お客さんがお金を払って劇場に来て、生身の自分が演じるのを観て、笑ったり泣いたりしてくれることに喜びを感じる。そのうちに、自分のために始めた活動が、お客さんのためとか、誰かのためとか、人を幸せにするためとか、世界を平和にするためとか、そういう気持ちで支えられるようになる。そして更には、自分の芸術を通して何かメッセージを伝えていきたいと、だんだん気持ちが変わってくると思うんです。そうすると、お客さんが求めることに応えようと媚を売り、自分の本来やりたいことよりも、誰かの求めるものを満たすことを優先して作品を作るようなことにもなる。いつまでもオレはこれがやりたいんだと自分のやりたいことだけを求め続けるのは、独りよがりになりかねない。問題は、バランスだと思うんです。
 ある時からヴィクターは人々の関心を政治に向けるようにと政治的活動を始め、自分の仕事である演劇でもそれを目指していくようになった。ヴィクターはどんどんそちらの方向に進むことで、バランスを失ってしまった人なのではないかなと思います。
 演劇でも映画でも芝居でも、登場人物はそのひとつの作品の中で何らか変化を見せます。そういう観点からみると、主人公のクルトは、実はこの作品の中で、唯一最初から最後まで、その軸が変わらなかった人かもしれないと思います。クラウス・マンが書いた原作『メフィスト』の副題には「出世物語」とあるので、彼は出世のために自分を変えてナチスに迎合していったとも見える。社会の状況が変わったのであれば、それにあわせて自分たちの演劇も変えていかなくてはいけないと、政治的な方向に転換したヴィクターにしてみれば、クルトの選択はナチスへの迎合にしかみえません。けれどもクルトは、実は、状況にあわせて自分をかえずに、昔と同じように自分がやりたい芸術として演劇を続けることを選んだ。そのことがヴィクターには、クルトは変わってしまったと映るのかもしれません。


【稽古風景より:『桜の園』でガーエフを演じるヴィクター演じる渡辺】

==================================
SPAC新作『メフィストと呼ばれた男』
4/24(金)・4/25(土)・4/26(日)
静岡芸術劇場
http://spac.or.jp/15_mefisto-for-ever.html
==================================

4/10演劇祭開幕直前 『メフィストと呼ばれた男』関連シンポジウム
【抵抗と服従の狭間で―「政治の季節」の演劇―】の動画を公開しました!
http://spac.or.jp/15_symposium.html
==================================


『メフィストと呼ばれた男』稽古場ブログ8 出演者インタビュー山本実幸

出演者インタビュー、今回は女優アンゲラを演じる山本実幸です。


◆山本実幸(やまもと・みゆき)◆

登場人物紹介◆アンゲラ
若い女優。

Q. 山本さんの演じるアンゲラはどんな人物ですか。
 劇団の中で一番若い女優。お芝居がすごく好き。俳優として天才的なクルトに役者としても惹かれるし、一人の女の子としてもすごく惹かれていく。政治のこととかは気にはなるけれども、あんまり詳しくない。まだ本当に大人になりかけの女の子という感じです。
だからナチスが政権を取ったことを、「やばいな」とは思うけれども、ヴィクターのように共産党員でもないし、ニクラスのようにナチス党員でもないので、彼らのような激しく反応はしない。でも街で暴動が起こったり、ユダヤ人が迫害されたりするのを見て、単純にそれは人として良くないことだと考えている。


【稽古風景より(『ハムレット』のオフィーリアを稽古するアンゲラ・山本)】


【稽古風景より(左はハムレットを演じるクルト・阿部一徳)】

Q. 1幕は1932年、2幕になると、その13年後の1945年ですが、そうなるとアンゲラはまたかなり変わってくるのではないでしょうか。
 13年経つと、1幕に出て来た女優ニコルと同じ30代になっている。アンゲラは実はお嬢様だったんですけれども、亡命することで、ご飯が満足に食べられないとか、着るものにも不自由して、おしゃれとかも出来ないという経験をし、大人になっていったのかなと思います。前半1幕のアンゲラは、まだ大人になりかけているところ。2幕では、一人の大人の女性になり、今は自分で何もかも判断できて、自分の意志もちゃんと持っている、強い女性になっているんじゃないかなと思っています。彼女の変化していく様子が上手く見せられたらいいなと思っています。
 アンゲラは、何にも考えていないようで、実はけっこう人には流されないというところがあります。本人は無自覚かもしれないけれども、自分が一番大切なものに素直に生きているのではないかと思います。結局決めるところは、ちゃんと自分の意志で決めている。


【2幕の稽古風景より(左は大女優レベッカを演じる美加理)】

Q. 今回稽古していて難しいところは、どんなどころですか。
この作品は、お客さんが俳優たちを覗き込むという演出でつくられているので、俳優はお客さんに全部を見せるような演技はしてはいません。だから、大げさな表現は一切ないけれども、それでも見ていられる身体でいられることに、みんな挑んでいます。ここまでやってしまうと過剰な「表現」になってしまう、でもこれだとお客さんには何も伝わらない棒読みになってしまう…という感じで、いわゆる「表現」と、お客さんに私たちの日常と地続きと思ってもらえる「リアリズム」の間で、じりじりと綱渡りしています。お客さんに何かを見せつけてはいけない。けれども、お客さんが何かを感じてくれる、そこまでの何かは、きちんと届けないといけない。そこが難しいところです。

Q. 最後に読者のみなさんにメッセージをお願いします。
 登場人物の全員が、誰一人として同じ道を進んではいかないし、同じ決断をしていない。観ているお客さんも、自分はこの登場人物と共通点があるかな、これが自分かもしれないって思ってもらえると思います。そしてそれぞれの人がどのような結末を迎えるのか。たぶん、どの決断も正しいし、どの決断も間違っているのかもしれない。今を行きている人たちにも、リアルに感じてもらえる部分があると思います。

==================================
SPAC新作『メフィストと呼ばれた男』
4/24(金)・4/25(土)・4/26(日)
静岡芸術劇場
http://spac.or.jp/15_mefisto-for-ever.html
==================================

4/10演劇祭開幕直前 『メフィストと呼ばれた男』関連シンポジウム
【抵抗と服従の狭間で―「政治の季節」の演劇―】の動画を公開しました!
http://spac.or.jp/15_symposium.html
==================================


シンポジウム:抵抗と服従の狭間で―「政治の季節」の演劇―

4/10に行われましたシンポジウムの要約版です。
ぜひご一読ください!
☆連続シンポジウム、詳細はこちら

=============================================

オルタナティブ演劇大学
抵抗と服従の狭間で―「政治の季節」の演劇―

◎登壇者
片山杜秀(近代思想史研究者)
高田里惠子(ドイツ文学研究者)
大澤真幸(社会学者/SPAC文芸部)
横山義志(西洋演技理論史研究者/SPAC文芸部)
◎司会
大岡淳(演出家・劇作家・批評家/SPAC文芸部)

 2015年4月10日、ふじのくにせかい演劇祭2015を目前に控え、シンポジウムが開催された。演劇祭期間中の連続企画「オルタナティブ演劇大学」の一環である。SPAC芸術総監督・宮城聰の最新演出作『メフィストと呼ばれた男』を中心に、「政治の季節」という切り口から議論を深める試みだ。そこで交わされた議論のいったんを紹介する。

■大衆に解放する運動
横山 トム・ラノワ作『メフィストと呼ばれた男』は、ドイツのナチス政権下で国立劇場の芸術監督になった俳優グスタフ・グリュントゲンスを描いています。もともとナチスに近い人ではありませんでした。1920年代には共産党のシンパで、反ナチス的な活動をしていました。メフィストはゲーテ作『ファウスト』に出てくる悪魔ですが、彼はメフィスト役を演じるので有名な俳優でした。彼の人気を利用しようとしたナチスが、政権を担った時に、グリュントゲンスに声をかけて国立劇場の芸術監督を任せます。彼は悩むんですけれども、引き受けて、「劇場を利用して仲間たちを守ろう」「内側から抵抗をしよう」と考えました。けれども、徐々に体制の流れに巻き込まれていきます。原作はクラウス・マン作の小説『メフィスト』。ナチス政権ができると、マンは政府に目をつけられて、亡命し、1936年に『メフィスト』を書きました。まだナチス政権が存在した頃に書いている。ドイツではスキャンダラスな受け取り方をされた作品です。グリュントゲンスは戦後も活躍しています。はたから見ると、世渡りがうまい俳優のようにも見えます。共産主義が盛り上がればそっちについて、ナチスが盛り上がればそっちにつく。戦後、なぜ生き延びたかと言うと、戦時中に、共産主義の活動で捕まっていた仲間の俳優を助けたという功績があり、戦後、ソビエト軍に捕まったところを解放されたからです。戦後も劇場の芸術監督を歴任し、演劇界で大事な地位を維持したまま一生を終えています。今回の演劇祭のテーマは「オルタナティブ」ですが、グリュントゲンスの生き方を見ていくとおもしろいのは、ナチス政権ができる時期において、共産主義もナチス国家社会主義も両方とも「オルタナティブ」なんですね。ある種、反体制的なことをやっている。その中からナチスが政権を握る状況ができます。両方とも民衆的な表現を提唱したとも言えます。芸術家にとって共産主義もナチスも「オルタナティブ」な選択だったという危うさがあると思います。
大岡 共産主義やファシズムが新しい社会をつくろうという運動だったことはわかるのですが、民衆的な表現というのは、具体的にどういうことですか?
横山 『メフィストと呼ばれた男』の中でも、例えば、主人公のクルトが芸術監督になった時、俳優はナチスに対していいイメージを持っていません。「ナチスに芸術なんてわからないだろう」と思っていたのが、ナチスは芸術の予算を増やします。より民衆的な表現をしてほしいというようなことが提唱されるんです。国民のために、民衆のために…「国民」や「民衆」ってすごく曖昧な言葉ですけど、そう言われると断りにくい。芸術家は何かしら人の役に立とうと思っているところがあると思います。人のためになることは断りにくいわけです。
大岡 共産主義もファシズムも「一部の人が世の中を支配しているのはよくないことだ。だから、皆のものとして解放しよう」という考え方が前提にあるということですね。芸術も同じで、一部のディレッタント、エリート、芸術オタク、余裕のあるブルジョワに独占させておくのではなく、解放しようという一面を含んでいたことが、「民衆的」とおっしゃった意味かと思います。

■フォルクとしてのグリュントゲンス
高田 ナチスと民衆が問題になりましたのでつけ加えますと、皆さんがよくご存じのフォルクスワーゲン(Volkswagen)。これは民衆車、大衆車という意味です。フォルクスエンプフェンガー(Volksempfänger)は民衆ラジオ。当時、車とラジオを持っているのは特権的だったわけですが、これを大衆にも行き渡らせるというのが、ナチスの方策でした。フォルクスアウスガーベ(Volksausgabe)という民衆版、廉価版の本もありました。同じように、劇場もブルジョワのための演劇ではなく、フォルク(Volk)のために解放していくというのが、『メフィストと呼ばれた男』を読んでも、主人公の考えのように思います。グリュントゲンスもブルジョワ階級の出身とは言えない。デュッセルドルフの労働者階級の出身、というか、正確に言うと、家が没落してしまって裕福ではなかった。早くに役者稼業で両親を養わなければならなかった。芸術監督になる時にそのあたりで心が動いたかもしれない。マンの家は真正のブルジョワですよ。グリュントゲンスは、クラウス・マンのお姉さんエリカ・マンと結婚するんですが、そんなお嬢さんと結婚するのが悪いという気もするんですけれども…。クラウス・マンは、結局のところ、グリュントゲンスを真には理解していなかったんじゃないかと感じます。主人公クルトの母親ははっきり労働者階級だと言っていますね。フォルクは、民族、大衆、国民といろいろに訳せますが、クルトには大きな意味があったのではないか。ナチスはフォルクというものを売りにしたんですけど。
大岡 ブルジョワの作家であるクラウス・マンが、フォルクとしてのグリュントゲンスを理解していなかったのではという御指摘ですが、どういうところでそうお感じになりましたか?
高田 グリュントゲンスはもっといい加減なところがあるんです。そこが魅力的なんですけれども、マンの『メフィスト』にはいい加減さの魅力が出てないなと思います。グリュントゲンスがエリカ・マンと結婚してすぐ別れる。クラウス・マンが劇作家ヴェーデキントの娘と婚約して結局別れます。グリュントゲンスもクラウス・マンもホモセクシャルなんですね。グリュントゲンスは当時としては珍しくホモセクシャルを堂々と公言していました。でも『メフィスト』では、グリュントゲンスにとって決定的な意味を持つはずのホモセクシャルということは書かれていない。グリュントゲンスはゲーリング(ナチス党の幹部。突撃隊を組織しプロイセン首相を務めるなど、一時はヒトラーの後継者に指名された)にも隠さなかったようです。1934年の「長いナイフの夜」(ナチスによる突撃隊などへの粛清事件。標的には同性愛者も含まれた)の時に、さすがに真っ青になって、ゲーリングのところに行って、「大丈夫か?」と聞いたというエピソードがあるらしいです。グリュントゲンスのほうがブルジョワ的なモラルに縛られていないと感じるんですね。われわれ日本人は、ブルジョワ的道徳と言われても、あまりピンと来ないんですけど、この劇の中でも階級が大きな意味を持っていると思います。
大岡 実像としてのグリュントゲンスはいわば労働者階級の一人であり、フォルクの一人であり、よくも悪くもいい加減で、プライバシーについても明け透けにものが言える男であって、ゲーリングのような権力者に対しても胸襟を開いてお付き合いをしていたかもしれないと。気取っていない男だったんじゃないかということですね。
高田 あくまで私の想像なんですけどね。だからこそ半分危ない橋を渡りつつ、旧共産党の人たちを助けたりもするわけです。人間として魅力的なものがあったんじゃないかと思います、少なくともクラウス・マンより。それとも、私がメフィストの演技に魅了されているだけなのかな。

■人類最大の悪に関わる
大澤 人類がやってきたことの中で一番悪いことと言えば、ナチスのユダヤ人に対する大粛清だと思うんです。過去にこれ以上に悪いことはしなかったのではないかと思うくらい悪いことです。ぼくたちは歴史の結果を知っているので、なぜこんなことをやるんだ、自分だったらやらない、と思っちゃうんですけれども、実際に起きた出来事で、そこに人が巻き込まれていくわけですね。グリュントゲンスが魅力的な人なのかどうかはわかりませんが、結果的にはこれに加担しています。歴史の中で、人が、絶対にありえないほどの悪に、どういうふうに関わってしまうのか。そのひとつの解釈が芝居の中で示されます。皆さんには、それをよく見てもらいたいと思います。グリュントゲンスは「すごいことになるぞ」と思って関わっているわけではないです。ユダヤ人が何百万人も殺されるとわかっていて決断するわけではない。でも歴史の判断としては、わずかながら、人類史上最大の悪に関わったことになるんです。
大岡 高田さんは『文学部をめぐる病い』という著書をお出しになっています。ここで書かれているのは、ナチスが台頭した頃に日本の文学者たちが何をしていたかということです。高橋健二というドイツ文学者がいます。私もヘルマン・ヘッセを高橋訳で読んでいて、リベラル文化の担い手というイメージしかなかったのですが、この人が大政翼賛会の2代目文化部長でした。初代は劇作家の岸田國士です。この本に出てくるドイツ文学者たちはエリートのくせに、「学者は所詮、文学をわかっていないんだよね」と言いたがる。そのことがなぜ戦争責任問題とつながっているか。客観的に見れば、戦争に協力していた彼らが、心の中では「俺はよくないと思っていたんだよね」と当事者性を回避してしまうわけです。曖昧な留保をして、当事者として責任はとらないというパーソナリティが透けて見えます。グリュントゲンスと違って彼らは生粋のエリートですが、いい加減さという意味では通じているところがあります。
高田 岸田國士が大政翼賛会の文化部長になったのは、内側から抵抗しようと考えたからです。まさにグリュントゲンスみたいに。でもこれ、全部後づけの理屈なんです。全てが終わってから、実は内面は違ったんだと言うわけです。岸田も高橋も公職追放になります。高橋は岸田をだしにしながら、自分も内部から抵抗しようとしたと言います。何もしないで放置するのではなく、何かをしようとしたと、人の話に託して言うんです。ドイツ文学だと、ハンス・カロッサ(ナチス政権下のアカデミー会員に選ばれるが拒否した)、エーリッヒ・ケストナー(ナチスの弾圧で出版活動を禁止された)。彼らはドイツに残ったが、内的亡命をした。心の中で亡命していたんだと。客観的に目に見える行動と心の中は実は違うなんて、しょっちゅうありますよね。ナチスみたいな大それたものが出てきた時に、それが目立つだけです。例えば、私自身の例です。学校教育法の改正がありました。あと10年も経たない内に、大変なことをやっちゃったなという事態になりますよ、きっと。ところが、私、今、私立大学の執行部にいて、この教育法に合わせて色々と変えなければいけない。心の中で思っているんです。困ったな、馬鹿げてるなと。でも、立場上、やらなくてはいけない。心と行動の違い。『文学部をめぐる病い』でも引用したんですが、哲学者ペーター・スローターダイクの『シニカル理性批判』という本があります。その中でファシズムを支える心理として、二重スパイの心理が説明されている。ナチスを支えるのは本当に心からナチスを信じている人ではない。二重スパイみたいな人なんだと。三重四重にもスパイみたいになって、一体、自分が何に加担しているのか、どこに加担しているのか、わからなくなってしまう。グリュントゲンスも、うまく二重スパイ的なことをやろうと思ったんだと思います。それがまさにファシズムを支えるシニカルな心のありようです。
大澤 ぼくの造語に「アイロニカルな没入」があります。これはシニカルなコミットメントと同じ意味です。「アイロニカルな没入」は、「俺は本気じゃなかったけど、こっちのほうが得だし、都合がいいからやった」と言ってコミットすることです。この時に、人は、本気じゃないというところを重視したがります。しかし違う。本気じゃなかったかどうかなんてどうでもいい。何をしたかが問題です。ナチスが何百万人もユダヤ人を殺した後に、「本気じゃなかった」なんて言ってもしょうがないわけです。でもね、考えてみれば、世間ってそういうふうに動いているんですよ。「ぼくはそう思わないけど、世間が許さないよそんなことは」とか言うでしょう。全員がそう言うんですよ。一人も世間様なんていない。「俺はそうじゃないけど、世間がさ」と言う人によって、世間はつくられています。まさに「アイロニカルな没入」。だからアイロニーの意識を持っているから免罪されると考えてはいけないと思うんです。問題は、没入にある。

■創作意欲の矛先はどこに?
片山 日本のことで考えると、岸田國士、難しいと思うんです。岸田は近代的な相対主義者で、世の中に常なる正解というのはないので、その場その場の状況に対して最大限理性的に考え続けなければいけないという立場でしょう。戦後の丸山真男(戦時体制の日本批判で有名になり、戦後民主主義の精神的支柱となった政治学者)だって結局そういうことを言ったと思うのですけれど。教条的に何かが正しいとは絶対思わないタイプの人間です。その跡継ぎは福田恒存(評論家、劇作家。劇団雲を結成し、シェイクスピアの翻訳でも知られる)だと思います。福田恒存は保守で右寄りと皆思っていますが、右でも左でも、「あなたが思っていることは本当なんですか?」とふっかけていく人でした。岸田と福田の戯曲を読めばわかるように、皆が道化みたいになって、無限に言葉を投げ合って、虚しい、みたいな感じです。物事に正解はないにしても、その時その時でいじっていけば少しは理性化するはずだという態度なんです。これをアイロニカルと言ってもいいし、私もほとんど同意はしているんですけど、でもそう言ってしまうとおしまいかなとも思います。岸田は岸田なりに本気だったと思うんです。自分が大政翼賛会の文化部長になっていれば、いつまで戦争が続くかわからない日本の現実に対して何かできると、ある程度、1%か10%か50%か、思っていて、その%がその日その日で変わって、最後は嫌になっちゃったんだと思うんですけどね。大政翼賛会のイメージは、全体主義的なものに付和雷同していったというのが、一般的な常識になっているかもしれませんが、日本の近代史に深入りしている方は必ずしもそう思っていない。政党が普通選挙法のもとでたくさん票をとろうと思ったんだけど、大恐慌時代で政策がうまくいかず、言えば言うほど、デタラメばかり言っていると批判され、テロ事件なんかで政治家がどんどん殺されていって、政党政治が失墜していく。残ったのは内閣と官僚と軍部であって、政党に結集されるべき国民の意志が政治に反映されにくくなった。議会の空洞化が起きた。そこで力を失った政党がいがみ合っても何もできないから、一つの党にまとめようと、近衛文麿が大政翼賛会をつくった。日本の国家機構は縦割りだから、一党独裁になんてなりようがない。政党の力をまとめることによって、軍部や内閣に対抗できるような力をつけていくというのが、大政翼賛会の当初の理念だったはずです。そこに議会の枠を越えた国民運動を広く行うセクションとして文化部もできて、岸田國士、高橋健二が関わるわけですね。当時はいつ戦争が終わるかなんてわからないわけでしょう。下手すれば一生かもしれない。1941年の途中まで、「日本は、日中戦争はしていても、第2次世界大戦に参加しないで、ドイツが勝ってイギリスやオランダが負けて、アジアにおけるヨーロッパの植民地は日本のものになって、そこで国力を培養しながら、アメリカとの戦争を先延ばしにしつつ、対抗してゆける。大日本帝国は安泰だ」とか、多くの日本人は信じていたわけだから。果てしなく続いていくかもしれない戦争の途上で、今は「冬の時代」だから我慢しましょうと言っても、余裕のある人は我慢できるかもしれないけど、(治安維持法違反容疑で逮捕された俳優で、「新劇の神様」と呼ばれた)滝沢修とかやっぱり我慢できない。(関東軍参謀として満州事変、満州国建設を指揮した)石原莞爾なんて「昭和42年か昭和43年あたりに第3次世界大戦が起きるからそれまで我慢する」とか言っている。そんなの真に受けたら年取って死んじゃいますよ。朝日新聞に居て、大正デモクラシーの論客だったはずの長谷川如是閑が、戦争中、日本文化論を量産するわけです。今から読むと、戦争中らしく、いかにも日本は素晴らしいみたいなことを言っていると思うけど、「観念的に精神主義で日本を過大評価せずに、和服や畳の生活とか、そういう実感から日本のリアルを考え直さないといけない」とか書いている。彼にしてみれば、抵抗のつもりなんです。効果があるとやっぱり思っている。「アイロニカルな没入」に8割同意するんだけど、2割は実に賭けているところがあったと思う。コミットメントしないで、戦後に「いっさい戦争協力しませんでした」と言うために身を潔白にしておこうと思えば、死ぬまで戦争が続いた時、全人生を隠れて過ごすことになるわけですからね。今、芝居がしたい、映画をつくりたい、小説を書きたい、作曲をしたい、絵を描きたい人はどうするのか。画家の藤田嗣治でも作曲家の山田耕筰でもいいんですけど、こういう人たちは何かしてしまうわけですよね。何かするのを止めることはできない。はっきり言って後から責任とってもらうしかないんだけど、と言うか、責任のとり方も問題なんだけれど、そういうことですから、一概に言いにくい。そう考えた時に、アイロニカルでシニカルだからと、政治の問題と現実の問題を皆一緒にして責任とってないという話にしてしまっていいのか。いや、してしまっていいのかもしれないんだけど、それを強く言ってしまうと、一刀両断になりすぎちゃってね。私は、岸田はけっこう好きではあるんです。戦後も悔恨の中で困って早く死んだと思いますけど、それなりの人生だったんじゃないかと思うんですよね。

※オルタナティブ演劇大学の議論の全容は、演劇祭終了後に、記録集として発行する予定です。

2015年4月10日 静岡市葵区のスノドカフェ七間町にて
構成:西川泰功


2015年4月21日

『メフィストと呼ばれた男』稽古場ブログ7 出演者インタビュー本多麻紀

出演者インタビュー、第7回は、女優ニコルを演じる本多麻紀です。


◆本多麻紀(ほんだ・まき)◆

登場人物紹介◆ニコル
野心家で左翼よりの女優。

Q. 本多さんの演じるニコルはどんな人物ですか。
 阿部さんが演じる主人公の俳優クルトと10年近く一緒に演劇をやっている同僚の女優です。父親が世界的に有名な劇作家で、超セレブな女優で野心家という設定です。幼い頃から海外に行き、コネも世界中にあり、望んだものは何でも手に入っただろうし、勉強も出来た。もう、小市民の私からしたら、敵のような存在です(笑)。今までいろんな役を演じてきた中で、今回は性別も同じで、年齢も近いですが、超セレブでお嬢様なニコルの価値観や、その時々の選択は、私とはことごとく違います。最初は本当にやりにくい、難しい役だなと思っていました。けれども、どうして彼女がそういうふうに行動し、そう言わざるをえなかったか、彼女が彼女なりに抱いていた切実さを考えるうちに、彼女の生き方の真っ直ぐさ一生懸命さには、共感できると思いました。とはいえ彼女の複雑で多面的なところは、自分と役との距離感を大事にしつつ、探っています。


【稽古風景より】

Q. 1932年から45年までのドイツの国立劇場の物語で、同時に戦争時代の話でもありますが?
 台詞はすごいリアルだなと思うところがあります。登場する政治家の台詞には、具体的なことは何ひとつ言っていないのに、それなのに人々を鼓舞していくような台詞があって、今の日本の或る種の政治的発言にもすごく似ている気がします。そういうところは、ニコルにもあります。彼女は、すごく頭がよくて、意志も強く、なんでも自分でできて、周りの空気に流されるような人を半分からかっていたような人です。けれども彼女のような人でさえ、ある事態が自分に身近に迫った時、それに乗っかり、率先して極端なところにまでいくことがある。そういうところは、今の日本や私たちの状況にも似ているのではないかと思い、すごく怖いなと思います。


【稽古風景より】

Q. お客様にはどんなところを観てもらいたいですか。
 この作品は、そんなふうに今の日本とシンクロしている部分があると思うんですけれども、実はキャスティングも何気にそれぞれの俳優とシンクロしている部分があるような気がしています。というのは、私の場合も、野心のある超セレブお嬢という役は、距離を感じる反面、ニコルという役に内包されているある部分には、同じ女優として、苦しいほど共感してしまう部分があります。出演者それぞれが、演じる役に妙にハマる部分があって、その人が、その役の台詞を話している姿を見て、時として非常にいたたまれなくなったり、ぐっときてしまったりすることがあります。「私にこの台詞言わせるんだ、エグイ!」というような部分も(笑)演出の宮城さんはそういうことまで見抜いてキャスティングしているのかなと思います。役者が役者の役を演じる作品なので、いろいろ想像してしまいますよね。お客様には、そんなところも楽しんで観ていただけたらと思います。


【稽古風景より】

==================================
SPAC新作『メフィストと呼ばれた男』
4/24(金)・4/25(土)・4/26(日)
静岡芸術劇場
http://spac.or.jp/15_mefisto-for-ever.html
==================================

4/10演劇祭開幕直前 『メフィストと呼ばれた男』関連シンポジウム
【抵抗と服従の狭間で―「政治の季節」の演劇―】の動画を公開しました!
http://spac.or.jp/15_symposium.html
==================================


『メフィストと呼ばれた男』稽古場ブログ6 出演者インタビュー若菜大輔

出演者インタビュー、第4回は、若手俳優ニクラスを演じる若菜大輔です。


◆若菜大輔(わかな・だいすけ)◆

登場人物紹介◆ニクラス
主人公クルトが率いる劇団の若手俳優。労働者階級出身、ナチス党員。

Q. 若菜さんの演じるニクラスはどんな人物ですか。
 世の中の流れに少し逸れながら生きる人で、器用な生き方が出来る人間ではないと思います。若い頃からナチス党員になり活動してきた人です。
 西ドイツで1951年に行われたアンケートで、“ドイツにとって一番上手く行った時期はいつか”という問に、半数近くの人が1933年から1939年までの6年間だと答えたそうです。ヒトラーが全てを掌握してから、戦争が始まるまでの時間です。けれどニクラスは、そのように回答した人たちとは違う位置からドイツを眺めることになります。1933年にナチスの党員は急激に増えました。ニクラスは、ナチスが全く力を持たないときから党員として活動していたのにも関わらず、本当にあったかどうかは定かではないけれど、多くの人々が良かったと感じた1933年からの時代の蜜を吸いませんでした。


【稽古風景より:『ハムレット』の稽古中に、亡霊を演じるニクラス・若菜(右はハムレット演じるクルト・阿部一徳)】

Q. ニクラスも、その蜜をいつか自分も吸いたいと思ったから党員になったのではないでしょうか。
 彼は、裕福な家の出身ではなく貧しい環境で育ってきた人だから、自分や家族、同じ立場にいる人たちの状況を変えたいと思い、党員になりました。それを実現してくれるのはナチスだと信じていた。けれど、ナチスが第一党となりヒトラーが首相となった時に見えてきたナチスの顔は、ニクラスが信じてきた顔とは違っていた。その後、逆にナチスに反抗していくことになります。ニクラスにとっては甘い蜜を吸うことよりも大事なものがあったのかもしれません。それが何なのか、稽古をしながら模索しています。


【稽古風景より:後ろはナチスの文化大臣・巨漢演じる吉植荘一郎】

Q. お客様にはどんなところを観てもらいたいですか。
 ドイツでナチスが政権を握っていた時間は、ある種特殊な時間だと思います。けれど、この台本と向き合っていく中で、“特殊な過去の出来事”だと片づけるわけにはいかないのではと思うようになりました。気づいていないだけで、ひょっとしたら隣にヒトラーがいるかもしれない。それどころか自分自身がヒトラーかもしれない。僕たちには見過ごすことの出来ない共通点があります。それは人間だということです。
 その共通点をお客様にも感じてもらえるように、ニクラスという人間に向き合っていきたいと思います。


【稽古風景より:『桜の園』の稽古中、トロフィーモフを演じる若菜(右はアーニャを演じるアンゲラ・山本実幸)

==================================
SPAC新作『メフィストと呼ばれた男』
4/24(金)・4/25(土)・4/26(日)
静岡芸術劇場
http://spac.or.jp/15_mefisto-for-ever.html
==================================

4/10演劇祭開幕直前シンポジウム
【抵抗と服従の狭間で―「政治の季節」の演劇―】の動画を公開しました!
http://spac.or.jp/15_symposium.html
登壇者:片山杜秀(音楽評論家、思想史研究者)、高田里惠子(ドイツ文学研究者)、大澤真幸、大岡淳、横山義志 (以上、SPAC文芸部) ほか

このシンポジウムでは、5人の登壇者が『メフィストと呼ばれた男』を「政治の季節」という切り口で議論しました。俳優グリュントゲンスをはじめとする作品のモデルとなった人たちのクローズアップ、ナチスのとった文化政策、芸術家が戦争に対してとる態度、当時の日本の演劇人や文化人の事例など、この作品が提示するさまざまな問題が論じられました。是非、こちらもあわせてご覧ください。
==================================


2015年4月20日

『ふたりの女』出演俳優、昼下がりの静岡のお街に突如乱入!?

GWの静岡を彩る「ふじのくに⇄せかい演劇祭」。
ついに、ついに開幕まで1週間を切りました!!

お客様に楽しんでいただけるよう、俳優もスタッフも、
いま急ピッチで稽古に、準備に奔走していますが…、
そんな中、上演作品の1つ、
SPAC芸術総監督・宮城聰演出の『ふたりの女 平成版 ふたりの面妖があなたに絡む』出演俳優たちが、演劇祭を盛り上げようと、
4月12日日曜日、静岡の街に繰り出しました!!


もしかしたら、街で遭遇した方もいらっしゃったのでは?
そして、そのいでたちにギョッとした方も多いのでは…?
そう、俳優たちは、本作の舞台衣裳・メイクで、昼下がりの静岡のお街に乱入!
七間町~静岡駅北口地下イベント広場まで練り歩き(?)、パフォーマンス&チラシ配布を行いました。


居合わせた子ども、泣いてます…。(すみませんでした…)
俳優たちが扮したのは、物語の冒頭に登場する、伊豆の砂浜に立つ精神病院の患者と看護婦。

『ふたりの女』では、
伊豆の砂浜に立つ精神病院や富士スピードウェイが物語の舞台として登場します。
静岡にお住まいの方は、何となく親近感が湧くのではないでしょうか?

また、『ふたりの女』には、まさかのあの人もサプライズ出演!?
誰なのかは…、是非劇場に来てお確かめください!!

そしてもう1つ。
実はいま、静岡市内の図書館・書店で、演劇祭の関連ブックフェア
題して「アングラブックフェア」を開催中。

唐十郎、寺山修二の戯曲をはじめ、
暗黒舞踏や1960年代の前衛芸術に関する書籍までもが一堂に会する超充実のラインナップです!
俳優たちも、開催会場の1つ、戸田書店静岡本店にお邪魔してきました。
『ふたりの女』の作者・唐十郎さんの戯曲集を手に、ご満悦の患者たち。


ブックフェアは、5月6日(水・祝)まで、次の書店・図書館で開催中ですので、
ぜひ『ふたりの女』観劇前、観劇後に脚をお運びください。

・戸田書店静岡本店
・MARUZEN&ジュンク堂書店新静岡店
・谷島屋マークイズ静岡店
・静岡市立御幸町図書館
・静岡市立中央図書館

===============
『ふたりの女 平成版 ふたりの面妖があなたに絡む』
演出:宮城聰
作:唐十郎
出演:SPAC
日時:4月29日(水・祝)、5月3日(日)、5月6日(水・祝)各日19:00開演
会場:舞台芸術公園 野外劇場「有度」
http://spac.or.jp/15_two-ladies.html
===============


2015年4月19日

<萌目線。vol.119>5月3日!あなたの幕を上げに来てください!!

Filed under: 萌目線。

映画『幕が上がる』をご覧になったみなさまへ。

お待たせしました!

ロケ地となりました舞台芸術公園内の稽古場1にお入りいただける日のご案内です。

5月3日 (日)『ベイルートでゴドーを待ちながら』にご来場のお客様に、
上演前後にロビーとして稽古場を解放させていただきます。

中には富士ヶ丘高校演劇部が合宿稽古で使用した
仮舞台装置(撮影時に使用された物)をご用意させていただきますので、
ぜひパロディー写真を撮られてみてはいかがでしょうか。

IMG_5982_s

ベイルートでゴドーを待ちながら』は、
中東のカルチャーシーンの現在をシュールな笑いで描く、
ブラックユーモアたっぷりの作品。
アラビア語上演のため日本語字幕付きとなります。
海外の演劇をはじめて観る!という方にもお楽しみいただけるのではないかなと思います!

そして同日夜には…
同じく舞台芸術公園野外劇場にて
『幕が上がる』に演出家役で出演いたしました
SPAC芸術総監督・宮城聰演出『ふたりの女』の上演もございます!!
こちらには、映画の中で黒木華さん演じる吉岡先生を劇場でお迎えしたSPAC俳優メンバーも出演しております。

ラスボス感たっぷり(笑)で登場した美加理が出演します『メフィストと呼ばれた男』もお見逃し無く!

吉岡先生が扉を叩いた、プロの演劇の世界…

本物の舞台をぜひ!体感しに来てくださいね!!

更に、4月29日(水・祝日)のお茶摘み体験の終了後も、
休憩所として稽古場1を解放させていただきます!
これぞ静岡ならではのお楽しみ。
お茶摘みと聖地巡礼がいっしょにできて…これぞ本当の茶畑ノフ?(笑)

みなさま 舞台芸術公園でお待ちしています!!

<萌目線。>とは・・・ SPAC俳優石井萠水の目線で稽古場や舞台裏の様子をお届けしています。
GREEでもブログ更新中。


1 / 3123