2016年3月31日

『ANGELS』再び始動!

桜が咲き始めている舞台芸術公園。
BOXシアターでは、スパカンファン『ANGELS』の稽古が行われていました。
ニヤカムさんと久しぶりの再会を果たしたメンバーは、元気いっぱい!!

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野外芸術フェスタ、ワーク・イン・プログレス公演、大道芸ワールドカップin静岡、コミュニティダンス・フェスティバル2016と経験を積み、進化し続ける『ANGELS』。
本公演は、映像とのコラボレーションも見どころのひとつです。
真っ白な「バオバブの樹」に、色鮮やかな「ニヤカムワールド」が映し出されます。

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撮影も行いました。
ニヤカムさんのあふれるアイディアに、スタッフもメンバーも応えていきます。
チームワークは抜群!

本公演は8月下旬を予定しています。どうぞご期待ください。
公演の詳細は決定次第、SPAC公式サイトで発表いたします。

☆スパカンファン・プロジェクトの詳細はこちら
http://spac.or.jp/spac-enfants
☆『ANGELS』ワーク・イン・プログレスの舞台写真はこちら
http://spac.or.jp/blog/?p=20272


2016年3月21日

『イナバとナバホの白兎』~新作誕生までの道のり~vol.3

★SPACの活動を支えてくださるボランティアメンバー「SPACシアタークルー」のみなさんの視点による稽古場レポートをご紹介します!
(写真:SPACシアタークルー平尾正志)

<SPACシアタークルー稽古場潜入レポート>

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台本片手に俳優が演技の練習をしているのだろうと思いきや、何と台詞を一から俳優達が創る……?思いがけない創作活動に出くわした。その様子はまるでジャズセッションを見るような、4ビートのリズムを共有しそこへ台詞を重ねて行く。声もある意味1つの楽器と捉えれば納得。
今回は男声パート見たが、女声パートそして混声へリズムもワルツ?いや8ビートのロック?へ変わって行くのだろうか……分かりにくさが妙に魅力的だ。

(文:SPACシアタークルー平塚敬子)

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3月16日午後6時30分、『ロミオとジュリエット』の最終公演を終え、ばらしの始まった舞台を横目に、エレベーターで芸術劇場の6階にある『イナバとナバホの白兎』の稽古場に入りました。リハーサル室では、ロミジュリに出演していた俳優を除く20人以上が、男組と女組に分かれ、円陣を組みワイワイガヤガヤ…

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三島景太さんはなぜか、カタツムリの目ん玉のような棒を振り回しながらの振り付け中。今回の芝居は、俳優が台本を考えていると聞いていたので、どうやらそのためのお話し合いのようでした。制作の仲村さんから舞台美術の説明を聞いていると、演出の宮城さん入室。若干ピリピリ! 演出席に座ると、それぞれのグループに進捗状況を確認し、男組の稽古発表が始まりました。

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ひとつの台詞をたくさんの俳優が折り重ねるように語り、まるで言葉たちが踊っているような不思議な一場でした。まだ舞台装置や小道具などもない素の状態での稽古でしたが、それだけにあと1ヶ月でこの芝居がどのような舞台になっていくのか、とても楽しみです。お疲れさまでした。

(文:SPACシアタークルー松本孝則)

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ふじのくに野外芸術フェスタ2016
フランス国立ケ・ブランリー美術館開館10周年記念委嘱作品
『イナバとナバホの白兎』
5/2(月)~5(木・祝)
駿府城公園 紅葉山庭園前広場 特設会場
◆公演の詳細はこちら
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2016年3月20日

<『ロミオとジュリエット』>大学生ジュリエット、公演を終えて

『ロミオとジュリエット』全21ステージ、無事に終了しました。
ご来場いただきました皆さま、ありがとうございました!

現役大学生ながらも、ジュリエット役を務めた宮城嶋遥加より
皆さまへの感謝の気持ちを込めたメッセージです。
小学生の頃からSPACの人材育成事業に参加してきて
ついにプロの舞台に立ったこの1ヵ月半を振り返りました。

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SPAC秋→春のシーズン『ロミオとジュリエット』で
ジュリエット役を演じました、宮城嶋遥加です。

公演を観に来ていただいたお客さま、遠くから応援してくださっていた皆さま、
また、テレビや新聞などのメディアを通してこの公演に興味をもっていただいた皆さま、
関わってくださったすべての皆さまに感謝申し上げたいと思います。
本当にありがとうございました。

終演後に、お客さまが「初めて劇場に来たけどまた来たい」「とっても楽しかった」
などと声をかけてくださったり、平日の中高生鑑賞事業公演で来てくれた中高生の皆さんが
興奮した面持ちで劇場を後にしてくれたり、握手してくれたり、
一つ一つの言葉やお客さんの様子が本当に勇気を与えてくれるものでした。
毎日、たくさんのお客さんにお会いし、客席から力をもらえたことが本当に幸せでした。

私は静岡出身で、「こども大会」、「SPACシアタースクール」、
「スパカンファン[SPAC-ENFANTS]・プロジェクト」などSPACの人材育成事業に参加してきました。
中高生のときから、SPACで働くスタッフさんや俳優さんは憧れの存在であり、
「私もいつかはSPACの公演に出演することができたらどんなに素敵だろう」と
心の底でずっと思っていました。
『ロミオとジュリエット』に出演されていた俳優さんの中にも中高生の頃から知っていて
お世話になってきた方も多くいらっしゃいます。
この公演で、子どものときからずっと憧れていた方たちと一緒に仕事ができる、
SPACの舞台に立てるということが本当に嬉しかったです。
改めて、SPACがある静岡に生まれてよかったと思いました。

2月に稽古が始まり、初日を迎えて千龝楽を迎えるまで、
時の流れがとても早かったです。
毎日たくさんの方に支えていただき、助けてもらっていました。公演が終わって、
改めて公演の舞台写真や映像を見たり、自分が使っていなかった
小道具や舞台装置などを間近に見たりしました。
稽古・公演期間中は自分のことで精一杯で気がつけなかったことが分かり、
この作品の魅力を今、改めて感じています。
一つ一つのシーンや小道具、衣裳が本当に繊細にできていて、
命が吹き込まれていて初演からこの作品を創ってきた方々への尊敬の思い、
そして、今回この作品に関わらせていただいたことへの感謝の気持ちが湧き上がり、
胸がいっぱいになりました。

2015年度のSPACの公演は『ロミオとジュリエット』で終わりですが、
来月の終わりからは「ふじのくに⇄せかい演劇祭2016」が始まります。
どんな作品に出会えるのか今からとても楽しみです。

また皆さまと劇場でお会いできることを楽しみにしております。

宮城嶋遥加
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ご来場いただきました皆さま、本当にありがとうございました!


2016年3月16日

宮城聰インタビュー 新作『イナバとナバホの白兎』は初の試みが満載

台詞は俳優が考える!?
新作『イナバとナバホの白兎』は初の試みが満載

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―今年の「ふじのくに⇄せかい演劇祭」で上演される新作『イナバとナバホの白兎』はどんな作品ですか?
フランス国立ケ・ブランリー美術館から「開館10周年を記念する新作をつくってほしい」との依頼を受けて制作する委嘱作品です。それを、世界に先駆けて「ふじのくに⇄せかい演劇祭」でプレ上演します。

―作品のテーマに、日本神話「因幡の白兎」とアメリカの先住民・ナバホ族の神話を選んだ理由を教えてください。
フランスの国立美術館から記念作品を委嘱されるのは非常に名誉なことです。そのうえ、ぼくたちのリハーサルのために劇場を2週間も空けてくれるという。先方もかなり力が入っているようです。それだけにプレッシャーも感じていました。注目度が高いぶん、ダメだったときのダメージが大きいじゃないですか(笑)。
ケ・ブランリー美術館にはどんな作品がふさわしいか。その点もずいぶん悩みました。パリにある国立美術館は、ルーブル美術館も、オルセー美術館も、ポンピドゥー・センターも、基本的にはヨーロッパ、あるいはアメリカの芸術の歴史が前提になっています。一方で、ケ・ブランリー美術館は非ヨーロッパ圈芸術の殿堂として建てられている。そのケ・ブランリー美術館から委嘱されたわけですから、その文脈にふさわしい作品にしたい。そうやっていろいろと考えていてまず思ったのは、「作家個人が世界をどう見たか」ということを表明しているような作品ではないほうがいいだろう、ということでした。

―どういうことでしょうか?
近代では、自分という人間は唯一の存在で、自分と同じ人間はほかにはいないんだ、という考え方が前提にありますよね。だから、作家が世界について書けば、それは「私は世界をこう見ている」という、ある人から見た世界の見え方を書いているわけです。これは映画も絵画も同じです。
でも実は、こうした考え方はヨーロッパの近代が生み出したもので、近代より前、たとえば日本では江戸時代あたりまではありませんでした。「自分と同じ人間は世界にいないんだ」「自分という存在は二人といないんだ」という考え方はなく、「自分が泣ける話はみんなも泣ける」「自分にとっておめでたいことは、みんなにとってもおめでたいことだ」という感覚だったわけです。当然、作家をはじめとする表現者も、唯一無二の存在としてではなく、「我々は世界をこう見ている」ということを形にする、一つの蛇口みたいなものとして存在していた。そしてある人は絵を描き、ある人は歌を詠んだりしていたのです。
ケ・ブランリー美術館の委嘱作品には、そういう近代以前の、誰が書いたのかわからないような感覚を持った作品がふさわしいだろう、と考えました。日本のものなら落語、『古事記』、『平家物語』なんかもそうですよね。あるいは、『旧約聖書』の「創世記」とか。そんな風にいろいろと題材を探しているうちに、いいなと思ったのがアメリカの先住民、ナバホ族の神話をまとめた本でした。

―日本でお馴染みのあの「因幡の白兎」のお話ではなく、まず先に、ナバホ族の神話を思いつかれたんですね。
そうなんです。あとは、新作を上演するのが、ケ・ブランリー美術館内にあるクロード・レヴィ=ストロース劇場であることも、ナバホ族の神話を題材に選んだ理由の一つです。クロード・レヴィ=ストロースはフランスを代表する人類学者で、神話の研究者でもあります。彼は神話研究を通じて、欧米側から未開だとか野蛮だとか思われているような文化が、実は、極めて高度な精密さを持っていたということを明らかにしました。
 レヴィ=ストロースは神話研究のフィールドに南北アメリカ大陸を選び、アメリカの先住民たちの神話について調べています。そんな彼の名を冠した劇場で、ナバホ族の神話をテーマにした作品を上演する。そこに何かしらの縁を感じて、題材に決めたのです。
 ただ、ナバホ族の神話について書かれた本をそのまま脚本にして上演することには違和感がありました。というのも、アメリカ先住民の神話をまとめた本というのは、たいていは、ヨーロッパからアメリカにやって来て、先住民の文化をもの珍しいと思った人たちが記録したものなんです。先住民自身が書いているわけではない。だから、外国人から見た日本趣味のような、誇張されている部分もかなりあると考えられます。それをそのまま使うのもどうだろう、と疑問に思ったわけです。
 そうやっていろいろと模索していたある日、レヴィ=ストロースの最晩年のエッセイが収録された『月の裏側』という翻訳本に出会います。そこに、アメリカ先住民の神話と「因幡の白兎」には何がしかの関係があるように思う、と書かれていたんです。「因幡の白兎」と同じような話が、インドから東南アジアにかけて広く分布しているということは民俗学の世界では非常に有名です。しかしレヴィ=ストロースはその「因幡の白兎」と北米のロッキー山脈の西あたりに住んでいる先住民の神話とに共通点があることを指摘したんですね。

―どのような点が共通しているのでしょうか。
『古事記』における「因幡の白兎」の話は、主人公の白兎がワニをだまして海を渡ろうとしたとき、だましていることをワニにばらしてしまい、毛をむしられてしまうというものですよね。その後、白兎は偶然通りかかった神様たちに、毛をむしられた痛みを軽減する方法を教えてもらいます。でも実はその方法はウソで、白兎の痛みは余計にひどくなってしまう。そこに今度は大国主という神様が通りかかります。白兎にウソをついたいじわるな神様たちはこの大国主の兄弟で、大国主は彼らからいじめられていた。このときも、妻をめとるために旅をする兄弟たちの荷物持ちとして同行させられていたんです。実は、『古事記』ではこの大国主が主要登場人物の一人で、白兎のエピソードはあくまでおまけ。大国主という神様に付随する物語の一つにすぎません。
対する北米先住民の神話の大筋は、まず、主人公が太陽神の娘をめとりにいこうとします。すると途中に湖があって、それを渡るためにはそこに棲息しているワニだったりフラミンゴだったりの助けを借りなければならない。主人公はワニあるいはフラミンゴに問いを出されて、その問いにうまく答えられなければ湖に放り出されたり、食べられたりしてしまう、というものです。細かい部分は部族によって違いますが、「因幡の白兎」も北米先住民の神話も、「気位の高い渡し手」「妻をめとりにいく」といういくつかの共通点がある。
こうした共通点が、『古事記』では大国主と因幡の白兎それぞれのエピソードとして書かれていて、北米先住民の神話では一人の主人公の話としてつながっている。ここからレヴィ=ストロースはある仮説を立てます。『古事記』の話も、北米先住民の神話も、アジアのどこかにある神話がもとになっていて、そのもととなる神話では、海(湖)を渡るために渡し手の助けを借りるエピソードも、妻をめとるために旅をするというエピソードも、北米先住民の神話のように一つのストーリーだったのではないか、という仮説です。
ではなぜ、もとは一つのストーリーだったものが、日本では二つのエピソードに分かれてしまったのか。この疑問に対して、レヴィ=ストロースはこう考察しています。アジアのもととなる神話が日本に伝わり、それが『古事記』にまとめられるまでに時間がかかりすぎてしまった。そのため、ネックレスのチェーンがちぎれてビーズの玉がばらばらになってしまうように、それぞれのエピソードは別のお話になってしまったのだろう、と。一方、アジアで語られていたもととなる神話が、北米にたどり着くのにはかなりの時間がかかる。だから、神話が伝わった時期と、神話として文献にまとめられた時期にそれほど開きがなく、そのおかげで、一つのストーリーとしてまとまったままの状態で記録されたのではないか。
レヴィ=ストロースはそんな仮説を提示しながら、「私のこの仮説を、私よりも優秀な日本の神話学者が解明してくれることを期待している」と書いているんですね。でも、日本の神話学者がレヴィ=ストロースの仮説を解明したという話は聞きません。だったら、レヴィ=ストロースが残したこの宿題にぼくたちが取り組んでみたら面白いのではと思い、作品のテーマに決めました。

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―どのような構成になりそうですか?
 まだ制作途中ですが、『古事記』に書かれている「因幡の白兎」を最初に上演し、次に、北米の先住民の神話を見ていただく予定です。まず、この二つを対比で見てもらって、最後に、そのおおもとになったかもしれない、アジアのどこかにあったかもしれない神話を、ぼくらなりに構想してお客さんに提案したいと考えています。

―実際にはどのように制作されているのでしょうか。
テキストがないので、まずはテキストをつくるところからやらなくてはいけないんですが、今回、台詞は役者に考えてもらうつもりです。こうした集団創作はSPACでは初めての試みとなります。構成だとか、こういう場面が必要だとか、そういうことはぼくが指示していくけれど、その場面で何をしゃべるのかは役者に任せる。
集団創作というのは、それをやるのに適した時期があると感じています。果物が熟れるように、ある集団の歴史のなかで、集団創作にふさわしい時期というものがおそらくある。これはぼくの勘なんですけど、今のSPACは、まさにその集団創作にふさわしい時期に入ったような気がするんです。まあ、そうだったらいいな、という期待でもありますが。

―集団創作だからこそのメリットのようなものがあれば教えてください。
たとえば三島由紀夫の作品を上演するときは、三島が何を考えたのかをまず考えます。「三島は○○○な人で、△△△なバックグラウンドがある。だから、この台詞は実はこういう感覚が前提になっているんだ」、ということを考えながら三島という人物に近づいていき、その過程で台詞の意味を理解していきます。
でも、集団創作には、そういう種類の地図がありません。羅針盤がない。だから、みんなでワイワイガヤガヤと意見を戦わせてつくっていくしかないんですね。俳優という仕事は、「自分が考えることが一番面白い」と思っている人たちが就く仕事ではありません。自分が考えるものが一番面白いと思っていれば、俳優以外の創作手段を選ぶでしょう。要するに俳優というのは、「人から刺激を受けることで自分から面白いものが出る」ということを知っている人たちなんです。自分が年上だから、自分のほうがキャリアがあるからと、年下や後輩たちに自分の考えを押しつけても、面白くはならないだろうということがわかっています。だから、集団創作によって相手から刺激を受けるうちに、自分から何か面白いものが出るんじゃないかという期待がある。これは集団創作ならではのメリットです。
また、集団創作に向いている題材と、そうでない題材とがありますが、今回の題材は集団創作に向いていると考えています。最初に、「誰か個人が考えたこと、個人の世界の見方ではない作品をやりたい」ということを申し上げましたけど、この集団創作のプロセスによって、そういうことを実現できるのではないかなと思っているんです。

―俳優ひとり一人が蛇口になって作品をつくっていくイメージですね。
その通りです。とはいえ、そうやってつくっていくのはかなり難しい。神話でも民俗芸能でも、それがつくられた時代は、村人たちはみんな同じ感覚だったり歴史観だったりを持っていたわけですよね。「こういう踊りにしよう」「こういう鳥が出てきたらいいだろう」というアイデアを誰かが思いついたら、まわりのみんなも「そうだそうだ」と思える。これは、同じ感覚や歴史観を共有しているからこそです。
でも、ぼくを含めた俳優たちはそうした感覚だったり歴史感だったりを持っていません。『古事記』なら『古事記』、あるいは、北米先住民なら北米先住民の、成立した時代に共有されていたものを想像するところから始めないといけない。だから、その点においては、今回の新作は、神話や民俗芸能が生まれた過程とは明らかに違うんです。
明らかに違うんだけれど、その客観性というのかな、「本当かどうかわかならい」という疑問符を常につきつけていくところ、それこそが、芸能と芸術の違いだと思っています。芸能というのは、いってみれば、自分たちがいつのまにか持っている価値観を再確認して安心するためのものです。このいつのまにか持っている、というのはつまり、刷り込まれた、といってもいいんだけれど、それをみんなが持っているということを、確認して、安心するのが芸能の機能なんです。みんなが同じところで笑って、同じところで泣いて、同じところで憤る。そうして、「みんな同じだ」と安心する。そうやって、一つの価値観を持っている共同体の結束をより強めるのが、芸能の役割なんです。
芸術というのはある意味、正反対。刷り込まれてしまった価値観を疑うことが芸術の機能です。「みんなはこれをキレイだといっているけど、本当にそうなのか?」「どこがキレイなの?」という疑問が生じるのが芸術の面白いところ。いってみれば、刷り込まれたものではない価値観を、自分自身で手に入れることを促すものなんです。そうやって、「人と自分が違っているんだ」と気づき、「自分にとって美しいものが隣の人にとっても美しいとは限らない」のだと理解する。芸術はそのためにあるのではないでしょうか。
であれば、ぼくらの作品は、古代の村人のように、いつのまにか刷り込まれている価値観を再確認して安心するものであってはいけないのではないか。「世の中ではこれはこういう風に受け止められている」という暗黙の了解のようなものに対して、あえて疑問符をつけるような提示の仕方にしなくてはいけないのではないか。そんな風に考えています。

―「因幡の白兎」のお話でたとえると、どういうことになるのでしょうか?
「因幡の白兎」と大国主の話を読んだとき、ぼくらはまず、「この話は何を伝えているのだろう」と考えますよね。そして、「弱い者いじめをしてはいけない」というような教訓を読み取ります。それが普通です。でも、レヴィ=ストロースは、神話から教訓を読み取るというスタンスをとらなかった。神話は道徳を教えたり、処世訓を教えたりするものではなく、ただ単に、世界を認識して分析する手段なのだとレヴィ=ストロースはいっています。
だからぼくらも、そういう教訓のようなものは切り離してしまって、「人間にはこういうところがある」「この世界にはこういうことも起こりうる」という、目の前に投げ出された残酷な世界の断面を提示したいと思っているんです。
こうした試みと、集団創作がうまくリンクすれば、とても面白い作品になるはずです。俳優は教訓を欲しがっているわけでもないし、周囲の人たちと価値観を共有できていることを知って安心したがっているわけでもない。俳優は「自分を知りたい」、そして「世界を知りたい」んです。そういう飢えのようなものを感じている人たちが、神話を手がかりにお互いを知ったり、世界を知ったりしていく。それがそのまま芝居になれば、集団創作の真髄のようなものが表れるのではないかと考えています。

―俳優がしゃべるたびに台詞が変わるとしたら、制作にはものすごい労力がかかりそうですが……。
そうですね。神話というのは、語り継がれていくうちに少しずつお話が変わっていったと思うんです。これはぼくの想像ですけど、民俗芸能も同じではないでしょうか。毎回ちょっとずつ違うけれども、いつのまにか形式が決まっていく。だから、それと似たようなことは起こるかもしれません。
ただ、表現の形式というか、ルールのようなものはいくつか決めています。現時点では、均質なコロス(群衆)の役と、異質な一人の役という対比で場面をつくっていくというルールを設けています。ワニと白兎であれば、ワニは均質なコロス、白兎は異質な一人の役。大国主とその兄弟なら、兄弟が均質なコロスで、大国主は異質な一人の役という具合です。
均質なコロスをやる俳優たちは自分の口で台詞をしゃべります。一方、異質な一人を演じる俳優は、自分では台詞を話しません。代わりに、能の地謡のような、別の俳優たちが台詞をしゃべります。仮面をかぶって自分では台詞を話さない俳優と、能の地謡のように台詞をしゃべる俳優との対比も、現時点で決まっているルールです。

―異質な一人の役の台詞を別の俳優がしゃべるというルールにはどんな意味があるのでしょうか。
“異質な一人”というのが、単純にいうと、ぼくたちの祖先にあたる人なんですね。この世界がどうやってできてきたのかを考えるとき、均質なコロスがそのまま今日の世界になったという風には人は考えないんですよ。面白いもので。どうしてなんでしょうね?
たとえば古代ローマでは、ロムルスとレムスという狼に育てられた双子が祖先だということになっています。つまり、周囲とは何か違う刻印を持った者がいて、その者たちがやがて大集団を形成して今日の我々になっていると考えられているわけです。古代ローマに限らず、自分たちのルーツをたどっていくと、周囲とは違った一人とか二人とかに行き着くとする概念がたくさんあります。北米でも祖先はだいたい二人、それも兄弟です。そして、その異質な一人か二人が分身の術のように増えて、その結果として今の自分たちの村や国ができた、と考えられています。
こうした考えが世界で広く見られるのは、人間は誰しもが世界に対する違和感を持っているからかもしれません。「自分は一人ぼっちだ」「周囲とは違う異質な存在として生まれてきたんだ」という感覚を、近代になるもっと前から一人ひとりが抱えていて、だから異質の一人か二人を祖先と見なすのではないでしょうか。
だから、均質なコロスであるワニの群れが今日の自分たちの社会になっているとは誰も思いません。異質の一人である因幡の白兎がやがて増えていって我々の部族になったんだ、となるわけです。そうすると、因幡の白兎は異質な一人でありながら、今日の人間につながっているのだから、複数でもある。それなのに、白兎を演じる俳優が自分自身で台詞をしゃべってしまうと、「あいつだけが異質なんだ」と感じられてただの個になってしまいます。そうではなく、「白兎はまわりとは違うけど、本当は俺たち・私たちなんだ」と思ってもらわなくてはならないので、能の地謡のように別の俳優が台詞をしゃべるようにしたんです。

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―今回は神話という、誰が書いたのかわからない作品が題材になっていますが、誰が書いたのかわからない作品には以前から興味があったのでしょうか?
もともと興味はありました。2006年にケ・ブランリー美術館のクロード・レヴィ=ストロース劇場のこけら落としで上演した『マハーバーラタ 〜ナラ王の冒険〜』はまさにそれに近いですね。『マハーバーラタ』は古代インドより伝わる国民的叙事詩で、誰が書いたかわかりませんから。
ぼくは落語が好きなんです。落語も誰が書いたかわからないものが多いんですよ。もちろん新作だとか、明治以降につくられたものに関しては誰が書いたのかはわかっています。しかし、それより前から存在していた落語というのは、原話は確かにあるけれども、それは小話のようなものにすぎず、それが語り継がれていくうちにちょっとずつストーリーが膨らんでいって、面白いくすぐりなんかも加えられていって、江戸末期ぐらいに今のような形になっている。『平家物語』なんかもそういうプロセスですね。
 そういうものは、一言でいうと、世界が大きいんです。それこそ富士山とか夕焼けのようなもので、「今日の富士山どう思う?」と聞いたら百人百様の答えが返ってくるように、厳然とそこにあるけれど受け取り方は人それぞれ違う。僕はそういうものがつくりたいんです。
同時代のアーティスト、三島由紀夫なら三島由紀夫という人の苦難の道を知ることが自分にとってものすごく励みになる、ということはもちろんあります。三島を知れば知るほど、自分の孤独が癒されるということはもちろんある。でもそれとは正反対の、それ自体は何ら見方を決めつけていない、限定していない、富士山とか夕焼けとか滝とか、そういうどでかいものをつくってみたい。そして、それができるとしたら、やはり、誰が書いたのかわからない作品だと思うんです。

―百人百様の見方があるということは、見る側の感性も試されますね。
そうですね。ただ、百人百様ということは、どんな楽しみ方もできるということですから。近代の芸術は、共感できないと十分に理解できないでしょう。そして、その共感というのは、何らかの共通点が見つかるということだから、万人に理解される作品というのはなかなかない。三島由紀夫の戯作であっても万人に開かれているわけではなくて、さっぱり接点がない人もいます。これは近代の芸術であれば当然のこと。むしろ近代現代で万人が面白がるようなものは、長い生命を持ち得ない。数年後にはみんな忘れちゃう。
ところが、『マハーバーラタ』や落語、『平家物語』のような誰がつくったわけでもないものは、万人に開かれていながら、長い生命を持っています。大人も子どもも、大人なりに、子どもなりに、楽しめる。今、幸せな人も、今、自分は不幸だと思っている人も、それぞれに楽しめる。そういう風にできていますよね。しかもそれは、数年経ったらみんな忘れちゃう類のものではなく、一人ひとりのなかに何か大きなものを残していく。そうやって何百年、何千年もの生命を持つことができる。これはものをつくる人間としては本当に理想で、そういう作品をつくれたら素晴らしいなと常々思っています。

―誰がつくったのかがわからない作品には、どんな見方もできる多様性があると。
そうです。さきほど、芸能の機能は価値観が一つだということを確認して安心することにあると申し上げたけれど、そういう機能が前面に出てくると不安も生じるんです。「あの場面でみんな笑っていたのにぼくは笑えなかった」「同じ場面で笑えないなんて、どうやら自分は人とはちょっと違っているみたいだ。みんなと合わせなきゃ」という具合にね。
これは、今日の芸術がやるべきことではないと思っています。そうではなく、「みんなが笑っているところでぼくはむしろ切なくなった。でもそれでいいんだ」と見る人に感じてもらうことが、今の芸術の機能だと思っているんです。いろいろな価値観があって、それが肯定される寛容さだったり、みんなが容認しあえるような空気だったりが、作品を見た後に生まれると一番いいなと思いますね。

―「ふじのくに⇄せかい演劇祭」は、前身にあたる「Shizuoka春の芸術祭」から数えて今年で16回目となります。観客の反応はいかがですか?
演劇というものに対して、「敷居が高い」と感じている方がまだまだたくさんいらっしゃいます。東京で活動していたときはそんな風に感じたことはありませんでしたが、今思うと、東京のほうが珍しいんです。ヨーロッパでも、演劇というのはある程度は敷居が高いと思われていますから。演劇は「余裕がある人が行くもの」と思われていて、そういう感覚のほうが世界的にはメジャーなんですね。そのことを、静岡に来てSPACに携わるようになってつくづくと感じています。
もちろん、演劇をやる側としては、「そんなことはないですよ」と言いたい。演劇は俳優が生のエネルギーをお客さんにぶつけるもの。基礎知識が必要だったり、子どもの頃から芸術に親しんでいたという素養が必要だったりとか、そういうことはまったくありません。でも、ぼくたちがいくらそう言ったところで、「演劇は敷居が高い」という先入観があるのは事実ですから、その先入観をどう払拭して、どう超えていくかがこれからの課題です。

―最後に、今年のせかい演劇祭の見どころを教えてください。
今年は「ふじのくに⇄せかい演劇祭」と「ふじのくに野外芸術フェスタ」を同時に開催します。「ふじのくに⇄せかい演劇祭」はいわばセレクトショップ。演劇界における世界最先端の作品をご覧いただけます。一方、野外で上演する作品では「演劇って敷居が高い」というイメージを払拭したい。『イナバとナバホの白兎』は駿府城公園で上演しますので、劇場へ自然に足を運ぶようになるための、いわば敷居をふわっとまたぐスロープのような舞台にできるといいな、と考えています。ぜひ観に来てください!

2016年2月3日 静岡芸術劇場にて

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ふじのくに野外芸術フェスタ2016
フランス国立ケ・ブランリー美術館開館10周年記念委嘱作品
『イナバとナバホの白兎』
5/2(月)~5(木・祝)
駿府城公園 紅葉山庭園前広場 特設会場
◆公演の詳細はこちら
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2016年3月15日

『イナバとナバホの白兎』~新作誕生までの道のり~vol.2

こんにちは。制作部の丹治です。

今日も『イナバとナバホの白兎』は元気に稽古中です。

現在の稽古場所であるリハーサル室は静岡芸術劇場の6階にあります。
この部屋は静岡芸術劇場の舞台と客席の真上に位置しているので、
『ロミオとジュリエット』の公演が行われているその上で
『イナバとナバホの白兎』の稽古が繰り広げられているというわけです。

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↑ 『イナバとナバホの白兎』稽古の様子

昼間は『ロミオとジュリエット』の公演に出て、
夜は『イナバとナバホの白兎』の稽古に合流・・・なんて俳優もいます。

このリハーサル室には、
古事記やナバホ神話、レヴィ=ストロースに関する本がたくさん並んでいます。
今回は俳優が台本を作りながら、稽古をしているので、参考資料がいっぱい。

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↑ 本・本・本

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↑ 試しに使ってみる小道具もどんどん増えて・・・

一方、技術スタッフは、パリ公演地であるケ・ブランリー美術館のスタッフと
スカイプミーティングをしたりして、舞台美術などのプランを決めていきます。
それが駿府城公園ではどんな姿になって現れるのか・・・。

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↑夜の駿府城公園を下見するスタッフ(暗くてごめんなさい!)

日々少しずつ少しずつですが確実に歩みを進めている『イナバとナバホの白兎』。
これからもその製作プロセスをご紹介していきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします!

(文:丹治陽)

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ふじのくに野外芸術フェスタ2016
フランス国立ケ・ブランリー美術館開館10周年記念委嘱作品
『イナバとナバホの白兎』
5/2(月)~5(木・祝)
駿府城公園 紅葉山庭園前広場 特設会場
◆公演の詳細はこちら
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2016年3月14日

<萌目線。vol.129>今川さんがSPACに出撃!

女子大生ジュリエットとして宮城嶋遥加ちゃんが大抜擢され!
静岡県中にジュリエットはるかフィーバーが巻き起こった今回の『ロミオとジュリエット』も、いよいよ一般公演千穐楽を迎えました。

この日はプレトークのゲストとして、静岡市非公式キャラクターである、今川さんが来てくれましたよ!!

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今川さんとは…
戦国武将 今川義元をモデルとしたキャラクターです!
お茶っ葉の形のまろ眉や、しぞーかおでんの弓矢、プラモデルの家紋など、静岡ゆかりの大名らしく主に県内のイベントに「出撃中」!

SPACの『ロミジュリ』は和のテイスト溢れる作品ということで、これは見逃せない!と千穐楽に駆けつけてくださったのです。

お客さんの中にも今川さんをご存知の方が結構いらして、出番の前からお写真の行列ができたりと、大人気!
今川さんが来るということで…と初めてSPACに来てくださった方もいらっしゃいました。
ありがとうございます!!

カフェには沢山の方がお集まりくださり、みなさんと「ハロまろまろ!」と今川さん流のご挨拶を交わして、プレトークがはじまりました。

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これからはじまる、かの有名なラブストーリーにドキドキが隠せず…

こんなにドキドキしたのは…
「桶狭間以来だねっ!」のネタも披露してくださいました!

私からシェイクスピアや作品についての簡単な解説をさせていただき、いざお客様たちと一緒に観劇へ。

劇場の入口で芸術総監督から「日本文化がどんな形に変貌を遂げたか、ご覧ください」と声をかけられました。

終演後は、お客様や本番を終えた出演俳優たちと記念撮影!!

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今川さん大好き!と言っていた実幸ロミオと勝負したり、討ち取られた者同士、永井ティボルトと仲良くなったり…

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すぱっくんもやってきてお友達になりましたよ。

ここに武石乳母も加わって、濃いキャラ集合写真に。。

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今川さん、またぜひ劇場へいらしてくださいねー!!

<萌目線。>とは・・・ SPAC俳優石井萠水の目線で稽古場や舞台裏の様子をお届けしています。
GREEでもブログ更新中。

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『ロミオとジュリエット』
構成・演出:オマール・ポラス
出演:SPAC
静岡芸術劇場
2月24日(水) ~ 3月16日(水) 
◆公演の詳細、アーティストトークなど関連企画の詳細はこちら
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2016年3月8日

<『ロミオとジュリエット』> 演出助手ファビアナさんのステキな朝食

『ロミオとジュリエット』の公演もすでに終盤です。
2月の稽古開始からすでに一ヶ月以上が経ちました。

その間、海外から来た俳優やスタッフたちは、
舞台芸術公園の宿舎で自炊生活をしています。

異国の日本で、皆さんどんな食事をしているのか、
気になりませんか?

そんなわけで、今日は演出助手ファビアナさんの、
ステキな朝ご飯を紹介したいと思います。

舞台芸術公園の近くにあるスーパーで売っている丸い白パンがお気に入りの彼女。

そのパンを使った今日の朝食はこちら。

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※コロンビアにはこの白パンに良く似た「パン・デ・ボノ」という、
キャッサバというイモの粉でできたパンがあるそうです。

静岡では、このパンをフライパンで温めて、バターを塗ってジャムをつけて、
緑茶と一緒にいただくそうです。

普段はコロンビアとフランスで演劇活動を行いながら、
母国コロンビアではテレビ女優としても活躍している彼女は
笑顔がとてもかわいらしい女性です。

そんなファビアナさんから皆さんへのメッセージを!

「ロミオとジュリエットの演出助手の仕事に向かう前、小鳥のさえずりと共に朝食をいただきます。
母国コロンビアの“パン・デ・ボノ”を思い出させてくれる日本の小さいパンと、静岡の緑茶、
そして醤油をかけたゆで卵、という素敵なミックス。
まるで、優れた材料を合わせたこの作品のよう…。
様々な国籍の俳優、何世紀にもわたって語り継がれてきた物語、永遠に消えない恋、
これこそロミオとジュリエットです!皆さま、劇場でお会いしましょう!」

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『ロミオとジュリエット』
構成・演出:オマール・ポラス
出演:SPAC
静岡芸術劇場
2月24日(水) ~ 3月16日(水) 
◆公演の詳細、アーティストトークなど関連企画の詳細はこちら
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2016年3月4日

<『ロミオとジュリエット』>開幕しました!舞台写真も公開。

オマール・ポラス演出『ロミオとジュリエット』。
2月27日(土)から一般公演の幕が開き、大勢のお客さまにご来場いただきました。

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お客さまから嬉しいお言葉をいただきました。誠にありがとうございます!
その一部をご紹介します!

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2月13日のおためし劇場からは想像(予想)できない素晴らしさでした。(60代)

演劇を観たのは初めてで上手く言えないのですが、迫力があって鳥肌が立ちました。
日本風の衣裳がとても綺麗でした。(女性・10代)

本当に「こんなロミオとジュリエットみたことない!」です。
暗くならず、楽しい気持ちになれます。(女性・50代)

何と言うか、奥が深いというか…。すごく心も身体も引き込まれました。
『ロミオとジュリエット』ってあの時代だからできた悲劇なんだなと思いました。
最後のシーンで思わず泣いてしまいました。(10代)

なんて言っていいのかわからないけど、
今まで私が観たSPACの中でナンバー1かもしれない。(女性・20代)

素晴らしかったです。(2012年の)初演を観た時も感動しましたが、
また違う印象で良かったです!
和洋が混ざり合った不思議な空気感、影絵のような演出、ロミオのカッコよさ、
ジュリエットのあどけない美しさ、乳母のキャラクター、ホントに素敵でした。(20代)
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テレビや新聞でも注目されています!
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・中日新聞(夕刊) 2016.2.12  「文化融合、心躍る演出」
・静岡新聞(夕刊) 2016.2.16  「悲劇の古典に和とユーモア」
・リビング静岡 2016.2.20  「こんにちは」(宮城嶋遥加紹介)
・朝日新聞 2016.2.27  「静岡市出身 女優2人が主役」
・中日新聞 2016.3.2  「頑張り実ってジュリエット 静大の宮城嶋さん初出演」
・テレビ静岡 2016.1.6 「てっぺん静岡」 「『ロミオとジュリエット』主演に大抜擢!静岡愛たっぷり現役女子大生」
・静岡朝日テレビ 2016.2.24  「とびっきり!しずおか」特集コーナー
・NHK静岡放送局 2016.3.1 「キラキラしずおか人」コーナー
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恋する心をエンジンに、美しく疾走するロミオとジュリエット。
ぜひご覧ください!

一般公演の千穐楽となる3月13日(日)は、お席にまだ余裕がございます。
よい席はお早めにご予約ください!

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2~3月 SPACレパートリー
『ロミオとジュリエット』
構成・演出:オマール・ポラス/原作:ウィリアム・シェイクスピア/日本語訳:河合祥一郎
出演:SPAC
静岡芸術劇場
◆公演の詳細、アーティストトークなど関連企画の詳細はこちら
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