2019年1月12日

妖怪ブログ#1~ピンチを救った子ども達の絵~

昨年9月に行ったワークショップを皮切りに、4月のプレ稽古を経て、いよいよ開幕へ向けて『妖怪の国の与太郎』の稽古が本格始動!

ということで、妖怪ブログはじめます。

第1回は、たくさんの方より「超カワイイね」「面白そう!」とご好評いただいている、すぱっく新聞一面とチラシで使われている妖怪の絵。あのヘンテコリンな妖怪たちが生まれるまでをご紹介します。

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彼らが手にしているのがこちら↓↓↓↓
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見たこともない妖怪たちがコラージュされています。

『妖怪の国の与太郎』は新作かつ、何かしら原作があったり、すでにある戯曲や台本をベースに進めるのではなく、妖怪や様々な伝説が生まれた日本の文化や風土、思想などを軸に、漫画を描くかのように画(シーン)を作りながら、セリフやストーリーを展開させていくという創作スタイル。

まさに、演出を手がけるジャンさんやロレンゾさんと、SPAC俳優とのガチの共同作業。
「これは面白くなりそう!!」という漠然とした期待はあるものの、作品の内容がどうなるのか誰もわからない状態。
「すぱっく新聞の一面(メインビジュアル)どうしよう・・・」と、演目担当&広報担当は全員頭を抱えることに。

とにかく今あるお題は“妖怪”
あとは、ジャンさんやロレンゾさんがしきりに言っていた“子どもも楽しめる”
手がかりはこの2つのみ。

う~~~~ん・・・・・

なかなか良い案が出てこないなか、着実にせまりくる「すぱっく新聞」入稿〆切日。

追い込まれる担当者たち、大ピンチ!出演俳優の写真を眺めながら過ぎ行くミーティングの時間に・・・
「おやおや?なんだか俳優たちが妖怪に見えてきたゾ・・・はっ!!!!」

と、こんな感じで、静岡市内にある高部東児童クラブのみなさまにご協力いただき、ここに通う小学生の子どたちに「俳優の正体は妖怪だった?!」というお題でオリジナルの妖怪をお絵かきしてもらうことになりました。

俳優の顔写真の他にも、俳優同士「この人はこんな妖怪っぽい、こんな妖怪だろう」というアンケートを実施して出てきた、「とにかくマッチョ」や「食いしん坊」といったキーワードがヒント。

こちらの児童クラブには100名ほどの小学生が通っていて、そのエネルギーに圧倒されながらもふと辺りを見渡すと・・・あっちにもこっちにも天才画伯が!企画した私たちの想像をはるかに超え、キャンバスにはおさまりきらない、パワフルで独創的な妖怪が机の上から溢れかえっていました。

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出来上がった妖怪にはオリジナルの名前をつけてもらい、はい完成☆

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こうして、200を超える、見たことのない妖怪が誕生しました。

すぱっく新聞やチラシでは10匹?しか掲載できませんでしたが、『妖怪の国の与太郎』公演期間中には静岡芸術劇場のロビーに展示いたします。

ぜひ愉快な妖怪の国に遊びにきてください♫

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SPAC秋→春のシーズン2018-2019 #4
妖怪の国の与太郎
2019年2月16日(土)、17日(日)、24日(日)
3月2日(土)、3日(日)、9日(土)、10日(日)
各日14:00開演 <2月24日(日)のみ15時開演>
会場:静岡芸術劇場

演出:ジャン・ランベール=ヴィルド、ロレンゾ・マラゲラ
台本・翻案・ドラマツルギー:ジャン・ランベール=ヴィルド、平野暁人、出演俳優一同
翻訳:平野暁人
音楽:ジャン=リュック・テルミナリアス、棚川寛子
*詳細はコチラ


2019年1月9日

<『顕れ』#012>リベラシオン紙劇評

Filed under: 『顕れ』2019

いよいよ『顕れ ~女神イニイエの涙~』開幕まであと5日となりました!
パリ公演舞台写真や、作中の楽曲を使ったトレーラー第二弾を公開!
作者のレオノーラ・ミアノさんからのメッセージ動画もアップしています。ぜひご覧ください。

今回のブログでは前回2回(ル・モンド紙レゼコー紙)に引き続き、パリ公演期間中に仏主要紙に掲載された劇評をご紹介します。
 


『Révélation /顕れ』と命の連鎖
アフリカにおける奴隷制の歴史を扱った3部作「Red in Blue」。その第1部を舞台化するにあたりカメルーン系フランス語作家レオノーラ・ミアノが必要としたのは、日本の宮城聰だった。突飛で誇大な美感の差異を武器に「文化の盗用」にまつわる一連の議論を逆手に取ったその手法とは。

Ève Beauvallet
2018年10月4日 リベラシオン紙
(原文はこちら

 
 『Révélation /顕れ』の演出を任せられる人物とは誰だろう。神話化された「奴隷制」の歴史を劇場の舞台にのせ、三角貿易の片棒を担いだ人々を裁くため結集した「アフリカの」神々による法廷を具現化させられる人物。果たして誰がいるだろうか。決して誰でもいいというわけにはいかない。「その人じゃ物足りない、ってレオノーラに言われると思うよ」。国立コリーヌ劇場芸術監督ワジディ・ムアワッドは同業の友人たちから異口同音に釘を刺された。「Red in Blue」(3部作で、Révélationはその第1部)を任せられる演出家を一緒に選ぼうと持ちかければ、レオノーラはきっとアフリカ系の出自の人を希望するだろうし、もっというとサハラ以南のアフリカに出自をもつ人、欲をいえば女性で、という話になるかも。とにかく誰か、一族や自分自身の出自の一端において奴隷制の歴史に切実な、しかも民族的にも当事者性を有する人物をみつけて、キャスティングに関してもその人自身の目から見て「正当なアイデンティティ」の認められる俳優を直接選んでもらう形にしないといけない。西洋人に依頼するなんて論外だっていわれるね、絶対。どんなに誠実な姿勢で取り組もうと、「文化の盗用」を犯しているという誹りは免れないんだから。
 「文化の盗用」とは社会学者エリック・ファサンがつい先日「ル・モンド」紙上で論じた、いわば「やさしいコロニアリズム(植民地主義)」のひとつの形であり、「支配者(もしくはその子孫)」が「被支配者(もしくはその子孫)」の文化を借用したり、広めたり、語ったりすることを指す。まあとにかく、フランス語で作家活動を行い、なかんずく、植民地主義に関するテーマとくれば大小問わず徹底的な論争を仕掛けて厭わないことで知られるレオノーラ・ミアノともあろう者が、アフリカを中心に据えて世界を描いたこの戯曲を黒人以外の手に委ねるなど許すはずがない。

文化移植とは

 「そういう風に言ってきた人たちはいましたね。もちろん、彼女がもし本当にそういう人だったらその時点でこの企画自体を諦めたと思います」とムアワッドはいう。だが自身もカナダとレバノンに出自をもつ作家であり演出家である彼は、自分で確かめてみたいと考えた。「僕としては、レオノーラの作品は小説もエッセイも読んでいたし、なにしろ彼女の筆に惚れ込んでいたので、そんな乱暴なことをいう人じゃないんじゃないかな、という気がしたんです」。
 かくしてムアワッドは、緊張の面持ちで敬愛する作家レオノーラ・ミアノの前に赴き、今回の企画について説明した。国立劇場の芸術監督という仕事をいわば、アーティストたちに思いがけない出会いを提供する橋渡し役だと考えている自分としては、この「Red in Blue」3部作を、然るべき「強力な」演出家をみつけて舞台化したいと考えているが、教条主義的な発想に囚われた人選は避けたい。「すると彼女の答えはこうでした。(西欧人が言うところの)「アフリカの」苦しみにまつわるこの歴史がこれまでいかに征服者の側で広め伝えられてきたかという点に自覚的な人でありさえすればいい。この作品では、断罪するとか罪悪感から解放するとかいったことよりも、鎮める、なだめることを試みているので、なまじ当事者性のある出自のアーティストに任せて対立軸に囚われてしまうのが怖い、と」。そこからふたりの話し合いが始まり、実に何ヶ月にも及んだ。それぞれが思い思いに候補を挙げてゆくがどうにも意見が合わず、一時は企画自体を断念することも考えた。そして思い余って出た言葉が「誰でもいいから理想のアーティストをひとり挙げてみてくれ。故人でもいいし、可能性ゼロの人でもいいから、なにかイメージをつかむ手がかりが欲しい!」。はたして、レオノーラ・ミアノが口にしたのは「サトシ・ミヤギ」。一瞬の沈黙に続いて、困惑したような笑いがワジディの口から漏れた。アフリカ系でもなく、支配した側の子孫でもなく、極東のアーティストだって?

 そして今、その驚嘆すべき文化移植はコリーヌ劇場の舞台でしかと形を成し、晴れて選出された現存する演出家・宮城聰は我々の目の前でコーヒーを飲みながら、ワジディのそれと同じく困惑したような笑いでその顔を彩っている。「こんな奇妙な企画は受けたことがありませんでした」と打ち明ける宮城。「今回の企画がなければこういう歴史に僕が自分から取り組むことはなかったと思います。大西洋横断強制連行(「奴隷制」という言葉は使わないようにしているので)というのは日本人にとってはやはり極めて遠い歴史ですからね。学校の授業でいくつか重要な年号や事件については教わりますが、それも本当に概要だけで。ですからレオノーラさんが日本に来てクリエーションに参加してくれるなら、という条件付きで承諾したんです。いまは、こういう文化的な遠さ、究極の距離感がなにかを産み出すのではないかと考えたワジディさんとレオノーラさんの慧眼に心から感謝しています」

声のシンフォニー

 しかし一方で、本作を2019年1月に目撃することとなる日本の観客たちにはむしろ共感しやすい部分もあるはずだ。というのも作中における死の描かれ方に、東洋人が抱くあの世のイメージ、さらにいえば死後の魂のイメージと相通ずるところがあるのである。ギリシア的な宇宙発生論と原始的な説話とを等しく取り込んだテクストはいわばサハラ以南を舞台としたマハーバーラタの様相を呈しており、オペラのリブレットさながら。不思議なリアリズムと魅惑の叙情に加えて、登場するのは「往来の番人」の名を与えられたカルンガ、それに様々な声のシンフォニーが奏でる宣告を通して言葉を発する神々。舞台は18世紀アフリカ(という括り自体が西欧的史観の産物であるとして、レオノーラ・ミアノはこの言葉を用いないが)を思わせるが、しかしあくまでも神話的に再構築された、とある「アフリカ」である。
 創造を司る神イニイエは未曾有の事態に直面している。ストライキという、宇宙の秩序に対する真っ向からの反逆である。なんでも、生まれんとする魂たちが「罰せられし魂たちが自らの犯した過ちについて説明をしない限り」地上に生まれ変わることを拒否する、というのである。そこでその罰せられし魂たち、すなわちサハラ以南のアフリカでその昔、植民者たちに協力しておきながら今に至るまで口をつぐまされてきた者たちの魂を呼び出し、裁きにかけねばならないということになる。「もしもテクストが被害を受けた側の立場にのみ特化した語りで構成されていたら、僕はこの作品を受けなかったと思います」とは宮城の弁である。「このように巨大な悲劇を語り継ぐに際しては、今までは残虐行為に手を染めた人間やその仲間よりも被害者側の声ばかりを耳にしてきました。これに対し本作でミアノさんは、ほとんど語ることを許されてこなかった人々に語らせようと試みたのであり、このバランスのとれた視座が僕にとって極めて重要でした」。

 2017年、アヴィニヨンでソフォクレスの『アンティゴネ』を宮城聰率いる劇団の俳優たちが、テクストの音楽的な解釈(ひとつのセリフを複数の声で表現したり、声と身体を分離させたり)や、文楽や歌舞伎、能といった伝統芸能を受け継ぎ様式化した技法で上演すると聞きつけた西欧の観客たちは、当然ながらたいへんな興味を惹かれて会場へ足を運んだ。しかし今回は、(歴史の面での)大きな親和性と(美的な面での)巨大な隔たりの狭間に横たわるコントラストがよりいっそう奇想天外な、いわば怪我の功名を産み出したといえる。

アイデンティティの絶対視

 というのも、残念なことではあるが、「サハラ以南で起きた強制連行」の話を観に劇場へ来ませんか、と誘われても、劇場へ足を踏み入れもしないうちからげんなりした気分になってしまう理由に事欠かないからだ。おそらくは、同様のテーマで、しかしヒステリックな叙事詩や怒れる演者たちによって暴力の暴力性をただただ繰り返し糾弾するだけの作品に食傷気味になっているからだろう。そういう意味で、これほど炎上しやすい主題を扱っていながらひたすら美的なだけの表象を敢えて提示し、滑稽味をたたえたSF的なアプローチを選択することで移民を語ったり、あるいは日本的な神聖さを介して植民地化の遺産に迫ったりという手法は珍しい。レオノーラ・ミアノが自ら書いているところによれば日本的な美の様式がアフリカ/ヨーロッパ、黒人/白人といった、自分の目には使い古され既に不毛と映る対立の構図からこの物語を脱却させてくれるのでは、というのが彼女の期待だったという。それこそまさに今回起きたことに他ならない。本作『Révélation /顕れ』は、炎上しがちな社会に対する癒し云々以前に素晴らしい舞台芸術作品であるのはもちろんだが、件の「文化の盗用」をめぐる議論が加熱するまさに今このときに提示されていることがますます人心を惹きつけているのもまた事実だろう。

 舞台芸術の世界がアイデンティティの絶対視(たとえばネイティヴ・アメリカンの役を演じる正当な権利を持っているのはネイティヴ・アメリカンだけである、という立場。過日、ロベール・ルパージュとアリアンヌ・ムヌーシュキンが抑圧されたマイノリティとしてのネイティヴ・アメリカン史を舞台化する際、当事者コミュニティ出身の俳優を一切起用しなかったことでこうした非難にさらされた)と、ある種の普遍主義を標榜する欺瞞(人が人を演じる自由に一切の制限を加えるべきではないという立場。フランスの現状はこうなってはいない)との板挟みで膠着の様相を呈している昨今、『Révélation /顕れ』の日本語上演はそうした議論から巧みに身をかわしつつ第三の可能性、すなわち多様性に創造性を導入するという道を提示している点で実に大きな意義をはらんでいる。

(翻訳:平野暁人)

◆これまでのブログ
2018.7.15更新 #001 県大での公開授業レポート
2018.7.21更新 #002 作者レオノーラ・ミアノ氏来静!
2018.8. 5更新 #003 レオノーラ・ミアノ氏講演会レポート
2018.8.30更新 #004 研修生ポールさんの振り返りレポート
2018.9.11更新 #005 世界初演まで間もなく!
2018.12.10更新 #006 『顕れ』の世界を読んで楽しむ
2018.12.16更新 #007 静岡県立大学図書館で特別展示開催中
2018.12.24更新 #008 創作秘話 ~衣裳編~
2018.12.27更新 #009 創作秘話 ~小道具編~
2019.1.7更新  #010 ル・モンド紙劇評
2019.1.8更新  #011 レゼコー紙劇評

◆パリ公演期間中のブログ
『顕れ』パリ日記2018 by SPAC文芸部 横山義志

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SPAC秋→春のシーズン2018-2019 #3
顕れ ~女神イニイエの涙~
2019年1月14日(月祝)、19日(土)、20日(日)、26日(土)、27日(日)
2月2日(土)、3日(日) 各日14:00開演
日本語上演/英語字幕
会場:静岡芸術劇場

作:レオノーラ・ミアノ
翻訳:平野暁人
上演台本・演出:宮城聰
音楽:棚川寛子
*詳細はコチラ


2019年1月8日

<『顕れ』#011>レゼコー紙劇評

Filed under: 『顕れ』2019

前回のブログに引き続き、パリ公演期間中に仏主要紙に掲載された劇評をご紹介します。
 


『Révélation/顕れ』:霊魂たちの法廷

Philippe Chevilley
2018年9月25日 レゼコー紙
(原文はこちら

 
生まれんとする魂たちを前に一人ひとり告白を行う罰せられたる魂たち……。日本の演出家・宮城聰は、「サハラ以南のアフリカ諸国において奴隷制の片棒を担いだ王たちの罰せられたる魂を召喚する」というレオノーラ・ミアノの神話的物語を雅やかに描き出した。日本とアフリカの混淆が普遍的な歌を産み落とし、鋭くも静謐に満ちたヒューマニズムを謳いあげる。

2017年のアヴィニヨン演劇祭では、ギリシア悲劇である『アンティゴネ』を、贖罪を求めて浮遊する魂たちの世界として提示してみせた宮城總。今作『Révélation /顕れ- Red in blue trilogie』においては、アフリカの遥かな過去に刻まれた痛ましき歴史、すなわちサハラ以南にかつて存在した国々の王たちが海の向こうからやって来た白人たちの求めに応じて自らの臣民を売り買いするようになり、そのことが大西洋を股にかけた強制連行と奴隷制という地獄のサイクルを根付かせることに一役買った経緯を題材に取り組んでいる。現代まで連なる悲劇の源泉へと立ち返るこの作品の原作者はレオノーラ・ミアノ。歴史認識論争を煽るような意図とは無縁の、神話の形をとった完全なフィクションである。

創造を司る女神・イニイエは、魂たちのストライキという事態に直面する。「罰せられたる魂」たちが自らの罪を認め語らなければ赤ん坊の体に入ることを拒否する、と主張する「生まれんとする魂」たち。往来の番人はイニイエの命により、罰せられたる魂たちを召喚し、生まれんとする魂たちならびに「さまよえる魂」たち、つまり死してなお安らげずにいる奴隷制の犠牲者の魂たちの面前で申し開きをするよう強いる。はたして、そこで語られる動機は様々である。弱さ、狡さ、強欲、嗜虐、悪意……。罪は罪として赦さぬままに、しかしそれぞれの動機が「顕れ」ることで怜悧なまなざしを重苦しい記憶にそそぐと同時に、やがて鎮め癒すための道を拓いてゆく。そうして宇宙はついにその営みを取り戻すのだった。

典雅な音楽
本作は日本人演出家・宮城とカメルーン系フランス作家ミアノの素晴らしい出会いによる結実といえる。ふたりは互いに同じ演劇哲学を、もとい、哲学そのものを共有していると言っていいだろう。すなわち宮城とミアノにとって芸術は、そして詩は、言の葉にならざるものを描き出し、生者と死者の世界に対話させ、人間の尊厳と人間の歴史とを調和させることを、しかも一切の妥協なく可能にするものなのだ……。日本の伝統とアフリカの物語世界、そしてギリシア神話の構造が溶け合って普遍的な歌を成し、純度の高い美的様式、独創性に富んだ衣装の数々、洗練され高い象徴性を湛えたいくつもの構図を伴って響き渡る。

表裏をなす太陽/月は時宜を得て舞台上に燦然と輝き、俳優が動かす布の一枚いちまいはさざめく波を表し、歪で巨大な仮面は悪しき魂をすっぽり覆い隠す……。そうして最高神たる女神はといえば、威厳に満ち、聖別された像さながら口をつぐんだまま、その声を分身に貸し与える。一つひとつの言葉が時代を超えた儀式におけるそれのようにして、荘重さの中にも諧謔味すら帯びた抑揚をちりばめながら発語される。緻密に織り上げられたハーモニーと打楽器の律動から成る音楽は、舞台手前のピットで生演奏され、神々および魂たちの作り込まれた身体表現と力強い声とにさらなる輝きを与えている。

哀調をまとった「罰せられたる魂」たちの舞から放たれる、ときに抑えた、ときに無慈悲な、悪の根源をめぐる言葉の数々。宮城聰はレオノーラ・ミアノの手により蘇った魂たちにかくも見事に語らせてみせる。魂たちには、いまを生きる私たちに伝えるべきなにかがそれほどたくさんあるのだ……おぞましくも核心に触れるなにかが。そのすべては私たち一人ひとりが自らの過去を受けとめ、人間としての義務を果たしてゆくための手がかりとなってくれるはずだ。

(翻訳:平野暁人)

◆これまでのブログ
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2018.12.10更新 #006 『顕れ』の世界を読んで楽しむ
2018.12.16更新 #007 静岡県立大学図書館で特別展示開催中
2018.12.24更新 #008 創作秘話 ~衣裳編~
2018.12.27更新 #009 創作秘話 ~小道具編~
2019.1.7更新  #010 ル・モンド紙劇評

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『顕れ』パリ日記2018 by SPAC文芸部 横山義志

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顕れ ~女神イニイエの涙~
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2月2日(土)、3日(日) 各日14:00開演
日本語上演/英語字幕
会場:静岡芸術劇場

作:レオノーラ・ミアノ
翻訳:平野暁人
上演台本・演出:宮城聰
音楽:棚川寛子
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2019年1月7日

<『顕れ』#010>ル・モンド紙劇評

Filed under: 『顕れ』2019

あけましておめでとうございます!
SPACの新年は、宮城聰最新作『顕れ ~女神イニイエの涙~』からスタートします!
1月4日より稽古を開始、一週間後に迫る初日に向けて最終調整を行っています。

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▲年始に『顕れ』座組集合写真を撮りました!

本作はパリ・コリーヌ国立劇場の2018年シーズン開幕作品として1か月間上演されました。
今回より3回連続で、仏主要紙に掲載された劇評をご紹介します。
*パリ公演期間中のSPAC文芸部 横山義志によるブログはこちら
 


コリーヌ劇場にて、奴隷制の犠牲となった人々の魂に儀式を供した宮城聰
アヴィニヨン演劇祭において『アンティゴネ』を成功させたかの日本人演出家・宮城聰は、今度はカメルーン人作家レオノーラ・ミアノの詩情と言葉の息吹とを見事に昇華させてみせた

Séverine Kodjo-Grandvaux
2018年9月23日 ル・モンド紙
(原文はこちら

 
時が、夏に別れを告げながらもモン=ルイの丘の上でその歩みをとめていた。パリは9月20日の夜のこと。ペール=ラシェーズ墓地の目と鼻の先で奏でられていた「天と地の狭間、昼と夜のあわい、とこしえの罪人たちの棲む灰色の谷の間近」を舞台に蠢いていたのは「見捨てられし魂たち」。すなわち決して贖い得ない罪に、およそ人道に対する罪のうちでも際立っておぞましい罪に手を染めた者たちの魂。その罪とは、人々を奴隷の身分に貶めアメリカ大陸各地へと強制連行した事実に他ならない。そうしてまた、その空前の動乱に踏みにじられた「さまよえる魂たち」は4世紀以上もの長きにわたり、寄せては返す波濤さながら命の揺りかごめがけて己が身を砕いては、「生まれんとする魂たち」に呼びかけるのだった。どうか自分たちの請願を、最高神イニイエに聞き届けてもらえるよう働きかけてほしい、と。

「さまよえる魂たち」は裁きを求めない。ただ知りたいと願う。ただ明らかになることを望む。「海の向こうからやってきた者たち」に同胞を売り渡すような行いへと人々を駆り立てたものは、いったいなんだったのか。「生まれんとする魂たち」の名はマイブイエ。南アフリカ共和国のアパルトヘイト闘争においてアフリカ民族会議党の闘士たちが用いたことで広まった「取り戻せ」を意味する合言葉だ。地上に生まれ落ちたマイブイエたちはひとたび人間としての生を終えると「始まりの海」たるマンガンバへと還って己を癒し、ふたたび地上を目指す定めを負っている。ところが「地上で自分たちを待ち受けている混沌を知り」その務めを拒絶し始めるマイブイエたち。やがて互いに交わることを許されぬはずの力と力とが一堂に会し、宇宙の存続は危機に晒されてゆく。

人間の選択と行動に関する不変にして普遍の問いを投げかけるこの悲惨な史実をテーマとした本作『Révélation /顕れ』(2015年刊行、本作は3部作「Red in Blue」の第1部として収録)の中でレオノーラ・ミアノは、「黒人奴隷貿易」に与した黒人たちの存在に言及する。ミアノはまた、自身もドゥアラに生まれ育った者として「黒人奴隷貿易」という語それ自体を退ける。そもそも「アフリカ」という呼称からしてヨーロッパ人の考え出したものであり、当時アフリカに住んでいた人々は、死出の船底へと投げ込まれたまさにそのとき、自らをアフリカ人だと考えてもいなければ黒人だと認識してもいなかったのである。

喪われた人道性
10月20日まで本作を上演中のフランス国立コリーヌ劇場芸術監督であるワジディ・ムアワッドのはからいにより、ついに実現のときを迎えることとなったレオノーラ・ミアノ(代表作として、2006年度「高校生のゴンクール賞」を受賞した『来たるべき日の輪郭』、2013年度フェミナ賞を受賞した『影の季節』など)のかねてよりの願い。はたして、宮城聰はめくるめく演出をもってレオノーラ・ミアノの詩情と言葉の息吹とを見事に昇華させてみせた。日本的な美意識のもつ力がカメルーン人作家の構築した神話のスケール感と融合したのである。

「まずびっくりしたのはですね」5月に行われたインタビューで宮城は以下のように語っている。「この戯曲のなかで描かれている死の観念、あるいはいわば「死後の世界」のとらえかたが、日本人の広く一般に思い描く「あの世」の、もっといえば死後の魂の行く末のイメージにあまりにも近かったことです。死後の魂を主題とした様々な物語に昔から親しんできた日本の人々のあいだでは、惨たらしい最期を迎えた人や無念の死を遂げた人の魂は極楽へと辿り着くことができず、この世に縛り付けられたまま、怨みが晴らされ痛みが鎮められるまで浮遊し続けると考えられているのです」

声も登場人物たちも分裂させてゆく手法をとる宮城。固定的な役割にも、性別にも、さらには「人種」にもとらわれないその姿勢は、まさにミアノにも重なるものである。2017年に71回目を迎えたアヴィニヨン演劇祭のオープニングでまったく新しいアンティゴネを法王庁の中庭に生ぜしめた彼だが、今作でも様々な太鼓や鈴が奏でる力強くも繊細極まる音楽にのせて精巧な身体表現を描き出してみせた。そうして宮城は喪われた人道性の寓意である「ウブントゥたち」に、ひいては鉄の足枷を付けられ死んでいった男性の、女性の、そのひとりひとりに、記憶から消し去られてしまったひとつひとつの名前と顔に、尊厳も埋葬も許されぬまま卑しめられたひとつひとつの身体に、さらにはいまに至るまで敬意を示されてこなかったひとつひとつの記憶に、哀悼を捧げ、儀式を供したのである。音楽を通して「俳優たちに死者の魂へ語りかけてほしいんです」と宮城は語る。

作品に込められたそうした世界観に全編通じて圧倒的な美を付与しているのが俳優たちの瞠目すべき演技と、わかりやすく「アフリカ的」なイメージの対極を突いた衣装の数々だ。日本的な美の意匠を介して、三角貿易や奴隷制、西欧世界とアフリカ世界あるいは白人と黒人の対立といった事象の中から物語の本質が抽出され、観客は残酷で非人間的な人間の歴史のただなかへと投げ入れられる。そうして人間に内在しうる極めて下賎な部分、犯しうる過ちや逸脱、欺瞞や卑屈さといったものを否が応でも直視させんとするのである。なぜなら、自らの過去をまっすぐにみつめ、人類の歴史と対峙することを拒む態度こそなにより忌むべきものなのだから。

(翻訳:平野暁人)

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2018.12.16更新 #007 静岡県立大学図書館で特別展示開催中
2018.12.24更新 #008 創作秘話 ~衣裳編~
2018.12.27更新 #009 創作秘話 ~小道具編~

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2月2日(土)、3日(日) 各日14:00開演
日本語上演/英語字幕
会場:静岡芸術劇場

作:レオノーラ・ミアノ
翻訳:平野暁人
上演台本・演出:宮城聰
音楽:棚川寛子
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