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2013年1月15日

<ロビンソンとクルーソー>演出助手 金世一さんインタビュー

◆中高生鑑賞事業パンフレット連動企画◆

いよいよ中高生鑑賞事業初日です!!
ということで今回は・・・中高生鑑賞事業パンフレットに掲載している、
演出助手 金世一さんへのインタビューのロングバージョンをお届けします。

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演出助手 金世一(キム・セイル)
俳優、演技指導者。韓国・釜山(プサン)での俳優活動を経て、
現在、東京大学大学院に在籍(ざいせき)しつつ演劇活動に携(たずさ)わる。

Q.まずは、演劇に興味をもったきっかけを教えてください。
金:演劇には、もう子どもの頃からずっと興味を持っていました。小学校の頃、クラスでチームを組んで、教科書に出てくる短い戯曲(ぎきょく)を上演することがありました。他のチームはみんなはだいたい、台詞(せりふ)を覚えて、ただ演じるというパターンでした。けれども、ぼくはチームを家へ連れてきて稽古(けいこ)をして、衣裳(いしょう)をつけて、お母さんの化粧(けしょう)道具を使ってメイクもして、と熱心につくりました。高校時代には、友達と一緒に演劇サークルをつくり、学園祭で作品を上演したこともあります。その後、大学は演劇映画学科に進みました。

Q.大学までは韓国にいらっしゃったんですよね?
金:そうです。大学は韓国の釜山(プサン)にある慶星(キョンソン)大学に入り、演劇活動をしていました。2002年に日本の演出家が来て、釜山の俳優と作品をつくり、釜山と東京で公演をしました。その時、その演出家から「東京で活動してみないか?」と言われて、その年から東京で演劇活動をしながら、東京大学大学院で勉強することになりました。

Q.『ロビンソンとクルーソー』では、演出家イ・ユンテクさんの演出助手をされていますが、演出助手を始めたのはいつ頃からでしょうか?
金:演出助手の経験はイ・ユンテク先生の作品に限ってです。2008年にSPACで『ロビンソンとクルーソー』が初めて上演されることになったとき、先生がとても忙しかったため、俳優の2人が韓国に行って稽古をすることになったんです。当初ぼくは通訳を担当していました。ぼくは、ユンテク先生のところで芝居をやっていた経験があり、研究対象の1つがユンテク先生の演技論でもありまして、ユンテク先生の演出方法について比較的理解度が高かったです。そして俳優の2人といる時間が長かったんです。24時間ずっと一緒。稽古も食事も寝るところもシャワーも。1ヶ月間、そういう生活をしていました。そこで自然と通訳の上に、ユンテク先生から演出助手の仕事も任されるようになりました。

Q.では、演出助手以外の活動の方が、ご専門ということなんですね?
金:ぼくの本業は俳優と演技指導です。釜山では俳優をしながら、自分の演技スタジオを持ち、演技指導をしていました。

Q.『ロビンソンとクルーソー』では、演出助手として、どのような仕事をされているのでしょうか。
金:日本で演出助手というと、演出の補助をする仕事です。小道具の管理をしたり、台詞の変更を台本に反映させたり。そういう仕事が多いです。韓国では、日本の演出助手のような仕事もやりますが、一方で、演技を具体的に指導し、場面をつくる手助けをします。演出家から「こういう場面をつくりたいから俳優とやっておけ」といった指示が出て、それをもとに演出助手が場面をつくるのです。ユンテク先生は、SPAC版を作る前にも、『ロビンソンとクルーソー』を演出していましたから、基本的な演出のプランは稽古を始める前に、すでに出来ていました。そこで、俳優がどう訓練をし、どう体を動かすようにすれば、演出のイメージが表現できるか、といった指導を私が演出助手として担当しています。
ユンテク先生の作品では、たいていの場合、基本的な場面づくりは、演出助手と俳優長(俳優全員をまとめるリーダー的な人)が中心になって、俳優たちで行ないます。そして俳優と演出助手だけでその場面がある程度できたところで、演出家の先生がそれを見て、更に作品の質を高めるための指示を出していくんです。ですので、演出助手や俳優長は、先生の演出方法や感覚をよく理解している人が担うことになります。

Q.日本では演出家志望の方が演出助手をすることが多いと思うのですが、韓国でも演出助手の方は、その後、演出家になっていくのですか?
金:そういう場合が多いと思います。演出家志望の人は自分が好きな演出家のもとで、演出技法を学びます。さきほど話したように演出家が不在のときに演出を任せられますから。それが自分の勉強になっていくんです。

Q.演出家イ・ユンテクさんは、韓国の演劇界でどんな方ですか?
金:韓国の演劇界では、一番大きい柱のような人です。1986年から演劇活動を始めたのですが、すぐに評価されて、イ・ユンテク先生なしでは、もはや韓国の現代演劇は語れないという状況になりました。
もともと新聞記者をやりながら詩人として活動していたのですが、会社を辞めた退職金でカマゴル小劇場という劇場をつくり、そこから本格的な活動を始めていったそうです。翌年1987年にはソウルで初公演を行い、その3年後の1990年には、日本でも東京芸術劇場で『オグ』という代表作を上演しています。
ユンテク先生の演出は、シェイクスピアであれ、他の劇作家の作品であれ、そこに韓国的なイメージを深くかぶせるのが特徴で、韓国の大衆にも人気があります。それから、詩人として出発している方なので、自ら戯曲を書き、それを演出することで、自分の世界観を舞台で表現してもいます。さらには、大きな演劇祭を芸術監督として開催したり、韓国の中では最もがっちりとした演技理論を構築したりと、とても活動の幅が広いです。

Q. SPAC版『ロビンソンとクルーソー』の魅力はどんなところでしょうか?
金:『ロビンソンとクルーソー』は、小さな無人島に流れ着いた韓国人と日本人の2人の男の物語です。最初2人は敵対していますが、次第にお互いに助け合い、友情を育んでいきます。そのやりとりは、論争のような言葉によるやりとりによってではなく、言葉の通じない2人の体と体のぶつかり合いで表現されています。舞台は最初から最後まで、俳優の2人の活発な身体性で埋められているのが、この作品のまず一番の魅力だと思います。
三島景太(みしまけいた)と仲谷智邦(なかやともくに)という2人の俳優は、SPAC初代芸術総監督の鈴木忠志(すずきただし)さんが考案した「スズキ・トレーニング・メソッド」という身体訓練を長らくやってきていて、洗練した体の使い方ができます。『ロビンソンとクルーソー』は、一見するとドタバタのおもしろい演劇に見えると思いますが、洗練された動きができる訓練された俳優の身体が、実はこの作品の根底を支えています。訓練されていないと、できない動きがとても沢山入っています。そういった動きは、作品作りの最初の段階から意図的に入れていきました。
具体的に言いますと、日本兵クルーソーの動きには、一点に向けて力を集中していくような直線的な動きを取り入れ、それに対し、ロビンソンには韓国らしい3拍子の滑らかな動きを取り入れています。2人が、けんかをする場面では、日本兵の2拍子の直線的な動きと、朝鮮人の3拍子の滑らかな動きを、うまく混ぜたんです。そのような俳優の動きを意識すると、作品を観るおもしろさも増すのではないかと思います。
また、友情という普遍的なものを言葉の論理ではなく、感情的にわかりやすくイメージで伝えているので、子どもも大人もかまえずに見られる舞台です。芝居に入り込んで、そこで自然と感じる感動があるのではないでしょうか。

(2012年12月4日 静岡芸術劇場より電話にてインタビュー)

鑑賞事業パンフレットは、一般公演でも物販コーナーにて販売しています。
『ロビンソンとクルーソー』鑑賞事業パンフレット表紙