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2015年5月30日

シンポジウム:革新としての伝統 ―フォークロアとコンテンポラリーダンス―

5/1に行われましたシンポジウムの要約版です。
ぜひご一読ください!
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オルタナティブ演劇大学
革新としての伝統 ―フォークロアとコンテンポラリーダンス―

◎登壇者
石井達朗(舞踊評論・研究)
矢内原美邦(振付家・ニブロール主宰)
◎司会
横山義志(西洋演技理論史/SPAC文芸部)

 2015年5月1日、オルタナティブ演劇大学の5回目が開催された。日本初演された無垢舞蹈劇場『觀~すべてのものに捧げるおどり~』を中心に、アジアの演劇伝統とコンテンポラリーダンスの関係について議論された。以下、抜粋である。

■暗黒舞踏の現在
横山 台湾の無垢舞蹈劇場は、アジアのコンテンポラリーダンスを代表するカンパニーの一つだと思います。日本でコンポラリーダンスと言うと、欧米のバレエやモダンダンスを学んだ人がやるイメージが一般的ですが、そもそもコンテンポラリーダンスは今のダンスという意味ですから、アジア的な身体をベースにしたコンテンポラリーダンスも可能だと思います。無垢舞蹈劇場は、まさにアジア的身体によるコンテンポラリーダンスの代表例です。日本で言うと、50年前のアングラ演劇と同じくらいの時期に出てきた、いわゆる暗黒舞踏も、コンテンポラリーダンスの一形態かもしれません。
石井 土方巽を始祖とする暗黒舞踏は、名前を聞いていても舞台を見たことない方が多いかもしれません。一般的に、舞踏は、コンテンポラリーダンスと区別して考えられます。コンテンポラリーダンスの世界で舞踏出身の方が多く活躍しているというのが今の状況です。日本では舞踏家が非常に少なくなっています。皮肉なことに、海外では、日本のコンテンポラリーダンスより舞踏に関心が集まります。アメリカや西ヨーロッパはもとより、北欧のノルウェー、デンマーク、フィンランド、東ヨーロッパのスロバキア、ポーランド、南アメリカのブラジル、セントラルアメリカのメキシコ、そういう地域で舞踏に対する関心は絶大です。「ダンスの未来は舞踏にある」と言われるくらいです。海外の舞踏への関心興味と、日本の中の火がくすぶっているような状況、もの凄くギャップが大きい。20代、30代、40代の舞踏家の人たち、もっと自信を持って頑張ってほしいという感じがします。日本で舞踏家として大活躍しているのは、第一世代、第二世代です。麿赤兒、笠井叡、天児牛大、室伏鴻などといった人たちです。中堅や若手の世代からなかなか出てこないですね。
矢内原 それはどうしてだと思います?
石井 舞踏よりコンテンポラリーダンスのほうが入りやすいと感じられているのではないでしょうか。舞踏と言うと、これは土方巽以来の伝統かもしれませんが、なかには秘密結社的なところがあったり、よくも悪くも、閉ざされていて暗く、とっつきにくい、おまけに自己否定的なまでの心身への集中力を要求される、というイメージがある。もっと明るく師弟関係が希薄なところで、ばんばん自分の好きなように体を使ってみたい、今で言えば、ヒップホップに代表されるような、そういう感覚の人たちが多いのではないでしょうか。美邦さんのところに来るダンサーはどうですか?
矢内原 舞踏出身の人もいますね。日本の舞踏カンパニーの山海塾や大駱駝艦を見ていると、集団的に空間をつくっていきますよね。
石井 絶対的にそうですね。
矢内原 一方で、日本の舞踏の場合、大野一雄さんのような一人で存在感を発揮するパフォーマーもいます。室伏鴻さん、笠井叡さんなどもそうですね。
石井 今、名前の上がった室伏鴻、大野一雄、笠井叡は、基本的にソロで活動する人たちです。室伏と笠井は群舞に振付ける作品でも、注目すべき舞台を内外でいろいろつくってますが・・・。世界中で舞踏をやる人がたくさん出てきているんだけれども、その多くは、ソロで踊る人たちです。ソロのほうが踊りやすい。自分のコンセプト、イメージを表現しやすい。他方、無垢舞蹈劇場は、個が全部削除されていて、完全な統率のもとに動いている。これも舞踏の伝統にあるんです。土方巽が、1972年に『四季のための二十七晩』という代表作をつくります。土方という帝王が全ダンサーを人形のように動かしてつくられた作品です。現在、舞踏家として活動している和栗由紀夫、小林嵯峨なども参加していましたが、当時は完全に統制された振付のもとに動いていた。1人の突出した振付家がいて、完全にコントロールされたグループワークをつくる系統には、土方巽、麿赤兒の大駱駝艦、天児牛大の山海塾などがあります。一方、個人で即興を大事にして踊る舞踏家がいる。代表的な人が大野一雄です。大野は、シュールな言葉を費やして作品のイメージをたくさん書き付けているけれど、最終的には形に囚われず、感興の赴くままに自由に踊りました。そのエッセンスを受け継いで自由に踊っている人が笠井叡。この2つ違った流れは、土方巽と大野一雄という2人のカリスマによって代表されると思います。

■アジアの足元を見直す
石井 無垢舞蹈劇場の『觀』は、ゲネプロ(リハーサル)の10分くらいを見た程度でも、何か絶対的な存在者がいて、全ての者たちがその時空のなかで動いているような印象を受けました。演劇やダンスの公演というより、ある種のリチュアル(儀式、祭儀)ですね。リチュアル的な世界では、季節や生命や暦のサイクルの中で、人々が様々な行為を祭祀や儀礼として行っていくわけです。そういう世界は、絶対的な存在者を想定していますから、アーティストがアーティスティックな意思をもってつくる世界とは違います。現代の演劇人や舞踊家が、今まで積み上げてきたものをどう扱うか。ダンスだったらモダンダンス、演劇ですと近代西洋演劇の心理主義的なウェルメイドの世界がある。そういうものが行き詰った時に、欧米の演劇人が求めたのは、リチュアルが持っている時空でした。ちょっと皮肉な感じもするんですけどね。アジアの我々が、欧米のアヴァンギャルドを見つめている時に、欧米の人たち、例えば、アントナン・アルトー(フランスの俳優、詩人)、イェジー・グロトフスキ(ポーランドの演出家)、ピーター・ブルック(イギリスの演出家)、そういう人たちは、アジアやアフリカのリチュアルな世界から豊かなものをくみ取っていた。アジアの我々は、鈴木忠志のような人を除くと自分の足元を見ていなかったということがありますよね。21世紀になって台湾から『觀』のようなコンテンポラリーダンスが来て、SPACの宮城さんはずっとそういう意識を持って仕事をしてきた方だと思いますが、例外的です。ようやく21世紀にアジアの足元をもっと見つめようという動きになるのかもしれない。
矢内原 思うのは、文化をくみ取っていくことと、今ある現在自体を表現することは、違うのかということです。コンテンポラリーダンスは、日常的な、今あるここの瞬間をどう切り取るかということをしますよね。初めてアヴィニョン演劇祭に行った時、「お前ら、着物は着ないのか?」とすごく言われたんです。ニブロールはスニーカーでばたばた走ったりこけたりしていたので、「リノリウム(床材)の上を靴で走るなんて…」と非難されました。安い靴だったので、靴の白い素材が床に着いて、一生懸命掃除した思い出があります。石井さんが言ったみたいに、フランスやアメリカの人たちの間で、舞踏の存在は絶対というのは、よくわかります。私たちのダンスカンパニー・ニブロールが最初に海外に呼ばれたのは、サンフランシスコ舞踏フェスティバルでした。なんで呼んだんだ? って聞いたら、「お前ら、舞踏だろ」って言われたんです。「ニブロールは新しい舞踏だろう」って。その時は、行きたいだけにYESって答えたんですが、上演の後になって、フェスティバルのキュレーターに、「お前らちょっと舞踏と違うな」と言われました。
石井 だいぶん違いますよね(笑)。
矢内原 でも、土方さん、笠井さん、田中さんとかカッコいいと思います。私、田中泯さんを高校の文化祭で初めて見たんです。今治南高校の文化祭に田中泯が来て、急に全裸になって踊ったんですね。たぶん水中眼鏡をかけていたと思います。衝撃が走りました。決して、舞踏というもの自体が、現代を切り取っていないとは言えないと思うんです。ただ年代によって表現が違ってくるんだと思います。
石井 コンテンポラリーダンスの場合は、今現在を見つめながら作品をつくらなければならないけど、舞踏はどうかと。そこは大きな問題です。舞踏、コンテンポラリーダンスに限らず、ダンスで作品をつくるという時、ダンスは言葉ではないので、「集団的自衛権反対」「沖縄の米軍基地辺野古移設反対」とか、演劇ならテーマになりますが、ダンスにはできない。一体、ダンサーは何に向き合って作品をつくるのか。本質的な問題になってくると思います。コンテンポラリーは同時代という意味ですから、同時代を肌で感じて、同時代の人たちに発信する。それに対して、舞踏は時代性よりも、もっと時代を超えて、我々が背負っている、生きているときに引き摺ってゆく言葉にならないような暗鬱なもの、一寸先は闇で一寸後も闇、この先どうなるかわからない漠然とした不安、そういうものがテーマになってくると思います。

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■戦後とフォークロア
横山 アジアの我々自身は、日常というものをアジア的だと認識していない。アジアのコンテンポラリーダンスの難しさはそこにあると思います。我々アジア人は、アジア的でない日常を生きている。我々は欧米から近代を受容して近代化した。ワインを飲んだり靴を履いたりして、着物は着ない。それに対して、伝統的なものは、言ってみれば、欧米から輸入されたものではないものです。現代の日常とアジア的なものの間に、断絶がある気がする。そこにコンテンポラリーという概念が、アジア的なコンテンポラリーへ向かう時の、矛盾というか、錯綜した関係があるように思いますが、いかがでしょうか?
矢内原 コンテンポラリーと言っても、たぶん、つねに外に外に向かっているものではなくて、内側に入っていくものでもあります。凄い内側のことと、凄い外側のことは、いつかつながると思っています。私の振付で、速いスピードで何をやっているかわからないくらいに動くのは、自分が何をしているのかというコントロールを失っていくことなので、それ自体も、ゆっくり歩いているのと同じなんです。って言いきってますけど、私はそう思っています。でも、私たちは、靴を履いて着物は着ないわけですけど、確かに日本人であるという血は流れている。家に上がる時は靴を脱ぐ。靴を履いたまま一日生活することはできませんよね。西洋のものをひたすら追って外側のポイントができるということではない、何かのやり方を探そうと思うと、内側にどんどん行くという結果に、私の場合はなっています。
石井 『觀』は、まさにアジアでしか生まれないコンテンポラリーダンスであると言えると思いますが、だからと言って、私は、アジア的なコンテンポラリーダンスというくくりは使わないほうがいいと思います。コンテンポラリーダンスの最も特色となる部分は、個の領域だと思います。数百年、何千年の歴史で振り返った時に、日本の芸能者は様々な集団に縛られてきました。その集団は、階級であったりします。江戸時代であれば士農工商穢多非人。芸能者は、河原者や小屋者と呼ばれて、封建社会の中の最底辺で生きてました。歌舞伎の元祖の出雲阿国のように、街道を歩いて春をひさぎながら同時に芸を売る。社会の底辺で芸能者が芸を売って、日々の生活を活性化していたという面がある。芸能者は社会のヒエラルキーやジェンダーに縛られてきた。モダンダンスの時代になっても、強い師弟関係や昔ながらのジェンダー感が持続しています。コンテンポラリーダンスはそういう縛りを全て取っ払うわけです。ジェンダー、世代、誰々先生に学んだとか、どの大学に行ったとか、学校を出ているとか出ていないとか、そういうことに関係なく、個人が個人として表現する。そこがコンテンポラリーダンスのオリジナリティであってほしいと思っています。そう考えた時に、私は、アジア的な身体性やアジア的なコンテンポラリーダンスというくくりは、好きではないし、賛成しない。ヨーロッパ的な身体とかアメリカ的な身体を我々が考えないのと同じように、個人が今の時代に向けて何を表現するかが重要になってきます。
横山 なるほど。
石井 今日のテーマの「フォークロアとコンテンポラリーダンス」。私自身、これを聞いて、あれ? と思った。このくくりで考えたことは一度もなかったんです。日本のコンテンポラリーダンスではフォークロアということをほとんど聞かない。言われてみれば、舞踏では、フォークロアの領域を見ることで、新しい表現が見出されました。しかし、コンテンポラリーダンスでは聞かないですね。モダンダンスの歴史の中では少しありますけど。それはなぜか。単純な答えとして考えられるのは、日本は戦争に負けて、それ以前の価値観を否定しました。アーティストは新しいものを目指すので、伝統を否定しながら、アメリカの新しいもの、ヨーロッパの新しいものを積極的に受け入れてきました。土方巽もアルトーやジャン・ジュネやロートレアモン(ともにフランスの作家)など様々な前衛から影響を受けて、自分の世界をつくり上げました。日本では伝統芸能の世界はひたすら伝承されてきましたが、コンテンポラリーな舞台人たちは、いい悪い抜きに、概して伝統には関心をもたず、欧米で先端を行っている芸術の破壊的な運動、ダダイズム、シュルレアリスム、ドイツの表現舞踊、1960年代のハプニング、アメリカのポスト・モダンダンスなどに目を向けながら、新しいものをつくろうとしてきた面があるのではないかと、今、感じているところです。これに対して、アジアのほかの国々のコンテンポラリーダンスは、積極的に伝統的なものを取り入れています。30数年、日本に植民地支配された朝鮮半島の人たちが、戦争が終結したあと、自分たちのアイデンティティを取り戻すために、フォークロア的世界へ帰っていこうとするのは当然ですよね。

■フォークロアの応用
横山 芸能者は社会的なヒエラルキーと結びついている部分があったと言われていましたが、そういった集団性をべつにして、伝統的なダンスのテクニックをコンテンポラリーダンスの要素として使うことは、十分可能なのではないかと思うんです。でも、日本には、たとえばいわゆる日本舞踊や歌舞伎舞踊をもとにしたコンテンポラリーダンスはないわけでしょう。それはなぜなのか、素朴な疑問でした。
石井 世襲や家元制をどう考えるかという大きなテーマにもなってくると思います。歌舞伎の場合、絶対的にいいとは思わないです。私は、歌舞伎にも女性が出るべきだと思っています。こう言うと歌舞伎ファンから袋叩きに合うかもしれないけれど、歌舞伎の女形が本当の女性より女を表現できるというのは単なる神話であって、女性が一番女を表現できると思います。女形の伝統は残しておいて、女性も舞台にのるべきだと思います。歌舞伎の世界に女性がいないのは、単に伝統だからという理由なんですね。歌舞伎が世襲によって成り立っていることをどう考えるかという問題になります。一長一短です。世襲であるからこそ才能あるなしに関係なく、幼少の頃から稽古して継承できる、無二の芸のクオリティがある。しかし、歌舞伎の役者の家に生まれなかったけれど、もしも小さい頃から稽古していたら、今の歌舞伎役者の数倍も能力がある人がいくらでもいるはずです。そういう時に、伝統をどう考えるのか。結論はなかなか出ないですが、先ほどの横山さんの質問で、日本の伝統的なものをコンテンポラリーダンスに活かせないのかと言われれば、完全にYESです。舞踏の世界では、60年代に、土方巽は、アヴァンギャルドとして、当時のハプニングなどの影響を受けながら伝統破壊的な作品を発表していましたが、70年代になって、舞踏を様式化する方向へ徐々に変容していきます。その時に、彼が生まれ育った東北の情景を見つめた『四季のための二十七晩』という作品で、瞽女(ごぜ)さんの音楽を使っています。瞽女さんは、日本に長らく存在していましたが、もうあまり知られていないかもしれません。主として女性の盲目の芸能者です。盲目で生まれたり、幼少のときに目が見えなくなったりすると、農作業もできず嫁にもやれないということで、瞽女宿に入れられて、芸能者として生きるしかないわけです。三味線を弾いて、瞽女歌を歌って、雪深い村々をまわり、米やお金をもらいます。70年代に、かろうじて何人かの瞽女さんが生きていて、土方はその音楽を作品の中で使っていて、それまでの日本のモダンダンスの歴史では考えられなかったような新鮮な効果を挙げています。神話、伝承、語り伝えられたものが、全てフォークロアですが、そればかりではなく、ビジュアルなイメージや音楽もフォークロアです。フォークロア的なものは物語でなくてもいい。そういう意味ではとても豊かです。コンテンポラリーダンスは非物語性を得意とします。英語ではノンナラティブ(non‐narrative)という言葉がありますが、非物語世界のイメージの強度はやはりダンスなんです。特にコンテンポラリーダンス。モダンダンスでは、物語的世界、あるいはマーサ・グラハムのように神話的世界も多いです。コンテンポラリーダンスは物語に寄りかからない。そういった時に、論理から逸脱するフォークロア的イメージはコンテンポラリーダンスと出会える可能性は多々あると思います。それらをどんな風に掘り起こしていけるのか、これも一つの課題ですね。
矢内原 民俗的なものは、コンテンポラリーダンスにもう入っていると、聞いていて思いました。ニブロールも、越後妻有トリエンナーレで公演した時、妻有の民話を語り継ぐ人のところに聴きに行って、それを動きに起こしました。民族的なものを取り入れて動きにしていくことは、多くのコンテンポラリーダンサーがやっているように思います。ただ、その表れ方は、ほかのアジアの国々とは違うのではないかと感じます。

2015年5月1日 静岡市葵区のスノドカフェ七間町にて
構成:西川泰功