ブログ

2015年9月26日

『舞台は夢』について、演出家フレデリック・フィスバックさんのインタビュー【前編】

カテゴリー: 『舞台は夢』2015

フランスの演出家フレデリック・フィスバックさんが、SPACのスタッフ・キャストと創る『舞台は夢』は、17世紀フランスの劇作家コルネイユによる喜劇。「秋→春のシーズン2015/16」の取材に訪れた静岡新聞(9月15日夕刊掲載)の記者、宮城徹さんとともに桂真菜(舞踊・演劇評論家)が、本作の面白さを伺いました。インタビューの中でフィスバックさんをF,  宮城さんをM, 桂をKと表します。初めのページでは『舞台は夢』の魅力を伺います。次のページでは2010年に演出したSPAC版『令嬢ジュリー』や、同作のフランス版で主演したジュリエット・ビノシュのお話に続き、静岡への思いを届けます。この取材は稽古期間中の9月2日に、静岡芸術劇場で行われました。

★ヨコシマな恋と殺人に彩られた、スリル満点の芝居

K:『舞台は夢』は、家出して行方不明になった息子を探す父が、魔術師に出会い不思議な体験をする物語です。恋、裏切り、殺人……息子クランドールの波乱万丈の歳月を、父プリダマンと共に観客は追います。あっと驚く戯曲の結末が、どのように表現されるのか、わくわくします。というのも、稽古でフィスバックさんの演出と俳優・照明・音響・装置が呼応して、演劇ならではの幻影が生まれる瞬間を味わったからです。初めて芝居を見る中高生も、芝居や美術をたくさん御覧になった方も楽しめる舞台になりそうです。

F:大いに楽しんでいただきたい、と私自身も願っていますよ(笑)。せっかく来て下さった観客の皆さんを「退屈な見世物」で失望させてしまったら残念です。もっとも、私は舞台を単なる気晴らしの娯楽、と捉えているわけではありません。生と死、愛の喜びや痛みなど、深いテーマを皆さんに考えてもらうことも、演劇の使命だと思いますから。コルネイユは優れた物語の語り手です。見る人の好奇心を引きつける要素を上手く組み立てるし、スリルやサスペンスの扱い方も抜群。巧みなストーリー展開に観客は振り回され、驚いたり怖がったり、多彩な感情を味わうでしょう。

K:父は魔術師が操る幻想を通して、息子の消息を知り再会のきっかけをつかみます。その嬉しさを語る言葉を聞くと、かつて息子を追いつめた信念が和らいだように思えます。

F:そうですね。あるがままの状態の息子を受け入れる寛大さを、父は身につけたのです。本作は、旧世代が若者を苦しめてしまう問題も観客に訴えます。子どもを理解できなくて、じゅうぶんに愛を注げなかったり、考えを押し付けてしまったりする過ちは古今東西、多くの人が経験しました。「子どもを信頼して、その子が花開くように寄り添っていこう」と語りかける側面も、『舞台は夢』にはある。この点は演劇、および芸術といわれるものに、人間を治癒する効果が潜むことを伝えています。

★演劇の力に驚く体験が、波のように続く

K: 『舞台は夢』からは、演劇の素晴らしさに寄せる讃歌(オマージュ)が響きます。爆笑と涙で観客を揺さぶり、芝居ならではの面白さで観客を驚嘆させる工夫が戯曲からもあふれています。

F:たしかに、演劇へのオマージュと呼べる作品です。たとえば、登場人物である息子のクランドールは反抗的で、社会に参加できない若者の代表。なかなか居場所を見つけられない彼が、落ちつけるところを探すために俳優になる。その設定も一種のオマージュ。演劇には共同体の約束と折り合いをつけにくい人が、社会の中で存在意義を見出す作業を助ける力もあるのです。

K:フィスバックさんも青春時代は、一般社会の規範になじめない、といった違和感に悩みましたか?

F:そういう面もあったかもしれませんが、私は愛情に溢れた家族に囲まれていたうえ、幸いにも若くして演劇に出合えました。だから、多くの人が思春期に感じる疑問に、戯曲や詩を通して向き合いました。解決しがたい矛盾は、舞台を通して考えたものです。もちろん、演劇活動だけで世の中が、平穏に治まるわけではありません。自分と異なる背景をもつ者を蔑むような冷たい視線を、全ての人から除くことは不可能ですから。非情な人たちは、常に世間を脅かします。そういった自己中心的で不公平な人の憎しみに巻き込まれずに、多様な人間同士が関係を築いて芸術や愛を育むからこそ、私も活動できるのです。

K:『舞台は夢』が書かれたのは380年も前ですが、自分と違う価値観をもつ息子を認めなかった父が変わる話は、世代間の対話に困難を抱える現在の観客を励ましてくれますね。

F:そう、ドタバタ・コメディー風の場面もある愉快で軽やか、しかも深遠な作品です! 

★「怪物」みたいなバロック演劇を目撃

K:稽古を拝見して、魔術師アルカンドルが「舞台の演出家」として表現されている、と思いました。目の不自由な魔術師が連れている盲導犬が、擬人化されています。その結果、複数の魔術師が活躍するように感じられるシーンもあって……。全能者であるかのように幻影を見せる魔術師、その人物の目が見えない、という点も不思議です。

F:人間関係において、素敵だな、と思うこと。それは相手が私に、「自分が何をしているのか」、教えてくれる時があることです。今がまさに、その時。桂さんが私のしていることを教えてくれました。何らかの理由に基づくことではありますが、直感的に閃いた方法を私は稽古で試していきます。試行錯誤で育まれる舞台は、初めてこの作品に触れるお客様にも、自分なりに感じていただければいい。その人の理解は、私の解釈と違って構わないのです。演劇には多様な信号が用意されていますが、別の解釈の余地が必ず残る。そういうものでなければなりません。この感覚は、私の好きな習慣に通じます。昔は食事の準備をする際に「誰かが訪ねてくるかもしれない」と思って、一人分の席や食器をテーブルに加えたものです。そういう素敵な伝統ともつながる考え方です。

K:2004年にフランスで『舞台は夢』を演出されていますが、魔術師は全く違う方向で演出されましたか?

F:全く違っていて、カメルーン系の俳優を起用しました。旧約聖書に記されたバベルの塔よろしく、多様な民族が行きかうパリには大勢のアフリカ人が暮らし、星占い師や呪いを解く人もいます。2004年には異文化を生かす演出でした。その作業とSPACでの稽古を比べると、当時の演出は今回の下書きのよう。11年を経て新たに本作を演出できて嬉しい。ようやく何らかの到達点に立てる予感がします。

K:静岡の俳優やスタッフとの稽古も、新鮮なアイデアの源でしょうか?

F:はい。この作品が一見シンプルでありながら、実は複雑な構造をもつことも影響しています。劇中劇は「演劇についての演劇」を探る、果てしない知的ゲームを提供します。読むほどに、さまざまな演劇ジャンルの展開を可能にする戯曲ともいえますね。均衡と調和を尊ぶ古典主義のかたちをもちながら、それ以前に栄えたバロック演劇の激しさをたぎらせ、シェイクスピアやスペイン黄金世紀の型破りな作品にも近い。「世界は演劇」という思想を具体化する本作は、規則に収まりきらない「怪物」です。

取材・構成:桂真菜(舞踊・演劇評論家)

(後編に続く)


SPAC 秋→春のシーズン#1
『舞台は夢』
公演日時:9月23日(水・祝)、26日(日)15:00~
     9月27日(日)14:00~
     10月10日(土)、11日(日)14:00~
公演会場:静岡芸術劇場