2016年7月30日

カムチャッカ、体の重みを受けとめること(SPAC文芸部 横山義志)

SPAC文芸部 横山義志

カムチャッカの『三島の異邦人』、見ているあいだはすっかり楽しんでいたが、寝る前に思い返してみると、だいぶ違った気持ちになってきた。

『三島の異邦人』(ふじのくに野外芸術フェスタ2016)
http://spac.or.jp/kamchatka_2016.html

三島駅から徒歩8分ほどの白滝公園。木陰で湧水に足を浸してみると、真夏なのに痛いほどに冷たい。炎天下、なぜかコートを羽織って、古ぼけたトランクを持った異国の男女8人が、信号を渡って公園にやってくる。うちわで涼んでいる女性を見かけ、興味をおぼえ、女性を見つめる。女性が少しあおいでやると、すごく快適そうな表情を浮かべる。それを見て、一行の他の人々も女性の前に並んで、うちわの風を所望する。

人を追って、靴のまま水に入っていく。トランクを開けると、モノクロの写真が出てくる。愛する人らしき写真を掲げてまわりの人々に見せ、消息を尋ねる。このとき、観客の女性の一人が、やはり懐から古い写真を出し、異邦人たちに見せた。異邦人たちは女性のまわりに集まり、愛おしげに抱擁する。

河床のうえに建てられた縁台で昼寝をしている男性を見つけ、旅行カバンを枕に、同じように横になってみる。観客も昼寝を誘われる。しばしの休息のあと、起き上がり、川を渡ろうとする。縁台のうえから、向こう岸にいる観客に旅行カバンを見せて、取りに来てもらう。観客のうち何人かが川のなかに入って、トランクをリレーで向こう岸に渡してくれる。そして、数メートルの高さの縁台から異邦人たちが降りるのを手伝う。

最後に残った女性は縁台の縁に立って、下を眺めている。さらに人を集め、腕を組んだところに、女性が身を投げていく。受けとめた観客の一人は、「かなり腕に来たよ」と語っていた。

この作品の原題は『カムチャッカ(Kamchàtka)』といい、これが劇団名にもなっている。見知らぬ町から来た人々をイメージしたという。スペインのバルセロナを拠点としているが、パフォーマーたちはヨーロッパや南米の様々な国々から集まってきている。この作品では、彼らは言葉は一言も発しない。土地の言葉も風習も全く解さない人々がやってきて、その町の住民となんとかコミュニケーションを取りながら助力を求め、その町で生きていくすべを見出だそうとする。移民をテーマにしたこの作品は、これまで25カ国で300回以上にわたって上演されてきた。今回同時に上演された『ライフ・アット・中央幼稚園 ~ふしぎなじかんのながれるところ~』(原題:『住処(Habitaculum)』)はその続編で、異邦人たちが住み着いた空き家に招かれ、彼らの不思議な生活を分かち合うことになる。

家に戻って眠りにつこうとしたときに、ふと思ったのは、実際にそんな異邦人に出会ったときに、自分は同じことができるのだろうか、ということだ。作品を見ているあいだは、惜しみなく与えたい気持ちになったが、実際に自分の町で出会ったとき、それができるのか。あるいは、ふだんできているのか。ふだんからしょっちゅう出会っているのに、時には求められてさえいるのに、気づかないふりをしているのかも知れない。三島には日本大学国際関係学部があることもあって、白滝公園にも外国出身の方が少なくなかった。

目の前にいる人にどれだけ共感できるか、という能力は、今の社会で生きていくうえで、あまりにも問われることが少ない能力なのかも知れない。会社でも学校でも、こういう能力が評価されることは滅多にない。競走を勝ち抜いていくためには、むしろ余計なものにもなりかねない。数限りない世界の悲惨を日々ニュースで目にしているうちに、目の前の不運や悲しみに鈍感になってしまっているのかも知れない。

言葉を忘れ、目の前にいる人の顔つきや身ぶりを見つめ、その人の重みを受けとめてみること。生身の人間との出会い方を、あらためて教えてくれる作品だった気がする。

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