劇評講座

2016年2月10日

■準入選■【ハムレット】誰もハムレットを止められない 深澤優子

カテゴリー: 2015

 「ハムレット」の舞台を見るのは初めてである。でも、あの「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」という台詞も、ストーリーもいつかどこかで読んだりしていて、なんだかもう知っているみたいな気がしていた。あまりに有名なこの古典的悲劇をSPACがどう捌いてくれるのか、どう見せてくれるのかを楽しみに劇場にでかけた。
 私がこれまで見たSPACによるシェークスピアは「ロミオとジュリエット」「真夏の夜の夢」だ。どちらも独創的な演出と鍛えられた表現者によるエンターテインメントにきっちり仕上がっていた。今回も期待を裏切らないおもしろさで私は2時間飽きることなく舞台に没頭し、楽しんだ。
 しかし、前記の二作品と違って、「ハムレット」は上演前にプレトークとして劇団側からの解説があった。それを聞かないと、その解説者の言う通り、最後の場面は理解しにくいだろう。だが、全く仰天の最後であった。ここまでの2時間はこの終幕の悲劇のために用意されてきたのだ。ハムレット、その母ガートルード、父の仇である新王クローディアス、次々と主要人物が容赦なく殺されていく。人が倒れると舞台に設置された金属柱が共に倒され、轟音が響く。視覚と聴覚に同時に激しく訴える場のあと、事件を後世に伝える役目を負った一人ホレイショーだけが生き残る、しばしの静寂。そこにポトリッと落ちてくるものがある。次の瞬間、ハーシーチョコレートの箱がドカドカッ、ドカドカッ、暴力的な音と重さで落ちてくる。出演者に当たったら死ぬんじゃないかと思う程の恐怖でひやひやする。そして、突然、鳴り響く陽気なジャズ。これはアメリカ軍に占領された敗戦時の日本国だ。日本人にはあまりにも分かりやすすぎる隠喩だ。ここまで来てハムレットの真の愚かさが明らかになる。彼はいわば、私怨で国家を滅ぼしたようなものである。国民からすれば、為政者たる王族という自覚のない阿呆である。帰り道、「全くハムレットのやつー」と日本国民の一人として怨嗟をつぶやきつつ、駅に向かう私だった。でも、これでいいのかなあ。だって、あそこはデンマークであって日本じゃない。私のぼやきは正しくないだろう。落ちてくるのはハーシーチョコであっているのだろうか・・・。もし、ハムレットを始めとする王族の怠慢で国が滅びたというのなら、あのチョコは日本が負けたのは皇族のせいであるという隠喩であろうか。いやいや、それはない。それとも、個人としての悩みを抱えるようになった人間存在が封建時代に終止符を打ったということであろうか。これはいかにも考え過ぎか。しかし、このエンディングについてはいろいろと意見の別れるところであろう。
 さて、プレトークの解説者がもう一つ気になることを言っていた。この劇は、ハムレットが亡霊の言葉を信じてエイヤッと仇を成敗してしまえば5分で終了する話だと。確かにと、会場は爆笑した。そこで次に、5分で終わらずこの脚本が全部上演すると3時間にもなる理由について述べたい。
 今、私は、35年前の大学の夏期講義で、静岡県立大学教授がある学生の卒論について語った言葉を思い出している。その学生は「ハムレットのテーマは人間不信だ」と書いたそうだ。それは台詞の第一声が「お前はだれだ?」という疑問文であることからわかる、というものであった。なるほど、人間不信といえば、ハムレットは亡霊となった父親の言葉だって信じやしないのである。ハムレットは父親の告発の真偽をさぐるために、狂った振りをし、さらに旅役者に茶番劇をさせて叔父クローディアスの罪を確認しようとする。また恋人オフィーリアの貞節も信じることができないで「尼寺へ行け。」と有名な罵声を彼女に浴びせかける。すべての人間を信じられないハムレットの悩みは縷々続くのである。
 これまで見たSPACの舞台で白い衣装は純潔・善良・正義を表し、黒い衣装は淫蕩・罪悪・卑劣を表した。しかし、今回登場人物の全員が白と黒のモチーフの衣装をまとっており、そんなに単純ではない。兄を殺し、義姉を汚したクローディアスさえ、白黒の衣装をまとい真性の悪人とは思われない。彼は取り返しのつかない己の罪におののき苦しみのたうちまわる。全員が善悪の双方を持つ複雑な存在なのだ。唯一、異なるモチーフはハムレットがオフィーリアに送った小さな赤いハンカチーフである。オフィーリアが狂うのは ハムレットが彼女に送った赤いハンカチが他ならぬハムレットにずたずたに引きさかれ踏みにじられるからである。
 あの有名な台詞「To be or not to be, that is a question」の「a question」の訳語は「問題」というより、「疑問」じゃないのか。この答のない悩みがハムレットの行動を決め、物語を進めていく原動力になっていく。ハムレットが悩んだ結果は皆々に最悪の結果しかもたらさない。それは殺人であり、国家の滅亡であり、もしハーシーチョコの隠喩が正しいなら、時代の終焉である。ハムレットの悩みはすべてを滅ぼすのみ。へラクレスのような筋肉隆々たる健全な若者であったというハムレットを触む人間への不信が最後の雪崩のような悲劇を引き起こす。