2016年2月13日

■入選■【例えば朝9時には誰がルーム51の角を 曲がってくるかを知っていたとする】西史夏さん

 小学校にあがるより前だったか、隣家のきょうだいと作った秘密基地が今も忘れられない。その家の門柱の隅にわずかな死角があって、段ボールで囲うと外からはまるで見えなくなった。基地の中ではひっそりと息を殺し、空想の世界に耽った。雨が降る度に段ボールは壊れてしまったから、面倒になっていつか遊ばなくなってしまったが。
 2011年4月、友人夫婦に会うため訪れたシアトルのアパートで、私は段ボールの秘密基地に再会した。その家の3歳の息子が、半年ほどかけて壮麗な建物を作りあげていた。彼がその中で遊んでいるとき、私たち大人は透明人間の如く<存在しないもの>として扱われた。彼に会うためには「ピンポーン」と声に出してチャイムを押し、「こんにちは。どなたかいらっしゃいますかー」と、礼儀正しく呼び掛けなければならなかった。この人と人との隔たりは、人間の意識において原始レベルの劇場のようなものではないだろうかと、その時ふと思った。

 『例えば朝9時には誰がルーム51の角を曲がってくるかを知っていたとする』は家族劇である。スタート地点の池田公民館中庭(ここは家族の食卓である)で、姉の物語(緑のA、B)と弟の物語(赤のA、B)に観客はそれぞれ分けられる。私は緑のB、姉の物語のほう。黄色い服を着た姉について池田地区をねり歩くうちに、青い服を着た姉の友人や、町の人々の写真を撮り続けている赤い服の不思議な女性に出会ってゆく。移動の途中幾つかのポイントがあり、そこで小さな会話劇が営まれる。
 「ふじのくに世界演劇祭2015」は、約50年前に「アングラ演劇」と呼ばれたオルタナティブな表現を指針にアーティストが集められたという。寺山修司の天井桟敷が行った街頭演劇に当たるのがこの演目だとすると、『例えば朝9時』には、平田オリザ以降の「静かな街頭演劇」と呼びたくなる静謐さが漂う。しかし、そもそも池田地区という場所自体が天井桟敷がパフォーマンスを繰り広げた阿佐ヶ谷や新宿とは“日常性”が大きく異なる。池田地区には歴史を感じさせる神社や巨木が土地の中心にあり、古い家や畑を縫うようにハウスメーカーの建売住宅が浸食をはじめ、小粋なカフェが立ち並んでいる。そこに見出すのは1950年から2015年現在にかけて出来上がった日本における典型的な衛星都市の姿であり、とりわけリアルに感じ取るのはバブル崩壊以降の家族が求めた豊かさと幸福への希求と変遷である。
 私が最も演劇を感じたのは、劇が行われている場で、俳優が観客などいないかのように人々の間を直線に抜けて行った時であった。よくある小劇場のメタフィクションであれば、役者は強引に客を巻き込んでゆくのだろう。しかし『例えば朝9時』では、観客は透明人間になる。同じ町を同時に生きてはいるが、織りなす世界の足場が異なるために互いが見えないのである。
 一つの町に複数の時間が存在している感覚を、実は私は知っている。それは1997年1月17日直後の、私が住む町神戸である。1950年から2015年の間に、日本という国は2つの大きな地震を経験した。町の様相が一変してしまうのは、何も建物が壊滅したときだけではない。災害直後の町ではインフラが機能しなくなり、灯りが消え、人もいなくなる。原発事故で人が住めなくなってしまったゴーストタウンの姿を、私たちは同時代の記憶として共有している。未曽有の災害を通して、町が持っている<別の顔>のイメージは、我々日本人の間で天井桟敷の50年代と大きく様変わりしたのだ。
 2015年5月4日の静岡市池田地区は、ゴールデンウィークの小雨のせいか、人通りもまばらだった。住民は、息をひそめて家の中にいるのかそれともどこかに退去してしまったのかわからない。町は幾重もの時空を抱えて、ただ静かに呼吸していた。演劇はそこで、永遠という分厚い本の1ページに過ぎず、町のエネルギーに勝利しようとするでもなく、ただ圧倒的な日常に負け続けていた。

 チケットを持って、「ピンポーン。どなたかいらっしゃいますかー」と言って中に入れてもらう。礼儀正しく、手順を踏んで。しかし、非日常への扉は突然開かれるという現実を私は既に知っている。日常において私たちはもはや、かつての秘密基地のように自らの意思で劇場の入口を開く事など出来ないのだ。
 劇的な事件はまるで夏の夕方のように静かに訪れる。あの俳優が私の横を素通りした時、<現実=存在するもの>と<虚構=存在しないもの>は反転した。21世紀の我々の日常は簡単に様変わりする。そんな風に、一瞬で。そして私たちはもう、その事実を受け入れた後の世界を生きている。