劇評講座

2016年2月13日

■入選■【ふたりの女 平成版 ふたりの面妖があなたに絡む】​澤口さやかさん

 一つのスクリーンに、二つの影が映し出されていた。頭を下げて、両腕を肩の高さまで上げ、肘から下をぶらさげ、五本の指を開いている。子宮のようだ。二つの子宮は、小さくなったり、大きくなったり、重なったりする。突然、スクリーンから一本の腕が飛び出した。ぞっとした。怖かった。舞台が他人事ではなくなってしまった。
 
 「ふたりの女」には、アオイと六条という、二人の女性が登場する。アオイは精神科医である光一の婚約者で、六条は患者である。六条は精神病院を退院して、社会生活を送っているが、アオイは悪阻が重くなり、入院してしまう。アオイは光一と六条の浮気を疑い、病院を抜け出して、転落する。この舞台のサブタイトルは「平成版 ふたりの面妖があなたに絡む」だが、アオイも六条も不気味だった。ただ、それぞれ違ったように不気味だった。

 アオイは、入院してから、気味の悪い言動が見られる。病院から抜け出した後、アオイは白いワンピースに白い日傘を差して夜の森に現れた。富士スピードウェイで光一とデートしていた時と同じ服装である。アオイは光一に胸の内をぶちまける。客席からは表情まで見えないし、大きな身振り手振りもないが、アオイの身に異常事態が起きていることが分かる。声である。話し方は次々に変化し、天真爛漫なアオイの声や、苛立ったアオイの声に混じって、六条の声が出てくる。アオイが話しているのに、六条が話しているように思えてくる。一人の人間が、別の人間でもあるなんてことは、ありえない。ありえないものを目の当たりにした不気味さがあった。

 六条は、退院後、まるで別人のように見えた。髪色や服装のせいだけではない。入院中は、妄想について延々と話しており、妄想が実現すると信じているようだった。六条は光一に、蟻のサーカス団に呼ばれたので病院を出ていくが、ついてはサンドバギーが必要なので、用意しておいて欲しいと頼み、カギを預けていた。患者としての六条と、医師としての光一は、違う世界に生きているようにみえた。退院後の六条は、仕事を持っており、車の運転をすることもでき、転居の準備について話していた。光一と同じ世界に生きているようにみえた。その六条が光一に不動産屋への紹介を頼み、ついでに、サンドバギーのカギを返して欲しいと言った時には、ぞっとした。日常生活の中に、ふいに異常なものが差し込まれたようで不気味だった。六条は妄想を忘れていなかった。一人の人間が、別の人間になるなんて、ありえなかった。

 ところで、光一が六条と浮気しているというのは、アオイの誤解だった。光一はいつも身近な人々に誤解される。光一は例のサンドバギーのカギを放置していたが、アオイには浮気相手のアパートのカギと思われていた。富士スピードウェイで、弟が六条の車を移動させ、車のカギを持っていってしまうということがあった。六条からその話を聞いているところに、ちょうど弟が来たので、光一は弟にカギを返すように言った。舞台を観ていれば、タイミングの問題だと分かるが、弟とアオイの間では、光一がアオイより六条を優先させたことになった。六条の引っ越しパーティーに呼ばれた光一は、サンドバギーのカギを返して速やかに帰ろうとする。光一がパーティーを楽しんでいる風にはみえないが、盗み聞きをしていたアオイには、浮気現場と思われてしまった。アオイは誤解したまま死んでしまった。もう、婚約者にも永遠に理解されない。

 どうしたら他人の考えていることが分かるだろうか。アオイの死後、光一は六条がいた病室に入ろうとする。六条が考えていたことを知るために、同じ場所で同じ経験をしようとする。光一は医師ではなく、患者となってしまう。他人の人生を生き直すなんて馬鹿げているが、そんなことをしたら、自分の人生は空白になってしまうだろう。一人の人間が、同時に別の人間でもあるなんてことは、ありえない。

 入院を拒否された光一は、砂浜にアオイへのラブレターを書くが、六条はそれを読んでしまう。風や波で消えてしまうラブレター、それも亡くなった婚約者へのラブレター、相手に読まれることを想定しないで、思うままに書かれたラブレター。そんなものを勝手に読むなんてデリカシーも何もないが、六条は間違いなく光一の考えていることを理解しただろう。光一という別人になることなく。

 どうしたら他人の考えていることが分かるだろうか。六条は光一の悩みを簡単に飛び越えた。六条はアオイに対する光一の思いを知ったが、嫉妬したり、動揺したりする様子はない。もう会わないとさえ言う。六条にとって、光一は特別な存在ではないようだ。婚約者や弟など、身近な人々には誤解され、唯一の理解者には相手にされない。光一の孤独は途方もない。恐ろしいのは、この舞台をみて、“真実を見てしまった”と思えることだ。