劇評講座

2017年9月19日

ふじのくに⇔せかい演劇祭2016■入選■【火傷するほど独り】蒼木翠さん

残され(る/た)父 ~Seuls

 「こりゃあ、まったくルパージュのパクリじゃないか。」
 ロビーに出た処で知人の声が頭の上をかすめる。なるほど、作者のムアワッドがロベルト・ルパージュに対して憧れを持っているという事を知ってしまえば、そうとも見える事は確かだ。という目で見てしまうと、舞台全体が稚拙な物として捉えられてしまう。装置はいかにも安普請だし、映像効果に至っては無論ルパージュに敵う訳もなく粗い出来だ。だが、観客が指摘するまでもなく、ムアワッドはそんな事は百も承知だろう。なにしろ、敬愛する人物の作品を把握していない訳はない。となれば、いかにもルパージュの作品をなぞる様でいて真逆に位置しているのではないか、と考えたのだった。
 上演当日配られた資料の中の藤井慎太郎の解説によれば、『火傷するほど独り』は、ルパージュの『月の向こう側』を下敷きにしている作品だと述べられている。私は残念ながら、このルパージュの作品を見る機会はなかったが、母の死をめぐって誘発された物語らしいという事が読み取れる。ここで2015年8月に幸いにもエディンバラで見たルパージュの『887』(この時点で世界初演だった)に対するある疑問が溶解した。『887』は、ルパージュ自身による自伝を語っているように受取られる作品である。だが、物語は彼の「格好良かった親父」を中心に話しが進められていて、母の存在感がまことに薄かったのが気になった。『父が結婚したのは、この女性でした。』という一言の紹介しかなかったからだ。つまりは、『月の向こう側』で母の物語は既に作られていたからなのだと腑に落ちたのだった。そう、母は先に亡くなっていた。
 そして、『火傷するほど独り』でも母の姿は無い。どうやら父は後に残されたらしい。
 父が後に残ると、場合によっては子供たちが父を持て余す事が起こり得る。このムアワッドの作品でもそれが見え隠れしていた。主人公は、ハルワンという名の35歳の大学院生、博士課程に所属しているらしい事が教授との電話の遣り取りから窺える。半年後には博士論文を提出する予定だ。論文を書く為か若しくは他の理由からか分からないが、彼は新しく借りた小さな部屋に引っ越して来る。固定電話のテストも兼ねて姉に電話したり、教授に連絡をしたりする。場所はカナダ・ケベック州の何処か、ハルワンに言わせれば「アッシュ(H)の発音が出来ない人達の国」らしい。それをまるでからかう様に彼は自分のメールアドレスにアッシュ(H)を四つ並べていたりする。上演は仏語で行われていた。勿論、日本語の字幕が伴われていたが、時たま彼が父と会話する時にアラビア語になる時には字幕が出なかった。ほんの短い遣り取りなので上演上、そう支障は無いが、何よりもハルワン自体が幼い時に母国を離れたので、最早アラビア語が余り良く分からなくなっているという事象を表した行為なのだろう。彼は姉と話す時は仏語を使っているが、父と会話する時アラビア語を挟み込む事をする。どうやら、父を納得させる為には仏語では通じないという訳らしい。新しい言語への移行がすんなりと出来ない父は、それと呼応するように習慣の変化をも好まない。「週に一回は必ず家族全員で食事をする。」という予定を譲らず論文作成の予定を先行させない訳にはいかない息子を詰る。
 ある教授から「緊急の件だ。」と電話が入る。ハルワンの担当教官の教授が急死したという知らせ、空席になった椅子がハルワンに与えられるかもしれないという事が伝えられる。ついては条件として半年前倒しで論文を提出して欲しいと教授は電話で語る。彼の論文はルパージュ作品を中心とした「想像の社会学」、完成にはルパージュ本人のインタビューを盛り込まなければならない。数ヶ月先に面談予約は取り付けてあるが急遽インタビューを実現しなければならず、ハルワンはヨーロッパとカナダの間を奔走する事になる。家族との食事の約束を取消したいと父に申し出れば、父は息子を責め始める。そして、父が子供たちを詰る時に必ず使うフレーズをこの時も又使う事になるのだ。『お前は内戦を経験していないから。』…これは何を意味するのか?…非常時を体験(記憶)していない者には家族の大切さが分からない、とでも父は言いたいのだろうか。昭和ヒト桁の親を持つ、高度成長期の子供であった私の両親も繰返し似たような物言いをしていたのを思い出す。「お前たちは戦争を知らないから。」これは彼らがその時に生まれていなかった者に対して絶対的優位を譲らない為に発していた言葉だった。このような圧力は確執を生み出す。父の抑圧を抱えながらハルワンは大陸間を移動していく、難民として大陸間を移動した父の体験とは比べ物にならないかもしれないが、心身が蝕まれていく事には変わりはない。
 そんな中、父が倒れたと姉からの連絡が入る。諍いがあった後のこの事態、彼の中に後味の悪い思いが拡がる。
 ルパージュが『887』で描き出した父との関係性とは全く違う、難民経験のある父子関係。移民であるルパージュの家族の物語が終始彼の温かい眼差しで彩られていたのに対してハルワンの父に対する思いはその負の感情を理解したいが、それによって何故自分がささくれ立たなければならないのか、と納得がいかず混沌とした想いが表出する。ルパージュの哀感と郷愁が入混じった父への想いを表したラストシーンとは対極をなすようにハルワンの心象が表現される。塗料をぶちまける原色の嵐。姉の声がする。倒れたのは父ではなく、ハルワン自身だと。証明写真をとるボックスの中で倒れたのだというのだ。
 観光客相手のタクシードライバーをしていたルパージュの父は、仕事から戻っても直ぐには家族が待つ家に入らず暫く仕事道具の車の中で過ごしてから帰宅するのが習慣だったという。片やハルワンの父は一人になりたくはないが、妻はすでになく、子供たちは新しい環境に慣れ自分は置き去りにされるであろうという気分を味わっていたのだろう。この原題の男性単数形を敢えて複数にして書かれた単語はそれぞれの父たちに捧げられたオマージュであろうと思う事にしたのだった。