2017年12月26日

ふじのくに⇔せかい演劇祭2017■入選■【アンティゴネ~時を超える送り火~】山下智代さん

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全ての死を悼むことは、すなわち全ての生を悦ぶこと。人はみな等しく人である。 シンプルだけれど今世界に向けて上演する意味をつよく感じながら、魂が浄化されていく音をきいた。
船を漕いでついとやってきた御釈迦様が、水面を彷徨う魂たちが手にもつ魂(玉)と引き替えに生前の役を与えていく。生きている間は誰もが自由でありながら、何かしらの役割を背負って不自由に生きている。シェイクスピア劇などで役者たちが控えている様子から、定刻になると前口上と共に物語の役として生き始める瞬間、つまり役者本人と役の境界を見せる演出があるが、この場合死者たちが還ってきて今再び実態を得て生き始めるというさらに大きな生死の境界を感じる。そのことがいっそう2500年という時の長さを思わせる。
王座争いのために互いを刺し違え命を落とした兄弟。王座を継いだ叔父の命により、反逆者である兄を弔うことは禁止されたが、アンティゴネはそれに反して兄弟を等しく弔う。そのことが分かって刑に処せられるが、自らの行いのもつ意味を自覚し、妹の申し出も断ってその役割を背負い1人死を選ぶ。その死を嘆いたアンティゴネの許嫁であった王の息子もあとを追って自害し、4人の死に直面してやっと王は自身の過ちに気付く。以上のあらすじは本編が始まる前に5分間のダイジェスト版として紹介される。少々強引な幕開けに少し戸惑うが、物語を知った上で楽しむ、古典演劇の基本を体験するようだった。それは、独特な上演スタイルにも通じる。
浄瑠璃のように人形役(ムーバー)と義太夫役(スピーカー)がいる手法。時には複数人で一人の台詞を話す謡のような場面もある。また、影絵を用いて背後に大きなシルエットを映し出したりもする。日本の文化を取り入れると共に、人間の器を超えた大きな力をもった存在になれるのだ。日本独自といえば、場面転換の都度わくようにして現れる盆踊りの連である。物語中の時間経過を意味するのだろうと思う一方で、魂たちが自分たちが演じ進めていくことを楽しんでいる様子にも見えた。
岩屋へ閉じ込められる直前にアンティゴネは、神様の意に沿うものなら自分の罪を償うが、罪を犯したのが王だとしてもその身に災いが起こらないようにと思い量る。アンティゴネの神々しさよ。光の矢の如く放たれたこの言葉が、しばらくじんわりと胸にとどまっていた。これこそが復讐の連鎖を断ち切るための術だと思う。アンティゴネがこのように言えるのはやはり神の視点をもっているからなのだろうか。私たちにはそれができるのだろうか。ふと死刑制度のことを思った。日本においては現在の法によれば、罪の重さに乗じて死刑が執行されることもあり得る。アンティゴネ的視点で言えば、たとえ法の裁きであっても人の命を奪うことは神によって許されない、となるのか。ヨーロッパをはじめ各国では人権の尊重として死刑制度を廃止している国も多いと聞く。それには神の存在の身近さのようなものも、影響しているのかもしれない。
話が飛躍してしまったが、終演後もなおこの言葉こそが本作の肝だったのだと思った。そこで、台詞を知りたくてまずインターネットで調べると衝撃を受けた。「(略)…もちろん、これが神さまの意にそうものだというなら、わたしは死んで自分の罪を償うわ。でも罪を犯したのがこの人なら、わたしをひどい目に会わせたこの人こそ、わたしと同じくらいひどい目に会えばいいのよ。」(個人HPより)これでは私が光とまで思ったことと正反対ではないか。今回拝見したのは柳沼さんの訳であり、私の記憶違いかもしくは翻訳者によって分かれるのではと数冊の本をめくった。 「(略)…いえ、もし私がこうなることが神々をお喜ばせするとしたら、それなら罪を受けて死んでしまった時に、私はやっとその罪を自覚するのだろうか。それにしても、罪がもし裁きの手の方にあるとしたら、誤って私に下された、かほどの重罪を、どうぞその人々にお与えにならぬように。」(福田恒存/訳)これぞ私がこの度感銘を受けたアンティゴネ像。続いて「(略)…ともあれ、もし神々がこんなことを善しとされるのなら、苦しい目に遭った私が間違っていたのだと認めよう。だが、もしこの人たちが間違っているのなら、私に対する非道なしうち以上の苦しみはありえないが、苦しむがいい。」(中務哲郎/訳)死ななくても良いと慮っている?いやしかし苦しめと言っている。 どの訳のテキストを選択するかによって、メッセージも大きく異なるということか。今、柳沼さんのテキストを選択した意味についても考えさせられる。
本編の最後にはそれぞれが役を終え、まっさらな魂に戻っていき大きな盆踊りの輪をつくる。中心に再びお釈迦様が現れ灯籠を一つ一つ流していく。演奏が消え、光が消え、風の音と星の瞬きの中で灯籠の明かりのみが水面に揺れる。大きな自然の中で、あるいは宇宙空間の中で、いつの世も繰り返されてきた輪廻の輪が静かに回り続けているかのように。魂が見送られていく中で、私自身の魂も洗われるような、あなたも等しくあるのですよと言われているような気分だった。初めて仏様に手を合わせる気持ちが分かったような気がした。

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【参考文献】
・ソフォクレスの『アンティゴネ』 http://www.geocities.jp/hgonzaemon/antigone.html (世界の古典つまみ食い Tomokazu Hanafusaさん個人HPより 2017.5.14時点)
・『オイディプス王・アンティゴネ (新潮文庫)』ソポクレス/作 福田恆存/訳 p169,170
・『アンティゴネー (岩波文庫)』ソポクレース/作 中務哲郎/訳 p85,86