2017年12月26日

ふじのくに⇔せかい演劇祭2017■入選■【アンティゴネ~時を超える送り火~】青柳暢人さん

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 手にしたチラシを見て、初めて演劇を見る気になった。
 「憎しみ合うようには、生まれていない」「人間を「敵か味方か」二分しない姿」、何年も続く目を覆いたくなるようなニュースの応えとして「時を超える送り火」が、日本が発することができるメッセージとチラシが訴えてくる。演劇は、言葉にできない概念を、人の声と息遣いで、音とリズムで、劇場と時で伝えること、と思ってきた。だから、そんなものは、あやういと思ってきた。何かが分かるかもしれないという予感。野外の、夕闇が深まる中での公演、夜と炎の情景を見ることができるかもしれないという期待。チケットを買った。

 テキストを読んでみる。王と王の実母との間に生まれた4人の兄弟と姉妹。王の死後、兄弟の権力闘争の結果、追放された兄は、外の国と手を組み母国に襲いかかるが、兄は敗れ、兄弟は相打ちで共に死す。ここから舞台が始まる。叔父のクレオ―ンが政権を握ると、国を守った弟は手厚く葬り、襲ってきた兄の埋葬を許さず、野晒しとし、葬った者は、死刑だと宣告する。アンティゴネは、命に背き、兄を弔ったため、クレオ―ンにより地下の墳墓に閉じ込められ自害する。クレオ―ンの次男で、アンティゴネの許嫁でもあるハイモーンは、アンティゴネの傍らで自害する。知らせを聞いたクレオ―ンの妻のハイモーンの母、も自害する(この劇では、省略)、クレオ―ンは、自己の傲慢さを後悔する。男のクレオ―ン(政治)と女のアンティゴネ(味方も敵も愛する)の対立。

 騒がしかった街も少しずつ夜の気配に包まれて落ち着いてくる頃、開場となる。驚くのは、劇場に入って目にする水の舞台。演者たちが、水の舞台の上を皆が白い着物を着て、わずかながら移動している。このゆっくりとした動きが、見る者を日常の時から異なる世界に連れていく。

 やがて始まる劇、再び驚くのが、演者と話し手が異なること。仮面の代わりか、どちらかと言えば仮面神楽。肉体と声の分離、異なる世界を感じる。言葉を発しない演者は、生きた傀儡。やがて死にゆく、生のない人形に戻っていく3人の傀儡。だからここは、彼岸に建つ舞台。時間の経過とともに夜の暗さがリズム奏者に忍び寄って、音が異様さをましてくる。
 と、思った瞬間に、陽気な浪花節コロス。明と暗の対比、でも、浪花節は、ちょっと興醒め。

 劇が進むにつれ、クレオ―ンの見方が変わってくる。悪の象徴だと、思い込んでいた。話し手の言葉遣いや演者の振る舞いで、普通の人だと思えてくる。為政者としては当然の行為か。かの国ではかの国の平和を守るため、政治は戦争という人殺しを平気で行うし、今も行っている。戦争に勝利した国の兵士は、相手国の子供達も含めむたくさんの人を殺めても、母国に帰れば小さな子供たちからも満面の笑みで迎えられる。クレオ―ンは喪を政治に利用し、喪に敬う人を死に至らしめたから、絶対的な悪として疎んじられるのか?
 では、アンティゴネが絶対的な正義だったのか。「アンティゴネは、女性が権力に歯向かって、肉親の弔いのため、制裁を受けた悲劇のヒロイン。今こそアンティゴネの博愛の精神が求められている。」って。妹の意見も耳に入れず、自らの正義のみを固くなに信じて行動する。アンティゴネが死をかけて弔った兄は、母国の人をどれだけ殺めたのだろう。ハイモーンと彼の母は、なぜ死ななければならなかったのか。生を受けた傀儡のアンティゴネが、妹やクレオ―ンに放つ息遣いや振る舞い、幽閉される際の独白は、博愛とは別の物。テキストで読んだだけでは感じられない傲慢さを感じる。この劇の不可思議さは、アンティゴネが様々な矛盾を孕んだ存在だからだろう。

 アンティゴネが絶対的な正義ではなく、クレオ―ンが絶対的な悪ではないとしたら、悲劇はどこから訪れるのか。自らの正義のもと、相手のことを拒絶する。自らの正義のみで完結する世界。契約の神は、神のいるサークル以外の存在を認めない。クレオ―ンは最後には、自己の非を認めている。なんだか、とっても哀れ。アンティゴネは、兄を弔った行為を後悔しないと言いながらも、最後まで、恨みを抱いて死んでいく。

 世界中で広がる対立は、自らの正義のみが正しいと信じているからだと、口がきけない傀儡が言い始める。契約の神の国に住む民は、自国の神以外に正義はないと信じている。果たしてそうだろうか?例えばテロルは絶対的な悪なのか?テロリストを生んで育てたのは、あの大戦の大国の傲慢さと、金持ちに寄り添う民主主義が生み出す圧倒的な貧困ではないか。民主主義は、世襲制に基づかない支配層(まるで1984の世界)に住む人の固定化と貧困を生み続ける聖なる母。どこにも逃げるところがない、救いのない多くの人々の憎悪が世界中にあふれている。

 暗闇が支配する頃、劇は終焉する。テキストでは、コロスの長が、「思慮こそは、幸せの礎」と締めくくる。
 この劇は、それに代え、演じ手皆が、アンティゴネの、クレオ―ンの傀儡も加わり、円形陣をつくり、水の上を回りながら無言の舞を踊る(盆踊りとは思いたくない)。すべてを飲み込む静かな水とすべてを焼き尽くす無言の炎。声にならない祈りの言葉。生きた傀儡のゆっくりとした舞。浄化する炎、浄化する水。アンティゴネの怒りの、クレオ―ンの悲しみの魂を鎮めていく。灯篭の明かりがゆっくりと水の上を回りながら、役者と共に水の底に堕ちていく。堕ちながら祈りながら一つに融合して、水底へと、また堕ちていく。

 生まれる前からの遠い記憶、昔から親しんできた振る舞い。島国の民は、流れ着いたものを神として、すべてを受け入れ、融和してきた。託されたことは、強い兵器を持つことでも正義の剣の下に相手を倒すことではない、と女の怒りと男の悲しみを受け入れた傀儡が、水の底から、遠い過去から、声にならない言葉で語りかける。
 言葉ではない、演じ手の生が、見る者のシナリオを変える。正義は悪になり、悪は正義となる。世界は、悪意と憎悪で満ちている。僕の中にも、君の中にも。