劇評講座

2016年2月13日

■最優秀賞■【小町風伝】西史夏さん

 「エロって、男と女で随分感覚が違うんだな~」、と改めて思ったのがろくでなし子さん事件。“デコまん”とか“マンボート”とか全然エロくないし、まあ1回目に捕まった理由は自分の性器の3Dデータ配布だった訳だから、“デコまん”と“マンボート”の猥褻性は関係ないのかもしれないけれど、でもやっぱり女性器それ自体がエロ(猥褻)かっていうとそうじゃないと私は思う。 続きを読む »

■優秀賞■【メフィストと呼ばれた男】樫田那美紀さん

 この劇をなんと言おうか。私は、劇場からの帰り道、絶えずその言葉を繰り返していた。それは、観劇中から観劇後の今も、私の中に疑いを見つけてしまったからだ。この劇から受け取るメッセージは、本当に私のものなのか? 続きを読む »

■優秀賞■【盲点たち】森麻奈美さん

 避難所の光景のようだった。

 稽古場棟の一階で受付をし、普段こんなに大勢の「お客さん」を迎え入れたことがないと思われる稽古場のお手洗いに並ぶ。二階へ行くと、広い円形の体育館のような場にたくさんの人がばらばらに座り、「森の中は寒いので」とスタッフに渡されたレジャー座布団をしいている。真ん中には物販の机があり、そこでは飲み物も配っていた。そのような光景は、「避難所のよう」としか思えなかった。 続きを読む »

■入選■【觀〜すべてのものに捧げるおどり〜】「觀」という体験 井出聖喜さん

体験
 私は、私の、恐らく本質的に「批評」ではないこの文章を、まことに素朴な個人的感慨から語り始めることとしたい。半世紀近い私の舞台芸術作品鑑賞歴を振り返ってみれば、涙を抑えがたい「感動的な」作品はいくつもあったし、「堪能」した作品は数知れない。「衝撃的な」出会いをもたらした作品もいくつかある。
 しかし、今回のこの「觀」体験は、そういうものとは何か違うという気がしてならない。 続きを読む »

■入選■【ふたりの女 平成版 ふたりの面妖があなたに絡む】​澤口さやかさん

 一つのスクリーンに、二つの影が映し出されていた。頭を下げて、両腕を肩の高さまで上げ、肘から下をぶらさげ、五本の指を開いている。子宮のようだ。二つの子宮は、小さくなったり、大きくなったり、重なったりする。突然、スクリーンから一本の腕が飛び出した。ぞっとした。怖かった。舞台が他人事ではなくなってしまった。 続きを読む »

■入選■【觀〜すべてのものに捧げるおどり〜】魂の垢すりエステ 鈴木麻里さん

駆け回る獣をしとめたり泳ぎ回る魚を陸に引き上げたり木になっている実をもいだりして、食べていた頃、地球の表面をおそるおそる水平に撫でさすっていた頃も人類にはあった。農耕では地面へ垂直に刃を突き立て土がほぐれたところへ種を蒔く。地球との関係は一層、深くはげしい方へ進んでいる。 続きを読む »

■入選■【聖★腹話術学園】欲望と私 ――人形という存在から―― 須藤千尋さん

 この劇において、俳優のほとんどは、それぞれの腕に人形を携えて登場する。そして、それを操り、魂を与える。俳優―人形間では、一般的な腹話術師と人形の関係と同じように、支配―被支配という関係が成立している。しかし、この物語に登場する腹話術学園においては、それが逆転し、被支配―支配の関係、つまり、腹話術師が人形に支配されている。 続きを読む »

■入選■【例えば朝9時には誰がルーム51の角を 曲がってくるかを知っていたとする】西史夏さん

 小学校にあがるより前だったか、隣家のきょうだいと作った秘密基地が今も忘れられない。その家の門柱の隅にわずかな死角があって、段ボールで囲うと外からはまるで見えなくなった。基地の中ではひっそりと息を殺し、空想の世界に耽った。雨が降る度に段ボールは壊れてしまったから、面倒になっていつか遊ばなくなってしまったが。 続きを読む »

■入選■【ベイルートでゴドーを待ちながら】西史夏さん

 演劇が異なるもの同士の摩擦から生まれるものであるならば、『第七面』と名付けられたこの喜劇は、二人目の俳優が現れた時から始まるのかもしれない。
 暗闇に浮かび上がる浮浪者風の男が一人。ピースサインをして光の輪の中に立っている。 続きを読む »

■入選■【『メフィストと呼ばれた男』&『天使バビロンに来たる』】『天使バビロンに来たる』と『メフィストと呼ばれた男』を観ながら別の劇のことを想う 番場寛さん

 舞台中央に据えられたクッションの効いたいつもの座席ではなく、舞台横に臨時に置かれた椅子に観客がつかされるときから『メフィストと呼ばれた男』という劇はすでに始まっていた。
 歴史の波に飲み込まれてナチス政権下で演じる俳優たちの苦悩を描いたこの作品の設定では、客が一人も入っていない客席が必要だった。 続きを読む »