劇場文化

2016年12月1日

【サーカス物語】幼ごころの君を求めて(河邑厚徳)

 ミヒャエル・エンデの戯曲が静岡芸術劇場で公演されます。東欧の陰影が色濃い『サーカス物語』をインドネシアの鬼才がどう演出するのかワクワクします。エンデは児童文学者という先入観で見られがちですが、幅広い才能にあふれ、近代西洋思想を批判する思想家でもありました。青年時代には舞台に立ち、戯曲も書いていましたが無名でした。エンデが世に出たのは『ジムボタンの機関車大旅行』。大ベストセラーになってドイツ児童文学賞を受賞しました。その後は『モモ』や『はてしない物語』など永遠に残る傑作を書き続けてきました。児童文学と並んで、エンデの創作の大きな柱が『遺産相続ゲーム』や『ハーメルンの死の舞踏』などの戯曲でした。葬儀にはエンデの仕事を代表して、ドイツ・バイエルン地方の方言で書かれた『ゴッゴローリ伝説』が上演されています。 続きを読む »

2016年7月17日

【ラ・バヤデール―幻の国】バレエと小劇場運動を結ぶ――金森穣『ラ・バヤデール』の見どころ(三浦雅士)

カテゴリー: 2016

 金森穣の新作『ラ・バヤデール』は傑出した作品である。平田オリザに脚本を依頼し、SPACの俳優3名を加えて舞台化しようとしたその方針そのものが傑出していたといっていい。金森とNoismには、舞踊家としてそれだけの自信があったということなのだろうが、結果は予想をはるかに上回るものになった。振付の水準もダンサーの水準もこれまでのそれを大きく超えている。異常な成長である。
 特筆すべき点は二つ。それがそのまま最大の見どころになっているのだが、ひとつは、この「劇的舞踊」が、1960年代に登場し、日本と世界の舞台芸術に大きな影響を与えたいわゆる小劇場運動と、80年代以降、コンテンポラリー・ダンスの呼称のもとに展開してきた舞踊運動との、いわば完璧な結合以外の何ものでもないということである。小劇場運動は60年代から70年代を通じて、寺山修司、唐十郎、鈴木忠志といういわゆる御三家によって担われたが―その最大の特徴は歌と踊りと劇の結合である―、長く伏流水となっていたそのエネルギーがコンテンポラリー・ダンスの現場において突如噴出したのだ。金森にしてみれば突如などではないだろうが、小劇場運動とコンテンポラリー・ダンスの結合ということでは、前作『カルメン』を上回っている。 続きを読む »

2016年4月28日

【ふじのくに⇔せかい演劇祭2016】寄稿一覧

カテゴリー: 2016

「ふじのくに⇔せかい演劇祭2016」で上演された作品の寄稿は、
演劇祭のウェブサイトにてご覧いただけます。

※リンク先のページの「寄稿」ボタンをクリックしてください。

【イナバとナバホの白兎】
『古事記』の「稲葉の白兎」挿話における八十神の身分をめぐって (イグナシオ・キロス)

【三代目、りちゃあど】
『三代目、りちゃあど』をめぐって ―― 近過去を再訪する (内野儀)
オン・ケンセンと『三代目、りちゃあど』 (横山義志/SPAC文芸部)

【オリヴィエ・ピィのグリム童話『少女と悪魔と風車小屋』】
芸術と娯楽 オリヴィエ・ピィ『少女と悪魔と風車小屋』について (横山義志/SPAC文芸部)

【ユビュ王、アパルトヘイトの証言台に立つ】
演じられる「真実」を切り裂く (溝口昭子)

【火傷するほど独り】
ワジディ・ムアワッドとロベール・ルパージュ『月の向こう側』から『火傷するほど独り』へ (藤井慎太郎)

【It’s Dark Outside おうちにかえろう】
認知症の人の生きる世界にどう寄り添い、描くか―『It’s Dark Outside おうちにかえろう』の上演に寄せて (六車由実)

【アリス、ナイトメア】
わからない「わたし」と「あなた」のためのアラブ演劇 (鵜戸聡)

2016年3月12日

【ロミオとジュリエット】ロミオとジュリエットは、笑いから悲しみへ向かう(河合祥一郎)

カテゴリー: 2016

 オマール・ポラスの稽古場に立ち会って、彼の才能を確信した。付け耳・付け鼻やユニークな衣装を用いるオリジナルな演出は『ロミオとジュリエット』前半の喜劇性を効果的に強調するものであり、こんな突飛なアイデアはよほど深く作品を理解してないと出てこないからだ。ロマンティックな美しい影絵に目を奪われることになるが、これも喜劇性とのコントラストがあればこそ、一層効果的になっている。
 前半の喜劇性というのは、この作品の重要なポイントだ。『ロミオとジュリエット』がシェイクスピアの四大悲劇(『ハムレット』、『オセロー』、『リア王』、『マクベス』)のなかに入らないのは、この喜劇性ゆえだと言ってもいい。マキューシオや乳母が下ネタ満載のジョークを連発し、前半は悲劇どころか笑劇のようでさえある。 続きを読む »

2016年1月15日

【黒蜥蜴】探偵小説と通俗長篇(笠井潔)

カテゴリー: 2016

 SFの愛読者だった三島由紀夫は、アーサー・C・クラーク『幼年期の終り』を構想も文体も最高水準の作品だと絶賛した。また三島自身も、広義SFに分類できる長篇小説『美しい星』を書いている。
 大戦間の時代に小説ジャンルとして形をなしたのは、SFに限らない。探偵小説もまた第一次大戦後の英米でジャンル的に確立された。しかし三島はSFと違って、「推理小説はトリッキイだからいやだ」(「推理小説批判」)と公言している。
「とにかく古典的名作といへども、ポオの短編を除いて、推理小説といふものは文学ではない。わかりきつたことだが、世間がこれを文学と思ひ込みさうな風潮もないではないのである」というのが、このエッセイの結論だ。「推理小説批判」が書かれた時期(1960年7月27日の読売新聞)から、これは純文学変質論の平野謙など、文壇批評家による松本清張の高評価への異論だろう。 続きを読む »