2015年12月6日

【薔薇の花束の秘密】密室と対話の力(野谷文昭)

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 現実とはひとつの密室かもしれない。マヌエル・プイグの作品を読むと、そんな気がしてくる。あるいはそのことに気づかされると言った方が正確だろう。彼が舞台とするのは、母胎のような映画館だったり、監獄だったり、病院だったり、マンションの一室だったりと、形を変えながらも密室性において共通している。それらは閉塞的な現実そのもののメタファのようだ。
 戯曲『薔薇の花束の秘密』も一種の密室劇である。どんなに豪華であろうと、外界から隔離された病院とその個室は入れ子状の密室になっている。登場するのは患者と付添婦という、立場の異なる二人の女性だが、両者とも挫折感や失意、悲しみを抱え込んでいる点で共通している。その負の要素は、社会的地位の違いを背景に、一方は傲慢で高圧的な態度、もう一方は控えめと言うよりは卑屈な態度として表れる。その結果、相反する特徴を備えるキャラクターが動き出し、大抵は上位にある患者の方が爆発して小さな事件が生じ、ドラマを推進していく。
 かりに二人の単に平板な会話が続くなら、衝突はあっても時空間は広がらない。だがプイグはそこに夢や願望を注入する。すると、複数の時空間が発生し、その結果、目の前の現実がカレードスコープのように複雑になる。 Read the rest of this entry »


2015年10月29日

【王国、空を飛ぶ!~アリストパネスの『鳥』~】アリストパネスの喜劇について(野津寛)

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 アリストパネスは紀元前5世紀中頃に生まれ、主にペロポネソス戦争時代のアテナイで活躍した喜劇詩人である。哲学者のソクラテスや悲劇詩人のソフォクレスやエウリピデスと同時代人だ。アリストパネスは40以上の喜劇作品を書き、それらは演劇競技会で上演された(当時アテナイで演劇を上演するとは、競技会に出品し、他の劇詩人たちと競い合うことを意味した)。これら40余りの喜劇作品中、11作品がほぼ完全な形で伝存しているが、古代の劇作家の伝存状態としては、驚異的な数字であると言えよう。 Read the rest of this entry »


2015年10月2日

【室内】聞こえないイメージ、見えない声(宇野邦一)

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 メーテルリンクの『室内』が、演劇としてかなり風変わりな作品であることは、前から聞かされていた。ある家の庭から、居間で夕べの団欒のときをすごす家族の姿が、窓越しに見えている。外でそのありふれた光景を見つめている人物のせりふを観客は聞くことになる。その家族に起きた悲劇を知らせようとしてやってきた人物は、幸福そうな一家の姿を見て、不幸なニュースをどんなふうに知らせたものか、ためらっている。私の注意をひきつけたのは、ただ見つめられるばかりで会話が聞こえてこないという「室内」と、一方ではそれを見つめて注釈するだけの室外の人物という、その異様な構成であった。 Read the rest of this entry »


2015年9月22日

【舞台は夢】コルネイユと『舞台は夢』(伊藤洋)

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 イギリスでシェイクスピアが劇作品を書いていた17世紀、フランスでは少し遅れてピエール・コルネイユ(1606年~84年)が多様な劇作品(喜劇、悲喜劇、悲劇、歴史劇、英雄喜劇、音楽悲劇など)を創作して人気を博していた。彼はのちに「フランス演劇の父」とも「大陸のシェイクスピア」とも呼称されている。後年活躍する喜劇のモリエール、悲劇のラシーヌとともに、「フランス17世紀三大劇作家」の最初の一人である。
 コルネイユの生まれたパリ北西の中都市ルーアンは当時文芸の一大中心地で、地方巡業の芝居も頻繁に行われていた。彼は自分の恋愛体験をもとに処女作喜劇『メリット』(29年)を書き劇団の主宰者に渡したところ、そのパリ公演が評判になって劇界にデビューした。その後に書いた初期喜劇『未亡人』『ロワイヤル広場』などとともに、この『メリット』には上流社会の青年男女だけが登場し恋を語り上品な会話を交わす。コルネイユは「滑稽な人物なしで笑わせる」ことを考え、それまでの喜劇にあった笑劇要素も下品さも下卑た滑稽さも描かない。だから大笑いする場面は少ないが、優雅で微笑ましい上品な喜劇になり貴族の子女たちも安心して観劇できた。劇場も演劇も浄化され、演劇の地位は確実に向上した。『舞台は夢』(35年)の最後に演劇が礼賛されるのはそのことである。 Read the rest of this entry »


2015年2月22日

【ハムレット】時代と自己を映す/疑う鏡としてのハムレット —ク・ナウカ旗揚げ公演からSPAC公演へ—  (エグリントンみか)

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※作品内容に言及する箇所がございますので、事前情報なしに観劇を
 希望される方には、観劇後にお読みになる事をお勧めいたします。

 演劇とは「自然に対して掲げられた鏡」とするデンマーク王子の台詞通り、個々の舞台は、それを生み落とした時代を反映し、批評すると同時に、「鏡」を作る者、見る者に、「お前は誰だ?」という根源的な問いを突きつけてくる。芝居についての言及が顕著に多いメタシアター『ハムレット』が、4世紀以上も飽くことなく上演されてきたのは、言語に囚われ、この世という舞台を演じざるを得ない演劇的存在としての人間を、「時代の縮図」である役者たちが舞台上で際立たせることにより、「だんまり役」に甘んじる観客たちの不安と懐疑を掻き立てるからではなかろうか。 Read the rest of this entry »


2015年1月15日

【グスコーブドリの伝記】空想科学としての『グスコーブドリの伝記』(石黒 耀)

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 温暖化阻止が合い言葉になっている昨今からすると嘘のような話ですが、宮沢賢治が生きた時代は、地球がまだマウンダー小氷期と呼ばれる寒冷期の余韻を引きずっていた時期でした。賢治が生まれた岩手県のような高緯度地帯は、特にその影響が強く、しばしば冷害に襲われましたが、低緯度地帯は気温が上がって農業生産が回復していました。そのため、世界的には農産物価格が下がり始めたのに対し、たびたび冷夏に襲われた東北地方の農家は、生産量が上がらない、穫れても価格が安い、という二重苦に苦しめられたのです。 Read the rest of this entry »