2012年9月25日

【夜叉ヶ池】夜叉ヶ池伝説(小松和彦)

 泉鏡花の戯曲『夜叉ヶ池』は、九頭竜川の支流日野川の水源となっている「夜叉ヶ池」にまつわる伝説から発想を得た作品だとされている。
 作品の舞台は、越前国大野郡鹿見村琴弾谷ということになっている。しかし、大野郡には鹿見という村はなく、南条郡にある。現在は福井県南条郡南越前町今庄地区(旧今庄町)に含まれている。金沢生まれの泉鏡花が耳にした夜叉ヶ池伝説は、おそらくこの今庄地区で語られた話ではなかろうか。
 たとえば、この今庄地区には、次のような伝説が伝えられていた。
 
 夜叉ヶ池に蛇が住んでいて、娘と母親が住んでいる家へ、蛇が男に化けて通った。娘がしだいに痩せてくるので、母親が心配して尋ねてみると、娘は「男が台所の水を流す口から来るのだ」と言った。そこで、夜、男が娘のそばで眠っている間に、男の着物の襟に、大針で麻の糸を縫いつけ、翌朝、糸をたどって行くと、夜叉ヶ池に着いた。そこで蛇が大暴れして死んでいた。その後、娘を熱い菖蒲湯に入れると、蛇の子をたくさん堕した。

 この種の話は特段珍しいものではなく、伝説というかたちをとったり、昔話というかたちをとったりしながら全国各地に広く分布している「蛇聟入」型の話である。もっとも古いこの種の話は、記紀神話に見える「三輪山」(奈良県の三輪神社起源)説話である。

 美しいタマヨリビメのもとに、容姿端麗な男が夜ごとに訪れ、ヒメは妊娠する。両親は男の素性を知ろうと、娘に麻糸を通した針を男の衣の裾に刺すように教える。夜が明けて、その糸をたどっていくと、三輪山の神社に至った。そこで両親は、男の正体が三輪の神(蛇の姿をしていると考えられていた)であることを知った。ヒメが生んだオオタタネコは、三輪の神を祀る神主となり、その子孫が鴨氏や三輪氏である。

 比べてみればわかるように、上述の夜叉ヶ池伝説が三輪山説話の変異形であることは、明らかである。しかし、両者の間には、大きな違いがある。それは結末部分で、現在の蛇聟入型の説話では、娘が生んだ子は蛇の姿をしており、人間世界から排除されているのに対して、タマヨリビメの生んだ子は人間の姿をしており、母に育てられて、古代の神職系豪族の祖となっていることである。
 この違いは、一言でいえば、古代から近代に至る時代の流れに応じて、神格化された蛇への信仰心の衰えの結果ということになるわけだが、その過程にはさまざまな信仰・伝説の段階があったと推測される。そしてまた、夜叉ヶ池伝説についても、その伝承の分布やその伝承内容をくわしく見ていくと、そのことがわかるだろう。
 夜叉ヶ池は越前国(福井県)・美濃国(岐阜県)・近江国(滋賀県)の境界域をなす山系に位置している。そのこともあって、山麓の地域には類似した内容の伝説が分布している。これらのなかには、「夜叉ヶ池」の名前の由来として、源義朝の子の夜叉御前の魂魄が宿った池であるとか、夜叉になった女が住み着いた池だとか、池の主が夜叉麿という名であったといったことを語り込んでいるものもある。
 ところで、これらの伝説を眺め渡して気づくのは、もっとも伝説が濃厚に分布しているのが美濃国の安八(あんぱち)郡であって、しかもその地域の伝承では、蛇の嫁となった娘の家を「長者」とか「大地主」と語り、さらにもっと具体的に「安八大夫」とか「安八大官(代官)」という者の家にまつわる伝承として語られているのである。さらには、近江の夜叉ヶ池伝説でさえも、その多くが安八郡の長者にまつわる話であると語っているのである。このことは、夜叉ヶ池伝説の発祥地が美濃国安八郡であったことを物語っていると言えよう。
 では、このあたりの夜叉ヶ池伝説は、どのような話なのだろうか。たとえば、『揖斐川町史』には、次のような話が載っている。

 平安時代のころ、安八郡安次(やすつぐ)というところに住む長者安八大夫は、日照りに苦しんで、自分の娘を嫁にくれてやるから雨を降らせてほしいと、蛇(夜叉ヶ池の主)に頼んだ。雨が降った翌日、蛇は山伏に姿をやつしてやってきて、長者の娘を一人連れて、夜叉ヶ池に帰った。ところが、この蛇には本妻がおり、夫が新しい妻を連れてきたことに怒って白石山に籠もり、そして里帰りする途中の新しい妻の上に八丈もの大岩を落として押し潰そうとした。しかし、岩は現在の場所に止まって成功しなかった。このため本妻はこの岩の下に隠れ住むようになり、そこには今でも深い穴があいている。また、安八大夫の子孫が雨乞いのために、夜叉ヶ池に行くときは、けっしてこの八丈岩の下は通らないという。

 この話では、今庄地区の話とは異なり、雨を降らしてもらった見返りとして娘をすすんで差し出したためだろうか、長者の娘はすすんで蛇の妻となって嫁入りし、池のなかで生活するようになり、蛇を厳しく排除していないのである。しかも、その子孫は、その縁で、雨が降らないときには、先祖が嫁入りした夜叉ヶ池に雨乞いに行っていた、というのである。さらには、「後妻(うわなり)妬み」の話まで入り込んでいるのだ。
 私たちは、この伝説から、もしかして、この伝説の背後には、雨乞いのために娘を生贄(いけにえ)に差し出す、という慣習があったのではないか、雨乞いをする特別な家筋があったのではないか、ということを推測することができるのではなかろうか。
 もっとも、かつて夜叉ヶ池に雨乞いのために生贄を出した、というたしかな記録も伝承も伝えられていない。だが、まことに興味深いことに、民俗学者の高谷重夫氏の調査によれば、右の伝承で語られている「安八大夫」の子孫と称する家が実際にあり、近世には、安八大夫の子孫ということで、安八大夫の書状をもって夜叉ヶ池に赴いて祈祷をすると必ず雨が降ったという。すなわち、右の伝説はこの家にまつわる伝説なのであった。
 それでは、この家は誰の家なのだろうか。この家は岐阜県安八郡神戸(ごうど)町の安次にある石原家であって、「安八太輔由緒申伝之記(あんぱちたすけゆいしょもうしつたえのき)」と題する文書を所蔵し、その文書には神戸町の氏神日吉神社との特別な関係が語られているのである。つまり、中世以降、石原家はこの地域の豪族・長者として名を知られるようになったが、もともとは氏神の神主・司祭者であったらしいことが示唆されているのである。
 こうした家とその伝承の構造は、すでにみた三輪氏や鴨氏の祖をめぐる伝承とほぼ重なっていることがわかるはずである。つまり、「三輪山の神」を「夜叉ヶ池の主」に置き換え、「妻問い型」の婚姻を「嫁入型」の婚姻に、「三輪の司祭者の家筋」を「石原家」に換えることで、夜叉ヶ池伝説は作られているのである。
 こうした美濃側の伝説に照らして、鏡花の『夜叉ヶ池』を読み直すと、「鐘楼守(萩原晃)」が「石原家」であり、「生贄(萩原の妻)」は「安八大夫(もしくはその子孫)の娘」に相当するのかもしれない。
 しかし、鏡花がはたしてこうした美濃側の夜叉ヶ池伝説を知った上で、この作品を作ったのかということになると、疑問が残るだろう。というのは、『夜叉ヶ池』では、雨乞いのための生贄としてだけではなく、洪水を防ぐための生贄という構想になっているからである。むしろ、洪水と生贄という関係に着目すれば、池の主(蛇)との約束を破ったためとか、山の木を伐りすぎて神を怒らせたためとかで洪水が起こったといった内容の、「蛇抜け」の伝承に目を向ける必要があるだろう。
 いずれにしても、『夜叉ヶ池』という作品に私たちが感じる神秘は、池の主が竜神(大蛇)であり、その竜神が「神」の末裔であり、また選ばれた「人」(神の嫁・巫女)の末裔でもあり、しかも洪水や日照りを起こす力をもっている、ということにありそうである。
 私はさらに、こうした伝承や鏡花の作品に、人間と自然との厳しい関係の痕跡を見出すとともに、環境破壊を繰り返す現代人への警鐘も読み取りたいと思っているのだが、それは深読みし過ぎだろうか。

【筆者プロフィール】
小松和彦 KOMATSU Kazuhiko
国際日本文化研究センター所長。専門は文化人類学、民俗学。著書に『妖怪文化入門』(2012年、角川ソフィア文庫)ほか多数。