2013年6月8日

【脱線!スパニッシュ・フライ】飛んで、飛んで、飛んで――爆笑喜劇に込められた笑い(市川明)

 『脱線!スパニッシュ・フライ』はトランポリンを使った大跳躍芝居だ。奥行きのある舞台を十二分に利用して俳優たちは飛びまくり、そのたびに歓声が起こる。舞台奥から観客席に飛び込まんばかりにヘッドスライディングする俳優に、観客席は大いに沸く。軽い芝居のようだがちょっぴり社会性もある。
 演じるのはベルリンの代表的な劇団フォルクスビューネ(民衆舞台)。アレキサンダー広場から歩いて5分のところにある。フランク・カストルフが率いるこの劇団・劇場は昔も今も若者に優しい、若者の空間だ。東ドイツ時代からハイナー・ミュラー作品の上演をはじめ、常に演劇の新しい波を作り出してきた。『ペンション・シェラー』などで俳優として笑いを取り続けてきたヘルベルト・フリッチュが台本・演出を担当するのも注目だ。
 原題は”Die (s)panische Fliege”『スペイン(パニック)のハエ』。Sにカッコをつけて「スペイン」と「パニック」をかけたのはフリッチュのアイディアだ。原作の『スペインのハエ』は1913年に劇作家のフランツ・アルノルトと、作家兼俳優のエルンスト・バッハが共同で創作した笑劇である。上演では、バッハが演出を担当、アルノルトはバッハとともに俳優として出演し、大当たりを取った。フリッチュは忘れられたこの作品を百年後に再生させた。ストーリーは原作のままで、多くの動きをト書きで細かく指示した台本を書いた。俳優出身のフリッチュらしい、言葉と同じくらい身振り・身体を重視した台本だ。
 「スペインのハエ」から、女性用の媚薬を連想する人も多いだろう。これを飲むと性欲が増進し、男性からも恋されると宣伝されている薬だ。だがこの上演では、登場はしないものの「スペインのハエ」と呼ばれる魅力的なダンサーがキーパーソンとなっている。ヴォルフラム・コッホ演じるマスタード工場の社長ルートヴィヒ・クリンケは25年前、この踊り子と一夜の情事をした。子どもができたと言われ、それ以来、彼はずっと養育費を払い続けている。看板女優のゾフィー・ロイスが演じる妻のエマは、「母性保護同盟」の会長を務めている。マスタード色の袋袖の衣装で、道徳に厳しい女性として登場。彼女が大声で粗野に叫ぶたびに秘密がばれないかと夫はびくびくする。書類のファイルが手につかずお手玉する様子がスラップスティック風に演じられ、爆笑となる。
 エマが娘パウラの結婚相手と決めたハインリヒがやってくる。パウラを勝ち取るためには、彼女の父親を「パパ」と呼ぶことだと忠告され、実行する。クリンケは自分の隠し子が名乗り出たものと思い、大いにあわてる。抜けた青年を演じるバスチャン・ライバーはボケに徹し、かみ合わない対話が観客の笑いを誘う。だがよく聞くとクリンケの友人たちも養育費を払い続けてきたのだ。現れたハインリヒの母親マティルデは小柄で、大きな高さのかつらをかぶっているが、25年前のことでみんな顔も忘れており、彼女を「スペインのハエ」と思い込んでしまう・・・。
 舞台は隠し子騒動、「間違いの喜劇」の様相を呈してくる。舞台全面に大きな絨毯が敷かれ、そのくぼみのところにトランポリンが仕掛けられている。舞台後方が高くなり山になっている。トランポリンを使い、上に飛び乗ったり、そこから降りたりする。ドイツ語で”et. unter den Teppich kehren”( 絨毯の下に掃きこむ)は、「闇に葬る」というイディオムなのだが、トランポリンですべてが(ぴょんぴょん)明るみに出てくる感じだ。モーツァルトの歌劇『コシ・ファン・トゥッテ』(女はすべてこうしたもの)の向こうを張り、「男はすべてこうしたもの」であることが示される。今でも妻の多くが夫のことについて語るとき、「うちの主人」という時代だ。男性中心社会に対するちょっぴり「からし」の効いた批判が、大爆笑の中でにじみ出てくるのだ。
 フリッチュは今や旬の演出家だ。マルチメディアアーティスト、映画監督としても知られる。2011年にはベルリン演劇祭のトップテンの2本に彼の演出が選ばれている。イプセンの『人形の家』とハウプトマンの『ビーバーの毛皮』だ。さらに2012年に『スペイン(パニック)のハエ』、今年の『ムルメル、ムルメル』と続く。大御所の演出家が落選する中で、彼一人気を吐いている。ラディカルな劇団のとがった(先鋭的な)演出が生み出す究極の笑いを、静岡で大いに楽しみたい。

【筆者プロフィール】
市川明 ICHIKAWA Akira
ドイツ文学・ドイツ演劇研究者、大阪大学教授。専門は、ブレヒト、ハイナー・ミュラーを中心とするドイツ現代演劇。1996年に演劇創造集団ブレヒト・ケラーを創立。代表としてドイツ演劇の翻訳上演を関西で続けている。NHKドイツ語講座講師としても著名。