劇場文化

2014年4月24日

【ファウスト 第一部】レジェンド〈ファウスト〉(谷川道子)

 「ファウスト」はどこが何故レジェンドで、何がそんなにすごいのだろう。

 まずはそもそもが、ファウスト博士(1480―1536または―1539)は実在したといわれ、医術や占星術に携わり、祈祷師で医者で魔術師、人文主義的知識をもった錬金術師でいかさま師で女たらし、とされて各地を遍歴し、さまざまな足跡を残しつつ、尾ひれもついて伝説を生みだし、それが16世紀末から数多くの民衆本や人形劇に姿を変えた。神の白魔術に対して、悪魔の黒魔術とも契約を結び、享楽と冒険と知識と欲望の限りを求めた遍歴の果てに神にそむいた罰で破滅する、中世から近世に向けての民衆のエネルギーと想像力が生みだした文字通りのレジェンドのシンボル像だ。

 そして、イギリスのクリストファー・マーロウは『フォースタス博士の悲劇的な物語』として1592年に戯曲化、その後もレッシングやハイネ等々、何よりゲーテに刺激を与えた。少年ゲーテはそういった民衆本や人形劇に魅了され、自ら幼少時に演じたことさえあるという。しかもまずはゲーテが25歳の時に人々の前で朗読した『初稿(ウア)ファウスト』がワイマルの女官に筆写されて百年余経って、あの世のゲーテは知らぬことながら(?)、再発見・発表された。ゲーテ自身はイタリア旅行後に『ファウスト断片』を書き、それにさまざまな場を書き加えて、1806年に57歳で『ファウスト・悲劇第Ⅰ部』を発表。その後もさまざまに書き続け、心魂を傾けて、1831年に第5幕までの草稿を完成。それを封印したまま、死後に発表するようにと遺言して、1832年に82歳で永眠。
 ゲーテが60年余、あるいは人生のながきにわたってかくもこだわって完成させた『ファウスト』とはいったい何だったのだろう。ファウストはゲーテ自身に重なり、すべてを掌握したいという近代的個人/ファウスト的巨人の代名詞にも重なるのだろうか。しかしそういったことは、今はさておこう。

 ここで語りたいのは、その半端ではない『ファウスト』の上演史だ。
   「ゲーテの『ファウスト』を上演するには、ファウストの魔法の杖と呪文が必要なのだ」(A.W.シュレーゲル)
   「大事なのは第Ⅱ部が書かれているということだ。いつか後世がそれを最上の形で生んでくれよう。可能な範囲内で利用してくれるだろう」(ゲーテ)

 実は、1990年にミュンヘン・カンマーシュピーレが国際ゲルマニスト会議の招聘でディーター・ドルン演出の『ファウスト第Ⅰ部』を来日公演したとき、上演パンフレットに、「Faust und kein Ende―終わりなきファウスト―『ファウスト』上演史素描」というスケッチを12頁にわたって書かせて貰った。世界文学中の古典であるのみならず、これほど古今の演劇人を挑発し、これほど演劇の力量を試してきた戯曲も、ほかにそうはない。『ファウスト』上演史はさながら、近・現代演劇史である。ほぼ2世紀にわたるその幾多の挑戦の粗描を試みたのだが、その2世紀に近い上演史も、それぞれの〈演劇の現在〉との格闘のなかでいくつもの〈レジェンド・伝説〉を生みながら、蘇生をくりかえしてきた。
 20世紀までについては、そちらを参照されたいのだが、その後の21世紀でも特筆されるべき『ファウスト』演出が2つある。まずは、2000年のハノーファー万博でペーター・シュタインが演出した史上初という完全ノーカット版の20時間近い全幕上演、ブルーノ・ガンツ主演でも評判になった。
 もうひとつが、この今回のSPAC招聘のニコラス・シュテーマン演出だ。『第Ⅰ部+第Ⅱ部』をみごとなポストドラマ演劇的テクストレジーで痛快な8時間の舞台にしてみせて大喝采を得て、2012年度のベルリン演劇祭で、招聘作品の演出家、俳優、舞台スタッフの中から、未来のドイツ演劇の方向性を示す一人ないし数名に授与される3sat賞を受賞、批評家雑誌でも年間最優秀演出家賞を受賞…。ドイツ演劇界でシュタインが「68年世代の旗手」として長らく名声を保ってきたとすれば、それに内実ともに果敢に反旗を翻らせて躍り出てきた次のニューカマーが、シュテーマンだった。彼が演出した『ハムレット』や『群盗』も観たが、度肝を抜かれた。今回も、本当は『第Ⅰ部+第Ⅱ部』のすべてを日本でも上演してほしかったのだが、どう8時間にまとめたのかも興味津津だし……それは今の日本では無理なのかな。
 
 実は今年は、『ファウスト』日本上陸ほぼ百年にあたる。
 森鴎外は1884―88年のドイツ留学中にすでに『ファウスト』を読み、その舞台も観ている。帰国してレッシング等々から旺盛なドイツ語戯曲翻訳と紹介で日本新劇の礎をも築いた鴎外は、1913年に第Ⅰ部と第Ⅱ部の全訳を2巻で刊行、その第Ⅰ部が同じ年に近代劇協会によって初演された。当時としては画期的なくだけた現代語の鴎外訳を、演出の伊庭孝は〈前芝居〉も〈天上の序曲〉も〈ワルプルギスの夜〉も省いた5幕15場にし、伊庭孝が自ら演じたメフィストは、見えをきって仁木弾正のようで、日本の時代劇のようだとも評されたが、「帝国劇場が五日間連続して売切になったのは、劇場が立って以来初めての事だそうだ」(鴎外)。鴎外は1914年に、自らの編訳による『ファウスト考』と『ギョエテ傳』も刊行している。
 日本の『ファウスト』上演史の第二の立役者は、久保栄だろう。東大独文科を卒業して築地小劇場の文芸部にはいった久保は、表現主義等の当時の現代劇をつぎつぎに翻訳して、その上演は日本新劇史の築地小劇場時代を創出させた。『ファウスト』も何度も上演候補にのぼったが実現せず、1936年にようやく新協劇団が、久保栄の訳・演出によって、第Ⅰ部を舞台にのせる。自ら劇作家でもあった久保の翻訳は、歯切れよくわかりのいい、いかにも舞台の深奥を知りぬいた人の手によるものだといえるだろう。演出家としては、「日本で最初の本格的な、演劇と音楽のアンサンブル」を創ろうと試み、作曲と指揮を吉田隆子が担当、演奏は楽団創生、装置は伊藤熹朔。やはり〈前芝居〉、〈天上の序曲〉、〈ワルプルギスの夜〉も省いた21場、ファウストは滝沢修、メフィストが千田是也、グレーチヒェンが細川ちか子。「リアリズム遺産の最高峰のひとつである」『ファウスト』上演の新劇史における「歴史的意義」の自覚に貫かれたこの上演は、連日満員の記録をつくり、1939年にも再演された。この時の久保の稽古場での講義は、のちに『新ファウスト考』としてまとめられている。第Ⅱ部も上演プランにのぼっていたのだが、時局により劇団は解散を命じられ、久保も検挙された。第Ⅱ部の久保栄の翻訳も残念ながら、途中で終っている。

 戦後は、1950年に印南喬らの運命座が大隈講堂で、楠山正雄訳の第Ⅰ部4幕10場を、ファウストは千葉栄、メフィストは加藤精一、グレーチヒェンは夏川静江によって、上演。そして1965年、俳優座が日生劇場と提携して、千田是也演出で、日本ではじめての場面カットのない第Ⅰ部の完全全曲上演を果たした。『ファウスト』を「人類全体の歴史がふくまれている壮大な戯曲」ととらえ、それを「固苦しい理屈」としてでなく、楽しく、かつ「歴史的にリアリスティックに演出する」ことをめざした千田は、たとえば「ワルプルギスの夜」を「封建領主や教会の権力下に弾圧されていた当時の民衆、農民のいわばエネルギーの発散、民衆の健康な性の解放」とみて、面をかぶってさまざまな動物に化けた魔女たちや仮装人物を登場させ、怪奇・猥雑な場面をつくりだす。手塚富雄訳、伊藤熹朔装置、林光音楽、ファウストは平幹二朗、グレートヒェンは岩崎加根子、メフィストは千田自身が29年ぶりに演じ、64人の出演者が260人の登場人物をこなす、劇場機構をフルに使った大舞台。飾り立てすぎた「絵解き」のスペクタクル芝居との評もあったが、シアトリカルな演出で、第Ⅰ部全曲を5時間の大作として日本の舞台にのせた意義は、大きい。

 民衆本や人形劇による上演はほかにもあろうが、ゲーテの『ファウスト』そのものによる日本での主要な上演は、おそらくこんな感じだろうか。第Ⅱ部の本格的な上演は、いまだ実現していない。日本の演劇の力量が、問われているのではないだろうか。かつて小松左京は『ファウスト』を劇画ととらえた。「悪魔は出て来る、魔法つかいは出て来る、それからタイムトラベルやってるわけでしょう」―そんな複雑怪奇で超キングサイズの作品を独自の〈解釈(読み)〉と拮抗させた、自在な創造(想像)力にあふれた日本の『ファウスト』を、観たいと思う。
 今回のタリア劇場のSPAC来日公演が、日本の舞台にさらなる『ファウスト』上演への機運を創ってくれないだろうか。この日本で、私の生きているうちに、日本の『ファウスト第Ⅰ部+第Ⅱ部』完全上演のレジェンドを、実はひそかに夢見ている。

【筆者プロフィール】
谷川道子 TANIGAWA Michiko
東京外国語大学名誉教授。ブレヒトやハイナー・ミュラー、ピナ・バウシュを中心としたドイツ現代演劇が専門。著書に『娼婦と聖母を越えて―ブレヒトと女たちの共生』、『ドイツ現代演劇の構図』など。訳書に『ピナ・バウシュ―怖がらずに踊ってごらん』(シュミット)他多数。