2015年1月15日

【グスコーブドリの伝記】空想科学としての『グスコーブドリの伝記』(石黒 耀)

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 温暖化阻止が合い言葉になっている昨今からすると嘘のような話ですが、宮沢賢治が生きた時代は、地球がまだマウンダー小氷期と呼ばれる寒冷期の余韻を引きずっていた時期でした。賢治が生まれた岩手県のような高緯度地帯は、特にその影響が強く、しばしば冷害に襲われましたが、低緯度地帯は気温が上がって農業生産が回復していました。そのため、世界的には農産物価格が下がり始めたのに対し、たびたび冷夏に襲われた東北地方の農家は、生産量が上がらない、穫れても価格が安い、という二重苦に苦しめられたのです。

 また、この時代は、1904年の日露戦争、14年の第一次世界大戦、31年の満州事変、と戦争の時代でもありました。当然、国家予算は軍事優先で、23年の関東大震災で年間国家予算の3.5倍という大被害に遭ってしまった日本は、十分な災害対策費や社会保障費を捻出することが出来ず、デフレスパイラルに陥って、27年には昭和金融恐慌が始まります。ただでさえ冷害で疲弊していた東北地方の状況は悲惨を極め、農家の男子は兵隊になり、女子は身を売るしかない苦境へと追い込まれていったのです。
 『グスコーブドリの伝記』は、東北地方がそんな苦境にあえいでいた32年に書かれました。冷害により家族が離散したり、グスコーブドリの妹ネリが人買いに連れ去られたりする設定は、実際に賢治が目にした現実だったと思われます。
 こういう状況でしたから、農学校教員でもあった賢治の情熱は、冷害対策に注がれました。『雨ニモマケズ』の一節に「サムサノナツハオロオロアルキ」とあるように、結果は連戦連敗でしたが、情熱は失いませんでした。
 ところが31年、当時は不治の病だった結核に罹ります。もはや農業に従事することが出来なくなった病床の賢治が、最後に夢見たのは、火山噴火による地球温暖化でした。翌年完成した『グスコーブドリの伝記』の中で賢治が提唱したのは、温室効果ガスである炭酸ガスを豊富に排出するカルボナード(「炭酸ガスに満ちた」の意)火山を、イーハトーブ火山局の管理下に噴火させて、噴火災害は最小に留め、温室効果だけ得ようという驚愕のアイデアでした。驚愕的すぎて、「『グスコーブドリの伝記』は非現実的で、それゆえ美しい童話」という扱いを受けてきましたが、はたしてそうでしょうか?
 賢治の死から53年後の1986年、カメルーンのオク火山の山頂にあるニオスという火口湖から、突然、ガスが大量噴出し、周辺の広い地域の人や動物が全滅するという怪事件が起こりました。原因は、火口底に湧く炭酸ガスが湖底に溜まり、何らかのきっかけで爆発的に噴出(暴噴)したためと判明しました。暴噴のきっかけが何かは分かっていませんが、湖底の高濃度炭酸ガス層を大きく撹拌できる規模の噴火が起これば、十分なきっかけとなったでしょう。
 現在は再暴噴を防ぐため、日本のJICA(国際協力機構)が協力して湖底の炭酸ガスを連続的に抜くパイプを設置しています。つまり、今では“カルボナード”な火山から、火山学者の管理の下に、ゆっくりした炭酸ガスの暴噴を起こせるのです。もっと巨大な“カルボナード”火口湖を見つければ、温暖化を引き起こす程の炭酸ガスを連続的に暴噴させることも不可能ではないでしょう。『グスコーブドリの伝記』は非科学的な童話ではなく、科学が賢治の発想に追いつくのに、半世紀以上かかっただけだったのです。
 鬼才・山崎ナオコーラさんが、この部分をどう扱われるか、注目しながら御観劇いただくのも一興だと思います。
 ちなみに、『グスコーブドリの伝記』が書かれた後、日本は、東南海地震、南海地震と、さらなる大地変を経験することになります。日本の歴史には時折、こういった地学的動乱期が存在し、それは奇妙に政治的大変動期と重なります。この時は敗戦でした。では、現在はどうでしょう? 阪神淡路大震災、東日本大震災を経験し、東海・東南海・南海の巨大地震が迫っています。長い不況と右傾化、そして異常気象に、どことなく『グスコーブドリの伝記』が書かれた時代と同じ匂いを感じるのが、私の錯覚だと良いのですが。

【筆者プロフィール】
石黒 耀 ISHIGURO Akira
医師、小説家。霧島火山の巨大噴火を描いた『死都日本』(講談社)でデビュー。その後も、『震災列島』『昼は雲の柱』など、地変国日本のあり方を問う作品を発表。講談社メフィスト賞、日本地質学会表彰、宮沢賢治賞奨励賞を受賞。