神の霧



クロード・レジ Claude RÉGY
演出家。1923年生まれ。52年から演出活動をはじめ、特定の劇場や劇団に属することなく、独自の理念で、マルグリット・デュラス、ハロルド・ピンター、ヨン・フォッセなど、数多くの同時代作家の作品を上演する。81年以降、パリ国立高等演劇学校(コンセルヴァトワール)で教鞭を執り、また著書によっても若い演出家や俳優に影響を与えている。90年代以降では、ヨン・フォッセ作『だれか、来る』(99)やサラ・ケイン作『4.48サイコシス』(イザベル・ユペール主演、2002)が話題を集め、10年Shizuoka春の芸術祭での初来日公演では、フェルナンド・ペソア作『彼方へ 海の讃歌(オード)』が日本の観客にも熱烈に受け入れられた。

クロード・レジは自分の作品を映像に撮ることを、つねに固く禁じてきた。それは、作品の本質が目に見えないものであることを他の誰よりもよく知っているからであり、上演が生み出す捉えがたいもの、それを貫くひそやかな流れは、小さなテレビの箱のなかでは生きつづけることができないということを、他の誰よりもよく感じているからである。
それはレジが、生きる者同士の接触という至上の交流を、まだ信じているからである。同じ空間、つまり上演を経験する空間を共有することで、そこにいる者同士の間に生の流れが生じるということを。
だが一度だけ、レジがこの規則に例外を認めたことがある。それが、私がレジについて、レジとともに製作した『クロード・レジ、世界の火傷(Claude Régy, la brûlure du monde)』(2005)である。
私たちはともにこの作品の映像を観て、舞台の上で練り上げられた作品を、テレビ映像とは対極的な形で、イメージとして再構成する方法を見出すことが可能なのではないかと感じた。そしてそのためには、映画の技術を活用することで、生きた素材を、その息づかいを変質させないままに、映像素材に移し替える方法を探らなければならないと感じた。
問いつづけ、探りつづけること。映像に収めるのではなく、再創造すること。それが、作品を裏切らないための必要条件だった。
私たちは、この経験を経て、『神の霧』という舞台作品をもとにした映画を構想するに至った。これはレジの作品を全体として再構成する、最初の、そしておそらくは唯一の映画である。
この映画の中心は、クロード・レジの演出である。これは複数の出会いでもある。クロード・レジと、詩人タリエイ・ヴェースオースの、運命的な出会い。そして俳優ロラン・カザナーヴとの、やはり運命的な出会い。クロード・レジは数年前に、俳優養成のためのワークショップのなかで、この俳優と共同作業をしていたのだった。
この映画は、自らの芸術の絶頂にある偉大な演出家と、感性の巨人によってなされた驚くべき詩の融合として構想された。
透明な混沌の中で混じり合う、二つのラディカルな感性の重ね写しとして。
映画の夢として。
                                 アレクサンドル・バリー


 公演情報

舞台映像/フランス

■上映日時
6/9(日)11時30分上映開始
6/22(土) 10時30分/16時45分上映開始

上映時間:96分
フランス語上映/英語字幕

■会場
舞台芸術公園 稽古場棟「BOXシアター」

■チケット料金:500円

 スタッフ/ キャスト

監督:アレクサンドル・バリー
舞台演出:クロード・レジ
原作:タリエイ・ヴェースオース (連作『鳥』より)
翻訳:レジス・ボワイエ
出演:ロラン・カザナーヴ
製作:LGMテレビジョン、アトリエ・コンタンポラン、エム・メディア

 あらすじ

夏の盛り。マティスは仕事がなく、干し草刈りばかりしている。ある日、彼はヤマシギが石に打たれて死んでいるのにショックを受け、それを妹ヘグに話すがバカにされてしまう。別の日、マティスは妹に湖で魚を釣ってきてと頼まれる。舟を出し、遠くを眺めていると、次第に水が入ってくる。マティスはそれに気づくが、魚のことを考えたり、前の晩の妹との出来事を考えたりしてしまう・・・。