コラム『脱線!スパニッシュ・フライ』

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伸井太一 (のびい・たいち)
ライター(ドイツ製品史・サブカルなど)。現在、東海大学文学部ヨーロッパ文明学科講師としてドイツ近現代史を教える。著書は東西ドイツの製品文化をポップに扱った『ニセドイツ』シリーズ(社会評論社)。静岡市では映画イベントなどにも出演。

伸井太一
 『脱線! スパニッシュ・フライ』(原題:Die [s]panische Fliege)には、ダジャレが仕掛けられている。Sを取り除けば「パニッシュ(panisch)」=「パニックの」という意味になるのだ。

 本作は実にパニックそのもの。表情やセリフもみな、狂気じみている。だが、本劇が初演された100年前、1913年のドイツも混沌とした社会であり、翌年には、まさに混乱に満ちた大戦争(第一次世界大戦)を開始することとなる。

 『脱線!スパニッシュ・フライ』のパニックの源泉は何なのだろうか。1871年にフランスとの戦争に勝利し、ドイツ帝国が誕生し、産業革命によって繁栄を極め、医科学も飛躍的に発展した。「ドイツの医学薬学は世界一ィィィィ」という某マンガのセリフは、まさにここに端を発している。同時に、医学は様々な「混乱」をもたらした。精神医学の発展は「狂気」を発見し、人の心は分析される対象となり、薬物による心の操作の可能性も開かれた。この「こころ」観の大変化は、この演劇の主題ともいえる。

 また、豊かさは徐々に身分や男女差の垣根を崩していく。そこで男は、立派なヒゲでも生やして虚勢を張るしかない(当時のドイツは空前のヒゲ・ブーム!)。そしてヒゲのルートヴィヒが大事に抱えるのは、書類整理バインダー。これは1886年にドイツで発明された物で、ドイツ語でOrdner(オルドナー)、つまり「整頓(秩序)」の意味合いを持つ。そして、そんなバインダー(秩序)にファイルされた秘密が漏れ出す・・・。

 これらのキーワード「医科学」や「秩序」は、日本人の多くが持つドイツ像そのものだ。だからこそ、それらがメチャクチャ(パニック)になることが笑いのツボだといえる。他のドイツ像といえば、ビール、ソーセージ、サッカー、クラシック音楽などなど。しかし、その中に「ドイツ=お笑い」は無く、「ドイツ=お堅い」というイメージが支配的だろう。確かにドイツは笑いさえもお堅い部分もある。だが、そんな笑いこそが、どことなく間抜けであり楽しい。

 2013年が、日本にドイツの笑いが定着する最初の年になるように心から願いたい。それが静岡の公立劇場が主催する演劇祭から始まるなんて、なんだかステキな話だと思う。