コラム『Waiting for Something 』

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徳永京子(とくなが・きょうこ)
演劇ジャーナリスト。朝日新聞劇評の他、公演パンフレットや雑誌、web媒体などにインタビュー、寄稿文、作品解説などを執筆。東京芸術劇場運営委員および事業企画委員。

徳永京子
 少しマニアックな話をします。

 カーネーションという日本のロックバンドがいます。インディーズ時代も含めると活動は30年、さまざまな紆余曲折を経て自分達のペースで活動できる地盤をつくり、昨年出したアルバムは、軽やかな現役感と迫力ある成熟度が見事に融合したしびれる傑作でした。一般的な知名度は高くありませんが、ロック好きやミュージシャンから深い愛と尊敬を集めています。このバンドのフロントマン、直枝政広さんがかつてインタビューで「あなたにとってロックって何ですか?」と聞かれて答えた「家にある僕のレコード棚です」という言葉に私は感銘を受け、後日、中野成樹さんを思い出すようになりました。

 つまり直枝さんの答えは、過去と表現の理想的な関係のように私には聞こえ、演劇でそこにいるのは中野さんだと思うのです。大好きな作品、影響を受けた人、それらを生み出しては消えていった先人と長い歴史……。そうしたあれやこれを今の自分を通してアウトプットする。アウトプットされた作品はシンプルで肩の力が抜けているけれども、その余白には、圧縮された時間や重ねられた推敲が透明な結晶としてあちこちに存在する。それは同時に、アウトプットした主体が演劇そのものになることをも意味します。

 中野さんは、中野成樹+フランケンズ、通称ナカフラという劇団を主宰し、独自のスタイルで既存の戯曲を演出しています。それはしばしば“誤意訳”という中野さんの造語で説明されますが、芯にあるのは「有名戯曲をこう変えたらおもしろい」とか「ここまでやっても名作は価値を失わない」といった外部からの好奇心ではなく、「ここさえ押さえてあればいいんだよ」という演劇の歴史からの応答です。それがたとえどんなに大胆なアレンジでも、中野さんは演劇そのものなので許されます。

 『Waiting for Something』は、不条理劇の金字塔『ゴドーを待ちながら』が原作ですが、かなりねじれの効いたアレンジが施されています。でもベケットは、あの難解な『ゴドー〜』の登場人物を当時の有名コメディアンに演じてほしかったそうなので、そのスラップスティックぶりはきっと望むところでしょう。