「劇場文化」掲載エッセイ

潘軍と『重瞳』および『覇王歌行』について
飯塚容

二〇〇八年三月、北京を訪ねた私は『覇王歌行』の初演を見ると同時に、作者の潘軍(パンチュン)に会うことができた。二〇〇四年に初めて会ったときも、彼の作品『契約結婚』が上演中だったから、不思議な縁である。

小説家として知られる潘軍だが、聞けば幼いころから演劇になれ親しんできたのだという。一九五七年、彼は安徽省(あんきしょう)の地方劇「黄梅戯(こうばいぎ)」の家庭に生まれた。祖父は「黄梅戯」初期の芸人、母は「黄梅戯」の俳優、父は脚本家だった。いわゆる「文革」世代で、高校卒業後三年間、農村への「下放」を体験している。七八年、安徽大学中文系に入学。八二年の卒業後、小説創作を始めた。当時は実験的手法の小説が流行しており、潘軍もこの「先鋒派」作家の一人に数えられる。天安門事件後の九二年から九六年まで、彼はいわゆる「下海」(文人が筆を折り、商売の世界に身を転じること)を体験した。その後、再び文壇に復帰し、小説のみならず舞台やテレビドラマの脚本作家として活躍している。

最初の劇作『前哨』(一九八一年)は大学時代の作品。魯迅の生涯の一コマを描いたもので、安徽省の大学生演劇祭に参加した。潘軍自ら、主役の魯迅を演じたという。第二作『地下』(二〇〇〇年)は、地震で地下の駐車場に閉じ込められた人間の心理を描く作品だが、上演の機会がなかった。自作の小説を「話劇」(現代劇)に脚色し、正式に上演されたのは前述の『契約結婚』が最初である(北京人民芸術劇院、任鳴・演出)。これは現代人の男女関係、婚姻生活がテーマのリアリズム劇だった。一方、今回来日公演が実現した『覇王歌行』は、楚の覇王・項羽を描く歴史劇である。中国国家話劇院の王暁鷹(ワンシャオイン)演出によって、前衛的かつ抽象的な舞台に仕上がった。

潘軍の原作小説のタイトルは『重瞳』で、『史記・項羽本紀』に「項羽は瞳が二つあった」という記載があるのに基づく。二つ目の視点から歴史を新たに捉え直すという意味が込められているのだろう。項羽の一人称の語りによって、悲劇の人物の生涯を詩的に描いていた。潘軍は「下海」の期間中、数多くの挫折を味わい、文字通り「四面楚歌」の情況に陥った。そのときの心情が、項羽を主人公とする作品の創作につながったようだ。したがって、潘軍は項羽に強い思い入れを持っている。中国では一般に「失敗した英雄」は評価されず、むしろ天下を取った劉邦のほうに人気があるという。歴史上、項羽を愛したのは文人と女性だけで、その代表が北宋の女流詞人・李清照(『覇王歌行』の終盤に詩句の引用あり)だった、と潘軍は語っている。彼の感覚は、「判官びいき」の日本人に近い。

さて、話劇となった『覇王歌行』だが、その特徴と魅力としては次の三点が挙げられる。まず、項羽の独白の部分と史実を再現する部分を融合させたこと。悲壮感あふれる項羽に扮した房子斌(ファンツーピン)の荘重かつ洒脱な演技、范増のほか子嬰、韓信など複数の役柄を早変わりで演じた張昊(チャンハオ)の身体能力の高さがそれを支える。

二点目は、京劇の歌唱や仕草、立ち回りの要素をふんだんに取り入れたこと。伝統劇と話劇のコラボレーションは、近年の中国演劇界で顕著な試みである。虞姫を演じた劉璐(リュウルー)は中国戯曲学院の大学院生、もちろん京劇の素養がある。

三点目は古琴の生演奏を始めとする音楽が聴覚に強く訴える効果、そして黒い軍服姿の男たちと鮮血のコントラストなど視覚に強く訴える効果である。作曲を担当した張広天(チャンクワンティエン)、舞台美術を担当した劉科棟(リュウコートン)の名前も挙げておかなければならない。

ところで、潘軍は別に『覇王歌行』の京劇脚本『江山美人』も発表している(二〇〇五年)。また最近、彼からもらったメールによると、映画化の話も進んでいるようで、彼自身の手によるシナリオがすでに文学雑誌に掲載された(二〇一〇年)。小説から抜け出した潘軍の覇王・項羽は演劇の舞台を経て、さらに映画の世界へと「歌行」(旅)を続けることになるのだろうか。

飯塚容 中央大学教授。専門は中国文学。著書に『「規範」からの離脱——中国同時代作家たちの探索』(共著、山川出版部、2006年)、『現代中国文化の光芒』(共著、中央大学出版部、2010年)等。

演出家・王暁鷹——現代中国演劇のトップランナー
後藤典子

1 王暁鷹の経歴と現代中国演劇について

王暁鷹(ワンシャオイン)は、現代中国演劇界のエース中のエースである。現在中国の演劇の二大拠点は北京と上海であるが、北京の二大公立劇団の一つ、中国国家話劇院の演出家で同院の副院長である。一九五七年安徽省に生まれ、一九八四年に中国を代表する演劇大学である中央戯劇学院演出科を卒業し、同年に国立の中国青年芸術劇院(中国国家話劇院の前身)に配属され、以来二十五年余にわたり中国現代演劇(話劇)のトップランナーとして走り続けている。王暁鷹の特徴は、舞台美術・照明・音楽・音響を重視した華麗でけれんみにあふれた演出にあり、その作風は「詩的」であると評される。また、積極的に著作を発表し、中国で初めて演出家として博士号も取得するなど、中国演劇界の理論的支柱も担っている。さらに、中国演劇人の中で最も積極的に海外へ進出しており、アメリカ・ドイツ・ロシア・日本等で公演を実施している。長年にわたって国立劇団の屋台骨を支え、興行的にも理論的にも成功を収めてきたことは自他共に認めるところであろう。

さて、文革終結後の話劇の歴史は、一九七〇年代末から八十年代初期の文革批判と社会問題を扱った新作の時期、八十年代のニューウェーブの時期、九十年代から現在に至る商業化の時期と変化してきた。その流れの中での王暁鷹の演出家としての軌跡は、文革の混乱を乗り越え改革開放へと邁進してきた現代中国の歴史と重なる部分が多い。王暁鷹が大学生になったのは、十年間休止されていた大学入試が再開されたその年で、まさに演劇界にも進取の精神が満ちていた時期である。また、政治的には文化政策の引き締めと緩和が繰り返された時期ではあるが、総じて演劇があらゆる階層の人々に支持され愛されていたいわば、製作者と観客の蜜月時代であった。新世代の彼が新しい演劇の創造に高揚する想いを抱いたであろうことは、想像に難くない。

中国建国以来の話劇は、旧ソ連のスタニスラフスキーシステムに基づくリアリズム重視の作風が伝統である。八十年代初期に上演されたリアリズム劇のテーマは四人組批判など、善と悪がはっきりとしている教条的でセンチメンタリズムに傾いたものであった。それを打破するニューウェーブが二つ生まれた。一つはノーベル文学賞受賞者である高行健の戯曲に代表される「探索劇」と呼ばれる実験劇群、もう一つは北京人民芸術劇院を代表とするリアリズム再生の動きである。

王暁鷹の演出二作目の『ルービック・キューブ』(一九八六年)は、前者の実験劇として注目され、中国演劇史上、名作の一つとして位置付けられている。この作品は、相互に関連性のない九つの話を進行役の司会者がつないでいくというオムニバス劇で、すべての話が揃うと多面的な現代中国が浮かび上がるという仕掛けである。なかでも、五話目の「迂回せよ」は秀逸であった。舞台に広くて歩きやすい道と狭い泥道が設定されている。司会者は提案する。「ここで実験をしてみよう。広い道に『迂回せよ』という立て看板を立てたら、皆はどうするだろうか」と。果たして、登場人物は立て看板を前にいろいろ理由を推測する。危険だからと皆を制止する老人もいれば、妻に怒られて歩みを止める夫もいる。「文革の時のように盲目的に信じることは、もうこりごりだ」と演説をぶった若い男も結局は立ちすくんでしまう。そして、最後には司会者までもが広い道の安全性を疑い、皆と一緒に泥道を進むのであった。王暁鷹の演出は、原作のストーリーになかった独自性を発揮させている。唯々諾々と泥道を歩む大人たちに対し、立て看板を意に介さず広い道を突っ走って行く一人の子どもを登場させるのである。この子どもに未来を託すという設定は、魯迅の『狂人日記』の「子どもたちを救え」という最後の一文を連想させる。

一九八六年以降は、テーマの形骸化やテレビの普及などにより話劇の観客数は減少に転じ、公立劇団も大きな岐路に立たされる。特に、改革開放の深化による市場化の進展や、都市における中間層の出現で、文化的な消費ニーズも強まっており、各劇団も以前のように政府の主張を盛り込んだ劇に安穏としているわけにはいかなくなった。王暁鷹は、翻訳劇や越劇や黄梅戯等の伝統劇とのコラボレーションに活路を見出し、その代表作としてアーサー・ミラーの『るつぼ』(初演二〇〇二年)、マイケル・フレインの『コペンハーゲン』(初演二〇〇三年)を発表することになる。

2 『覇王歌行』の上演

シナリオを書いた潘軍(パンチュン)によれば、『覇王歌行』は構想から上演まで四年を要している。その原因は、大勢が出演する群像劇から現在の四人のスタイル――項羽、虞姫、劉邦、それと脇役一人が范増・韓信など十三役をこなすスタイル――に落ち着くまで、王暁鷹が何度も構想を練り直したからである。

本作の特徴は三点ある。第一は、最終的な勝者である劉邦を完全な脇役とし、項羽の立場から語られる物語にしたことである。ここでの項羽は、軍人というよりはハムレットのように内心の苦悩を芸術として紡ぎ出す詩人である。この項羽のイメージは、中国人にとって従来の項羽像、すなわち少々知慮に欠ける百八十センチを超える大男のイメージを覆したのだ(例えば一九九三年に日本でも公開された陳凱歌監督の『さらば、わが愛/覇王別姫』の覇王を思い出していただきたい)。

第二は、色彩・音楽・映像を駆使した、けれんみにあふれた演出である。色彩は、特に赤、殺戮の場面の血、舞い散る虞美人草が印象的である。音楽は、話劇『チェ・ゲバラ』(二〇〇〇年)の演出で、再び極左思想を喚起する芝居ではないかと大論争を巻き起こした張広天が担当している。古琴は、日本でも大ヒットした映画『レッドクリフ』(二〇〇七年)でも演奏した雨儂(ユーノン)。

第三は、現代劇と京劇をミックスさせたことである。主に項羽の台詞は現代劇の発声、虞姫の台詞は京劇の発声で、二人の会話は進められていく。虞姫を演じている劉璐(リュウルー)は、京劇など伝統演劇の最高学府―中国戯曲学院の大学院で、梅蘭芳の流派を学んでいる。王暁鷹によれば、虞姫が自害直前に項羽に献じる剣舞は、梅蘭芳の『覇王別姫』を忠実に再現したそうである。

3 『覇王歌行』以降の作品について

王暁鷹は『覇王歌行』の後、『ジェーン・エア』(二〇〇九年)、一九七七年の大学入試復活を扱った『一九七七』(二〇〇九年)を演出している。最新作は、ショパン生誕二百周年を記念して北京で行われた音楽劇『ショパン』(二〇一〇年六月十一日~二十日、場所:保利劇院)である。ストーリーは、観客のために演奏を重視する恩師と創作活動を重視する恋人ジョルジュ・サンドの間で板挟みになるショパンが、逡巡しながらもその葛藤の中で名作を次々に生み出していく過程を描くものである。ほどよい通俗性を備えた佳作であった。劇の中で、『英雄』を含め三曲のピアノのライブ演奏も取り入れ、満場の喝采を受けていた。演奏者は、二〇〇〇年のショパン国際ピアノ・コンクールに優勝し、「ピアノ王子」の愛称で若い女性に人気のあるユンディ・リーなどであり、話題を呼んでいた。連日、客席は満員に近く、保利劇場という北京で有数の規模と施設を誇る劇場での二週間の公演は成功裏に幕を閉じた。

昨年(二〇〇九年)は建国六十周年にあたり、記念演目の上映などにより中国演劇界は活況を呈した。中国国家話劇院のような公立劇団以外にも、民営劇団、大学生による学生演劇も盛んである。現在、中国の演劇ファンの間では、特に民営劇団による都会風喜劇が大人気で、ある意味公立劇団の苦戦が続いている。その中で王暁鷹が次々と新作を世に送り出し、興行的にも成功していることは注目に値する。中国の誇る演出家王暁鷹の自信作『覇王歌行』を是非、お楽しみいただきたい。

後藤典子 お茶の水女子大学博士課程在籍。論文に「日本占領下における国策映画会社「中華電影聯合股份有限公司」について」(2010年)等。