「劇場文化」掲載エッセイ

リオデジャネイロ、忘れがたい魔法
福嶋伸洋

二月、カーニヴァルの季節、冬のコートを着たままリオデジャネイロにやってくる北半球からの旅行者たちは、水着姿で街を歩き回るカリオカ(リオっ子)たちに驚かされることになる。

一九二九年十二月、長い船旅ののちリオに降り立ったモダニズム建築の巨匠、ル・コルビュジエも、それに近い感動に包まれたに違いない。バラ色の大地、青い空と海、緩やかな曲線を描くビーチ、泡立つ白い波、椰子の並木への賛辞を惜しまなかった建築家は、この街を「忘れがたい魔法」という言葉で回想した。「すべてが祝祭であり、すべてが心の喜びとなり、すべてが新たな想念を捉えるために身を引き締め、すべてが創造の喜びへと至る時——」。

誰もが心に描く、海と太陽に彩られたリオの姿を不朽のものとしたのは、ボサノヴァの父、アントニオ・カルロス・ジョビンの音楽と詞である。「窓からはコルコヴァードの丘が見える/なんて美しいんだ」「恋い焦がれて死にそうだ/リオ、きみの海、果てのないビーチ/リオ、きみは僕のために作られたんだ」……。リオデジャネイロの街は、ボサノヴァとともに生まれた。少なくとも、私たちの空想のなかのこの街は、その音楽とともに花開いた。

ボサノヴァを世界に知らしめたのは、リオの丘に広がるファヴェーラ(貧民街)を舞台とした一九五九年の映画『黒いオルフェ』だった。五五年に出版された『悲しき熱帯』でレヴィ=ストロースは、三五年に訪れたリオについて、現在は都市計画が問題を解決しているだろうが、と断りつつ次のように書き残しているが、それは、二十余年後に公開されたこの映画の一シーンを描写しているようにさえ読める。「貧しい人々は、丘の上のファヴェーラで羽根を休めるように生きていた。洗濯ですり切れたぼろをまとった黒人たちがギターで軽やかな旋律を生み出し、カーニヴァルのときには高みから降りてきて、その旋律で街を満たした」。

実際には、ファヴェーラの不安定な状況は今も変わっていない。危うい場所に不法に建てられた無数の小屋は、当局に「保護」の名のもとで放置され続け、二〇一〇年の豪雨の際には地すべりで数百人の死者が出ることになった。変わったことといえば、現在そこで聞かれる旋律が、サンバのでもボサノヴァのでもなく、バイリファンキと呼ばれる、マイアミベースにヒップホップの要素が合わさって生まれたダンスミュージックのものであることくらいだろうか。

往時のリオを彩ったボサノヴァのレコードは、目敏い外国人バイヤーがほとんどすべて持ち去ってしまったし、残っているものは、その頃に青春時代を過ごした老人たちの家の棚で埃をかぶっている。リオでレコードを回すのは、今となっては音質と音圧にこだわる少数のクラブDJだけで、すでに多数派となった曲データを使うDJはインターネットから落としたバイリファンキを「回し」ている。

リオデジャネイロでは、すべてが「とりあえず」作られ、そのまま「永遠に」放っておかれるかのようだ。数年後にワールドカップとオリンピックを控え、労働力不足の問題が日刊紙で囃し立てられるほどの建設ラッシュが進んでいる。その再開発のなかにも、ファヴェーラを貫いて走る主要道路に、防音の名のもとに目隠しの壁を取り付ける、というような「とりあえず」の解決に走るだけのものが目に付く。

ル・コルビュジエはリオでファヴェーラや黒人女性に魅了され、あざやかなスケッチを残している。彼を招聘していたブラジルの高官たちはそのことを知り、「私たち文明人にとってこれは恥です!」と憤ったという。だが、ある街のたぐい稀な美しさを見出すことが、ときに外から来た者にのみ許される特権であるということは、誰もが知っている。そして、リオデジャネイロの「永遠に、とりあえず」という時間様態こそ、この街の忘れがたい魔法の源に他ならないということも、誰もが知っている。

福嶋伸洋 放送大学講師。専門はブラジル文学。論文に「魔法使いの国の掟――リオデジャネイロの詩と時」等。

イメージをつかむ方法
高橋宏幸

一昨年、『かもめ・・・プレイ』という作品を、「Shizuoka春の芸術祭」で上演したエンリケ・ディアスが、新作をもって来日する。この作品『リオ・デ・ジャネイロ つかの間の愛』は、エンリケ・ディアスが率いる、それこそリオ・デ・ジャネイロを拠点にする集団「コレクティヴォ・インプロヴィソ」(即興の共同体)が出演した作品だ。そのメンバーには、共同演出として名を連ねるクリスティーナ・モウラをはじめとして、俳優やダンサー、コレオグラファー、ミュージシャン、映像作家やパフォーマーなどがいて、幅広い構成となっている。

この静岡のフェスティバルで上演される前には、ベルギーやドイツ、オーストリアでの上演を経ている。とくにベルギーのブリュッセルでは、世界各地から先鋭的な作品をあつめたクンステン・フェスティバルにおいて5月末に上演された。(余談だが、日本でも上演された岡田利規のチェルフィッチュの作品『ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶』と同時期)そして、今後もスイスやオランダ、フランスなど、さまざまな場所での上演をひかえている。

ただ、残念ながらこの作品は、世界初演のツアーのため、どのような内容になるのか、まだこの原稿を書いている時点ではわからない。かすかに、プロジェクトの内容を伝えるプレゼンテーション資料などから、読み取ることができるだけだ。リオ・デ・ジャネイロというメトロポリスの中心地と郊外のあいだを行き来する平凡な生活をおくる無名の人たち。その人たちのパブリックとプライベートの空間で起こっていること。それについて、「コレクティヴォ・インプロヴィソ」のメンバーたちが、それぞれのイメージや物語にして描くパフォーマンスらしい。

これは、新作なのでいわゆるレパートリーの傑作として招聘されるのではなく、こうやって世界各地をツアーすることを前提に作品が作られたのだろう。まず、それがこのアーティストのポジションとでもいうべきものを示している。というのも、この作品の作られる経緯が、おそらく様々な劇場やフェスティバルなどとの共同製作で作られた、もしくは公演そのものの買い取りなのかはわからないが、ヨーロッパのフェスティバルや劇場などでツアーをするというレールにのっているとはいえるからだ。そのような形で作品を作ることがある日本の集団は、たとえばチェルフィッチュなど、わずかな例が該当するだけだろう。いわば、そのフェスティバルや劇場が組織するマーケットの流通過程にのって、作品を作ることができる実力ある演出家なのだ。

確かに、一昨年に静岡で上演された『かもめ・・・プレイ』は、秀逸な作品だった。チェーホフの『かもめ』を文字通り「プレイ」、「上演」しながら「遊ぶ」のだが、単に作品を遊びながら作るだけでなく、『かもめ』そのものの作られた経緯を踏まえて、チェーホフからシェイクスピアまでの演劇史そのものに対する深い洞察が含まれている。

それは、彼が『かもめ・・・プレイ』を作る前に、『リハーサル、ハムレット』という作品を作っていることに関係する。いわば、『リハーサル、ハムレット』から、チェーホフにとっての『かもめ』が、ハムレットをリハーサルしたものだったのではないかという、研究者の視点ではなく、アーティストの視点から導き出して作品を作っているのだ。

実際、『かもめ』がシェイクスピアの『ハムレット』を下敷きにして作られた作品であることは、よく言われている。まず作品の構造として劇中劇が入ること。人物も母アルカージナとその息子トレープレフが親子の愛情と苛立ちを爆発させる様子は、ハムレットとガートルードの関係を引き移しているといえるし、母を奪い取って王となったクローディアスは、同じように母の愛人である作家トリゴーリンと重なる。人物の対比関係などを挙げれば、他にもまだまだ共通点はでてくる。さらに『ハムレット』の台詞が引用されるくだりなどは、直截的で目につく箇所だ。

それを、『かもめ』を上演しようとする7人の俳優たちが稽古場の風景として、『かもめ』とはなんであったのかを議論しながら作るのだ。それは、演劇史として『かもめ』が『ハムレット』を下敷きにして作られたのならば、この作品もそれを踏まえてさらに演劇を問うものとして作られていることになる。もちろん、『かもめ』が作られる稽古場ということでは、劇中劇の構造が取り入れられており、メタシアターの構造は作品の内部にも含まれているし、外部にも周到に作られている。

しかし、それはなにも肩肘を張って観るような難しい作品ではない。舞台の始まりは、白い床と七脚の並んだ椅子のみのシンプルなものだ。それを、静岡の野外劇場で上演することは、湖と地平線が見えるように設えたとされる『かもめ』の劇中劇の舞台を想起させたし、原作の場所であるロシアの避暑地を思い起こさせた。そこでときに議論を交わしながら、ときに「遊び」ながら『かもめ』が作られていく。

白い床にこぼした液体を湖に見立てて、指で二人が歩く姿を表現しながら愛を語ろうとするトレープレフとニーナ。劇中劇としてトレープレフが20万年後の世界を新形式の舞台で上演しようとしている最中に出てくる宇宙飛行士のヘルメット。孤独の象徴として実際にラジコンヘリコプターを飛ばしてみること。殺したかもめに見立てられたカリフラワー。トレープレフが自殺をするシーンでは、そのヘルメットをかぶって拳銃の代わりにヘアドライヤーをもってこめかみを撃つなど、様々なものが物語の流れのなかで起こり、その痕は舞台の上に並べられていく。

その痕跡の構図は、まるで一枚の白い床のカンバスに画を描いていくかのように配置される。さらにラストシーンのトレープレフの自殺のシーンを示すのは、白い床の中央にトマトを置いて、それを踏み潰して、赤い汁が四方に流れるからだ。それは凄惨なシーンを描き出す方法として、観客に想起させるイメージをどのように作るか、演劇というものの本質にまで切り込んで「遊んでいる」といっていい。

そして、『かもめ』の物語に沿って稽古場の進行は展開されるにもかかわらず、稽古で『かもめ』を上演しているときと稽古場での会話は、徐々に浸食しあって入れ込まれた原作との明確な境界は消失する。その『かもめ』という作品の枠に揺さぶりをかける振幅は、筋は同じであっても話される台詞と行為が、ときにエスカレートして『かもめ』を完全に逸脱して、ときにさらに『かもめ』を深く読み込む。

『かもめ』で演劇論について言及される箇所は、いまであればどのような演劇論として語るのが相応しいかという文脈の延長線上に話される。また、トレープレフが上演した新形式の舞台の台詞が何度も要所要所で反復されることによって、この劇中劇こそが作品そのものを批評的に包み込むような役割を果たすようになる。それは確かに原作を解体して、再構築しているのだ。

演劇の歴史という古典的ともいえる問題を抱えながら、しかし、まったく古びた形ではなく、それこそトレープレフが望んだように新形式の舞台として現すエンリケ・ディアス。ライヴ・アートとして舞台上で行われる生身の人間の行為でありながら、それは規定された身体を越えて、イメージを作品の内と外へと自由に行き来させる。確かに新しいが、根幹から演劇というものを問うからこそできる、演劇が抱えた本質的な問題を今の形にしているといえるだろう。もちろん、それはイメージによって、世界を経験しようとした、シャイクスピアの「世界は劇場」であるという言葉にもかかるし、かつて劇場という場が記憶を保存する装置として機能していたということでは、歴史の本質でもある。そのディアスが見せる新作に期待が高まるのは当然だろう。

高橋宏幸 演劇批評、日本近現代演劇研究。共著に『Theater in Japan』(Theater der Zeit)など。『図書新聞』に劇評を連載。日本女子大学、桐朋学園芸術短期大学非常勤講師。