今年の「有度サロン」春期講座では、経済・政治・身体・言葉といった、さまざまな切り口から、いまの世が抱える<危機>について、論じあうことをめざしている。多くの専門分野から討論者を集め、それぞれの角度から問題を照射することを通じて、<危機>の中心はどこにあるのか、どうやってそれを克服するのか、ともに考えたい。
水野和夫 Mizuno Kazuo 対談者/ 西山圭太
近代社会=近代資本主義の終焉とその後
21世紀の日本の課題
水野和夫(みずの・かずお)
三菱UFJ証券チーフエコノミスト。主な著書に『人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか』(日本経済新聞社)、『金融大崩壊』(NHK出版)など。
西山圭太(にしやま・けいた)
経済産業省産業構造課長、主な報告書、白書に、「知識組替えの衝撃 〜 現代産業構造の変化の本質」(産業構造審議会基本問題検討小委員会報告書 2008年4月)、「通商白書 2004年版」などがある。
舞台芸術公園
稽古場棟「BOXシアター」
今回の「100年に一度の金融危機」で米国の投資銀行は消滅し、日本を代表する電気機械メーカーや自動車会社が赤字決算を強いられている。この30年数年にわたる拡大路線の延命策が徒労に終わったことになり、あらためて、ポスト近代社会のあり方を考える時期にきた。
高澤秀次 Takazawa Shuzi 対談者/ 斎藤環
近代文学の終焉とその後
21世紀はいかに可能か
高澤秀次(たかざわ・しゅうじ)
文芸評論家、日本近代文学、思想史。主な著書に『吉本隆明1945-2007』(インスクリプト)、『評伝中上健次』(集英社)、『江藤淳―神話からの覚醒』(筑摩書房)など。
斎藤環(さいとう・たまき)
精神科医、主な著書に『アーティストは境界線上で踊る』(みずず書房)、『母は娘の人生を支配する』(NHKブックス)など。
舞台芸術公園
稽古場棟「BOXシアター」
今回私が問題提起するのは、日本近代文学の起源と終焉に深くかかわった〈北海道〉というコロニアルな風土の意味だ。国木田独歩から三島由紀夫に至る文学作品を概観しつつ、さらにポスト戦後文学を代表する村上春樹の『羊をめぐる冒険』の、このトポスをめぐるパロディとしての機能について考察する。
黒崎政男 Kurosaki Masao 対談者/ 鈴木忠志
デジタル・ネット時代における <身体=文化>
その可能性を問う
黒崎政男(くろさき・まさお)
東京女子大学文理学部哲学科教授、カント哲学、人工知能、電子メディア論。主な著書に、『岡倉天心 茶の本――何が<和>でないか』(哲学書房)、『身体にきく哲学』(NTT出版)など。
鈴木忠志(すずき・ただし)
演出家、主な演出作品に『リア王』、『ディオニュソス』、『シラノ・ド・ベルジュラック』、著書に『内角の和Ⅰ・Ⅱ』(而立書房)など。
舞台芸術公園
稽古場棟「BOXシアター」
今日のデジタル・ネット時代において、空間と時間の広がりは極限までゼロ度化され、文化はますます脱=身体化していくように見える。このような中で、二千数百年来、身体性を本質としてきた演劇という文化は、いったい何であるのか。21世紀の哲学と演劇のあらたな可能性について論じてみたい。
苅部直 Karube Tadashi 対談者/ 平野啓一郎
透明でない<日本>
現代の社会と言葉
苅部直(かるべ・ただし)
東京大学大学院法学政治学研究科・法学部教授、日本政治思想史。主な著書に『光の領国――和辻哲郎』(創文社)、『丸山眞男――リベラリストの肖像』(岩波新書)など。
平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)
小説家、主な作品に『日蝕』、『葬送』、『決壊』(以上、新潮社)など。
舞台芸術公園
稽古場棟「BOXシアター」
世の先ゆきが不透明になるなかで、「自分」の姿の見えにくさは、ますます深まったのではないか。しかもグローバル化の波によって、<日本>という空間の自明性も疑わしくなっている。この時代の断面図を描き、新しい展望をひらくような言葉は、どうやって見いだせるのか、そんなことをめぐって話してみたい。