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 新しい社会建設のために理想と奉仕に燃えるロシア中産階級の知識人イワーノフは、ユダヤ人のアンナと結婚する。そして5年の歳月が経った今、イワーノフは仕事や結婚への理想が破れ、自分の人生が失敗であったと感じている。彼は借金を抱え、彼の妻は胸を病み、死を間近にしている。隣人たちはそんなイワーノフの家庭を悪しざまに噂するが、若い娘サーシャだけは、彼を愛し彼との結婚を望んでいる。イワーノフはサーシャに新しい人生への希望を託そうとするのだが……。

虚ろな内面の谺(こだま)

 今回私は、現代を生きる日本の若い男の妄想として『イワーノフ』の世界を舞台化しました。多くの人たちが思い描く『イワーノフ』とは全く異なる舞台かもしれません。それは、私が『イワーノフ』という戯曲作品を舞台化することよりも、『イワーノフ』という作品から私が感じとったイメージあるいはイリュージョンの世界のほうを舞台化=視聴覚化したいと思ったからです。それがチェーホフの意図を歪めることになるのではなく、むしろチェーホフの作品の民族・国境を超えたメッセージの普遍性、民族・国境を超えて人を惹きつけるチェーホフという人の偉大さを証明することになれば幸いだと思っています。

 私の舞台では、社会的に挫折した一人の男がどのように自分自身を疑ったり励ましたり、あるいはどのように外の世界を見たり感じたりしたのかを視覚的に浮き彫りにしていきます。舞台上に登場する実在の人物はイワーノフという名の男とアンナという名の女だけです。あとはすべてイワーノフの幻想としての「籠の男」や「籠の女」たちなのです。

 イワーノフは彼の生きている環境そのものに絶望的な異和を感じています。自分をとりまくすべてのものが自分を非難していると感じています。イワーノフは言葉をいくら費やしてみても、誰も悩み苦しんでいる自分を救ってくれないし、新たな理想へ向かって行動することもできないと思っています。そして、自分が誰からも理解されないという強迫観念にとらわれ、ついには妄想の世界に逃避し、狂気の世界に落ちていく。

 その原因を籠の男たちは、金持ちの娘であるアンナと結婚したが持参金を得ることができなかったからだと言うのですが、しかし最大の原因は、彼女がユダヤ人であったからです。イワーノフは理想主義者として社会変革に身を捧げます。さらに、人種差別という壁を乗り越えなければならないと考え、アンナと結婚することでその理想を実践しようとし、そして失敗する。彼はアンナへの愛情が醒めた理由を他の女との愛のためだと非難されると、思わず「黙れ、ユダヤ人」とアンナに叫んでしまいます。そして、それまで懸命に否定してきた差別意識を、もっとも深く生きていたのが自分自身であったことに気づきます。彼は自分の生き方を決定してきた基準がいっさい崩れたことを知り、廃人のようになってしまう。ここにはどんなに言葉を費やしても自己正当化の物語を作ることのできなかった男の虚ろな内面が谺しています。

 籠はイワーノフの他人との意思の疎通ができない絶望感の表現です。他人を自分と同じ人間ではないとみなす心理の反映物です。白い籠と車椅子の花嫁はアンナの結婚に破れた喪失感を象徴しています。
(「チェーホフ演劇祭・モスクワ」パンフレットより)

2002年6月 静岡芸術劇場 Shizuoka春の芸術祭
(ザ・チェーホフ『イワーノフとラネーフスカヤ』として上演)