ふたりの女 〜唐版・葵上〜
作:唐十郎
吉見亮、たきいみき、牧山祐大、三木美智代、
木内琴子、若宮羊市、石井萌生
舞台芸術公園 野外劇場「有度」
上演時間:80分
大学生・専門学校生2,000円 / 高校生以下1,000円
※背もたれのない客席となります。
※雨天時でも上演いたします。
この思いは、きっと、等身大の幸せではないかもしれません。丁度、ケンビキョウの中を覗くように、シンチューのカギと砂とアリが封じこめられたように、ささやかなほんの小さなものなのですが、あたしは、前から、子供の頃から、そこへ帰りたい、だれか、そこへ伴れていってくれと願っていたんです。
能×アングラ×宮城聰、野外劇場で新たな伝説が立ち上がる!
一人の男をめぐって争うふたりの女。だが、ふたりの姿はやがて一つに重なっていく・・・。光源氏をめぐる葵上と六条御息所の争いを描く能の傑作「葵上(あおいのうえ)」を、唐十郎が奔放なイマジネーションで翻案した「ふたりの女」。
はかない出会いに賭けた女の想いが、有度山の野外に妖しく浮かび上がる!
『夜叉ヶ池』、『ハムレット』と古典の名作を手がけてきた宮城が、アングラの伝説に初挑戦。野外での演出もSPAC芸術総監督就任以来はじめてとなる。
■あらすじ
伊豆の砂浜に立つ精神病院。アオイとの結婚をひかえた医師光一は、六条という名の患者に突然「あなた」と声をかけられ、アパートの鍵を渡されてしまう。光一がアオイと富士サーキットでレースを観戦していると、そこに化粧品販売をはじめたという六条があらわれ、光一に髪油を渡す。アオイはこの髪油をつけたときから、次第に六条に取り憑かれていくようになる・・・。
■コラム
「有度」 甲野善紀
もうだいぶ前の事だが、俳優の佐野史郎氏が、雑誌に解説が載った私の武術論について、「どんな演劇論よりも参考になった」と何かに書かれていた。
それがキッカケで佐野氏と知り合い、交流は今も続いているが、ここ数年、私も演劇と武術はきわめて近い世界だと思うことが度々ある。そこで、以前ご縁があった宮城聰氏が演出をされている静岡県の舞台芸術センターの俳優の方々に、一度私なりの気づきや、身体の使い方をお話ししたいと思っていたところ、先日、宮城氏から日本平の舞台芸術公園に招いて頂き、ワークショップというか稽古会を持たせて頂いた。
その稽古会が始まる前、宮城氏に、この舞台芸術公園にある野外劇場“有度”を案内して頂いた。昔から斧が入っていないという森そのものを舞台の背景として建てられた“有度”は、もちろん近代的な建物ではあるのだが、何か昔からそこに在った劇場のような不思議な佇まいがあった。客席の上段から見下ろすと、舞台は驚くほど遠く深い。その時、私はこのところ感じている武術と演劇が窮極で一致していると感じるエピソードの一つを思い出した。
それは、晩年熊本にいた宮本武蔵が、剣の極意について尋ねられた時、「幅三尺の板を高さ一尺に置けば誰でも渡れるが、同じ三尺幅の板を城の天守閣から向こうの山まで渡したとしたら、その上を一尺の高さの時と同じように渡れるだろうか」と、尋ねた者に問い直したという話である。武蔵に逆に問いかけられた者は「なかなか足が震えて簡単には歩めませぬ」と答えた。すると武蔵は「幅は同じ三尺である。高さが一尺であろうと数十丈であろうと、三尺であるという事に変わりはない。そこを見切ってどちらも同じように渡れるのが剣の極意と申せよう」と答えたという。つまり、これは高さ数十丈であろうと、「高さ一尺を渡っているように演じ切れ」と言われ、その通りに演じるという事であろう。
これに気づいた時、私は演劇というものが、その奥に持っている世界の凄まじさに鳥肌の立つ思いがした。
甲野善紀(こうの・よしのり)
武術研究者。神戸女学院大学客員教授。1949年、東京生まれ。78年、武術を専門とする道に入り、他流儀や異分野と交流し、古文献の解読などを通して、古の武術を探究する。そうした研究が近年は、スポーツ、音楽、演劇、介護、工学等の世界からも関心が持たれている。著書に『剣の精神誌』、『身体から革命を起こす』など多数。
宮城聰(みやぎ・さとし)
演出家、静岡県舞台芸術センター(SPAC)芸術総監督。
1959年、東京生まれ。90年、劇団「ク・ナウカ」を結成。日本の伝統演劇の様式とヨーロッパのテクストを融合させた演出には定評がある。2004年、第3回朝日舞台芸術賞受賞。海外公演も頻繁に行っており、06年10月にはパリのケ・ブランリー国立博物館クロード・レヴィストロース劇場のこけら落としとして『マハーバーラタ』を上演。代表作に『王女メデイア』(エウリピデス)など。07年4月より静岡県舞台芸術センター芸術総監督を務める。SPACでは07年11月に木下順二の『巨匠』、08年5月に泉鏡花の『夜叉ヶ池』、11月に『ハムレット』を演出。
自作の上演と並行して、国際舞台芸術祭「Shizuoka春の芸術祭」では世界各地から現代の世界を鋭く切り取った作品を次々と招聘し、また「親と子の演劇教室」や「小さいおとなと大きなこどものための夏休みシアター」など静岡の青少年に向けた新たな事業を展開、「世界を見る窓」としての劇場づくりに力を注いでいる。
唐十郎(から・じゅうろう)
劇作家、演出家、俳優、小説家。
1940年、東京生まれ。62年に明治大学演劇科を卒業し、その後青年芸術劇場を経て「状況劇場」を旗揚げ。67年、新宿花園神社境内に建てた「紅テント」で代表作『腰巻お仙』を上演し、以後、テントでの公演活動を続ける。60年代末には鈴木忠志、寺山修司、佐藤信とともに「アングラ四天王」と称された。
70年、『少女仮面』で岸田戯曲賞受賞。70年代にはソウル、バングラデシュ、パレスチナなど、海外公演も多数行う。「状況劇場」は李麗仙、麿赤兒、四谷シモン、山崎哲、根津甚八、小林薫、佐野史郎、そして飴屋法水など、のちに様々な分野で活躍する人材を輩出している。
79年に『ふたりの女』を発表、劇団・第七病棟(緑魔子・石橋蓮司主宰)によって初演される。
83年、『佐川君からの手紙』で芥川賞受賞。88年、「状況劇場」を解散し、「劇団唐組」を旗揚げ。97年に横浜国立大学教授(現在は近畿大学客員教授)となってからも多分野で破天荒な活動をつづけ、「唐ゼミ」などを通じて若手の演劇人にも影響を与えつづけている。