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昔話「カチカチ山」は、狡猾な狸がおばあさんを殺害する、という前半と、狸が兎の報復にあい、惨めに殺されるという後半が、それぞれ独立した物語としてあったものが、近世に一つの物語としてまとまったものであるという。この広く知られた物語をもとに太宰治は、昭和20年、「御伽草紙」の一篇として「カチカチ山」を発表した。
太宰治は、兎を「16歳のいまだ色気はないが美人の処女」、狸を「彼女に惚れ込んで惨澹たる大恥辱を受ける中年男」に置き換え、この昔話を男女の物語に読み替える。太宰の「カチカチ山」では、狸は、兎である冷酷な処女に夢を抱き、彼女の拒絶の姿勢を理解することなく、追い回し、「惚れたが悪いか」の一言を残し、殺される37歳の純情な男性である。
日本の伝統芸能には、男女の性を軸とした愛情問題などを主題とするものが大変多い。これは日本の流行歌についてもほとんど同じことが言えるが、この男女の愛情関係は、ハッピーエンドに終らないことが伝統劇や流行歌の特徴でもある。日本の舞台芸術には、ギリシア悲劇やシェイクスピア劇などに見られるような、人間に対する哲学的な思考や洞察が欠けているのではないかと言われてきた。それはその通りなのだが、一方では、男女の人情の機微、心理の綾、感情の起伏などにたいしては大変繊細かつユーモアに満ちた舞台表現が培われている。この『カチカチ山』はこうした日本の伝統芸能や流行歌の特徴ともいえる男女の心情や心理への繊細な観察や表現を踏まえながら、また太宰治特有の男の弱さやだらしなさから見た女性への幻想を生かしながら、新しいスタイルの音楽劇として創ったものである。
太宰の「カチカチ山」は、おとぎ話の兎と狸が、少女と醜男におきかえられ、彼女に惚れ込んで屈辱を受ける中年男の悲喜劇を描いている。この舞台ではそれを男性固有の問題として抽出するのではなく、われわれが生きている制度上の関係の問題としてとらえている。その観点から、シチュエーションは、ヤクザの集団のような男社会が蠢動する病院になっており、狸はそのヤクザの親分、少女も処女とは言いがたい、したたかな看護婦になっている。そして、今回の『カチカチ山』では、長い男性中心社会の中でつくられてきた男の変なところ、そのために生まれる女の変なところ、その関係に焦点をあてている。世界は病院であり、人間はすべからく精神の病人であるという鈴木演出の主調音がここでも鮮明に浮き彫りにされている。
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