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常陸の宮の姫君(末摘花の姫)と一夜を過ごした後の朝、雪明かりの中に光源氏が見たのは、恐ろしいまでに不器量な姫の素顔だった。もともと蓬生(よもぎゅう=蔦などが絡んで荒れ果てている)の古屋敷に宮家の姫が一人暮らしをしているという噂に好奇心を抱き訪れた源氏であり、その後も姫を訪ねたり、また後ろ盾となるような気遣いはない。しかし一方、世間に疎くそれ故貧しい常陸の宮の姫君はこのたった一度の逢瀬を信じ、ひたすらに源氏を待ち続ける。源氏が政争に破れ明石に追われた三年間の間、姫はさらに困窮を極めていった。供の者達も逃げ出し屋敷は益々荒れ果てる。受領に嫁いでいる姫の叔母は、屋敷を売り自家に身を寄せることを勧めるが、姫にとってそれは源氏への思いを断ち切ってしまうことに他ならない。
その内、源氏が復権を果たし都に戻るという知らせが届く。姫は喜びに我を忘れるが、それはむしろ残酷な知らせでもあった。かつての華やかさを取り戻した源氏が、姫を思い出すことなどあるのだろうか。果たして源氏は一向に姫を訪ねる気配もない。ここまで居続けた供の者達もうちひしがれ、次々に屋敷を後にしていく。たった一人残った乳母を前に、姫はある決意を語ろうとする……。
『待つ』ということ
「源氏物語」の末摘花・蓬生の巻に材をとったこの『しんしゃく源氏物語』は、姫をはじめとする人々の、ひたすらに光源氏を待ち続ける姿を描いています。
人は「待つ」間にどのように変わっていくのか。
いわば、これは「待つ」ことに関する演劇だといえるでしょう。
いつか現われるのか現われないのか、それ以前に源氏の心には微かにでも末摘花の思い出が残っているのか。「待つ」事だけが出来ることであり、それ故、ただひたすら待ちつづけ、その時間がさらに「待つ」事以外の行為を不可能にしていく。そのような時間の中で人はどのように試され、どう打ちのめされ、どう希望を失い、あるいは維持し、どう「待つ」ことの意味を変えるのか。
この作品の原典である紫式部の「源氏物語」は、三世代にわたる登場人物たちの意識無意識のなかに共通するある観念に貫かれています。
諦念とも言うべきその観念は、例えば源氏の父親である桐壷帝の場合、次のように現われます。
桐壷帝は数多ある帝をめぐる宮廷の女御たちの中で特に源氏の母親である更衣を愛し、その結果、元々体が弱く精神的にも脆かった更衣は他の女たちの嫉妬といじめを一身に受け病に亡くなってしまう。帝はもちろんこの死をわが世もないほどに悲しむのですが、やがて、早い別離は前世から定められていたことで、それが故に自分も周囲の思惑をかえりみる余裕のないほど更衣に愛を注いでしまったのだという、いわば因果を逆転したかのような認識を持つに至ります。
なにもかも仕方のないものだというこの認識は、人がこの世に生きる姿は幻、つまりそこでの恋も情念も、前世からの定めのはかない投影にすぎない、という観念から導きだされるものです。
人々は前の世という目に見えない運命の定めに支配され、いつ襲ってくるかもわからない悲しみや苦しみに怯えながら、感受性ばかりを過度に研ぎ澄まして生きていく、言ってみればこれが「源氏物語」の世界観ですが、作者の榊原政常によってファルス・センチメンターレ(涙もろい喜劇)という副題の打たれたこの『しんしゃく源氏物語』にもこの観念は共有されています。
主人公末摘花はその観念の底にいて、ひたすら光源氏を待ち続けます。ただ一度の逢瀬でひとことの言葉も交わさず、その真意もそもそも姫を訪ねた動機をも斟酌する事無く、ただ源氏への思慕をたよりに十年の間待ち続ける。この姫の情念もまた、決して「源氏物語」の世界観を打ち破るものではありません。
彼女はその「待つ」という行為の中で、自らの感受性をひたすら内面へと向けていきます。おそらく彼女の中で、いつか来る源氏を「待つ」行為は、決して来ない源氏を「待つ」行為へと移り変わっていったのでしょう。これは、沈黙しつづけている神をなお信仰しようとする行為に似ている、といえば言い過ぎでしょうか。
神の死をどう受け入れ乗り越えるか、というのは何も西洋人のためにある課題ではありません。この課題への、きわめて東洋的なこころざしの持ち方がこの作品にはある、と言ったら、これも又言い過ぎでしょうか?
1998年10月 野外劇場「有度」 創立1周年記念公演 (全員男優で上演)
2001年4月 静岡芸術劇場 冬公演 (全員女優で上演)
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