『巨匠』は『夕鶴』で知られる木下順二の最後の作品である。木下は1967年に見たポーランドのテレビドラマをもとにして、91年にこの作品を発表した。長い戦後を駆け抜けた反骨の劇作家が、バブル経済に酔いしれる日本人たちに最後に伝えたかったものは何だったのか。
新芸術総監督宮城聰が芸術創造の意味を強く、深く問いかける渾身のSPAC演出第一作。
◎ あらすじ
ポーランドの首都・ワルシャワの劇場。『マクベス』の幕があこうとしているが、楽屋ではまだ演出家と俳優が言い争っている。俳優は大戦中に見た演技が忘れられないのだ。俳優の青年時代。俳優はナチスに対する抵抗運動に敗れ、ある廃校に落ちのびる。そこで出会った年老いた旅の役者は、からかいまじりに周囲から「巨匠」と呼ばれていた。老人は若い俳優に、戦争が終わったときのために『マクベス』を演じる準備をしていることを明かす。
しかしこの廃校にもゲシュタポ(ナチス秘密警察)の捜査の手が及んでいた。ゲシュタポはナチスへの抵抗運動に対する報復として知識人を銃殺することを発表する。老人は自分が俳優であり知識人であることを証明するため、ゲシュタポのまえで『マクベス』の一節を演じてみせる・・・。
木下順二は権力をもたず、教養と知識に貧しい老人が、権力を買い、教養と知識をもつ将校を決断の自由において圧倒する、という話を書いた。どうしてその話が現在の環境の中で生きるわれわれを勇気づけないはずがあろうか。
―――加藤周一(朝日新聞、2004年4月15日)