プログラム
昼
「寄席囃子」長澤あや社中
「落語」林家彦丸
「人情噺 男の花道」林家正雀
中入り
三遊亭圓朝作
「芝居噺 真景累ヶ淵〜水門前の場〜」林家正雀
夜
「寄席囃子」長澤あや社中
「落語」三遊亭金兵衛
「落語 七段目」林家正雀
中入り
三遊亭圓朝作
「芝居噺 真景累ヶ淵〜水門前の場〜」林家正雀
◎ あらすじ
富本節の師匠・豊志賀は若い弟子の新吉と同棲している。この新吉は実は父を殺した仇の息子なのだが、豊志賀には知るよしもない。豊志賀は新吉とやはり若い弟子のお久との仲を怪しみ、嫉妬から眼の下に腫れ物ができていく。豊志賀は新吉を呪いながら無惨な死を遂げ、新吉はお久と下総へと逃れる。たどり着いた村で、お久は草刈鎌で足に怪我をしてしまう。そのお久の顔が新吉には豊志賀の顔に見え・・・。
容姿の醜さ故に夫に疎まれ、殺される累(るい/かさね)をめぐる怪談は江戸時代にはよく知られていた。いかにもおどろおどろしい「累」という字は親の因果が子に報うさまを見事にあらわしている。この怪談はその後日談、という設定になっている。
◎ 解説
この文明開化版怪談では、幽霊が人間の「神経」のせいにされている(「真景」というのはこの洒落である)。正体が枯れすすきならほっと胸をなで下ろすところだが、「神経」となるとそうもいかない。圓朝の怪談の本当の恐ろしさは、幽霊を生み出してしまう人間自身の業の深さを描いているところにある。圓朝の作品において幽霊を生むのは疑心暗鬼に囚われた男女であり、圓朝が描く因果とは、結局のところ他人同士の出会いで生を受け、ふたたび他人との出会いを求めざるを得ない我々全ての宿命である。いかに文明が開化しようと、人は幽霊から逃れられないのである。
◎ 芝居噺
大詰めに差し掛かるとツケが入り、サッと幕が落ちて鮮やかな書き割りが出現する。噺家は座布団から立ち上がり、銀扇を振りかざして立ち回りを演じる。歌舞伎の入場料が庶民の給料一月分にも値した江戸末期には、芝居の雰囲気が手軽に楽しめるこの芝居噺という形式は絶大な人気を誇っていた。三遊亭圓朝もはじめこの形式で人気を博したが、33歳の時に素噺に転向する。以後、芝居噺は次第に衰退していき、今では林家正雀が伝えるのみとなってしまった。正雀の師・八代目林家正蔵(のちの彦六)は圓朝の弟子・三遊一朝から芝居噺を譲り受けているので、正雀の芸は圓朝直系ということになる。