「僕は世の中のおとな一般に就いて怒っているのだ。」
大人たちもみんなハムレットだったとしたら、
デンマークはどうなるんだろう?
近代人にとって恋愛とは、婚外恋愛のことである。婚外恋愛のエクスパート太宰が描く近代的ハムレットには、シェイクスピアのハムレットにはない色気が漂っている。
太宰は言う。「ぼくのハムレットは手が早くてね、オフィリヤは妊娠しているんだよ。」しばしば女嫌いとすら呼ばれるシェイクスピアのハムレットに対して、太宰の『新ハムレット』においては、ハムレットもクローディアスも惚れた女の前では全くカタなしである。
だが、弱ければ罪がないとも限らない。太宰によれば、このクローディアスは「ひょっとすると気の弱い善人のようにさえ見えながら、先王を殺し、不潔の恋に成功し」、そして「てれ隠し」のために戦争を始める。日米開戦前夜の日本人に、太宰は何を見たのか?
現代の愛を大胆に、そして繊細に描いてきた外輪能隆が、優しい近代人の悪を執拗に描いた太宰の問題作を鮮烈なヴィジュアルで息づかせる!
外輪 能隆 [そとわ よしたか]
京都府立大学在学中、テアトロインキャビン戯曲賞作家・小野小町とともにB.O.カンパニーに参加。役者・演出家として数々の舞台作品をてがける。1995年エレベーター企画設立。その演出スタイルは、重層する人間の深層心理を残酷なまでに露わにし、すでに数学界では立証されている「同時並行的世界」を、交錯する細やかな感情表現と、するどい観察に基づく演出的世界観にのせ、演劇という切り口で具現化している。「世界は一枚岩ではない」をテーマに、小説の舞台化という手法を独特の世界観で、まったく新しい表現スタイルへと進化させている。
太宰 治 [だざい おさむ](1909〜1948)
1909年に津軽の新興地主の家に生まれ、幼少より文才をあらわす。東京帝国大学仏文科に入学するが、殆ど授業に出ないまま除籍される。二十歳のときから度々自殺未遂、心中未遂を重ね、1948年に玉川上水で愛人と入水自殺、39年の短い生涯を終える・・・というのは、よく知られている「無頼派」太宰治の生き様だが、その中で三年間だけ、自ら「家庭的の人間」たろうとした時期があった。再婚した38年から第一子が生まれる41年までのことである。「新ハムレット」や「走れメロス」が書かれたのはこの時期だった。
太宰は転機となる作品を執筆する度に静岡を訪れている。32年には静浦村(現沼津市)で「思ひ出」「魚服記」を書き、34年には三島で「ロマネスク」、41年に清水三保園ホテルで「新ハムレット」、47年には西伊豆三津浜の安田屋旅館で「斜陽」、生涯最後の年となる翌48年には、熱海起雲閣別館で「人間失格」を起稿している。駿河湾に沈む穏やかな夕陽が、激しい生涯を送った作家の数少ない心の拠り所の一つになっていたのかも知れない。