世界は病院である
鈴木忠志の世界観を野性味溢れる魅力で演じた
ロシア/日本の共同制作作品
父親を、母親とその愛人に殺された娘が母親への復讐を企てる――『エレクトラ』は血の終わらない連鎖を描いた物語だ。鈴木忠志はエレクトラや母クリテムネストラの憎しみや狂気を60分間の舞台に濃密に散りばめ、「世界は病院である」という独自の世界観を舞台全体で具現化した。
父親を殺されたエレクトラは、言葉を剥ぎ取られたかのように激しい身体表現の中に自身の想いを昇華させる。観る者はエネルギーの塊と化した彼女の腕や脚の一振り一振りに、声にならぬ想いを見出だし釘付けになる。一方母クリテムネストラは、独り言のような妄言で自身の狂気を深め、美しい妖気をまとっていく。
2001年の9.11以降、私たちの世界はテロの恐怖に覆われ、復讐の螺旋の中にいる。エレクトラの言葉を発する5人のコロスは、一見彼女の想いを代弁しているかのように見えるが、実は私たちの恐怖や不安をあおるメディアや顔の見えない社会のようなものかもしれない。身体の中にエネルギーを増幅させた彼女が声を発するのは、待ち焦がれたオレステスと対面したときだけだ。鈴木はこの作品の演出ノートで、「私は、人間はすべからく病院にいると言った。人は病院である以上、医者や看護婦がいると考えるだろうし、病人の病気は回復の希望があるだろうと考えるだろう。しかし、世界あるいは地球全体が病院だと見なす視点においては、この考えは成り立たない。看護婦も病人そのものであるかもしれないのである。そして病気をなおしてくれる医者という存在は、存在すらしていないかもしれないのである。」と述べている。この堂々巡りこそ、現代の私たちがいる螺旋の世界ではないか。オレステスによって殺された母の悲鳴が響く中、終わらない連鎖を断ち切るかのような高田みどりの打楽器の音に乗せてエレクトラのダンスが始まる。
タガンカ劇場
ロシア演劇界を代表する演出家ユーリー・リュビーモフが1964年に創立した劇団であり、劇場である。リアリズム演劇の殿堂とみなされるモスクワ芸術座に対して、前衛的な演劇の世界的拠点のひとつとして知られている。ソ連邦時代の反体制的な舞台活動のためにリュビーモフは84年に市民権を剥奪され、海外での活動を余儀なくされるが、89年にタガンカ劇場に復帰、次々と意欲作を発表。シアター・オリンピックスの国際委員として、代表作『マラー/サド』『カラマーゾフの兄弟』等を静岡芸術劇場でも上演している。今回の舞台『エレクトラ』はリュビーモフの90歳の誕生日を記念して、タガンカ劇場が鈴木忠志に委嘱したものである。
鈴木忠志(すずき ただし)
演出家。1939年静岡県清水市生まれ。1966年、別役実、斉藤郁子、蔦森皓祐らとともに劇団SCOT(旧・早稲田小劇場)を設立。76年富山県利賀村に本拠地を移し、82年より世界演劇祭「利賀フェスティバル」を開催。世界各地で上演活動を展開し、鈴木の編み出した俳優訓練法スズキ・メソッドは世界各国で学ばれている。静岡県舞台芸術センターの芸術総監督を95年から2007年3月まで務め、現在同センター顧問。シアター・オリンピックス国際委員、舞台芸術財団演劇人会議理事長。今年から劇団SCOTの活動を再開し、新たな演劇創造に意欲を燃やす。
高田みどり(たかだ みどり)
打楽器奏者。東京芸術大学音楽学部器楽科卒業。1978年、ベルリン放送交響楽団のソリストとしてデビュー。以後、世界各地で演奏活動を活発に展開。ソロ活動のほか、アフリカ、アジアなど各国の音楽家と共演。伝統音楽の構造を生かしながら独自の作曲による音楽をも演奏する。鈴木忠志のオペラ『リアの物語』の演出助手をつとめる。公共ホール演劇製作ネットワーク事業で原田一樹演出『サド侯爵夫人』に俳優・音楽で出演。鈴木忠志演出による真言声明の会の僧侶らと共演した『羯諦羯諦(ぎゃていぎゃてい)行く者よ、去り行く者よ』は、2007年6月にモスクワ(ロシア)の「チェーホフ国際演劇祭」でも上演し絶賛された。
物語
エレクトラの父アガメムノンは、トロイアとの戦争から帰還するが、その妻クリテムネストラと愛人アイギストスに殺害される。クリテムネストラとアイギストスは、息子オレステスを他国へ追放し、娘エレクトラを虐待する。父への復讐の想いを弟オレステスにたくし、その帰りを待ちわびるエレクトラと、オレステスの帰りを怖れ、おびえるクリテムネストラ。エレクトラの妹クリソテミスは、結婚して子どもを生むことを願っている。そして、エレクトラが待ち望んでいた弟オレステスは・・・・・・。それぞれの想いにとりつかれ、狂気におちいっている家族の様相が、病院を舞台に繰り広げられる。