巨匠・鈴木忠志が台湾で制作したミュージカル版『椿姫』!
『椿姫-何日君再来』は、初代SPAC芸術総監督の演出家・鈴木忠志が台湾で制作したミュージカルです。『椿姫』はヴェルディのオペラとして有名であり、2009年に鈴木はこのオペラの演出を手掛けました。これを機に『椿姫』への関心は深まり、デュマ・フィスの戯曲をもとに11年2月、台湾国立劇場の制作でミュージカル版を演出し上演する運びとなり、話題を呼びました。本公演はこの作品の日本初演になります。
アジアの流行歌に乗って、オペラで名高い『椿姫』が
ドラマとして現代に蘇る
本作では、台湾流行歌史上に残る名作を十数曲織り込んでいます。日本人にとっては異国情緒の漂う、しかし懐かしい感じのする歌がちりばめられ、舞台を華やかに彩ります。数百人のなかから鈴木が直接オーディションで選んだ台湾の俳優を主役に起用し、長い稽古を積み重ねて、この舞台が生まれました。親しみやすい流行歌が、古典的な作品に現代の息吹を吹き込んでいます。
孤立無縁の恋人たち、愛する女性を失った男の行く末は…
鈴木忠志はこの悲恋物語に登場するマルグリットとアルマンを「周囲の人々に受け入れられることはなく、二人の愛情関係は孤立するものになる以外にはない」と語っています。最後にマルグリットを失うアルマンは、そうして精神を病むことになるのではないか、というのが演出の視点です。この独自の切り口から舞台を構成し、物語が終わった後も物語が続いているような余韻の残る作品を創り上げています。
原作のあらすじ
高級娼婦マルグリットは、病に侵されながらもパトロンの貴族たちとパリでパーティに明け暮れる日々を送っている。そこで彼女は、自分への一途な愛を捧げる青年アルマンと出会う。二人はパリでの華やかな生活を捨て、郊外で静かに暮らしはじめる。今までにない幸せを味わうマルグリット。しかしアルマンの留守中に彼の父ジョルジュ・デュヴァルが現れ、「家族の幸せのために別れてくれ」とマルグリットに迫る。アルマンを思い、身を引く決心をするマルグリット。裏切ったとアルマンに思わせるため、彼女はパリのパトロンのもとに戻る。真実を知らないアルマンは‥‥。
鈴木演出の魅力、新たにうまれる『椿姫』に寄せて
水野和夫 Kazuo Mizuno
鈴木忠志氏は1976年に東京を離れて富山県利賀村に演劇活動の拠点を移した。自らの理想とする演劇は東京ではもはや無理だからという。そして、1984年に『リア王』を初演し、「世界は病院である」がテーマだった。東京から距離を置くほど、人間社会が抱えている矛盾や問題が鈴木氏にははっきりと見えてくるのだろう。
1980年代のバブル経済突入以前の1970年代半ばにどうして「世界は病院である」とわかるのだろうか。その答えは彼が真の芸術家であるからである。「芸術は歴史的な空間意識の目盛であって、真の画家とは人間や事物を他人よりもよく、より正しく見る人間」(カール・シュミット)なのである。経済統計をみて現在社会を分析していると現実の動きから数10年は遅れてようやく事の本質が判るものであり、芸術家の直感はなにものにも勝る。
1990年代後半になって自殺者が毎年3万人を超えるようになって、ようやく多くの人が薄々どこか世の中がおかしいと感じ始めているが、それでも大半の人は社会全体が病院であるとは思ってはいない。ましてそう感じたとしても、医者や看護婦がなんとか治してくれると思うかもしれないが、その医者さえも病人かもしれないと、鈴木氏はいう。
鈴木氏の代表作『リア王』や『ディオニュソス』などを何度も観ると、鈴木氏が東京を離れた同じ時期の1970年代半ば以降、歴史の空間的目盛がそれ以前と以後では連続を失ったのではと、強く感じる。紀元前5世紀のギリシア神話や、17世紀初頭のシェイクスピアを題材にして、現代社会が抱えている問題を鮮やかに演劇の世界に浮かび上がらせている。
2009年末、静岡グランシップで上演されたオペラ『椿姫』は感動的だった。娼婦のヴィオレッタは死ぬことで19世紀には上演が許されていたが、鈴木氏の演出した『椿姫』では一度死んで再び蘇り、彼女の恋人アルフレードは病院で病が益々悪化する。みんなが当然正しいと思っていることに対して、芸術家であり思想家である鈴木氏は疑問を呈し、「世直し」しようと世の中と闘っている。彼の演劇は弱い立場におかれた人間に対する温かい眼差しが溢れているからこそ、共感と感動を生む。
水野和夫(みずの・かずお)
1953年生まれ。エコノミスト。埼玉大学大学院経済科学研究科客員教授。著書に『100年デフレ』『金融大崩壊』『人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか』等。最新刊は萱野稔人との対談集『超マクロ展望 世界経済の真実』。
製作: | 台湾国立中正文化中心、SCOT |
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後援: | 台北駐日経済文化代表処 |