ヒロシマ・モナムール Hiroshima mon amour

Directed by Christine Letailleur

Written by Marguerite Duras

Performed by Valérie Lang, Hiroshi Ota, Pier Lamandé

■ 2 July at 12:30

■ 3 July at 16:30

Ellipse Theatre DAENDO, Shizuoka Performing Arts Park

Duration:90 minutes

In French with Japanese subtitles

演出・装置: クリスティーヌ・ルタイユール
演出助手: ピエール・ラマンデ
作: マルグリット・デュラス
出演: ヴァレリー・ラング、太田宏、ピエール・ラマンデ
7月2日(土) 12時30分開演 ・ 3日(日) 16時30分開演

◎ 終演後にアーティスト・トークを行います。
◎ 【おとな向け】刺激の強い表現がありますので、若年者の観劇はおすすめしません。
7月3日舞台芸術公園行き 無料チャーターバス運行! 15:00/15:45【JR東静岡駅南口2番乗り場】→15:05/15:50【静岡芸術劇場前】→15:15/16:00【舞台芸術公園】
※7月2日、3日ともに、公演終了後の無料チャーターバスは、アーティスト・トーク開始前は東静岡駅行き、アーティスト・トーク終了後は東静岡駅経由、静岡駅行きとなります。
舞台芸術公園 屋内ホール「楕円堂」
上演時間:90分

一般大人4,000円/大学生・専門学校生2,000円

★SPACの会特典のほか、ゆうゆう割引、早期購入割引、みるみる割引、ペア/グループ割引などの割引料金があります。
(チケット情報ページ参照)
渋谷発 劇場直行無料バスを運行いたします。詳しくはこちらをご覧下さい。
音響:フレッド・モリエ
照明:ステファニー・コラン
製作:ヴィディ=ローザンヌ劇場
共同制作:ブルターニュ国立劇場/レンヌ演劇舞踊ヨーロッパセンター

西洋と東洋、女と男……垣根を越えて響き合う<戦争の記憶>

『ヒロシマ・モナムール』は、「ヒロシマ」で出会ったフランス人女優と日本人建築家の物語です。フランス人女優は占領軍のドイツ兵と恋に落ちた過去を持っており、日本人建築家との関係を通じて、辛い記憶を蘇らせます。<戦争の記憶>を共有する西洋人と東洋人、女と男……。女優が帰国するまでに残された24時間、二人は街を彷徨います。越え難い垣根を越え、すれ違いながらも求め合う二人は、根源的な救済の感覚を求めているようです。人類史のターニングポイントとも言える「ヒロシマ」で、深く傷ついた二つの心は、果たして癒されうるのでしょうか。

アラン・レネ監督の不朽の名作『24時間の情事』が
演劇作品として蘇る!

フランス人女性の視点を通して、
さらに哲学的に、もっと官能的に

本作は1959年に公開されたアラン・レネ監督の名作映画『24時間の情事』のシナリオをもとに、2009年に演劇化した作品です。広島市を舞台にしたこの映画は、西洋から観た「ヒロシマ」の姿を克明に写し取り、大きな反響を呼びました。シナリオを担当したのは女流作家マルグリット・デュラス。また演劇化にあたって演出を担当したのは、女性演出家クリスティーヌ・ルタイユール。女優役を演じるのは、ルタイユールとともにマルキ・ド・サドなどの文学を舞台化してきた女優ヴァレリー・ラングです。フランス人の女流作家、女性演出家、そして女優が創り上げる『ヒロシマ・モナムール』。フランス人女性の視点から捉え返される演劇版は、官能的で哲学的な舞台に仕上がっています。

あらすじ

「彼女」は32歳のフランス人女優。平和についての映画の撮影のために来日する。映画は完成間近で、彼女はもうすぐフランスに帰ることになっている。フランスでは結婚しており、子どもも二人いる。「彼」は日本人の建築家。やはり結婚していて、40代。二人がどんな状況で出会ったのかは分からないが、お互いをとても強く、本当に心から求め合った。しかし、24時間後には別れを迎えることになる……。

舞台『ヒロシマ・モナムール』に寄せて
諏訪敦彦 Nobuhiro Suwa

そのタイトルから「ヒロシマ」も「愛」も消され、「二十四時間の情事」という邦題で公開されたアラン・レネ監督の映画「ヒロシマ・モナムール」は、日本ではほとんど理解されないまま公開が打ち切られたそうだが、1959年当時のフランスの若者にとって、この作品は革命であり、忘れられない重要な映画体験であった。「私はヒロシマですべてを見たわ」「いや、君はヒロシマで何も見てはいない、何も」というマルグリット・デュラスの有名なダイアローグを、多くのフランスの若者が暗唱していたという。主役を演じたエマニュエル・リヴァは一躍世界中の映画人から注目を集めたが、その後のキャリアの中でずっとこの役のイメージから逃れられないほど強烈な印象を映画史に残した。2001年に私は、このデュラスのテキストを元に、「ヒロシマ・モナムール」を現代のヒロシマにおいてリメイクしようとして挫折するというメタ・フィクショナルな作品「H Story」を制作したが、主演したベアトリス・ダルはデュラスのテキストがあまりに美しいことに恐怖を抱き、役を演じることに大きな困難を抱えた。「ヒロシマ」という人類的な傷をどうしてこんなにも美しい言葉で語れるのか、と。それほどまでに、このテキストは美しい。「ヒロシマ」という大きな歴史と、小さな不倫の物語。「ヌヴェール」という名も無いフランスの街と「ヒロシマ」。結びつきようも無い二つの極を、モンタージュという映画手法を用いながら映画言語を革新しようとしたレネの映画に対して、クリスティーヌ・ルタイユールの手による舞台は、デュラスのテキストを忠実に踏まえながら、舞台ならではの想像的な空間を創出させる。二つの身体に対する厳格で美しい振り付けと、デュラスのテキストによって、舞台を支配する闇の中に、時空を超えた映像=イメージが現れる。それは映像によっては達成できない、「見えない」ことによる「ヒロシマ」の体験として、私たちの記憶に強く突き刺さるであろう。

諏訪敦彦(すわ・のぶひろ)

1997年に『2/デュオ』で映画監督デビュー。『M/OTHER』(99)で第52回カンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞。『H Story』(01)で『ヒロシマ・モナムール』のリメイクを試みる。東京造形大学学長。

『24時間の情事』
監督:アラン・レネ(2009年、IVC,Ltd.)
1959年カンヌ国際映画祭国際映画批評家連盟賞受賞の名作映画。詩的な映像で戦争の記憶を浮き彫りにし、レネとデュラスの最高傑作とも言われる。

助成: アンスティチュ・フランセ、プロ・ヘルヴェチア
協力: 東京日仏学院、ラ・メナリジュリー・ド・ヴェール(「スチュディオラブ」企画として)
協賛: ANA Blue no tag A3
後援: フランス大使館、スイス大使館

クリスティーヌ・ルタイユール
Christine Letailleur

アミアン高等演劇学校で哲学学士、社会学修士取得後、パリ第十大学で演劇学DEA過程を修了。94年『ミュラー・マテリアル』の演出で「国際大学演劇フェスティバル」大賞受賞。96年にも『焼かれた詩』の演出と翻案で同賞受賞。98年-02年、ジェラール・フィリップ劇場の常勤スタッフ。同劇場でブレヒト作『愛の詩集』、シュトラーム作『詩と力』、パゾリーニ作『石油』を演出(98年-00年)。01年『メデイア』演出。また『牧師エフライム・マグヌス』を翻案・演出(04年第一部、05年完結編)。『ウエルベックによる新たな社会・感情秩序』(05)、『ウエルベック、あるいは世界の苦痛』(06)を構成・演出。そのほか翻案・演出作品として『閨房哲学、あるいはサド公爵の不道徳家庭教師たち』(07)、『毛皮のヴィーナス、あるいは超官能者の告白』(08)など。

マルグリット・デュラス
Marguerite Duras 1914~1996

フランスの女流作家。小説、戯曲、シナリオ、対話、翻案など幅広く一貫性のある作品を残す。同時に、平和のために同時代の多くの闘争に参加し、様々な分野における自由を愛した。1958年、映画制作会社からの依頼に応えて、アラン・レネのために広島と原爆を主題にした長編映画『ヒロシマ・モナムール』(邦題:『24時間の情事』)のシナリオと対話を執筆。1969年、マルグリット・デュラスはこう語っている。「本当にこのことを語ることができないという気持ちから映画を作ったんです。」

ヴァレリー・ラング
Valérie Lang

フランス国立高等演劇学校(コンセルヴァトワール)のジャン=ピエール・ヴァンサンのクラスで俳優教育を受ける(1989-92)。92年-98年、ナンテール=アマンディエ劇場のスタニスラス・ノルデーの劇団にアソシエート・メンバーとして参加。98年-2001年、ノルデーとともにジェラール・フィリップ劇場(サン=ドニ)の共同ディレクターとして「市民の劇場」の冒険を推し進めた。

太田宏(おおた・ひろし)

1970年大阪生まれ。同志社大学で演劇活動に参加。94年に俳優としてデビュー。98年以降、平田オリザ率いる青年団で俳優として活動。98年の『ソウル市民』をはじめ『海よりも長い夜』、『ソウル市民1919』、『冒険王』、『東京ノート』、『御前会議』などに出演。そのほかの出演に三浦基演出『三人姉妹』、ローラン・グットマン演出『別れの唄』、アルノー・ムニエ演出『鳥の飛ぶ高さ』など。


▲このページの先頭へ
オンラインチケット予約