02 中世の聖史劇

02 中世の聖史劇
Mystery Play in Medieval Europe

演劇が禁止された時代、復活し生き続けた

01 ヴァランシエンヌの聖史劇の舞台
02 ルツェルンの聖史劇の舞台

 INTRODUCTION 
劇場の受難時代から聖史劇へ

 ローマの演劇は、残忍、あるいは滑稽な内容の、退廃的で娯楽性の強い見世物となっていった。こうした傾向を強めた演劇は、キリスト教が支配的な中世ヨーロッパでは、精神と肉体を堕落させる諸悪の根源とされ、約500年間、禁止された。演劇を職業としていた俳優は旅芸人となって各地に散っていった。当然のことながら、ギリシア・ローマ時代のような劇場空間(パネル01参照)は、表舞台から姿を消してしまう。
 しかし、演劇とはしぶといものである。それは人間が誕生して以来の重要な、心、精神、記憶の表現と共有の手法であり、決して消えることはなかった。そして、10世紀頃になると、まさに演劇を禁止したおひざ元のカトリック教会の胎内で復活を遂げる。それが中世の聖史劇、受難劇と呼ばれるものである。言語や習慣の異なる、多様な民族が集まった中世ヨーロッパにおいて、キリスト教の布教を行うには、ラテン語で書かれた聖書をそのまま用いることは難しすぎて容易ではない。むしろ、キリスト教の聖書に記されたさまざまな場面を、人々の眼前に具体的に示すことができれば感覚的に理解がすすむ。そこで、教会や町の広場で、聖書の物語やキリストの生涯を、演劇的手法で人々に示すような祝祭が行われるようになったのである。
 9世紀から10世紀にかけて、ローマカトリックの儀式は聖句を歌う交誦(こうしょう)形式が登場し、劇化の傾向を強めてゆく。たとえば、キリストの復活はとりわけ重要かつドラマチックな主題であるが、その奇蹟を人々に示すには、その様子を演劇的手法で表現するのがわかりやすい。10世紀から11世紀の復活祭には、すでにキリストの復活というテーマが演劇的に成長を遂げていたとされている。そして、それは11世紀末から12世紀にかけて、さらに複雑な筋を持つ復活祭劇へと成長するのである。そのほかにもキリストの生誕、受難、あるいは旧約聖書の出来事などが一連の物語として体系づけられた表現となり、壮大な聖史劇を生み出した。聖史劇は16世紀、ルネサンス期になっても成長を続け、広場などでのスペクタクルな舞台空間をつくり上げてゆく。
参照:清水裕之(1985)、『劇場の構図』、鹿島出版会


ルネサンス時代のフランスの町で上演された野外劇
01 ヴァランシエンヌの聖史劇の舞台
La passion de Valenciennes

 聖史劇はルネサンス期に入ってもその影響力は衰えず、むしろ、ヨーロッパ各地で盛んに演じられるようになる。フランス北部の町、ヴァランシエンヌで開催された記録が残る聖史劇の舞台は、持ち上げられた横長の舞台に、天国から地獄まで聖書の重要なシーンが横並びにしつらえられ、演技はそれを移動して行われたようである。
 こんにちのプロセニアム形式の(額縁によって舞台と客席が区切られている。パネル03参照)劇場においては、ひとつひとつの場面は時間軸上に並べられ、同時に複数の場面が観客の視野に入ることはない。しかし、ここでは複数の場面が並列していることこそ、重要なのである。すなわち、聖書の世界を俯瞰し、直感的にその全宇宙を理解することが観客に要請される。ひとつひとつの物語はその宇宙のなかのひとコマなのである。
 舞台空間の構成は、並列舞台形式の典型である。ヴァランシエンヌの舞台は、いくつかの場面を象徴する小舞台(マンションと呼ばれる)が、大きな横長の舞台の上に並べられている。同時代の聖史劇では、町の広場のいろいろな場所にこうした小舞台が分散的に並べられ、観客は移動しつつそれらを眺めた。そして演技は小舞台のみならず、広場全体を使って行われていたようである。まさに観客は聖史劇の世界を、生きながら体験するような仕掛けになっていた。

01 Valenciennes Passion play


町の広場全体を使った2日間のスペクタクル
02 ルツェルンの聖史劇の舞台
Luzerner Passionsspiel

 1583年、スイスのルツェルンにおいて行われた聖史劇は、町の広場全体を使い、2日間かけて行われた大掛かりなもので、人間の創造から聖霊の降臨までの聖書の物語を通しで演じる内容であった。広場のさまざまな場所に分散的に舞台が設置され、神と天使が粘土で人間をつくる場面から始まる聖書の物語の場面が、観客と演技者がまじりあった熱狂のなかで演じられた。
 この聖史劇の2日目の記録には、広場の天使の場の反対側に、魔王と悪魔というコメントが書かれている。つまり聖史劇の2日間は、天国から地獄までの壮大なキリスト教の宇宙観を、それぞれの場面の位置関係を大事に示しつつ、町の広場の中に立体的につくりだしたのである。
 演劇はときに、この聖史劇が示すように、人間が構想する宇宙観を、まさに人々の眼前に壮大に描き出すというとてつもない力を持つことがある。現実的な街のなかにすら創造の宇宙を構築する、このような演劇の持つ力は、後の世、マックス・ラインハルトのような表現主義の演出家(パネル08参照)が登場し、聖史劇の壮大さを再現するような大掛かりな市中劇を生み出した。あるいはまた、町全体を演劇フェスティバルとして盛り上げようとする動きの、ある種のモチベーションにもなっている。

02 Lucerne Passion play


 

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