01 ギリシア・ローマ

01 古代ギリシア劇場と古代ローマ劇場
Ancient Greek Theatre and Ancient Roman Theatre

約2500年前から残る、演劇を上演するための最も古い建造物

01 ディオニュソス劇場
02 エピダウロス劇場
03 オランジュの劇場
 COLUMN 


酒と豊穣の神ディオニュソスを祀り、演劇祭が行われた
01 ディオニュソス劇場
Θέατρο του Διονύσου

 アテネのアクロポリス神殿の山麓の傾斜を利用して建設されたギリシア劇場。紀元前6世紀には、すでにコロス(合唱隊)が演技する直径24mの円形の空間と、それを眺める客席のスロープ(階段状の客席)がつくられていたとされる。紀元前5世紀には石づくりの劇場が建設されはじめ、紀元前340年から319年にかけて、現在の形が完成されたとされる。
 アイスキュロス、ソポクレス、エウリピデスなどの悲劇作家や、喜劇作家のアリストパネスなどが、ここで行われた演劇祭において活躍した。そのころはまだ、劇場は完成形に到達していなかったといえる。現存する劇場は、その後ローマ劇場に近い形でさらに改修を加えられている。
 ギリシア劇場は一段高く持ち上げられたロゲイオン(俳優が演技をする舞台)と、その前のコロスのための円形のオルケストラ(コロスが立つ土間)、そして、そのオルケストラを180度以上に囲むようにつくられた扇形の客席がある。これは、観客に対して舞台が向かい合い、コロスは囲まれる、というきわめて特徴的な形であり、舞台と半円形の客席が向かいあうローマ劇場とは、基本的に大きな構造的な違いがある(パネル左下図Aを参照)。
 このような形の違いと演劇の構造をくらべてみると、劇場の見方は面白くなる。なお、ロゲイオン(舞台)は時代が新しくなるほど高く持ち上げられ、また舞台の背景にはスケネと呼ばれる石造の高い壁がつくられるようになる。舞台装置としては、ペリアクトイと呼ばれる三角柱が舞台の脇に建てられ、回転することで背景を転換させたのではないか、とか、デウス・エクス・マキナと呼ばれる、機械仕掛けの神の登場装置などが工夫されていたのではないか、ともいわれているが、詳細は不明である。

◇清水裕之

参照 : Karl Gröning,Werner Kließ(1969)Friedrichs Theaterlexikon von A-Z, Velber. Friedrich

01 Theatre of Dionysius


港湾都市の市民が演劇を楽しんだ、ヘレニズム期の劇場
02 エピダウロス劇場
Αρχαίο Θέατρο Ασκληπιείου Επιδαύρου

 ヘレニズム期を代表する、もっとも美しいギリシア劇場。1万2000人~1万5000人を収容したといわれている。この時期のギリシア演劇は、アテナイ時代とは異なり、市井の滑稽なできごとを題材とする「新喜劇」に変質していたといわれている。いつの世でもよく起こることではあるが、建築形態としての劇場空間が完成されたときには、そこで上演されている演劇自体は形骸化する傾向があるのではないだろうか。

02 Ancient Theatre at the Asclepieion of Epidaurus


古代ギリシアから古代ローマ時代への演劇の変化を物語る
03 オランジュの劇場
Théâtre Antique d’Orange

 オランジュの劇場は、現在でも昔の形をほぼそのまま残している、典型的なローマ劇場である。ローマ劇場はギリシア劇場にくらべ、建築的構造物としてより発展した形でつくられており、客席後方の壁が舞台の後ろのスケネと一体となり、全体に舞台と客席を囲むような空間となっている。オルケストラは半円形となり、客席もそれに対応して半円形に整えられた(パネル左下図Bを参照)。
 ローマ帝国後期ではキリスト教の普及とともに、演劇は退廃的なものとして否定的に扱われたため、4世紀末には劇場が閉鎖されてしまう。演劇はその後、迫害され苦難の道を歩むが、最も演劇を嫌った教会そのものの活動のなかで、キリスト教の聖史劇や受難劇(パネル02参照)として生き残り、後の時代に引き継がれていった。また、堅牢(けんろう)なローマ劇場そのものは遺構が長く残された。さらにローマの建築家ウィトルウィウスの建築書も、約1400年後に再発見される。15世紀のルネサンス時代、古典演劇と古典劇場の復活が試みられるなか、このような継承をもとにテアトロ・オリンピコなどが建設された(パネル03参照)。

◇清水裕之

03 Roman Theatre of Orange


 


 COLUMN 
ギリシア劇場とローマ劇場はどう違う?

 ギリシア演劇は、成立当初、巫女的存在としてのコロス(合唱隊)で構成されていた。それが、紀元前6世紀、テスピスという人物が現れ、コロスに加えてひとりの俳優を登場させた。紀元前5世紀になり、アイスキュロス、ソポクレス、エウリピデスなどの劇作家が登場し、優れた戯曲をつくりあげるなかで、複数の俳優が登場するようになった。
 俳優は主にロゲイオン(図Aーc)といわれる舞台で演技を行い、コロスはロゲイオンの前の円形空間であるオルケストラ(図Aーb)に陣取った。空間構造的には、コロスはいわば舞台の進行役を担い、観客の気持ちの代弁者として、俳優と対峙している。そして、観客はコロスを取り囲むように配されている。コロスと観客の空間関係は、エネルギーを真ん中のオルケストラ(コロスのいる場所)に集中させるような働きをもち、ひとかたまりとなって舞台と対峙するような構造となっている。この構造によって、扇形の客席(図Aーa)の中心線上の観客も両端の観客も、舞台に対して見る角度は異なるものの、精神上はコロスを介して舞台と対峙するため、空間的な不均質さを精神的な均質さに置き換えていたのではないかと推察される。
 これに対して、ローマ劇場ではコロスの存在は消滅し、客席(図Bーa)が舞台(図Bーc)と直接対峙するように変化した。そこでは、オルケストラ(図Bーb)とそれを囲む客席の角度はともに半円形にされ、客席と舞台が正面から向かい合う、現代の劇場に近い形に変質している。
 ギリシア・ローマ劇場と、同じようにくくられることが多い二者ではあるが、その劇場空間の本質には大きな違いがあることを理解しておきたい。

◇清水裕之

 

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