04 シェイクスピア

04 イギリス・シェイクスピア劇場
English Renaissance Theatre( Shakespeare’s Theatre )

ルネサンス運動はイングランド王国に届き、
ユニークな劇場文化が開花した

01/02 グローブ座
03 スワン座(ロンドン)
04 スワン座(ストラトフォード=アポン=エイヴォン)
COLUMN 1
COLUMN 2


現代の劇場につながる、個性的な空間構造
01/02グローブ座
Globe Theatre / Shakespeare’s Globe

 ルネサンスの運動はイタリアからヨーロッパ各地に広がったが、演劇の分野ではイギリス、イングランド王国でユニークな展開を遂げた。エリザベス朝演劇、特にウィリアム・シェイクスピアの作品が人気を博し、独自の劇場が建設された。それらの劇場群をここではシェイクスピア劇場と呼ぶ。
 そのひとつ、グローブ座は、シェイクスピアの演劇を上演する場所として、チェンバレン卿一座のために1599年に建設された。しかしそれが存続した時期は短く、1613年に火災で焼失した。その後、第2グローブ座が同じ場所に建設され、1642年まで継続した。
 シェイクスピア劇場の起源はよくわかっていないが、宿屋の中庭の形式から生まれた、あるいは、闘熊場(とうゆうじょう)(熊を戦わせて楽しむ「熊いじめ」の場所)の形式から生まれたと諸説ある。劇場は、イタリアのルネサンス劇場に導入された一点透視画法(パネル03参照)を使ってはいないが、現代のオープンステージ(額縁によって舞台と客席が区切られているプロセニアムステージに対して、舞台と客席の間に仕切りのない形式)の原型となるような、個性的な空間構造を持っている。
 高い屋根(図A-a)がかけられた張り出し型の(たか)舞台(図A-b)と、それを取り囲む円形、あるいは多角形の屋根がかけられた3層の桟敷席(さじきせき)(図A-c・地面より高くつくられた客席)からなっている。高舞台のまわりは、それを3方から眺めることができる屋根がない(ひら)土間(図A-d)となり、立ち見の客がぎっしりと詰め込まれたであろう。客席が舞台を取り囲んでいるので、舞台の後ろにはちょうどバルコニーのような空間(図A-e)ができあがる。そこで、『ロミオとジュリエット』のような恋の掛け合いのシーンが行われた。また、舞台の床には切穴(きりあな)(図A-f・舞台上から舞台下に通じる開閉式の穴)があり、埋葬のシーンなどが演じられた。また、グローブ座は、現在、もともとの立地のそばに歴史的考察を踏まえて再建されており、往時の姿をしのぶことができる。

◇清水裕之

01 Original site of the Globe Theatre

02 Shakespeare’s Globe


ロンドンにかつてあった大型の円形劇場
03スワン座(ロンドン)
The Swan

 スワン座は1595年に、ロンドン中心市街地とはテムズ川を挟んで反対側の岸の近辺に建設された。
 エリザベス朝時代におけるロンドンの劇場は、1576年に建てられたシアター座が最初で、スワン座はそれから5番目の劇場とされている。この劇場が有名なのは、オランダ人、ヨハネス・デ・ウィットが友人への書簡において、挿絵付きで紹介しているからである。彼は、スワン座を「3000人収容できる、ロンドンで最も素晴らしく最も大きい円形劇場」と評している。屋根付き張り出し舞台と3層の桟敷席があり、グローブ座とほぼ同じような形をしていたと推定される。

◇清水裕之

03 Paris Garden (Original site of The Swan)


20世紀、シェイクスピア生誕の地に再興された
04スワン座(ストラトフォード=アポン=エイヴォン)
Swan Theatre

グローブ座やスワン座のようなシェイクスピア劇場の形式は、現代から見てもユニークかつ親密性の高い空間であるがゆえに、新しい劇場の形にインスピレーションを与え続けている。
 シェイクスピア生誕の地、ストラトフォード=アポン=エイヴォンには1986年、劇場が誕生し、スワン座と名付けられた。426席の小劇場であるが、その空間は張り出し舞台を中心にぐるりと囲む桟敷席で構成され、古いスワン座の雰囲気をうまく現代に生かしている。現在は内装を変更して新しい装いになっている。

◇清水裕之

04 The Swan Theatre


 


 COLUMN 1 
ウィリアム・シェイクスピアってどんな人?

 エリザベス1世が統治するイングランド王国中部の町、ストラトフォード=アポン=エイヴォンに生まれる。演劇の世界に身を投じ、ロンドンに進出。俳優をしながら戯曲(ぎきょく)(脚本)を書くようになったといわれる。最初期に書かれた作品に『ヘンリー六世』3部作(1589~1590年)『タイタス・アンドロニカス』(1593~1594年)などがある。当代随一の劇作家として人気を博し、1594年には、宮内大臣(くないだいじん)チェンバレン卿の一座(Lord Chamberlain’s Men)の共同所有者になり、一座の本拠地であるグローブ座の共同株主になった。翌年、1595年にはスワン座も建設され、劇場には庶民が押しかけた。1595~1601年にかけて、シェイクスピアは『ロミオとジュリエット』『夏の夜の夢』『リチャード二世』『ハムレット』など、次々と傑作を発表している。1603年、新国王ジェームス1世が即位し、劇団のパトロンとなったのをきっかけに、シェイクスピアが座付作家(ざつきさっか)を務める宮内大臣一座は、国王一座(King’s Men)と改称した。以降の作品に『オセロー』(1604年)『リア王』(1605年)『マクベス』(1606年)(以上3作に『ハムレット』とあわせて「四大悲劇」と呼ばれる)、『冬物語』(1610~1611年)『テンペスト』(1611年)など。戯曲としては約40編が現存している。

◇久保田梓美


 COLUMN 2 
シェイクスピア劇と、オープンステージの劇場

 シェイクスピア劇は現代でも、舞台と客席との間に仕切りを持たない、オープンステージの劇場で多く演じられる。なかでも、客席に舞台が飛び出しているものを張り出し舞台、客席の真ん中に舞台があるものをセンターステージと呼ぶ。特に張り出し舞台は、シェイクスピア劇の戯曲そのものの構造に深いかかわりがある。
 もともとシェイクスピア劇は、グローブ座やスワン座のような張り出し舞台で演じられていた。前の時代からあるプロセニアム形式(額縁によって舞台と客席が区切られている)の劇場では、一点透視画法の背景をはじめとした、大掛かりな舞台装置が用いられる(パネル03参照)。対して、張り出し舞台やセンターステージを持つ、これらオープンステージの劇場では、劇の情景を説明するような舞台装置は最小限に抑えられていた。そのため、戯曲そのものに情景を説明する言葉がちりばめられている。例えば、『リチャード三世』の冒頭。グロスターの独白では「やっと忍苦の冬も去り、このとおり天日(てんぴ)もヨークの身方(みかた)、あたり一面、夏の気に溢れている(1)と始まる。観客は想像力で情景を把握することができるため、あえて舞台装置はいらないのである。
 しかしイギリスにおいても、19世紀頃には、シェイクスピア劇もプロセニアム形式に近い舞台形式で演じられ、多くの舞台装置が使われるようになっていた。現代演劇では、そうした本来のシェイクスピア演劇から逸脱した形を、できるだけ元の形に戻したいという思いから、舞台装置を使わない張り出し舞台のオープンステージが再度使われるようになったのである。

◇清水裕之

1:引用元『リチャード三世』福田恆存訳、新潮文庫

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