06 アジアの劇場
Asian Traditional Theatre
土地に根づく独自の形式
INTRODUCTION 1
中国の伝統劇場
中国の伝統的な舞台芸術(「伝統戯曲」と呼ばれている)は、最初は皇室と貴族の娯楽のためのものであった。劇場の呼称は「戯台」「戯楼」「戯場」などいくつもあり、その地区ごとの習慣的呼び方として広く使われていた。
戯台は、漢の時代(紀元前206~紀元220年)に始まった。伝統の戯台建築は、宮廷戯場(劇場)が最も早く発達し、民間興行の戯場が宋代(960〜1279年)以後興隆をみるのであるが、元代(1271〜1368年)においては、さらに宗教との関連から戯場の普及をみるようになり、戯台建築史上の一大分野を形成していた。
清朝(1644~1911年)は中国における伝統戯曲の最盛期で、戯台建築は成熟段階に達した。清朝の皇帝・皇妃ら、特に康煕帝(1622〜1722年)、乾隆帝(1735〜1796年)、西太后(1835〜1908年)は戯曲を好んだので、皇室用の数多くの豪華な戯台がつくられた。清朝の宮廷戯台の典型として残っているものは、北京紫禁城内の5つの戯台である。そのうち暢音閣大戯台01は、屋外3層の戯台であった。
また、清から民国初期(1912〜1928年頃)までの間に、民間で京劇などの伝統戯曲は非常に盛んになり、それとともに全国各地に、数多くの庶民たちの交流、娯楽の場所としての屋内劇場―戯館・戯院・戯園・戯楼・茶園・茶館がつくられるようになった。京劇およびその他の地方劇は、特別な舞台装置を一般的に必要としない。大道具も使われることが少ないので、戯館の舞台には幕や設備などがほとんどない。観客席は勾配のない平土間である。これらの劇場は、観客が舞台を三方から囲む卓袱台の前に座り、芝居を観るだけでなく食事や喫茶をし、交流もできる場所としての構造をもっていた。
◇銭 強
皇室のための3層構造の劇場
01暢音閣
畅音阁
北京の紫禁城、閲是楼の中庭の南にある暢音閣大戯台は3階建てで、1772年(清・乾隆37年)につくられ、その後、1802年(清・嘉慶7年)と1891年(清・光緒17年)に改築された。暢音閣の戯台は3層(総高:20.7m)からなり、上層は「福台(図A-a)」、中層は「祿台(図A-b)」、低層は「寿台(図A-c)」と呼ばれており、木造の階段がついていて上り下りが可能である。寿台は高さ1.2m、間口と奥行は15.7m(3間)四方の広々とした正方形の舞台であり、寿台への入口は舞台後方の両側に設けられている。入口の上、舞台後方に横長の仙楼(中2階・図A-d)があり、仙楼から踏み板を伝って寿台へ下りることもでき、また祿台へ上ることもできる。舞台中央と四隅には、5つの迫り出し(図A-e)がある。通常の演技のときは木板で蓋がされ、場面の移り変わりに開けられて、地下室の捲上機に取り付けられた背景のセットが舞台に出される。また、寿台の上方には、3層の吹き抜け(図A-e)があり、特別なプログラムのときに、轆轤を使って役者や背景のセットを舞台に降ろした。祿台と福台の舞台面積は非常に狭い。これは、皇帝が向かいの閲是楼の宝座に座って観劇する際、十分に目が届くよう考慮されての設計であった。『九九大慶』などの大がかりな芝居のときには、何百もの神仏や役者が同時に、福、祿、寿の3層の舞台に登場し、大声を張りあげ、活発に動きまわって、『朝聖図』、『郡仙祝寿図』、『極楽世界図』(古代の絵画などに用いられた伝統的なモチーフ)などの大パノラマを展開した。約100年の間沈黙していた暢音閣だが、2017年に再び戯曲を上演し、以来宮廷戯曲の演目公演を再開した。
◇銭 強
01 Changyinge
食事しながら観劇する、庶民の交流の場
02広東会館 戯楼
广东会馆 戏楼
1907年に創建された広東会館は、1986年に修復され、天津戯劇博物館となり、戯楼での上演が再開された。四合院型の建物(中国の伝統的住宅建築様式。中庭を囲むように敷地の4辺に建物がある)の前方が現在展示室に当てられている。この展示室を過ぎ、四合院後部に進んで行けば、豪華で重厚な戯楼を目の当たりにすることができる。戯楼の客席は2階であるが、客席部分の天井の高さは3階ほどあるので、屋根の側面の窓から光が差し込んでいる。
左右の2階と戯台正面の2階は貴賓席である。また、1階と2階の後方空間は宴会を行う空間であり、食事しながら、芝居を鑑賞することができる。戯台は客席側に突き出て、その天井の中央にはすり鉢形の藻井(組み木でつくられた装飾的天井)が吊るされ、舞台の声を拡散する機構が施されている。戯台の前方には、以前の伝統戯台には決まってあるはずの柱が1本もなく、観客の視線を妨げないようになっている。構造としては、屋根から拉扞(鉄製のロープ)が前の柱に代わって天井を吊っているのである。観劇のよりよい条件を求めて、広東会館の戯楼建築には相当の技術の粋が込められていた。
◇銭 強
02 Guangdong Guild Hall
商人たちが神を祀る劇場
03全晋会館 戯台
全晋会馆 戏台
1879年(清・光緒4年)に山西省の商人たちによって建てられた全晋会館(現・蘇州戯曲博物館)は比較的原型をとどめたまま現存し、その戯台では今なお伝統劇が演じられている。会館の全体は門庁、戯台、大殿、茶室、事務室、倉庫、食堂、宿舎によって構成されている。当時、会館は同郷の人々の宿泊や会合の場所で、商人社会の地域共同センターの役割を果たしていた。戯台はそこで彼らの憩いと娯楽の場ともなった。
会館建築は南北に置かれ、1本の中心軸上に連なる。門庁、戯台、大殿によって構成された東部と、庭園などが配置された西部から成る。もともと戯台で演じられる劇は、祭祀儀礼の一環として行うもので、酬神戯台(神に捧げる演劇の舞台)としての役割もあった。会館にも故郷の守護神や金銭の神を祀り、商売繁昌を願ったから、会館の主要な部分と寺廟の配置構成はほぼ同じである。大殿の中の神様に劇を奉納するため、戯台が会館東部の中心軸上に北を向き、大殿と対峙して配置された。
戯台は高さ約2.8m、縦横約6.5m四方、この裏に演奏隊(楽隊)が陣取り、楽屋となる後台が配置されている。後台には全福マーク(幸福を意味するおめでたい印)入りの化粧台や鏡、衣裳かけなどが配置され、一隅に蘇州の芸人たちが尊崇していた演劇の神様「老郎」が祀られていた。広さ約260㎡の中庭に、戯台を左右から眺める石造りのテーブルと椅子がしつらえられており、一般の客がここで観劇する。左右は観劇用の2階建て廂廊(渡り廊下)が約21mの長さに及んでいる。封建社会では、女性が男性とむやみに顔をあわせることを禁じていたため、ここが婦人たちの専用となった。一方、戯台の真正面で大殿前の高さ約1mの須弥座(テラス)には、婦人たちの主人や主賓が陣取った。
◇銭 強
03 Quanjin Assembly Hall
INTRODUCTION 2
インドの伝統劇場
インドにおける伝統演劇は、紀元前後の数世紀にわたってインド中南部のタミール王朝で栄えた、古典サンスクリット劇という形で確立された。当時すでに成立していた二大叙事詩『マハーバーラタ』『ラーマーヤナ』を中心とした数多くの戯曲がサンスクリット語で記され、現在に遺されている。紀元前2世紀から紀元6世紀の間に書かれた演劇理論書『ナーティア・シャーストラ』(Natya Sastra)によれば、それは音楽と舞踊を伴う宗教寓話的演劇で、宗教的役割と娯楽的要素、いわゆる聖と俗の両面をあわせ持っていたとされる。その古典サンスクリット劇の上演形式として唯一現存するのが、インド南部のケララ州に伝わるクーリヤッタムである。10世紀末には現在の形で完成したといわれており、現存する演劇としては、日本の能より古く世界最古といわれている。
クーリヤッタムでは、ミラーブと呼ばれる壺型の太鼓のリズムと、サンスクリット語の詩節の詠唱、きらびやかな衣装をまとい原色の化粧を施した俳優によるムドラー(身振り)によって神の物語を紡ぐ。上演するのはチャーキヤールという専門の俳優カーストに限られる。一説によるとチャーキヤールはバラモン(僧侶)とクシャトリア(武家)の間に生まれた「私生児」がカースト化したものだと言われている。ここにも芸能の持つ聖と俗の二面性を見ることができる。
クーリヤッタムはヒンドゥー教寺院の伽藍の中にある専用の劇場クータンバラムでのみ上演される。クータンバラムの起源はクーリヤッタムと同じくらい古く、11世紀ごろとされているが、現存する建物は18世紀以降のものがほとんどで、ケララ州の16の寺院に遺されている。
◇木津潤平
神と向かい合いながら、自ら神となるための舞台
04バタックンナータ寺院のクータンバラム
കൂത്തമ്പലം
クータンバラムは、能楽堂(パネル07参照)に似た「入れ子」の形式を持つ劇場である。全体は長方形で、石の基壇の上に載り、四方に低く軒をめぐらせた大屋根に覆われている。舞台(図B-a)は正方形で、基壇上の四隅の柱の上に小屋根を載せている。舞台の天井には8つの方位を守護する神の姿が彫刻されている。舞台の前は平土間(図B-b)で、観客はその床に座って舞台を見上げる。楽屋(図B-c)は舞台の後方に備えられ、客席正面の壁に左右ふたつの扉がある。客席・舞台・楽屋によって基本的な演劇空間がつくられており、屋根を支える柱列が回廊となってそれを取り囲んでいる(図B-d)。回廊空間は客席としても利用され、舞台は三方から観客の視線を浴びる。最外部の柱列と重なるようにして、木製格子のスクリーンが外壁を構成する。同心円状に広がるそれらの空間には装飾が施され、幾重にも結界をなし、舞台を聖なる空間としている。
クータンバラムの舞台正面は寺院の本殿を向いている。つまり役者にとって舞台に立つことは神と対面するという意味を持つ。舞台の形式が、本殿の目の前に設置されている瞑想のためのお堂(ナマスカーラ・マンダパ)とよく似ていることからも、舞台が瞑想のための空間ともなっていることが分かる。このことについて、過去来日し、楕円堂(パネル10参照)で公演を行ったクーリヤッタム俳優のカピラ・ヴェヌ氏は「観客に神様を演じて見せることと、神様に見られること、そのふたつの心構えは矛盾することなく同時に存在している」と語っている。つまり、神と向かいあい、瞑想状態になることで、演者の身体が鏡のように神の存在を映し出し、観客を宗教的演劇体験へと導くのだ。クータンバラムの空間は「宗教と娯楽の二面性」というインド宗教劇の本質を体現している。
◇木津潤平
04 Koothambalam of Vadakkumnathan Temple