10 SPACの劇場史
History of SPAC’s theatre
静岡県舞台芸術センターの劇場はどうやってできたのか
世界の演劇人から高く評価されるSPACの劇場が、日々、わたしたちの創作を支えてくれています。
このミュージアムの最後に、わたしたちSPACの劇場について、その背後に秘められた歴史や思想を、
清水裕之先生に解説していただこうと思います。
宮城聰
INTRODUCTION
建築言語と演劇言語の知的な戯れ
─言語(作法)の解体とぶつかり合う再結合─
劇場とは何だろう。建築物としてみた場合、「劇場は、そこで行う舞台芸術に対して、最適な上演環境と鑑賞環境を提供する物理空間と照明や音響などの技術体系である」という理解がしっくりくるだろう。「住宅は住むための機械」(ル・コルビュジエ、1923年)というように、様式から決別した近代建築を支えるもっともシンプルなよりどころは、機能主義である。このミニミュージアムをご覧になる皆様も、「劇場は、舞台芸術を演じやすく、良く見え、良く聞こえる環境をつくるための箱」とシンプルにお考えの方が多いと思う。しかし、SPACの劇場群は、このような機能主義的な考え方とは違う建築と演劇の関係を、つくり出している。鈴木忠志は、彼の演劇理念を実現させる劇場空間の計画者として、磯崎新をパートナーに選んだ。
鈴木忠志と磯崎新、全く分野の違うふたりだが、共通するものがあった。それは、ふたりともそれぞれの土俵で、建築の言語(作法)、演劇の言語(作法)を解体し、再構築しようと試みていたことである。磯崎新は1970年代初頭、「美術手帖」誌に『建築の解体』を連載し、鈴木忠志は1977年に『劇的なるものをめぐって』(工作舎)で演劇論を展開している。磯崎はルネサンス期に遅れて登場したマニエリスム(美術様式の一種)を例に挙げ、古典が完成した後には、それらの言語を解体して再構築することが建築家の仕事となるとして、ル・コルビュジエやミース・ファン・デル・ローエら後の近代建築論の解体作業を試みた。一方、鈴木は世界の古典戯曲や演劇作法を解体、再構築する演出手法を磨いてきた。能などにみられる下半身の動きなどを演劇的身体として再構築、理論化したスズキ・トレーニング・メソッドは、世界の演劇教育の現場で広く使われている。
このようなふたりが出会うのは必然であり、その共同作業は一種の戦いの場でもあった。ここでは、ふたりの戦いの場としての劇場空間をご覧いただきたい。
◇清水裕之
ルネサンス劇場に日本的要素を挿入
01屋内ホール 楕円堂
Ellipse Theatre DAENDO
楕円堂は最大110席の客席という極めてコンパクトな小劇場である。磯崎新は、古典を再構築するルネサンスの建築群に強い興味を抱いていた。劇場の設計において、彼が参考にしたのは、ローマ劇場を新たな視点で再生させたルネサンス建築の傑作であるテアトロ・オリンピコ(パネル03参照)であった。この設計は、当初、巨匠パッラーディオが行い、のちにスカモッツィによって完成された。「スカモッツィがテアトロ・オリンピコの舞台空間の作図法(一七七六年)を推定した図があり、それをみると舞台の前縁の線を長軸にする楕円が正面背景とオーケストラに内接している。」と磯崎は記しており、それを楕円堂の設計に反映した(図A)。
そして、彼はそこに、日本的要素を挿入する。「楕円堂は日本の伝統的な木造の柱・梁・垂木だけの構造になり、改めて、頂部から自然光が注ぐような垂直性が加えられている。」さらに「舞台のレベルに観客は暗い階段で到達する。地下へと下降することのメタファーである。」(図B)このように、古典様式の平面への引用、日本の伝統建築の引用、そして、下降する光と階段による強い垂直軸による劇場の闇へのいざないが、演劇行為を内包しつつも対峙する独特の場として用意されているのである。
こうした建築の在り方は、単に機能的に演劇をやりやすくするための場としてあるのではない。むしろ、建築そのものが、そこで行われる演劇行為に対して、「どうだ、やってみろ。勝負できるか。」と挑発しているのである。それに対して、鈴木忠志は次のように受けて立っている。「身体的エネルギーで満たされることを待っている空間で、専門家同士がどのように出会えるのか、ということです。」利賀山房05から引き継がれた、磯崎新と鈴木忠志の息の長い戦いであった。
◇清水裕之
1 引用:磯崎新「ディオニュソス―「テアトロ・オリンピコ」と「楕円堂」」, 『磯崎新建築論集 5 「わ」の所在』, 岩波書店, 2013, P250
2 引用:鈴木忠志『劇場とは何か』 (別冊「劇場文化」), 静岡県舞台芸術センター, 1999.11, P26
編注 1776年初版の“Le fabbriche e i disegni di Andrea Palladio raccotti ed illustrati da Ottavio Bertotti Scamozzi“掲載の図と思われる。
01 Elipse Theatre DAENDO
古代ギリシア劇場、グローブ座、能舞台の要素が融合
02野外劇場 有度
Open Air Theatre UDO
有度は公園内につくられた400席の野外劇場である。鈴木忠志曰く、「この野外劇場「有度」が面白いのは、さまざまなスタイルが融合しているところにあります。客席の形式はギリシアの野外劇場に、屋根の掛り方はグローブ座に似ています。舞台の奥に設けられた花道は日本の伝統的な能舞台や歌舞伎から発想されている。(中略)つまり演劇は自然と人工とが絡み合い闘いながら成立してきたのだ、ということを集約的に現しています」(ギリシア野外劇場:パネル01/グローブ座:04/能舞台・歌舞伎:パネル07参照)
上記のように自然との共生・調和が表現されたこの野外劇場は、舞台の背景に日本平の深い緑を借景(外の自然の風景を眺めに取り入れること)としている。客席は両側に長く伸びた黒い色彩の建築的なウィングに抱かれているため、そこに座ると、まるで室内劇場にいるような胎内感がある(図C・D)。磯崎新は利賀山房05以来、闇を基本として劇場空間を構築しているが、ここでもその考え方は生きている。そして、客席のこの黒い閉鎖性は、完成当初には露出していた、白く輝く若草石の舞台によって光を受けて解放される(図C・E)。現在、舞台は演技しやすいように被覆されているため、舞台面の若草石は見ることができないが、客席階段などにその印象をうかがうことができる。この舞台と客席の絶妙な関係性は、古代ギリシア・ローマ劇場(パネル01参照)のようにもともとの地形の斜面を利用して客席がつくられているため、借景の緑葉でより強調される。演劇を行っていないときにも、有度は空間の演劇を演じているように見える。それが、公演が始まると、胎内化された客席からのまなざしは、舞台を中心にぐっと空間の集中力を高めてくる。夜の公演であっても、背後の森の闇が観客からのまなざしの放射を舞台に反射させるからだと思う。SPACの演劇のもつ、演技と演奏の重層性、多様性、並置性、批判性などが自然と客席の間で、うまく煮えたぎるるつぼになる。
◇清水裕之
1 引用:「劇場文化」No.5, 静岡県舞台芸術センター 1997.11, P54
02 Open Air Theatre UDO
シンプルな稽古場棟
03BOXシアター
BOX Theatre
ここは、本来劇団の稽古場として使われるいわば「裏」の空間である。それを110席程度の小規模なアトリエ公演にも利用できるように工夫されている。磯崎新の他の劇場が強い空間コンセプトを打ち出し、演劇に対峙しようとするのに対して、この劇場はシンプルなブラックボックスとなっている。ある意味で、演劇が建築に対して戦闘態勢をとらなくても済む安心の空間とでもいえるのではないか。演劇の製作現場は強い緊張を強いられる場でもあるが、そこには安らぎが必要なのかもしれない。
◇清水裕之
03 Box Theatre
バロック劇場をもとに、ひねりを加えた演劇空間
04静岡芸術劇場
Shizuoka Arts Theatre
静岡芸術劇場はJR東静岡駅に隣接した静岡県コンベンションアーツセンター(グランシップ)内に設置されている401席の劇場である。この劇場のできた年には「第2回シアター・オリンピックス」が開催されている。
楕円堂がルネサンス期のテアトロ・オリンピコ(パネル03参照)を原型としているとすると、この劇場は、次の時代のバロック劇場の馬蹄形の客席(パネル05参照)を引用している。馬蹄形の客席は舞台から眺めると役者が広い角度から包囲されている感覚となり、また、観客もまわりの客の表情や息づかいが容易に感じ取れるために、演劇の密度が上がりやすい特質を持っている。
しかし、磯崎と鈴木は単にバロックの劇場を写すだけではなく、もうひとひねりしている。それはプロセニアム・アーチ(額縁のような舞台と客席の仕切り)を取り払ったことである。本来、バロック劇場は、ルネサンス期に発明された透視画法の舞台装置(パネル03参照)をうまく作動させるように構築されている。透視画法の導入とバロック劇場の馬蹄形の客席はセットなのである。磯崎と鈴木はあえて、そのセットを解体して客席が無限の闇の舞台に向かって開放されるように設計を行った。枠(プロセニアム・アーチ)のない舞台はフレームに収まる安心感のある演出を否定する。それだけ、使う側には難しい空間である。しかしそれが、近代の演劇の解体と再構築を目指す鈴木にとっては、当たり前の姿であったのであろう。
◇清水裕之
04 Shizuoka Arts Theatre
能舞台からイメージを広げた、黒の空間
05利賀芸術公園 利賀山房
Toga Art Park TOGA SANBO
朝日新聞1982年9月の記事に、磯崎新と鈴木忠志のつくりだす空間創造について、重要な記述がある。利賀山房は合掌造り(日本の伝統的な住宅建築様式のひとつで、手を重ね合わせたような三角形の丸太組みと急勾配の屋根が特徴)の建物の中に漆黒の舞台と客席が構築されている。イメージは能舞台(パネル07参照)。その能舞台が闇を纏った。「舞台を既存の柱を利用して能舞台の大きさに近づけ、左右に長い廊下状の袖をつくること、(中略)すべて真っ黒に塗られた。舞台の床も、自然発色で黒くしたアルミパネルにしたため、空間全体に闇がたちこめたようにみえる。」と磯崎は書いている。
建築の言語の解体は演劇と呼応する。「合掌造りの架構が送る数々の含意性をもつ信号と鋭く対立する。(中略)具体性をもつ民家の建築的構造の表象性が強いだけ対立し、いっそうきわだった」その効果は、おそらく極めて特殊な空間である。いろいろな劇団が利用できるのであろうか。その心配はなかった。「各国から、まったく個性のちがう劇団が訪れた。(中略)早稲田小劇場がなじんだ闇の空間に亀裂がはいるような、対立的な光景が生まれていた」空間言語を解体しながら、厳然としてそこに存在することで、演劇に対比的な効果が生まれ、双方が生きる。そうした仕掛けが出現したのである。劇場空間が特異的であるがゆえに、その存在が演劇に刺激を与え、演劇はそこから演じる力を得る、対比的な創造作用がそこにあった。磯崎は、「舞台の設計は、ひとつの特徴を徹底させてあるほどいいということだった。劇団が個性的であればあるほど、独特の舞台空間のなかに奥深くすみつくことのできることがわかった。」と述べている。
◇清水裕之
1 引用:磯崎新「表象性に富んだ劇場 利賀フェスティバル`82の舞台空間」,朝日新聞, 1982年9月
05 TOGA SANBO
ギリシア・ローマ劇場に和の借景を加味
06利賀芸術公園 野外劇場
Toga Art Park Open Air Theatre
引用元はローマ劇場である。それも、オリジナルなローマ劇場ではなく、ルネサンス期において再解釈された理論をもとにしている(パネル01・03参照)。「利賀村の野外劇場(一九八一年)の設計に、私はパッラーディオがつくったバルバロ版ウィトルウィウスのためのローマ劇場の作図法(一九五六年)を使ってあった。」と磯崎は言う。ここでは、ローマ劇場とギリシア劇場をひとつのまとまりとしてとらえていることに注意が必要である。鈴木の演劇は『トロイアの女』(1974年初演)、『ディオニュソス』(1978年初演)にみるように、ギリシア劇が対象のひとつとなっており、ローマ劇場もギリシアの延長線上に置かれている。その意味で、磯崎の劇場空間の作法と重なり合って理解されていたと解釈できる。
ふたつ目は、日本的なものとの対峙である。それは、借景という作法へのまなざしに現れる。「前面の池にむかってひらく舞台をもつ、約800人収容の半円形劇場で、観客席部分はできるだけ忠実にギリシャの原型に近づけようとした。(中略)借景をもった舞台の背景がうまれることになった。」。借景は日本の建築・都市空間の基本的なデザイン手法である。舞台の奥にひろがる池とその先の森と山は、例えば、書院造の広縁(伝統的日本家屋の座敷の縁側)に座って目の前に現れる池とそれに映る緑の借景のような静謐な空間とすると、その前の演劇は荒々しく、動的な破壊を繰り返す。時には池の奥から花火が打ちあがるが、それも演劇的な空間錯乱である。
「日本的な舞台と半円形劇場というより西欧的な舞台の二つを同じ場所につくって感じることは、近代化の産物であるあの多目的劇場という中途半端な空間より、こういう表象性に富んだ特殊な舞台の方がより緊迫感を生む可能にみちている」演劇と建築のぶつかり合いから生まれる動と静、闇と光、和と洋、そうした対比的な緊張感が、この劇場を輝かせる。この劇場が新設された1982年には日本で初めての世界演劇祭「利賀フェスティバル」が開始された。
◇清水裕之
1 引用:磯崎新「ディオニュソス―「テアトロ・オリンピコ」と「楕円堂」」, 『磯崎新建築論集 5 「わ」の所在』, 岩波書店, 2013, P250
2 引用:磯崎新「表象性に富んだ劇場 利賀フェスティバル`82の舞台空間」,朝日新聞, 1982年9月
06 Open Air Theatre
シェイクスピア劇場と能舞台の不思議な重なり
07水戸芸術館 ACM劇場
Art Tower Mito ACM theatre
ACM劇場は、円形(12角形)の基本骨格の中に、半円形3層の客席と、舞台の基本平面、さらに横に伸びた張り出し舞台を持つ、オープン形式の劇場である。基本は、シェイクスピア時代のグローブ座(パネル04参照)を引用している。客席数は320-580席の可変型で、基本タイプ、能舞台タイプ、寄席タイプ(パネル07参照)に変形する。舞台は奥行9.7m 間口17.5m 舞台面高60cmとなっている。
ちなみに、引用元のグローブ座は平面の基本形は20面の多角形であった。舞台は奥行きが約8mで幅が約13m、舞台は地面から1.5mの高さに設定されていた。グローブ座の平土間席は立ち見であったから舞台の高さが高かったのである。
この劇場は、能舞台形式が利用モデルのひとつとなっているように、シェイクスピア劇場と能舞台、それぞれの寸法と不思議な一致をみせている。能舞台の主舞台は京間3間(5.4m)四方で、橋掛りは6間から7間(11-13m程度)、さらに主舞台の奥には奥行き3m程度の後座がついている。すなわち奥行約8.4m。間口16.4-18.4m。この寸法をみると、グローブ座よりも間口を広げたACM劇場の舞台には、能舞台が橋掛りを含めておおむねおさまる大きさということになるのである。
実は筆者は、この設計に劇場のアドバイザーとして参加した。そして、貴重な経験を得た。通常の公立文化施設(劇場)はいろいろな演目に対応できるように多目的につくることが多い。設計は、あれもできるように、これもできるようにと加算型の設計を行うのが通例である。筆者も当初はそうした心持で臨んだ。しかし、鈴木忠志は「あれはいらない、これもいらない」とどんどん舞台要素を減らしていった。それは、まさに減算型の設計であった。減算型の設計では、基本の形の意味が大きく問われる。そして、それは建築を越えて舞台を支える表象的な空間言語の一部となる。単に機能的な劇場容器ではなく、演劇に直接参加する意味を表出する母体となる。このような設計アプローチにこそ、この劇場の秘密があるのではないか。
◇清水裕之
07 Art Tower Mito ACM theatre