創作・技術部には、「デスク」と呼ばれる創作・技術部メンバーをサポートする仕事があります。現在は「デスク」担当として、新人研修も担っている内野彰子さんに創作・技術部の仕組みや仕事概要についてインタビューしました。
—今年で何年目ですか?SPACに入るまでの経緯や今のお仕事について教えてください。
今年でSPACは21年目です。生まれは静岡県静岡市で、高校生まで静岡で過ごしました。小さい頃から音楽が好きで、小学生からピアノを習い、2つの合唱団に所属して、テレビの子ども歌番組に何度か出ていました。ガールズスカウトで鼓笛をやったり、地域の子ども会でキックボールをやったり、人が集まるところが好きでした。
高校で進路を決める時に、自分の未来像が具体的に何も思い浮かばず迷っていたら、クラスで席が前の友人が「宝塚を受けてみたら?」と言うので、誘われるままに東京・有楽町の東宝劇場へ、宝塚の舞台を観に行きました。舞台の熱気、観客の歓喜と割れんばかりの拍手に圧倒され、こんなに人を喜ばせることが出来るのならと、宝塚音楽学校を受験してみることにしました。受験を決めてからバレエや声楽を習い始めたド素人でしたが、奇跡的に合格。宝塚の受験生は宝塚に入ることが人生の夢で、幼い頃から英才教育を受けている人が殆ど。私は進路選択のひとつとして何も知らずに合格したので、入ってからが大変でした。宝塚音楽学校は予科・本科の2年制。自宅から通えない生徒は寮生活をします。そこでは、自分の考えや習慣やルールが、他人のそれとは違うことが多々あることを知り、集団で何かを成すためには、時に自分を律して全体の目標に自分をあわせることが必要なことを学びました。
2年で卒業し、宝塚歌劇団(研究科)に入って16年間、稽古と公演の毎日でした。ひとつの作品を約1カ月稽古して約1カ月半毎日公演。拠点は兵庫県の宝塚大劇場ですが、1年の半分くらいは東京・東宝劇場公演で、その他に全国ツアーや博多座・中日劇場などの定期公演など。移動しては公演、終われば次の場所・次の作品…と、住むところも一定ではなく、いろんな人物になります(笑)。毎朝、目が覚めた時に、いま自分はどこにいて、何の作品をやっていて、何の役で…みたいなのを頭で確認しないと自分の状況が把握できないことがよくありました。いまでもよくみる夢は、台詞を忘れる夢や、早替えで衣装が見つからない夢などですが、おもしろい夢は、劇場は宝塚なのに客席の演出家席には鈴木忠志さんがいたり宮城聰さんがいたり、共演者もSPAC俳優と宝塚が入り乱れていたりカオスな夢です(笑)…。人生の長い時間を劇場という空間で過ごしてきたので、大まかにいえば、ずっと同じ世界にいる。過去のアレコレが夢のなかでMIXされて奇妙な感じになります(笑)。
—退団後はどうされたんですか?
宝塚の舞台は基本的に、お芝居とレビュー(ショー)の2本立て構成で、私はお芝居が好きでした。宝塚でも上演していたシェイクスピアに興味を持って全作読破し、そのうちに「自分でも書いてみたいな」と思うようになりました。宝塚を退団し、東京で芸能プロダクションのデスクをやりながら、テレビ番組のプロットを書いたり、アイドル主演の深夜ドラマの脚本も書きました。テレビドラマの現場は、完全に分業制で、私は撮影現場に行くこともなく、ドラマは完成して放映されました。今まで皆で一丸となって舞台をつくってきた経験と比べ、ドラマの現場を素っ気なく感じてしまい、宝塚OGと一緒に舞台をつくることにしました。ギリシア悲劇をもとに戯曲『Cassandra』を書き下ろして演出しようと考え、それを父に話すと父は「静岡でもSPACがギリシア悲劇をやっているぞ」と。それがSPACとの出会いでした。「Shizuoka春の芸術祭」に出かけ、静岡芸術劇場で『シラノ・ド・ベルジュラック』と野外劇場「有度」で『ディオニュソス』を観劇しました。想像を超えるその環境と芸術性に、日本に、それも静岡に、こんなところがあるんだと驚きました。
その後、SPACからDMでスタッフ募集の知らせが届きました。制作・照明・衣裳スタッフ募集とあり、照明も衣装もできませんから消去法で「制作部」に応募。制作という仕事もハッキリ言ってよくわかっていませんでした(笑)。そのときの契約期間は1年。「1年間お芝居をみて勉強しながら、仕事の合間にドラマの脚本を書いて、土日は東京へ戻ればいい」という安易な心持ちでした。
—SPACに入ってからは?
制作スタッフとして入ってすぐに「Shizuoka春の芸術祭」(現在の「ふじのくに⇄せかい演劇祭」)で目まぐるしく過ごしました。地元で土地勘はあったので演劇祭のポスター貼りに行ったり、チラシを配ったり、久しぶりの静岡は楽しかったです。制作部には2年ほどいて、それから初代芸術総監督・鈴木忠志さんの助手として音響や演出助手となり、音を出しながらnotes(ノーツ)を書き、スズキ・トレーニング・メソッドという俳優トレーニングも毎日やりました。芸術総監督が宮城聰さんに代わり、舞台監督をやるようになりました。
—その時、東京に戻ろうとは思われなかったんですか?
最初の5年くらいは戻ろうかとも思っていたんですが、SPACで仕事をするうちに、世界で活動し世界的に評価の高いSPACにいることが、自分のやりたい作品に拘っているよりも、なにか世の中のためになるんじゃないかって思うようになりました。自分の考えていた枠を越えて、世界に向けて芸術発信するSPACの一助を担えているやりがいを感じてくると、東京での仕事のことはだんだん忘れていきました。
—今のお仕事について教えてください。
創作・技術部のデスクとして主に日中仕事をしています。いま自宅で母を介護していることもあり、遅い時間の現場につけないので、皆が稽古中・公演中に諸々管理やサポートをしています。
舞台芸術公園にある[せかいの劇場ミニミュージアム「てあとろん」]も立ち上げから担当し、いまも維持管理に携わります。「里山の会」という、有志による舞台芸術公園・里山のすばらしい環境をととのえるための活動にもメインで関わっています。この「里山の会」は、俳優やスタッフも部署の垣根を越えて、劇団員としていっしょに作業出来る嬉しい時間でもあります。
カフェで人手が足りないときに、公演日のカフェ・シンデレラのお手伝いもします。
—最近の主な1日のスケジュールを教えてください。
朝、劇場に来たら、スタッフオフィスで、創作・技術部メンバーがプロジェクトのために購入した物品の伝票を起こして事務局に提出します。その伝票をもとに、どのプロダクションが何でいくら使っているかがわかるように、作品ごとに詳細を表に入力して、共有します。それぞれの舞台監督がそれを見れば、いま経費をどれだけ使ったかわかるように管理しています。演劇祭の後は、その作業だけで数日がかりのときもあります。現場の進行と事務局的処理に時差がないことが理想です。
それから舞台芸術公園へ行き、各所チェックや、[せかいの劇場ミニミュージアム「てあとろん」]の日常メンテナンスなどをします。館内のイスの配置が乱れていたら直したり、剥がれそうな掲示物を修正したり、「あなたの好きな劇場を書いてください」コーナーのポストに投函されている用紙を回収して並べて貼ったり、テラス席にはブロアをかけて落ち葉を芝生に落としてきれいにしたりなど…管理作業です。ほかにも園内の交流棟の風通しやお掃除・メンテナンス。公園では「里山の会」の次回作業を考えるために、園内を見て回ったりもします。「里山の会」を始めてから、どこか出掛けると「あ、あそこに雑草が…」と、いままでにない気づきがあります。きれいになっているときは当たり前で気づいていないことに気づけて、いろいろ発見と感謝ができるようになりました。
—今、SPACの創作・技術部には何人所属していて、どのような経歴の人がいますか?
現在は20名弱が所属しています。演劇がまったくの未経験でSPACに入った人もいますし、大学や専門学校で知識と技術を学んできた人、首都圏ほか劇場でのスタッフ経験がある人、パフォーマーや俳優だった人、経歴はさまざまです。中には、大学の在学中にSPACでインターンを経験していたり、静岡の専門学校に通いながら衣裳アルバイトの経験をしていた人もいます。まったくの未経験だったけれど、スタッフになって舞台が好きになり、この仕事を続けている人もいます。
出身としては、静岡県内出身と他県でおよそ半々くらいです。SPACに入るために静岡へ来た県外出身の人も多いです。またメンバーの中には、子育てしながら仕事をしている人も、私のように介護しながら活動を続けている人もいます。
—創作・技術部のおもな仕事内容を教えて下さい。
創作・技術部は、SPACで上演する作品を、その作品が持っている世界観や、演出家の思い描く空間を、具現化してお客様に渡すのが仕事です。部署としては、演出部班、照明班、音響班、美術班、衣装班の5つです。各班にチーフがいて、その上に創作・技術部主任がいます。各部署の詳しいお仕事内容は、ほかの創作・技術部のインタビューに託しますね。
SPACでは、外部の演出家やデザイナーをお迎えして作品づくりもしています。SPACには専用劇場があるので、劇場での稽古をしっかりできますし、時間をしっかり持ってテクニカルも試せます。外部の演出家やプランナーとも、一緒に作品をつくっていく場所と時間があるんです。それは恵まれていて、とても有り難く重要で大切なことですね。
—おおまかな年間のスケジュールを教えてください。
春は「ふじのくに⇄せかい演劇祭」の招聘作品への対応や、SPAC上演作品の稽古や準備が始まります。創作・技術部主任が海外カンパニーとのやり取りをする中で、こちらの劇場で何を用意するか、劇場をどういう状態にして迎えるのか等を調整し、それを受けて各部署で具体的に準備をしていきます。作品ごとの担当スタッフが準備・仕込み・カンパニー受け入れ・公演本番・バラシをします。
演劇祭が終わると最近は6月に、SPAC作品の海外ツアーや、イベントでの上演があり、夏は「シアタースクール」など人材育成事業の稽古・公演をしながら、「秋→春シーズン」の準備や稽古が始まります。年末年始は世間並みにお休みしますが、お正月明けは公演初日が迫っているので担当者は忙しく、年始の公演後が終わると、「県民月間」や「アカデミー発表会」があり年度末となります。
—定期的にみなさんで集まりますか?
全員集合の形は、コロナ禍でいろいろ変貌しているかもしれません。ZOOM会議が増えて、リアルな会議は以前より減っています。とはいえ、座組(各プロジェクトごと)の集まりや、部署ごとでの共有事項など、劇場仕込みや舞台稽古が始まると一緒に過ごす時間が長いので対面でその都度話せます。プロジェクト以外の全体でお知らせしないといけないことや、共有したいことは、創作・技術部LINEグループで連絡しています。
—雇用形態、基本的な就業時間、休み等について教えてください。
雇用形態は、芸術総監督と契約しているスタッフで、私たちは個人事業主です。
SPAC活動規則では、施設の使用時間は原則として10時から22時まで。その中で、チームごとにタイムスケジュールをたてます。お休みは契約で年間取得日数が決まっていて(年間110日間)、それを各自把握し、担当プロダクションのスケジュールに合わせてやり繰りします。公演が始まったら、休みは公演に合わせますが、そうではない期間は自分で決める自由もあります。各部署のチーフは、皆が年間の休日取得日数をとれるようスケジュール調整をします。
—音響・照明班は少人数ですが、どうやってお休みをやりくりしているんでしょう。
どの部署も仕事柄、忙しい日とそうじゃない日と差はありますし、シフトがあります。だからといってひとりでプロダクション全部背負うことにならないように、外部スタッフを入れたり、チーフが尽力して上手にまわしています。それなりに順番に休みはとれていると思います。
—個人事業主の強みは何ですか?
各自の業務シフトや担当作品に関する仕事以外は、自由に時間を使えます。外の舞台の仕事もできますし、SPAC以外の仕事を請け負ってはいけないという縛りはありません。外部のプロダクションにスタッフとして入ってもいいし、他の劇場へ勉強に行くこともできます。舞台芸術のスタッフはアーティストですから、技術だけでなく、自分を豊かにするために時間を使うことは優先すべきで、個人事業主はそれができるのが強みだと思います。
—SPACで今後行っていきたいことはありますか?
SPACだけでなく、演劇は、そのタイプも使命も多岐にわたってきていていますから、仕事内容も多様な?雑多な?ことが増えてきます。それを楽しめるように、それぞれ自立したプロとして、適材適所、現場にはチームであることの達成感や幸福感を持てる仕組みがあるといいですね。組織にも個人にも長所も短所もあるし、個性を包含しながら、選択肢の幅広い、やりがいも多彩な、皆が生き生きとして刺激しあうアーティスト集団であり続けたいです。
―SPACの創作・技術部に向いている人はどんな人ですか?
やりたいと思った人は、向いている人。このページをみた人は、向いている人。興味があるということ、それは一種のご縁かなと思います。
―創作・技術部での楽しさ、やりがいについて教えて下さい。
舞台作品の感動は、観客にみえているものだけではなく、舞台上に直接みえていないもの。例えば、そこまでに費やしたエネルギーや、志・意気込み・喜び、そこに集まる人の思い、その場所の持つ力、数えきれないたくさんのものが作用して、伝わるものだと思っています。理屈や数字で表せないもの…芸術って0点もなければ100点もないでしょう?数字で測れないもの。人間って数字を見て安心したり基準にしたり、何かを理解できたことを喜ぶ生き物でもあるけれど、心の芯みたいなところは数値や理解を超えた何かで響き合っているんだな、つながっている私たち、って感じるときが喜びで、そういう出会いを生むことができる劇場にいられるのがうれしいし、そういったことに人が気づくきっかけになれたときに、やっていて良かったなと思います。
―余談にはなりますが、歌劇団出身の方から、創作・技術部のようなお仕事への転職の相談とか受けたりするんですか。
まだありません(笑)。宝塚歌劇団に入りたいという人からの相談はよくあります。宝塚の先輩にプロデューサーをやっている方はいますし、制作系をやっている人はいるんじゃないかな。そして、演出家やデザイナーになりたい人はいると思います。たぶん(笑)。でも舞台監督とか照明・音響をやりたいっていう相談を受けたことはありませんね。
舞台芸術には様々な分野があり、スタッフの仕事も多種多様です。どんな形であれ、人生に芸術との関わりがあって、それが仕事にできるとなると、それは幸運で稀なことだと、日々思っています。