『黄金の馬車』特別対談 Part2




野崎歓 (のざき・かん)
1959年新潟県高田市生まれ。主な著書に『フランス小説の扉』(白水社、2001年)、『赤ちゃん教育』(青土社、2005年、講談社エッセイ賞受賞)、『異邦の香り―ネルヴァル『東方紀行』論』(講談社、2010年、読売文学賞受賞)等。訳書にジャン・ルノワール『ジョルジュ大尉の手帳』(青土社、1996年、青土社)、サン=テグジュペリ『ちいさな王子』(光文社古典新訳文庫、2006年)、ネミロフスキー『フランス組曲』(共訳、白水社、2012年)など多数。

映画『黄金の馬車』の背景

野崎: お話をうかがっていると、あるところではルノワールを継承しながら、21世紀的展開がありそうで楽しみになってきます。ルノワールの時代から文学、芸術、思想の分野で前面に出てくる発想は女性の問題でしょう。ルノワールは女優を通して女性の力を見つめていますね。さきほどお話ししたようにこの映画の前はインドに行っています。奇特な花屋さんがお金を出して彼に映画をつくらせるんです。その前はハリウッドにいました。さらにその前はフランスですが、ナチスの占領があり、友人を辿ってアメリカへ渡りました。ルノワールという名前はアメリカ人にもっとも知られているフランス名の一つです。ジャンの父親ピエール=オーギュスト・ルノワールの絵はとても人気がありますから。亡命したときも、あのルノワールの息子なのかとスムースにアメリカへ入っていったんです。
彼が映画の世界へ入った背景には、アメリカ映画の魅力があったと思います。チャールズ・チャップリン、デイヴィッド・ウォーク・グリフィス、エリッヒ・フォン・シュトロンハイムといったサイレントの巨匠たちの影響です。フランスの演劇は言葉の芝居ですよね。シェイクスピアに比べても、理詰めにつぐ理詰めです。映画はそこに初めて風穴をあけた。これがアメリカ映画の啓示だったと思うんです。ところがハリウッドに行って何本が映画をつくってみると、ベルトコンベアーでつくっていることがわかってくる。彼は次第に映画を撮れなくなっていきます。この事実についてはまだまだ研究が足りないと思いますが、間違いなく言えるのは、映画を撮れなくなる時期と赤狩りの時期が重なっていることです。彼がもっとも親しくしていた映画人たちがしょっぴかれはじめます。ハリウッドの空気がさっと抑圧的なものになった。そういう時期にアメリカにいたわけでなんです。そこから流れ者の身分になります。最終的にフランスで何本か映画を撮りますが、それらは徹底して女優の映画です。ロベルト・ロッセリーニとの恋をつらぬいてハリウッドを追われ、徐々に下り坂になっていたイングリッド・バーグマンを起用して映画を撮る。『フレンチ・カンカン』では舞台上の女優たち。赤狩りのハリウッドから逃げ出した彼のやったことは女優を撮ること。しかも女優が大口を開けて笑うような映画です。そのことが今見返すと身に染みるのではないかと思えてなりません。現在の様々な状況の中で、宮城さんがこういうテーマに取り組もうとすることが、どこか重なるような気がします。

流れゆくものに力が宿る

野崎: ルノワールの『黄金の馬車』に関して言えるのは、一つは徹底的に演劇を讃えるという彼の中に脈打っている精神が発露したこと。子どもの頃からの演劇への愛です。彼のお兄さんはピエール・ルノワールという名優でした。映画もたくさん出ていますし、舞台で大活躍した人です。もう一つは、流れていくこと。横割りの世界。ルノワールは、19世紀になって縦割りの世界になってしまった、とよく言います。国別の所属意識にがんじがらめになってしまった。けれどこれから来る世界は違う。横割りの世界なんだと言っています。彼自身の人生がそうだったとも言えるし、彼が求める文化のあり方がそうだったのでしょう。そのことが『黄金の馬車』で滑稽なほどの奇妙なでたらめさを生んでいます。なぜイタリアのコメディア・デラルテ一座がペルーまで来ているのかわけがわからない(笑)。興行面で英語圏に売っていこうと、それまで英語を話したことがなかったアンナ・マニャーニがカタカナ英語で必死になって話している。そういう不思議な世界になっている。そんなことも全部ひっくるめて、逃げていくもの、流れていくものの方が、ある力を宿していることを暗示しているように思います。そのときに女優がいる。女神が色々なところへ流れていく、そんなイメージがあったのかなという気がします。
宮城: 単純に言うと、縦割りにしたのは男だと言えるかもしれません。
野崎: 第二次大戦後の人たちは、そのことに嫌というほど気づいていたと思います。ところが、共産主義との闘いが出てきて、縦割りを強めざるをえなくなった。皮肉ですね。いかにしてそこから逃れる力を表現するかが課題だったんだと思います。
宮城: なるほど。
野崎: ルノワールには陽気さがあります。50年代のアメリカ映画、それはある種の黄金時代ではあります。例えばフィルムノワールみたいな犯罪映画。倒錯的な心情まで含み込むような映画が一世を風靡していく。笑いのない時代に突入していきます。そこでルノワールは単純に光や笑いを求めていったという、そんな感じもあります。

演劇への強烈な憧れ

宮城: 演劇は何も残らないんです。フローとストックで言うと、フローしかない。演出もそういうもので、時間の流れや気の流れをつくる仕事です。舞台の上でエネルギーがどっちからどっちへ流れているんだろう。いつエネルギーの流れをとめて、いつ流れ始めさせるのか。演出という仕事はそんなことをしているんです。本当に流れることばかり。演劇人の中には形を残したいという人もいます。演劇そのものは残らないにしても、学校を残したり、思想を残したり、方法を残したり。しかしぼくは、演劇は他のジャンルに比べて何も残らないところがいいと思っています。残したいという気持ちをあまり持たないんですね。
野崎: 『黄金の馬車』の最後は、純粋に流れとしてあって後に残らない演劇というものへの羨望のようにさえ感じられます。演劇の世界の中にいる人は絶えず流れに身を捧げていかなくてはならないのかもしれません。
宮城: そうなんですよね。演劇は本当に消えてしまいますから。
野崎: デジタル技術ができて消えないものが出てきたのかもしれませんが、フィルム時代の映画は消えゆくものでもありました。小津や溝口のサイレント映画は三分の二くらい消えてしまっているわけだし。ルノワールだって自分の映画を見直すことはまずなかったと思います。そもそもシネフィルでさえなかったでしょう。彼にとっては現場が一番。役者と付き合いながら何かつくることが無性に楽しい。もちろんトラブルもあります。アンナ・マニャーニが言うことを聞かない。毎晩夜遊びして二時間遅れてやって来るのをどうコントロールするかという大変な悩みもあったらしい(笑)。そんなことも含めて付き合っていくおもしろさ、現場のおもしろさを一番に感じていたんでしょうね。
宮城: イタリアの俳優は本当にそうだったんですね。ピランデルロでも、主役は大抵、何か文句ある? という感じで遅れて稽古場にやってくる(笑)。
野崎: (笑)そんなイタリアの役者らしさということも含めて、この映画は恥ずかしいほど演劇への愛に溢れています。ルノワールは映画撮影に関する映画はつくりませんでした。それは彼の弟子の世代、フランソワ・トリュフォーやジャン=リュック・ゴダールがやったことです。ルノワールにとっては撮りたいテーマではなかった。彼にとって、演技をする、スペクタクルをつくることが帰っていくイメージは演劇です。なぜかと考えるんですが、やはりバックステージがすぐそこにあることが大きいのではないかと思います。舞台から引っ込んで痴話喧嘩をしたかと思うと、また舞台に出ていく。ああいう光景がたまらない。
宮城:小津の『浮草』でもそうなっていますね。
野崎: 映画はもっとクールなメディアです。幕の後ろを見たって誰もいませんから。ルノワールには演劇のあったかさに憧れているところが明らかにある。それを題材に実際にものすごくいい映画ができている。演劇の熱気にあてられがちな人は映画ばかり観ることも多いですが、映画をつくる人ほど演劇の人ともっと交流して、演劇の命というものにカメラを向けてみるとよいかもしれません。舞台が出てくる映画にはおもしろい映画が多いです。

こんなのでいいの!?の希望

野崎: 逆に言うと、映画を演劇にするという発想をどういうふうに考えるのか。映画には編集がつきものです。フローとストックで言えば、その部分にストックがある。撮り貯めたフィルムをつないでいく。そこを完全に取っ払って、宮城さんがどう立ち上げるのか。例えば、『黄金の馬車』の冒頭で幕が上がって舞台がある。その後に、ペルーの真っ青な空が映るわけです。幕が上がったんだからそこは一応舞台ということになっているわけですが、いきなり青空が出てしまう。映画にはそんな融通無碍さがあります。
宮城: タデウシュ・カントールの演劇『死の教室』をアンジェイ・ワイダが映画として撮りました。ほとんど舞台の記録なんですが、まさに一ヶ所だけ青空が出てきます。カントールはあれは自分の作品ではないと言っているらしいし、ワイダも自分の作品としては封印したという話もあります。舞台を観ているときに青空が見えてしまうというイリュージョンを、本当に青空を使って撮ってしまうのはどうなんだろうというのがちょっとあります。舞台を観ているときにそれを感じたのはわかる気がするのですが。例えば、正反対に、アンドレイ・タルコフスキーの『ノスタルジア』の最後みたいに、本物のように見せておいて実はミニチュアだったという方がぼくには親しみが持てるところがあったんです。映画を撮っていると言ってもそれはやっぱりイリュージョンで、本当はこしらえものだったという方がわかる。かつてはそうでした。けれど『黄金の馬車』を見ると、理屈の枠組みがスコーンと飛ぶところがある。
野崎: でたらめなことを一杯やっていますからね(笑)。
宮城: これでいいのだと思わされるところがあります。歳のせいもあるのかもしれませんが、どちらかと言うと、こんなのでいいのか!?という作品の方が、人にポジティブな力を与えられるのではないかと思うようになってきました。
野崎: 緻密に精緻につくりあげた構築物よりもですか?
宮城: ええ。『ノスタルジア』の最後みたいに結局はミニチュアでしたと。たしかにまとまるのですが、作家の意図が露呈している。それに対して、こんなのでいいの!?という印象を残せるならば、お客さんに対してより強く希望を手渡せるのではないかと、最近は思うようになっています。
野崎: ルノワールと言えば、こんなのでいいの!? 派の巨匠ですから(笑)。ゆるいところはものすごくゆるいし、よくこんなことをやるなと呆れちゃうようなところもある。同時にタルコフスキーと同じくらい緻密なところもあるわけなんです。人工物をおそろしく豊かに見せてしまう。『黄金の馬車』では闘牛場が出てくるはずが全く出てこない。人が騒いでいるショットだけで闘牛場の雰囲気を喚起しています。それにも増して、こんなのでいいのか!?と鼓舞する力が強いですね。それを演劇的と形容することができるのかもしれない。共有している感じがすごく強い。この映画の肝で、こんなのでいいのか!?と思うのは、アンナ・マニャーニです。このとき40代半ば。今の若い人に見せるとなんて言われるか怖い(笑)。。絶世の美女のはずが、まあかなり年増感があります。ところが、顔のアップを見ているだけで涙が出てくるくらい感動させる力をもっています。しかも台詞を言い足りないところをイタリア語でバンバン話していたりする。映画的というより芝居的と言うのかな。アンナ・マニャーニは土着の女優としての魂を持っている人だと思うんです。しかしそれを全開にされるとさすがのルノワールでもこうはまとまらなかったでしょう。うまく導いて一つの形を与えたなという感じがします。
宮城: 英語を話させたのも、そういう意味では一つの枷になったのかもしれませんね(笑)。
野崎: あんまり暴れさせないようにね(笑)。

【対談PRAT3につづく】

(構成:西川泰功)