古舘寛治 (ふるたち・かんじ)
大阪府出身。20代で単身ニューヨークに渡り、演劇学校HBスタジオにてウタ・ハーゲンらに師事する。帰国後、平田オリザの主宰する劇団青年団と松井周が主宰する劇団サンプルに所属。近年では映画、ドラマにも活躍の場を広げている。静岡ローカルCM『コンコルド』にメインキャラクターとして出演中。
宮城聰 (みやぎ・さとし)
東京都出身。東京大学で小田島雄志・渡辺守章・日高八郎各師から演劇論を学び、1990年ク・ナウカ旗揚げ。2007年4月SPAC-静岡県舞台芸術センター芸術総監督に就任。自作の上演と並行して世界各地から現代社会を鋭く切り取った作品を次々と招聘、また、静岡の青少年に向けた新たな事業を展開し、「世界を見る窓」としての劇場づくりに力を注いでいる。
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素晴らしい作品に出逢う、驚きと喜びを体験してほしい
古舘寛治(俳優)×宮城聰(SPAC芸術総監督・演出家)
コンコルゲンは舞台俳優!?
古舘: 今回の対談は「コンコルゲン」のおかげですね。東京ではCMを見ることができないので、反響はツイッターで確認していますが、「コンコルゲン」と検索すると大量のツイートが検索されます。本当に驚いています! 月光仮面の気持ちです。「どこの誰だか知らないけれど、誰もがみんな知っている」(笑)
宮城: 確かに(笑)。
古舘: ぼくは29歳までアメリカ・ニューヨークで演技の勉強をしていました。高校の時にマーティン・スコセッシ監督の映画『タクシードライバー』にハマりましてね。アメリカ映画に惚れ込んだのが俳優を目指すきっかけになりました。日本に帰り、33歳の時に劇作家・平田オリザさんの劇団青年団に入団しました。
宮城: 青年団に入った頃は、映画の演技を演劇に持ち込んだという意識があったのかな?
古舘: アメリカの演技学校では舞台の演技を学ぶのですが、多くのハリウッド映画俳優もそうした教育を受けていますから、演劇も映画も一緒という感覚があります。ぼくもそういう感覚を身につけていきました。
宮城: いい役者ってどういうスタイルの芝居に出ていようがやっぱりうまい。ある演出家のもとでだけ輝く役者がすごいと思われていた頃もありましたが、実際に俳優のよしあしはそういうものでもないですね。どういう人生を選ぶかという選択は、俳優としての才能とは別にありますが。
古舘: アメリカへ渡ったのは23歳の時。日本料理屋でアルバイトをしながら演技の勉強を始めたんです。その頃はダンスが流行っていて、ぼくも最初はダンス学校のビザを取って渡米したんですが、学校に行くと全く楽しめなかった。周りの人たちはいかにもダンサーっぽい。ぼくはそうじゃないでしょう(笑)。それで演技の学校へ移ったんです。
宮城: 日本に帰ってから青年団に入るまで、4年くらいありますね。
古舘: その間、様々な演出家に「俳優に向いてない!」と言われていました(笑)。俳優は基本的に、演出家から言われたことをやる仕事ですよね。ぼくは「これはつまらない!」とか口を出してしまうタイプで…。演出家とよく衝突していました。社会的な価値観の違いだと思うのですが、アメリカでは俳優も演出家も対等に語り合う関係でものをつくっている。正直なところ、日本は未熟だなと思うことがあります。
演出家は「宇宙人」である
宮城: ぼくの演出する芝居を観たお客さんの中には、ぼくが舞台上のことを全部決めているという印象を持つ人もいるようです。かつてヨーロッパで、自然主義への反発として、俳優を「スーパー・マリオネット」と見なす考え方が生まれたんですが、宮城という演出家はまるでスーパー・マリオネットのように芝居をつくっているのではないかと思われることがあるんです。しかし実際には、俳優に場面を創ってもらうことが大半です。
古舘: そうなんですか!?
宮城: ぼくの場合、稽古の最初にコンセプトを示します。ぼくの取り上げる戯曲は古典が多いので、わざわざ今上演するにあたって、こういうことをしないと意味がないという話をします。戯曲の上演史に新しい1ページを書き込むための作戦を話すわけです。その上で、俳優や技術スタッフに、さあどうぞ、と創作を手渡します。俳優やスタッフから案が出てくると、こんどはぼくはそのバランスを取っていきます。稽古当初の話は思想家としての演出家の仕事。バランスを見るのは職人としての演出家の仕事です。
古舘: なるほど。
宮城: ぼくが自分は俳優ではなく演出家なんだと痛感する瞬間は、旅公演に行った時。長い旅をしていると、色々な体験を共有しますよね。その土地の気候や食事に慣れずに体調を崩したりもする。こういう時、自然体でいれば気持ちが寄り添っていく。でも演出家としては寄り添いすぎると芝居を客観的に観られなくなる気がするんです。特に異国の場合、お客さんは他者そのもの。観客は今までとは全然違う目で芝居を見るかもしれない。そんななかでぼくがあまりにも寄り添って「そりゃみんな疲れてるよね…」とか一体感に浸ってしまうといい芝居ができない感じがする。そこで自分に言い聞かせるんです。「ぼくは宇宙人でないといけない!」って。
古舘: 宇宙人(笑)。
宮城: そう。いまでは条件反射的にそういう態度を取るようになりました。集団にくっついて行きそうになる自分を引きはがして、冷たくなる。俳優と一緒になれない寂しさがあります。演出家と俳優は宇宙人と地球人くらい違いますね。
古舘: 宮城さんにそう言われると、何と言っていいのか…。
テレビと舞台はどこが違う?
古舘: テレビと演劇を並べた時に、ルーツは演劇にありますね。演劇は人類の歴史とともにずっとある。演劇をいまだにやっていることが驚き! というくらい昔から…。映画やテレビが、娯楽としての演劇の代わりになったんでしょうね。映画やテレビは手頃な価格で気軽に見ることができますから…。でも演劇から映像に移行するにあたって、削ぎ落とされたものが色々あるんだと思う。
宮城: 舞台の現場は90分なら90分ずっと続きます。テレビの撮影では一つ一つのシーンは短いですよね。時間の流れがずいぶん違うのではないでしょうか。
古舘: テレビドラマをつくるサイクルはもの凄く速いんです。舞台では2ヶ月も稽古を重ねて、俳優はベストの状態を追求できる。色んなことを試して一番おもしろいことを見つける過程があります。テレビではそれはできないですね。撮影現場に入って初めて台詞を言うときに100%を求められます。少し修正が入ってすぐに撮影ですから、「こだわりの料理」にはどうしてもなりにくいんです。
宮城: 俳優としてシーンごとの撮影をどう感じますか?
古舘: 初めの頃は戸惑ったと思いますが、舞台でも場面が分かれていますからそんなに大きい差は感じなくなりました。最も大きい違いはテレビでは試行錯誤を重ねる時間がないこと。映画はもうちょっと時間があります。俳優としてはやはり時間のある現場の方が嬉しいです。
宮城: 演劇は同じことを二度とできない。繰り返せないという特徴があります。
古舘: 舞台は生だということですね。目の前で行われている。観客にはそこを楽しんでほしいと思います。20世紀の演劇にはストーリーがあり、お客さんはそれを追いかけて楽しむ。その楽しみ方は映画やテレビドラマと変わりませんが、最近の演劇にはもっと色々な要素があります。
宮城: どういう演劇をおもしろいと感じる?
古舘: ぼくがおもしろいと感じるのは、この場で今起きていることを利用しようとしている演劇です。演劇には台本があり、ある程度やることは決まっているとしても、本番の瞬間に何が起こるかわからない。その場で地震が起これば、舞台上の役者も揺れているし、お客さんも揺れている。ぼくらが生きている現在のちょっと先のことは全くわからない。舞台ではこの〈いま〉を共有できるんです。演劇だけにある魅力だと思います。
どこまでも演技を追求する
宮城: 今年の演劇祭で上演する『マハーバーラタ』は2003年に初演しました。規模の大きい作品なので再演はなかなかできなかったのですが、2012年の初頭に久しぶりにパリ公演が実現しました。幸いこれが好評を得て、以来、あちこちから招聘のお話をいただいています。今回の演劇祭での上演は、海外へ出発する前の壮行公演です。舞台芸術公園の野外劇場で上演しますから、その魅力も味わってほしいですね。日本には野外劇場が数少ない。おもしろい体験をしてもらえると思います。
古舘: 野外劇場は珍しいですね。
宮城: 雨が降ってもそれはそれでおもしろいんです。ポツっと雨粒が来て、もっと降るのかなと思うと止んだり、しっかりザーザー降りになったり。役者も濡れるけど観客も濡れる(笑)。こういう体験は野外劇場特有のものです。
古舘: 上演時間は2時間弱なんですね。
宮城: 歴史的に有名なピーター・ブルック演出の『マハーバーラタ』は夜中に始まり明け方に終るという長大な芝居でした。ぼくらの『マハーバーラタ』は俳句みたいなもので、あっという間に終ります。
古舘: うまいことを言いいますね(笑)。
宮城: 今回の演劇祭では『ピーター・ブルックのマハーバーラタ』の映像上映もあります。ブルックさんの稽古場を記録した映画『ピーター・ブルックのザ・タイトロープ』も興味深いですよ。ブルックさんは80歳を越えてもいまだに大学の劇団みたいなことをやっているんです。ずっと同じ問題意識を持ち続けていることを確認できます。
古舘: ヨーロッパでピーター・ブルックの舞台を何度か観たことがあるのですが、ぼくの印象は、歳を重ねて無駄なものをどんどん削ぎ落としていったという感じでした。女優さんが一人で舞台中央に立ってしゃべるだけなんです。そのシンプルさ。やっぱり俳優が大切なんだというメッセージが伝わってきて、嬉しかったのを憶えています。
宮城: 『ピーター・ブルックのザ・タイトロープ』では、稽古場でえんえんエチュード(即興劇)をする光景が撮影されています。エチュードの内容は、床に綱渡りのロープがあると思って、その上を歩けという単純なもの。ブルックさんは、意識をどれだけ研ぎ澄ますことができるかと指導します。ロープと言っても実際は床ですから、その上で何かやろうとすればできるわけです。でもそうすると意識が敏感でなくなってしまう。本当に体が綱渡りの状態にあるならば、全身に相当な集中が行き渡るはずだ、とブルックさんは言って、それをただ求めるんです。
古舘: いつ頃、撮られたものですか?
宮城: 2年くらい前ですね。ブルックさんの劇団は多国籍なので、色々な国の若い人が登場します。
古舘: 俳優として興味深いです。
自分だけの傑作を発見しよう!
古舘: 演劇では、わざわざその日のその時刻に劇場に集まって、大勢の人と肩をぶつけながら観るわけでしょう。今の時代になかなかお客さんが増えないのはわかるんですよ(笑)。
宮城: (笑)
古舘: おもしろい演劇に出逢って初めて演劇はおもしろいと思うわけで…おもしろい演劇を観てもらうしかないですね。でもなかなかそういう作品に出逢えない! それでも言いたいのは、おもしろい演劇は確かにあるんです! 特にSPACの演劇祭では海外の本当に凄い演劇を呼んでいるでしょう。日本で一番そういうことに力を入れている劇場ではないかと思います。これまで何回静岡に行きたいと思ったことか。ワールドスタンダードの作品に触れられる劇場ですから、きっと心に響く作品を見つけられると思います。
宮城: そう思ってもらえると嬉しいです。
古舘: 舞台の上の異世界を見つけに劇場へ来てほしいんですよ。創り手が創ろうとした世界が必ずある。それは非日常の世界かもしれないけれど、人間には絶対必要なもの。日々の生活をただ送るだけでは、人生はつまらないんだろうなと思います。
宮城: コンコルゲンの存在も日常の中の非日常という感じだよね。古舘さんの存在感の中にどこかしら非日常を感じさせるものがあるんでしょうね。
古舘: そんな褒め言葉をいただいて嬉しいですけど、照れますね(笑)。
宮城: あれだけ視聴者の記憶に残るというのは、狂気とか逸脱とか過剰とか、そういうものがあるんだと思う。
古舘: 最近よく思うのは、フィクションは大事だということ。日常生活で得られる体験は限られます。誰もが非日常、異世界を体験できる、それがぼくらのやっている舞台の仕事なんじゃないでしょうか。
宮城: 『タクシードライバー』を見てアメリカに渡ったことと通底してますね。あの話はまさに狂気、逸脱、過剰。タクシー運転手役のロバート・デ・ニーロがわずかに狂っていく。
古舘: あんなことが起こるリアリティと、それができるフィクションという構造がおもしろいですよね。嘘だから表現できる本当がある。俳優をやっている価値はそこにあると思うんです。演劇は目の前でそういう世界をつくろうとするわけですからね。そりゃ大変なことですよ。
宮城: 今回の演劇祭も日常の中に一瞬、非日常が現れるという演目ばかりです。オープニング作品『ファウスト 第一部』は話自体がそう。人生をえんえん生きてきて、ふと悪魔が現れる話。これは古舘さんにもぜひ観てほしい。役者の魅力だけでここまでできるのか! という舞台だから。ドイツ人の俳優ですが、器用とかルックスがいいとかそういう魅力とは違う。観始めると、この人が主役なの? 脇役じゃないの? と思っているうちに、目が離せなくなるんです。
古舘: 日本人はイケメンが大好きですけど、海外では一見素朴な俳優が大きい役をやるんですよね。観てみたいですねえ。静岡の皆さんはうらやましい! ぜひ足を運んでほしいな。
宮城: 古舘さんもぜひ静岡に来てください。
古舘: 実は、4月5日から18日まで静岡シネ・ギャラリーで上映予定の映画『ほとりの朔子』に出演しています。舞台挨拶にも出ます。コンコルゲンが始まってから初静岡なので緊張してます(笑)。
協力/こまばアゴラ劇場、ルヴェ ソン ヴェール駒場
構成/西川泰功 写真/中尾栄治