劇場文化

2012年6月2日

【アルヴィン・スプートニクの深海探検】スケールと方向感覚(山村浩二)

 オーストラリアのティム・ワッツによるインディペンデントな人形劇『アルヴィン・スプートニクの深海探検』は、手作り感覚あふれるたった一人で行われるパフォーマンスだ。この劇の主人公スプートニクという名前の響きから、すぐにソ連の無人人工衛星を連想した。人工衛星は大気圏外の旅にでるが、このスプートニクは逆方向の深海の旅にでるお話だ。人工衛星のスプートニクは丸い球体に4つの長い足がついたシンプルな形だが、この主人公が深海へと潜るときの潜水服も大きな丸いマスクに4本の手足が小さく出ていて、その姿も人工衛星に似ていなくもない。犬のライカだけを乗せた無人人工衛星の孤独な旅とイメージを重ねて観ていた。
 アニメーションの映像は、ティム・ワッツ本人による自作で、自身もウクレレを演奏したり、歌を歌ったりして登場する。物語の中心になる主人公スプートニクは、手描きで描かれたシンプルなアニメーションと指人形で表現されている。この人形は、手袋をはめた手で体と手足を演じ、そのうえにもう片方の手で潜水服の頭を乗せただけの至ってチープな作りだ。全体に見かけはとてもラフでシンプルなデザインだが、光や映像に周到な仕込みがしてあって、記録された映像とライブパフォーマンスが次第に渾然一体となり、いつの間にか「ここ」ではない別の次元の「どこか」へ連れていってくれる。
 シンプルで、スタイリッシュな舞台装置が印象に残る。舞台の中央に置かれたのは、1メートルほどの丸いスクリーンで、光の当て方次第では少し透けてスクリーンの裏側も見える。このスクリーンの丸い形がキービジュアルになっているのだ。丸い地球、丸い潜水服のマスクとその中の丸いガラス、丸い光の魂と、円を中心にグローバルな地球規模のマクロの世界からミクロの内的世界までを繋げている。通常の演劇では、舞台の上手下手と左右の位置関係が中心になるが、映像と人形劇というコンパクトな世界観で、海底への下へ下へと進む方向感覚を生み、等身大の人間中心のスケール感も崩していく。
 この軽やかでユーモラスな作品は、自分が普段接しているインディペンデントの短編アニメーション、特に若い作り手たちの作品にとても近い感覚を受けた。もちろん舞台の多くがアニメーションの投影映像で、そのタッチがまさにインディペンデント・アニメーションそのものだというのも理由だが、アニメーションをスクリーンの外まで押し広げ、ミニチュアのセットのなかで指人形を演じ、自分の演奏と歌で盛り上げる。その辺りの制作の規模、すべて手作りで自分のイメージを形にしていくところに溢れているインディーズ精神が、まさに共通するのだ。また、通常人形劇の人形は目鼻のあるキャラクターで何かしら性格付けがなされているものが多いが、この主人公は、丸い光の穴だけがあいた、丸い潜水マスクをずっと被っていて、目鼻はもちろん表情を表す要素はまったくなく無表情だ。ただ頭の角度や動きのタイミングだけで演じ分けている。それでも観客はいつのまにか彼の仕草のなかに表情や感情を見いだしている。ささやかなタイミングだけで、スケールの違うものに次第に感情移入していくところも、とてもアニメーション的な表現だ。
 ストーリーも、温暖化により水没した地球を救うという一見壮大な物語のようで、登場人物はスプートニクだけという、人間関係のスケールは小さく、他者との関係性を挟むことなく世界を救うという、最近の日本のサブカルチャーで社会学的に分類される「セカイ系」そのもので、これも今時のアニメーションと共通する傾向だ。そういう意味で『アルヴィン・スプートニクの深海探検』は、いまの若者にとても共感を得る作品ではないだろうか。これは演劇という既存の枠を意識させないプライベート感覚溢れるエンターテイメントだ。

【筆者プロフィール】
山村浩二 YAMAMURA Koji
アニメーション作家、東京藝術大学大学院教授。代表作に『頭山』、『カフカ 田舎医者』、2011年カナダ国立映画制作庁との共同制作『マイブリッジの糸』など。絵本画家、イラストレーターとしても活躍。